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平たい夜空

2019年10月22日 (火) 00:35

uncategorized

なかひろが関西方面に遊びに来てくれる、というのでうれしい。うれしくて「何日いるの?一生?一生いる?」と聞いてしまう。そして「一生はいない」とマジレスされている。そらそうだ。一生はいない。

私は地元愛みたいなのがそんなに強い人間ではないと思う。神戸市は「ちょっとどうなんそれ…」というところも大いにある上に、観光地としても居住地としてもいささか推しきれない街ではある。それでも友人が神戸に来てくれるのは嬉しいと感じるし、自分の街だ、という認識があるんだよな。住んでるから当然と言えば当然ではあるけど、変化に敏感だし、生まれ育った土地なので、思い入れもそれなりにある。一度離れたせいもあるかもしれないけど、今は“選択してここに住んでる”という意識もある。

なかひろが来たら、どこ行こうかなぁ。私が案内すると、歩く→お茶する→歩く→お茶する→お茶する→歩く、みたいになると思うけど、大丈夫だろうか。

まぁ「神戸はどこが魅力ですか?」と聞かれると難しいけどな。地形が抜群に良い、みたいなことでどうですか。あとなんかこじんまりした楽しいお店がちょこちょこあるのが楽しい。バカの文章。

都市計画的な話で言うとこの街はかなり早い段階で失敗していると思うし、今この時点でもずっと失敗し続けていると思う。私が古いもの好きなだけかもしれんけど、もっと景観に関する部分を整備すべきだったんじゃないの、なんであれ壊した?っていう建物が多すぎるよ、多分壊す方が安あがりっていうだけのことなんやろうけど…あと残してるやつの使い方もそのほとんどが下手、と思う。上にマンションというか、なんかガラス張りの新しいのを乗っける感じの建物も、最近多い気がして、私あれ嫌だな、嫌いだ、主流になってほしくないよ。ファミリアホールとか、心斎橋の大丸とか…ダサイと思うねんけど…え、あれかっこいいのか…?
あと高層マンションの規制も遅すぎるよ。三宮駅前の再整備とかも、私はあれは違うと思う、誰が望んでんのあれ、要る?まじで?本気?

でも震災もあったし、私自身は被災はしてるもののそんなに詳細を覚えていないぐらいの年齢で、家は比較的被害の少ない地域だったから、そこまで実感がないけど、大変だったよな、街としては、厳しかったんでしょうね、お金も時間もいっぱいかかっただろうし、まだケアも十分とは言えない状況なんだろう。つってもそれとこれとは話が違うけどな。

ファミリアホールのマンション、さっき調べたら全戸完売らしい。そっか、あれが良いと思う人もおるんや。まぁそりゃそうか…そうだよな、自分に無い感覚すぎて…
「解体して復元する」ってところまでは超良いのに、なんであのダッサイのを上に載せちゃうの?復元したやつの中だけ、区画?だけやって、そんで住めるようにすれば良くない?それなら住みたいのに。あぁ縦にのばしとけばいっぱい人を住ませられてお得って話?上の階なら眺望も良いし、2億ぐらいで売れるっしょ、実際売れたしアハハ、みたいなこと?うーーーーダサイ。

お金がある人は山手に住んで欲しい、ほんとにお金がある人は交通の便が~とか関係ないでしょ、お抱え運転手がおるから、山手に住めば眺望は良いよ、港の花火やなんかも見られるし、それを阻害するような高層の建物を浜の方に建てるから話がややこしくなっちゃったんじゃないの、そんなもんをぼこぼこ建てるから山のほうが眺望良くなくなっちゃったんやん、海のほうにも建物そのものが馴染んでないやん、だから高層マンションの規制が遅すぎるっつって、あーもうだめだめ、やり直したい。貸せ、もう私がやる。

夜の間にビルを並べ直しアスファルト耕しルールを選び直しあの子を連れ戻す
っていう歌詞の、曲があって、今急に、私の脳の左上に埋まってるiTunesみたいなやつが再生し始めた。あぁこれ、このフレーズの前の、Aメロの歌詞も恐ろしく良いんだよな。好きな曲だ。

理屈としては分かるんだよ、ここは地震がまたおこるであろう国で、すべての建物は悲しいけど永遠ではなく、必ず朽ちる時が来る、廃墟みたいになったのを放っておいたら危ないよね、わかります私もそう思います。
駅前をきれいにして、卸売市場をつぶしてイオンモールを建てて、もっときれいで便利な街にすれば住民が増えるかもしれない、そうかもね、そう思いますよ。全部理解できるのに、なんでこんな「でも嫌なの、きらいなの」ってなるねん。私だけなのか。

大体なんで住民を増やさなきゃいけないの、人口減ってるのに、減っていく一方やのに、神戸だけそないぐんぐん増えるわけないやん、コンパクトでミニマムな、手ごろなかわいい街にしたっていいやん、収支合うサイズ感にしたらええやん、何があかんねん。

