タナカノゾミのポートフォリオサイト

blog

catch me if you can

2022年9月6日 (火) 20:14

uncategorized

占いについて、私はよく知らない。いろんな種類があることは知っているが、正式な名称は知らないし、成り立ちも全然知らない。でもニシーさんに何回か占ってもらっているうちに、なんとなく分かってきたこともある。私の知る限り、占いは一問一答クイズじゃないし、何にでも効く魔法の万能薬じゃない。でもそういうところが、断定的じゃないところが、占いの好きなところだなと思う。

占いに行った話をすると「信じてない」「当たるの?」と言われることが多いが、どちらもあまり本質的ではない気がする。占いは一種の学問のようなものだと私は感じるので、信じるとか信じないとかいう文脈で話すのはちょっと、ズレているように思う。

占いが当たるかどうか、という質問もあまり的を得ていないように思う。自分の性格・性質や基本的な考え方について「当たっている」と思う場合、それは自分自身で認識できていること・自覚していることの肯定になるし、逆に「当たっていない」と思う場合、それは自分自身で認識できていない・無自覚の範疇であるだけの話だ。もしくは認識したくない・気づきたくないと思っていることなのかもしれない。
私はどちらかと言うと「当たっていない」と思うことを言われた時の方が、占いはおもしろいと思う。だって「当たってる」ことだけ言われても、それはもう知ってることなのだし、何なら知ってて直したいと思っていたり、さらには自分の好きじゃない部分だったりすることもあるからだ。

とは言え、自分の嫌だなと思うところ、好きじゃないなと思う部分を、星の巡りや配置のせいにできるなら、それはそれでいいじゃないか、と思う気持ちもある。例えば私は自分のお節介で独りよがりな、恩着せがましいところが嫌いだが、そういう性質はしっかり占い上に出ているらしいのだ。もちろん個性でもあると思うが、だからといってそういう性質を100%好きにはなれない。個性だって多面的だ。良い面しかない個性など無い。
鬱陶しく思われたくないから気をつけよう、と自分なりに意識しているが、それでも反射的に動くときは独りよがりにお節介を焼いてしまうし、感情のままに発言するときはウッカリ恩着せがましくなってしまうし、後からそれに自分で気づいて「あぁまたやってしまった、頼まれもしないのに、うえぇぇ最悪だ、あぁああ」と身悶えたりする。
そういうとき「なんで私はこうなんだ、いつまで経っても、もうやだしんどい、一生誰にも好かれない」とベッドにうずくまって1mmも動けなくなってしまうことがあった。これを「でもそういう星のもとに生まれただけやからな!!!!」で片付けることを手段のひとつとして所持していると、もう少し息がしやすくなる。「私がお節介で独りよがりで恩着せがましいのは、別に私だけのせいじゃない」と思うと「次も気をつけよう、今回はあかんかったけど、でも次こそはいい感じに出来るかもしれん、頑張ろう」と思えるのだ。もちろんそうできない時もあるし、そうしちゃいけない時だってあるけど、でも手段のひとつとして、武器のひとつとして、ポケットに入れておくだけでも、随分気は楽だ。
ま、次は次で「あんなに気を付けようと思ったのにまたやってしまった、なんて学習能力がないんだバカすぎる、ここまで無能なの?もうやだしんどい、一生誰にも好かれない」とベッドにうずくまる日がやってこないこともないけどな。でも人生てこんなもんっしょ、わはは。

占いはひとつのツールであるので、すべてを解決したり、何かを決定したりするようなものではない。私の人生を頑張るのはいつだって私だし、決めるのもいつだって私だ。それでも占いのせいに出来るところは占いのせいにして、いちいち自分を責めないでいいし、これ以上自分を嫌いにならないでいい。占い上良い波が来ているならそれを存分に利用すればいいしさ。
占いは人間ではないので、利用されても気を悪くしたり鬱陶しがったりしないところが良いなぁと思う。やぎ座と土星のせいにして自分の至らなさを一旦保留にしていても、別に土星が私ん家に衝突したりせんもんなぁ。やぎ座がブチギレて長文LINE送ってきたりせんし。

ふとスピッツの「うめぼし」という曲の歌詞に「星占いですべて片付けたい」という一節があることを思い出した。はーーーマジ星占いですべて片付けたいよね、分かるよ、でも「すべて片付けたい」って言ってるってことは、この人は片付かないことを知っている、という意味だろう。それでもなお、の意。
この曲、歌詞はずっと脈絡ないけどそこが良いよね、脳内!って感じして好きだな。脳内ってわりといつでも雑然としていて脈絡はない気がする。

ニシーさんは今回「占いで言えることはここまでです」というキラーワード(キラーワード?)を使っていておもしろかった。占いはただツールであるので、ニシーさんに出来ることはそれを使って私が何者かを紐解こうとすることだけだ。「だけ」と言うと語弊があるが、良い意味で言っているので許してほしい。
一方、受け手である私に出来ることは私自身が何者かを占いを通して知ろうとすることだけで、その後の、諦めずに思考し続けること・固執しないで変化を受け入れること・具体的にどうするかを自分で決めること、に関してはもう占いの範疇ではない。ニシーさんは占いをただツールとしてごく真っ当に、かつ丁寧に真摯に扱い、彼自身や占いそのものを権威的に見せたり、支配的に振る舞ったりすることは絶対にない。そういうところが好きだな、と思って、今もずっと好きだ。

ニシーさんと話していると、落語家が使う扇子のことが頭に浮かぶ。落語家は高座(舞台)に上がると自分の前に閉じた扇子を横位置で置く。これを「結界」と言い、扇子はお客と演者とを分ける一線なのだそうだ。ただ扇子が横向きに置いてあるだけなので、空間的には何の区切りにもなっていないし、物理的に越えようと思えばいくらでも越えられる。でもあの扇子の向こうにいる人は芸をする人で、扇子のこちら側にいる私は芸を見る人だと、線引きがある。扇子の向こうとこちらは別の立場なのだ。礼儀でもあるし、けじめでもある、何より尊重があるだろう。
ニシーさんと話していると、この人は無遠慮にその結界を越えては来ない、という信頼感と安心感がある。壁がある感じはないし、親しみやすくフレンドリーに話すのに。
不思議なことだな、と思いながら私は脳内でエア扇子を生成し、それをお互いの真ん中に置いてみる。私の脳内でエア扇子を合成されていることなど知るよしもないニシーさんは「相手がAを求めているときにAよりもーっとすごいゴールデンAを出そうとしてしまうタナノゾの性格」について話してくれた。うーーーん、めっちゃ分かる自覚ある、ゴールデンAのほうがええやん!だってゴールデンやで!?ドヤ!!!をやってしまうわ。超やってしまうね。

ほんとうは去年の年末に占いをしてもらおうと思っていたのに、ずいぶん過ぎてしまった。でもニシーさん年末年始めちゃくちゃ忙しそうやったし……ま、占いはいつやっても良いですからね!
ニシーさん毎度ありがとうございます、またお願いします。今回カラオケでやってもらったし、強火ジミンペンも同席していたのにBTSの1曲すら歌わなかったので、いつかまたカラオケ行きましょうね。ニシーさんカラオケ行ったら何歌うの?私は「翳りゆく部屋」と「大宮サンセット」を歌います、でもジンくんのソロ曲を歌えるようになりたいから練習しとくね。

では最後にインフォメーションです。みなさんどうぞ #占う男 をご贔屓に。
#占う男 の活動がまとめてあるサイト
#占う男 ことニシーさんのTwitter
占いの料金とか詳細(明朗会計です)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

archive

latest posts