TANAKA NOZOMI

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わかんない

2021年4月16日 (金) 19:52

uncategorized

好きな人(下岡晃)がソロ名義でシングルを出す、と言う。「コロナ禍の自室で思うところあり、重たい腰を上げた弾みで世間へ」、とのこと。そうでしょうね、あなたは、思うところがあるでしょうね、腰が重いのはきっとソロの活動だからでしょう、と目を細めていたら(なぜ目を細めているのかは自分でも謎)、あっという間に発売日が来てしまった。
シングルのリリースは配信と、カセットテープの販売で、カレー屋さんのオンラインショップで売られているようだ。カレー屋さんのことは名前しか知らなかったが、おもしろそうなカレー屋さんだと思った。残念ながら私はカレーが好きじゃないので、とりあえずカセットテープだけを注文したものの、家にカセットテープを再生できる機器が無い。カセットテープを再生できる機器を買う必要がある。

実はあと何枚か、勢いで買ったものの再生できないカセットテープを持っている。良いプレーヤーを見つけたら買おう、と思っているけど、これがなかなか…もちろん家電屋さんに行けば3~4種類は置いてはあるし、そんなに高いものじゃないし、なんでもいいならすぐに手に入るけど、なんでもよくないんだよな。なんでこう、「なんでもよくない」ことばっかりなんだろう、私は、「なんでもよくない」ことばっかりなんだよ、本当に、なんでなんだろうね。
カセットテープを再生する、という目的だけなんだから、まじなんだってええやろ、と思う気持ちもある、ゼロではない、けど、「どうせ買うならかっこいいやつ買いたい」が8~9割ぐらいを占めてる、占めてるぞ。家に「なんとなく買った気に入ってないものを置きたくない」という気持ちが強すぎる。強すぎるぞ。

やっぱプロダクトとして見てしまう、どうしても、何だこれそういう病気か?そうかも、だから「色がちょっとな…」とか「ロゴがあんまかっこよくないな」とか「なんでこんなとこに凹凸があるの?だっせぇ」とか「ここにロゴ入れるならイヤホンジャックは反対側の方がいいでしょ」とかをいちいち考えてしまい。一向に買い物が進まない。
普通にかっこいいのはあるけどやっぱちょっと高い、高機能っぽいし。これは録音もできるらしいけど、するか?録音…?どうかな…
メルカリとかで出品されてるのもいくつか見たけど、別に安くはないし、そもそも「安いのを買いたい」ってことでもないから、どうしたもんかな、ハードオフとか行った方が早いかもしれんね。

レコードプレーヤー買ったときは二十歳になる前ぐらいやったと思うけど、あのときはまだ予算の上限がわりと明確にあって、ある種の制限があったな、と思う。今だってもちろん予算に制限はあるけど、ハタチのころと比べるとそれはゆるい制限だと自覚がある。制限のない中で買うものを選ぶのは、ある程度の制限がある中での買い物より、難しいのかもしれない。贅沢な話だな。改めなきゃ、とは思うものの、どのように…?あと、なんで?なんのために?

話は変わるが、「知ってください」系のツイートについて思うことがある。
と、書いたはいいが続きを書いていてどんどんしんどくなってきたのでやめておく。私は私をネガティブの穴に突き落として「私はなんにもできない」という先人たちが手垢まみれにしてきた呪詛をせっせと振りかけ、メソメソするのがとっても上手だ。このときの私を引きの画で見てみよう。ソファーかベッドの上にいてひとりぼっち、脳以外は何も動いておらず、家は安全・安心で身体はすこぶる健康、という場合が多い。動け、外へ出ろ、物語に浸かれ、もしくは湯に浸かれ、手を動かせ、何か作れ、それで大体その穴からは出られる。自分で入ったから、自分で出られるぞ。

1週間疲れたな、週末は掃除と洗濯をして、毛布を仕舞いたい。あとは映画館に行けたら最高。ドーナツ欲があるので揚げる、かもしれない。ドーナツ作ったことないや。イーストのフワワ!としたドーナツがいいな。

ジャムポエム

2021年4月13日 (火) 22:05

uncategorized

果物を煮るのが好きだ。煮ているときのにおいが良い。甘く、みずみずしく、濃すぎず、おいしいにおい。大根や豚バラ肉を煮ているときももちろん良いにおいがするけど、果物を煮ているにおいは特別だと思う。
果物の中でもいちごは煮ているときのにおいが最高。始めは酸味の強い、やや尖ったにおいがして、煮詰めるうちに酸味は和らいで、とろりと甘いにおいに変わっていく。赤ワインを入れた後のメロメロしたにおい、レモンを入れた後のキリリとしたにおいも最高。赤ワインを入れるのは私の好みで、お玉に2杯ぐらいをトポポと入れる。