いつも友人とか家族とか、趣味や趣向が、感覚が似てる人としか一緒に居ないし話さないから、「街」ぐらいの規模の話になってくるともう全然、何がどうなってそうなったのか、みたいなところが掴めないの、こわいんだよな。誰か敵がいる、どこかに悪者がいる、っていうキャッチーな話でないことは分かる。きっと「国」もこの延長線上にいるんだろう。遠い、と思うけど、私は「国」の、「街」の、「中」に居るはずでしょう、そもそもの構造がもう、どうなってんだよ、遠いってなんだ、分からない、分からなくて、分からないのはまぁ私の無知とか不勉強のせいもあるから仕方ないとして、どうもすみません、その後はどうすればいいの、「分かりません」、で終わっていく毎日よ、なんだこれ。
もしかして人生はずっとこれか。こうやってるうちに終わっていくのか。うわぁ。

こういう出口のないあれやこれやを紙に記し、折りたたんで、いつも肋骨の間に仕舞っている。時々出して読み返し、加筆修正し、送るアテのない手紙のような、綴じるほどでもない日記のようなそれを、また肋骨の間に仕舞う。

何言ってるんでしょうね、伝わんないかな、伝わんないわな。

キリコ

2019年10月18日 (金) 22:22

uncategorized

ツイッターで少しフォローを増やしたので、今まであまり無いタイプのリツイートが回ってきたりする。いろんな人がおるなぁ、と思う。そうだよ、世の中はいろんな人がいろんな考えを持ち、それを発信したりしなかったりして、ワーとかギャーとか言いながら、回っているのだよ。

子どもを産む人のリアルタイムなツイートを見て、何か声をかけたいような、でもかける言葉をひとつも持っていないような気分になったりもする。私は人を産んだことがないし、これからも産まないかもしれない、わかんない、「頑張ってください」が良いのかな、でもこれはあんま言いたくない、言いたくないっつーかまぁ、で、結局心の中で「無事にうまれてきますように」とお祈りするに留めた。子どもは無事に産まれたみたいで、産んだ人も元気そうだ。本当によかった、ほっとした。

お祈りの類は、誰にするのが正しいのだろう。私が「~なりますように」と思うとき、脳に浮かんでいるのは神様みたいなやつじゃなくて、死んだ祖父や祖母や、友人たちの顔だ。みんなもそうですか?

ツイッター、あるのが普通になっちゃって、もう10年やってるから、無いときどうしてたっけ、とか考える。どうしてた、っていうか、どうもしてないよな。だって無いからどうしようもない。
私はツイッターで最近何聴いてる、こないだあのライブ観た、今度あのお芝居観に行く、この本よかったからあげる、あの店おいしかった今度いっしょ行こ、みたいな話ばっかりしたくて、というかそれ以外の、それ以上の話はもう、会って話そうよそのほうがおもしろいから、ぐらいの感じなんですけど、でもいつのまにか社会がそのまんまオンラインになった場所みたいになってて(いやツイッターやってない人も当然いるからそのまんまではないが)、上記のような話ばかりをタイムラインに流すことはほぼ不可能。まぁだからやめますって話ではない。私は変化を受け入れる生き物。
あと上記のような話を、誰にも言えないで、A4ノートに書き連ねたり、家にずっといて8本ぶっ続けでDVD観たり、そんで載せる場所も見せる人もいない絵とか描いて、1日12時間とか仕事してたの?と思うと、私まじでよく狂わないで生きてこられたな、って感じする。いやもうとっくに狂ってるの?なにこれ。私は何。

「10年ツイッターやってる」ていう事実に関しては、特に言いたいことはありません。「うそでしょ10年超はやい!」みたいなのもあんま無いわ。「そんぐらいでしょうね」って感じ。10年だろうが1年だろうが、時間の感覚は視点によってめちゃくちゃ変わるし、自分がどう感じているかに関わらず10年は10年で、1分は1分。あぁ時間てとっても信頼できるなぁ、家で横になってても、映画館で映画を観ていても、積んだ2時間はおなじ2時間だ。優劣なんか存在すらしない、2時間は2時間。

ツイッター、当時はわりとまだニッチなSNSというか、ラジオと親和性高いよ、みたいな感じだったと思う。あのころは会社で1日中ラジオがかかってて、家でもよくラジオを聞いてて、ラジオDJは少しずつ「ハッシュタグをつけてつぶやいてね!」みたいなことを言い始めていて、それで、どんなもんかな~と思って、始めたんだった。ツイッター始めたとき、私まだガラケー使ってたわ。あの、なんやっけ、赤い、錦鯉みたいなデザインのやつ。最近まじで物の名前が出んな…こわ…

最近またラジオおもしろいので、やっぱ10年くらいすると何かが一巡してもう一度!アンコール!みたいな状態になるのかもしれない。欠かさず聴いているラジオは「草野マサムネのロック大陸漫遊記」と「オブラディズムラジオ」、あと「マーライオンのにやにやRadio」です。
たまにネットでポンツカも聴いてるけど、あれ会話の間をどんぐらい切ってる、ってかどの程度編集してるんかな。4人もいて、あんなテンポよく話せるもの…?上手すぎると思うねんけど…アウトレイジぐらい切ってる?もしくはバンプオブチキンはそういうことも出来るバンド、ってこと?

