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未来に対する不安などは

2024年2月28日 (水) 20:24

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直接話したときの感じと、その人が書いた文章の感じが、全然違う人っておるね。あれなんなんやろな。「直接会って顔も見たし声も分かるのに、あの人が打った文章って感じせんな~」って人、おるやろ。逆に完全に一致する人もおるけど。
でも、例えばTwitterで長いこと知ってて、直接会うことになって「え、この人こういう話し方なんや、違和感ある」と思うことは少ない。ほぼ無い。逆が多い。直接会って話したことある人のTwitterとかブログとか読んで「この人、文章と本人が一致せんな、こういう文章なんや、違和感ある」と思うことが多い。芸能人とかも。
あと、仕事ですごい感じ悪いメール送ってくる人に対して「なんなん、怒ってんのか?」と思って探り入れる意味もあって電話すると、ものすごい腰の低いしゃべり方する人も多いわ。あれなんなんやろな。

今朝ちょっと腰をビキッとやってしまって、以来ずっとギックリ腰一歩手前みたいな感じがする。悪化してほしくない。動いても痛いし、座っていても痛い。何もせず横になっているのがいちばん良いのは知ってるけど、今わりと仕事忙しい。

先日、京都で久しぶりにゲストハウスに泊まったら、まじで外国人しかいなかった。こういうゲストハウスって妙に落ち着く。
20時ごろにチェックインし、スパニッシュ系の男の子がラウンジにある超小さいキッチンで何か料理している横で、私はコンビニで買ってきたお茶漬けを食べた。ごはんを温めすぎて、味がよく分からない。
キッチンと冷蔵庫はかなり離れた位置にあり、男の子はその間を何往復もしていた。何を作ってるか気になったけど、醤油とみりんを入れていたのだけが見えた。
部屋に上がるとすぐシャワーを浴びて、300円で借りた館内着の作務衣で横になった。素肌に紐がめり込んで痛い。
下のベッドの韓国人の女の子(すんごい若い子だったと思う、10代かもしれん)がちいかわのグミをくれた。「(おまけの)シールは私がもらうけど、グミだけあげる、ごめんね」とのこと。「私はちいかわよりグミが好きやからうれしい、どうもありがとう」と答えたけど、今考えたら、これぐらいは韓国語で言えた気がする。韓国語で言えばよかった。韓国語、話す機会が少なすぎるし、自分の韓国語が通じるのかどうかいまだに分からない。
ヘッドボードのあたりについているライトでは暗いので、カーテンを開け、廊下の明かりを使って眠くなるまで本を読んだ。重い本を持ってきた甲斐があって、1時間くらい読めた。22時には部屋ごと消灯し(早い)、斜め向かいのベッドの、カーリーヘアがかわいい女の子が「おやすみ」を言ってくれた。彼女は翌朝「おはよう」も言ってくれた。
1泊で、寝るだけならゲストハウスが一番おもしろいけど、ただあんまり深く寝られないことが多いのでそれだけがネック。

ほとんど1年ぶりくらいにアナログフィッシュのライブを見たけど(関西にぜんぜん来ない)、新曲の『三葉虫』がすごく良くて全身の毛穴がビリビリした。こういうときは身動きが出来ない。かろうじて息だけをして、身体がぜんぶ耳になったみたいになる。あーぁ、下岡晃になりたいな、下岡晃になって、あの声で話してみたい。さっき言ったのと同じトーンで「言われたことだけで出来てるはずだと思うけどね」と言ってみたい。私は下岡晃になりたい。
ライブは最初期のアルバムから曲を演奏する、というコンセプトだったので、タイムワープしたみたいで、終始ワクワクした。古い曲も良いんだよな。『不安』とか、毎回「あぁこの曲すごく好き」と思う。変な曲いっぱいあって楽しい。「変な」は褒め言葉です。
今年は25周年なんだそうだ。こないだ20周年て言ってたのに、ほんとにあっという間だな。急に「もしアナログフィッシュが解散したら」と想像してしまって、ゾッとした。そんなことはアナログフィッシュが決めることなので、もし彼らがそう決めたなら、私が泣こうが喚こうがどうにもならないし、分かってるけど、でもまじでゾッとする。そうなったらもちろん受け入れて、これまでの曲を大切に生きていくけど、そのあとはアナログフィッシュの新曲を聴くことも、ライブに行くこともないまま、まだ50年くらい生きるんか、と思うとゾッとする。人生が、長すぎる。
ライブ終了後はお客から集めた質問に3人が答えるコーナーがあり、好きな食べ物を聞かれた下岡晃が「ブロッコリーが好きです」と答えていた。私がいちばん嫌いな食べ物がブロッコリーなんですけど、もしかしてブロッコリーを食べられるようになったら下岡晃になれるんか……?でも「あんまり好きじゃない食べ物」とか「自分では作らない食べ物」とかレベル感がある中で、唯一「嫌いな食べ物」と断言できるのがブロッコリーなんだよな。なんか食感も味もにおいも見た目も嫌だし「葉物でも根菜でもないし、なにこれ、今なにを食うとるんや」となるのも嫌い。
下岡晃はブロッコリーに何をつけて食べるんだろう。スーパーで買ってきて、自分で茹でるんだろうか。下岡晃が包丁でブロッコリーを小房に分けるさまを想像し、ただの想像なのに「手慣れとるな」と思うなどした。そもそも下岡晃が何かを食べているところを見たことがないんじゃないだろうか。考えたこともなかった。だから何だ。
州ちゃんにはお姉ちゃんがふたりいて、ふたりともバンドをやっていた、ドラムを始めたのは小学5年生のとき、などの初めて知ることもあって、インタビューコーナーは面白かった。私が書いた質問は読まれなかったです。