いちごは色の変化もいい。いちど果肉から色が抜け、それがまたシロップ側から戻る。透き通った実の色と、ルビー色に光るシロップの色をシリコンスプーンでぐるぐるかき混ぜる。ふはー良いにおい。

どれぐらい煮るかは難しい問題だけど、私は果肉が煮崩れない程度で火を止めるのが好み。ペクチンもゼラチンも入れたくないのでかなりさらさらした仕上りになるけど、それで良い。果肉部分はトーストやヨーグルトにのせて、シロップ部分は炭酸や牛乳で割って飲むので、全然固まってなくて大丈夫。ただこれを「ジャム」と呼んでいいかどうかは謎。

こないだ母に会ったら「文旦をいっぱいもらったから煮てきた、これでパウンドケーキ焼いてきて、ほんで食べさせて」とのこと。似た親子だな、と思った。ジャムを入れるパウンドケーキは焼いたことないな~レシピ調べよ。私も文旦は煮たことがないがママレードはめんどくさい、という印象。しかし、母曰く「白いとこをそないに取らんでもええみたい、文旦はあんまり苦くないみたいよ」とのこと。じゃあまぁめんどくさくないか…

煮てみたい果物はまだまだある。フランスに行ったとき、リヨンの市場には何か分からない果物がたくさんあったし、キイチくんがインスタグラムにアップしていた台湾の市場は、日本では煮られるような値段じゃない果物が安く売っているようだった。何より、日本の果物は「生食史上主義」的なところがあって、そういう果物は「煮てももちろんおいしい」が、「煮たほうがおいしい」ところまではいけない、というのが私の雑感です。

いちごを例にしても、どんどん品種改良が進んでて新しい品種が出てくるし、そのどれもがすばらしい鮮度でスーパーに並んでるし、そのどれもが水分を多く含んでぴっちりとし、甘く、さわやかな酸味で、果肉も柔らかい。こんなもん煮るまでもなくおいしい。

ジャムに向いているのは、本来「そのまま食べてもうまくないが、砂糖で煮れば食べられる」という果物なのだそうだ。酸味を熱でやわらげ、苦味・渋み・雑味、などは砂糖で煮ることでコクやうま味に変わり、砂糖の保水力のおかげで日持ちする。
なのに、生で食べられる果物を買ってきて、生で食べられるよう冷蔵庫に保存し、まだ生で食べられるのにわざわざ加熱する、というのはなかなか、どうしたことだ、という気持ちになる。何をやっているんだ。いろんな人の努力のおかげで、生食が可能になっているのに、私は何をやっているんだ。

とは言え「生で食べられるものを煮てはならない」ということはないのに、なぜ「なんかもったいないな」と思ってしまうのか。
でも私は、例えば焼き鳥屋さんに行って、お店の人が「今朝ひいた鶏なので生でいけますよ!」と言ってきたら、ありがたく刺身で行く派だし、「生食用」と書いてある牡蠣を加熱して食べるときは、なるべく火を入れ過ぎないように、という気持ちになる。そのぐらいには生食ラバーだと思う。だから、基本的には「生食でどうぞ」の食べものは、ありがたく生でいただきます!と思っている。
でもジャムとなると話は別、「これは生で食べる用に作られた果物なのにな…」と何となく後ろめたく思いつつも、でもやっぱりジャムのおいしさは生食とはまた別のところにあるし…とはいえもっと加熱に向いた品種があるはずやのに…とも思っている。

煮てみたいのは野生種のいちごと蟠桃と呼ばれる薄い桃。野生種のいちごはかなり種類があるけど栽培している農家がほぼいないっぽいし、いても市場には出てこないっぽい。少なくともスーパーでは売られていない。叔父に頼んで栽培してもらおう、と思いつつ、苗か種を手に入れるに至らず、夢のまま終わっている。
蟠桃は東北の方だと栽培しているところがあるようだけど、これまた栽培数が少ないらしく大変貴重な桃、という感じっぽい。そんな大切な桃を煮てしまっていいのだろうか…でも桃はさすがに、叔父に頼んでも栽培は難しそう。