おともだち

2024年2月20日 (火) 20:47

uncategorized

金曜日、昼休みに映画館の上映スケジュールを眺めていたら『ナイトオンザプラネット』が上映されていることに気づいた。定時きっかりに退社して小走りで映画館へ。観てよかった、おもしろかった。映画館で観れる作品というのは実はそんなには多くない、というのが去年の学びとしてあるので、観れるものは観れるときに観ておくべきと思う。
なんだかんだ今年も100本くらいは観る気がするけど、それでも去年の半分かと思うとめちゃくちゃ少なく感じるね。

土曜日、チョコレートを持って実家に帰ろうかな、と思うものの、めんどくさくなってしまってやめた。なんだろう、電車で数十分の距離で、遠くはないんです。絶対に遠くはないんですけど、絶妙にめんどくさくなりやすい距離やねん。帰りに母が車で送ってくれるのもいつも申し訳なくて、でも断固拒否するのもおかしいし、送ってもらえるとラクではあるし……来週にしよう、来週帰ろう。母も、最近は弟もチョコレートが好きなので、一緒に食べたい。

結局映画を2本観て、漫画を読んだりしていたら日が暮れた。(精神的には)健康で(ほどほどに)文化的な最低限度の休日。
オードリーの東京ドームライブを配信で見ることにしたので、U-NEXTで支払いをした。というかポイントが貯まっていたので、それで足りた。U-NEXTは実家と友人2人をファミリー扱いしても月額が変わらないし、しかも毎月半額分くらいをポイントバックしてくれるし、そのポイントを映画館で使えるし、新作を観るのにも使えるし、ライブ配信系のコンテンツもあるし、すごく助かっている。

夜は久しぶりにアナログフィッシュの定例配信を生放送で見ることが出来た。最近はいつやっているか分からないので(いや、告知はちゃんとされてるはず、私が見てないだけ)リアルタイムで見られる確率がかなり下がっている。でもリアルタイムで見るとコメントも出来るし、投げ銭も出来るし、良いやね。放送の最初のほうはなんかよそよそしいが、後半になるにつれて徐々に元気になる下岡晃を見てニコニコした。シンボパンで朝ごはんを食べた話を聞き「私も明日は外で朝ごはん食べよ」と決意。ってか先週末も喫茶店で朝ごはん食べたから「明日は」でもなんでもないけどな。私は1日の食事で朝ごはんが一番好き。

日曜日、やや寝坊したが洗濯をしつつシャワーを浴びて、どうにか昼前に家を出た。
自転車で海のほうに降りるとエッグスンシングスがある。迷ったけどオムレツにした。が、オムレツはあんまりおいしくなかった。悲しい。これなら私が焼いたオムレツのほうがうまいよ(傲慢)。
スーパーで買い物を済ませてから帰宅。和菓子が食べたくなったが、神戸駅周辺には良い和菓子屋が少ない気がする。元町を経由しながら帰ろうかな、と思ったけど自転車乗ってるしな……

夜はおつまみを用意してオードリーの東京ドームライブを観た。みんなでたくさん考えて、一生懸命準備した、という感じがビシビシ伝わってきた。「ラジオのイベントに5万人集める」なんて解のないものと、どうにか取り組もうとした様子が伺えたと思う。その様が好ましいな、と思った。
私は5万人の前でステージに立ったことはないが、想像するとシンプルに「怖い」だろうな、と思う。どのように対峙すればいいのか分からないし、ひとりひとりを個として捉え、個のまま受け入れようとすると無理が出てくる。もちろん個として捉えるシーンもあるだろうけど。ゲストで登場した星野源さんは、どう見ても「万単位の人間を扱い慣れている」という振る舞いで、貫禄すらあった。持って生まれた才能の一本槍ではどうにもならないことに、何度も対峙してきただろうな、と思う。
2週前くらいのラジオで「漫才はやらない」と言っていたのを真に受けてたけど、漫才はいちばん最後にやりました。
昨日アナログフィッシュの定例配信で3人が「明日オードリーさんの東京ドームライブだね」「SHOWがはじまるよをかけてくれるかな」「東京ドーム行く人いるの?」「かかったら教えてほしい」「かけてくれたらうれしい」と言っていたので、私もうれしかったな。よかったね。
漫才って、生で見たほうがおもしろいんだよな~と思い出したりした。配信だとしても、生で見たほうがおもしろい。