いつか、銅鍋とキッチンスケール、無印のシリコンスプーンを持って海外旅行にいってみたい。朝、早起きして市場へ出かけていき、見たことのない果物を買う。エアビーで借りた家に戻り、果物を味見し、糖度を決めて煮る。滞在中に食べきれない分はお土産として持って帰る。1週間の滞在なら2~3種類作れそう。グラニュー糖とレモン果汁は全世界どこでも手に入るのだろうか。

ジャムを詰める用の瓶は東急ハンズで買っていたのだが、去年東急ハンズがつぶれてしまい、いよいよ家の在庫が尽きてしまった。夫(友人)に「瓶買ってくれ、いちごジャム送るから、お金は要らない、でも瓶が欲しい!」とねだったところ、Amazonギフト券を送ってくれた。これは結局お金をもらっているのと同じでは…と思ったが、ありがたくいただき、ありがたく瓶を買わせてもらうことにする。ありがとう夫~!

38度線

2021年4月6日 (火) 23:05

uncategorized

「自分」というものの範囲は、物理的にどこまでを指すのか、と考える。物理的に「ここまでが自分、ここからは自分以外」と分けられる線があるのでは、と思うのだ。
が、考えれば考えるほどその線は定まらず、そもそも線などないのでは、というところへ行きついてしまう。

刺されて痛いところ=「自分」の物理的な範囲と仮定する。踵や指先を刺されたら痛い。痛いと感じるのは「自分」なので、この定義でよさそうな感じがする。
でもそうすると爪や髪は「自分」ではない、ということになる。爪や髪は刺されても痛くない。何なら定期的に切っている、意図的に、そのぐらい痛くない。
でも爪や髪は「自分」ではない、とはとても言えない。だって寝ている間に爪を勝手に切られたり、髪を染められたりするのは嫌だと感じる。

では爪や髪を「自分」に含めるために、無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ=「自分」にしてみる。ここまでくると、私は一気に「自分」が分からなくなる。まず、服や靴が「自分」に入ってくる。手や爪や足や髪に触れられなくても、例えば今着ているワンピースの裾を無断で切られたら絶対に嫌だ。着ているワンピースは物理的に「自分」とは言えないと思うし、切られても刺されても私は痛いと感じないのに、「無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ」という定義であれば、合致しているような気がする。
となると、家も「自分」になってしまう。無断で家に上がられたり、床の色を塗り変えられたり、壁のクロスをはがされたりしたらめちゃくちゃ嫌だ。1年とすこし前くらいに、私は選んだ記憶が全くないのに妙にふかふかした濃紺のクロスが寝室に貼られている夢を見て、嫌すぎて泣いたこともある。
家は物理的には「自分」とは言えず、どう考えても「自分」の外側に存在しているのに、「無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ」という定義には合致してしまっている。

さらに家族や友人や、一緒に仕事をしている仲間たちのことを考えると、これも「無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ」という定義に当てはまってしまう。「自分」が個体でなくなってしまう。
例えば私と甥はどこからどう見ても完全に別の個体であり、当たり前だが脳も別で、血は多少繋がりがあるのかもしれないがもちろん別の親から生まれており、お互いの「自分」とは切り離された存在であるが、「無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ」という定義だとすると完璧に当てはまる。「ところ」ではないけど…
甥そのものを「自分」に含めるとなると、さらには甥の髪や爪、服や靴も「自分」に内包されていってしまう感覚に陥る。仮に、甥の黄色の小さい靴や、かわいいオーバーオールを誰かがカッターでざくざく切るシーンを想像してみる。めちゃくちゃ嫌、絶対やめてくれよ、嫌すぎて、場合によっては私は手が出るかもしれない。
甥を例にあげたが、姉や義妹、弟、両親、友人たちや、その友人のまた友人や家族、友人のペット、さらにその人たちの所有する物、家、なども全部「無断で手を入れられるのが嫌だと感じるところ」に合致する。

このあたりまでくると、私は「自分」というものが何か、「自分」と「それ以外」と分けるものがどこにあるのかさっぱり分からなくなり、それらを分けていたであろう線は、もやもやと薄れていく。なんだこの、私があなたであなたが私、みたいな状態は。お前のものは俺のもの、俺のものはお前のもの状態、とも言える。分からないが、しかし「どうでもいい」とはまた少し違う感覚が手のひらに残る。私は、「自分」は、なんだ、どこまでが「自分」だ、私は、なんだ。「自分」が分からないので「自分らしさ」など到底分かるはずがない。

誰かすごく頭の良い人たちが、このあたりのことをとっくの昔に整理し尽くしてくれているはずだ、絶対にそう、と思うものの、どこに尋ねればその解を得られるのかが分からない。窓口はどこか。

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