フワちゃんと春日さんのプロレスを見たので、ものすごくプロレスが見たくなった。今年どうにかしてプロレスを見に行こう。最初はちゃんとプロレスが分かる人と一緒に行きたいと思ってたけど、一向にプロレスが分かる人と知り合わないし、なんかもう別にいいや、ひとりで急にサンボーホールとかに行こう。なんのお作法も分からないけど、別に誰にも怒られんだろう。たぶん。
……いや、なんかあるのか?私が知らないだけで「これを持って行かないと会場に入れてすらもらえない」みたいなのが?ないか。なさそう。

友人のサイトをちまちまコツコツ作り続けているが、大体は形になってきた。ビジュアル的に見せるコンテンツが無い、というのはウェブサイトでも印刷物でも結構起こり得るけど、最適解は「別に何もしない」な気がしてきた。まぁ最適解って感じでもないか、「パターンとしてある」ぐらいか。

生活はつづく。

I must go punch that baby

2024年2月8日 (木) 19:08

映画のはなし

ヨルゴス・ランティモス監督作品『哀れなるものたち』を観た。
土曜日、朝起きて洗濯して、ゲームをして、うっかり昼寝をしていたら、すっかり日が暮れており、このまま1日が終わるのが惜しくなった。こういう日はレイトショーへ行くのが良い。週末でもレイトショーならあまり混まないし、うっかり昼寝をしたことも「夜映画館へ行くから仮眠をとった」と言い訳がつくし、夜遅くに映画館にいるのはなんとなくワクワクする。

東京に住んでいたころ、終電が出たあとも開いている映画館があることに大変驚いたし、嬉しかった。当時好きだった人と、新宿や錦糸町の映画館で24時過ぎから始まる映画を観て、始発が走るまで喫茶店でおしゃべりし、ずっと散歩したの、良い思い出です。別れ際にいつも「たのしかったね」と言う人で、あれ好きだったな。
思い出の「で」って「出」なのはなんで?実は略語なのか?

『哀れなるものたち』は、赤ちゃんを身ごもったまま自ら命を絶ったが、その赤ちゃんの脳を移植して蘇生した女性、が主人公だ。何そのこわい設定。主人公・ベラは成人女性の形をしているものの脳は0歳なので、行動や言動と姿形がちぐはぐになっている。ベラに母親(であり、自分自身)のころの記憶はない。映画序盤は幼児語で話し、よちよち歩く。脳が0歳でも、身体は成人なのだからよちよち歩きはおかしくない?と思ったけど、足をどう動かせばスムーズか、を知っていて指令を出せるのは脳だから、ってことなんかな。

あらすじを見ると奇抜、と思ったけど、ストーリーはどちらかというと普遍的なものだった。ベラは世界を知りたいと望み、親元(というか脳を移植して蘇生した外科医)を離れて旅をし、人と出会い、本を読んで、知識を、職を得て、格差を知り、絶望し、そして選択する。なぜ世界がこのような形をしているのかを、ベラの目を通してもう一度観ることになり、私は子どもみたいに泣いた。世界は美しく、怖ろしく、実はグニャグニャで、人間は哀れで愚かだ。リスボンで音楽を見つけるシーンがすごく良かった。音楽って世界でいちばん美しいものじゃないですか?

ロケ地を全部調べ上げたくなるほど画面がきれいで(船内のシーンどこで撮ったか知りたい、あれはセットじゃない気がする、あとで調べる)、映画館を出てまず最初に担当したデザイナーが誰かを調べるくらい衣装が良かった。こういう現代劇ではないがフィクションであり、時代設定をそんなに厳密にしていない(していないはず、たぶん)いくらでもファンタジックにできるお話で、登場人物に何を着せるかって結構難しいんじゃないかな。正解がないから。ベラの服、独創的で、でもかわいかった。

映画が終わって外に出たら少しだけ雨が降っていた。手ぶらで来たので傘はないし、タクシーに乗るほどの雨じゃなかったので、自転車で家に帰った。雨が降ると街が全体的に静かになるのが好きだ。
映画が好きなのって、こういう前後とか、気分とか、フワッとしたものを多いに含むよなぁ。ま、全趣味がそうか。

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