それにしてもradikoは本当に助かりますね。ご飯作ったり、部屋を片付けたり、本を整理したり、洗濯物を干したりしているとき、ラジオはまじでちょうどいい。エリアフリーとかじゃなくて、聴きたい番組だけ課金する仕組み、お願いできませんかね。

「オブラディズムラジオ」だけここで聴けます、というのが貼れないうえにホームページもないので、超ゲリラ感。ホームページ作ったら使ってくれるかな…でもコンテンツが何にもない…要らんか。
「オブラディズムラジオ(#obladio)」は占う男、ことニシーさんと、映像ディレクターのハヤシさんが隔週の日曜23時からやっているインターネットラジオで、毎回おもしろいのでよかったら聴いてみてください。内容は毎回バラバラで、次回10月27日は映画「ジョーカー」の話をする回です。バチボコにネタバレするらしいのでネタバレ禁止協会の人は次々回から聴いた方がいいかもしれない。もしくはまだ日があるから「ジョーカー」を観るのも良い。

「マーライオンのにやにやRadio」はシンガーソングライターのマーライオンが不定期にやっているインターネットラジオです。まじで不定期なので、一時は「もうやらないのか…?フェードアウトパターン?」と思っていたけど、最近わりと頻繁に更新しているのでうれしい。大体マーライオンが最近あったことをしゃべって、収録中にお米が炊けたり、フリーマーケット出店中に収録しててお客さんが来たり、歌ってたけど隣の人が壁ドンしてきて終了したり、みたいな感じでおもしろい。ふふふ、ってなる。生活。

私は“生活”が好きで、人のそれを、ちょっと見聞きしたいだけなんだよ。だからそれがツイートでも、インターネットラジオでも、留守電でもなんでも構わない。できれば一方的に享受して、私はたまに何かコメントを入れる、ぐらいがいい。
留守電いれてくれんかな、別に掛けなおさんでいいやつ、寝る前に1分とか、あぁ私それ課金しても良いぐらい欲しい。それ聞いてから寝たい。

子どものころ、夕飯の席がそういう感じだった気がする、今日給食なんだった、明日体育ある、お風呂先はいる、このあと映画観る、アイスもうなかった、みたいなのだけで出来ていて、何の生産性も、発展性もなく、ただ生活をする人間と、それを入れる家。
あれおもしろいものだったんだな、分かってなかった、というか、”日常”すぎて、あんまり考えなかった。今は”日常”と”生活”は似てるけど違うものだ、と分かる。

ん?私はあれがやりたいのか?え、家族ほしい的な話に着地する?
いや、それはちょっと違う感じかな。だめだめ、似てるけど違うものの話をいっしょくたにするの、悪い癖だ。

山羊が憑いてる

2019年10月10日 (木) 21:36

音楽のはなし

アナログフィッシュのライブイベント「town meeting」に行ってきた。京都の紫明会館、てとこで、先週の土曜日。
「town meeting」は2011年ぐらいに始まった記憶があるけど、アコースティック編成でやる、というライブ企画で、不定期ではあるけど、ずっと続いている。

アナログフィッシュは神戸にはほぼ来てくれないので(呼んでないから来ないのかもしれない、私そろそろイベントとか企画したほうがいいのかな、ノウハウとコネクションが微塵もないけど、あと人望もない、あ、出来ないな、出来ません)、大阪・京都くらいまでだったらライブに行く。内容によっては東京でも行く。
来年はもう少し多く、関西圏に来られるようにするからね、と言っていたので、そのつもりで居る。確かに、もう少しライブ観たいんだよなぁ。出来れば2ヵ月に一回ぐらい、と思うけど欲張りですか。

「town meeting」は、意図的にそうしているのか、必然的にそうなってしまうのか、はたまたその両方なのかは分からないけど、”佐々木健太郎”を主軸としたライブになる。
健ちゃんが歌うのを聴いたことがあれば分かると思うけど、あんな、毎晩胸に抱いて眠る宝物みたいな歌声を持ってる人が、バンドの中にいたら、そらそうだろう、完全にそうなるだろう、というライブになる。あの人はギターもベースもピアノも楽器を全部封じられて身一つになったって、ひとりでステージに立ってエンターテイメントを成立させられる人だ。
今回のライブでは州ちゃんが言った「そんなふうに歌えたらなぁ~」の一言に、そこに居合わせた全人類が共感する、みたいな場面があり、「佐々木健太郎とは何者か」というのを全て集約している、と感じて、とても良かった。あんなふうに歌えたらなぁ。

そしてアナログフィッシュには下岡晃がいる、下岡晃がいるんですよ。健ちゃんがフロントマンで、そのバンドはもう、完全に成立してるでしょ、すさまじい完成度で、でもまだ下岡晃がいるの、すごい。
あ、でもこれ逆も全くおんなじ文章で説明できるけど。下岡晃がフロントマンで、そのバンドはもう、完全に成立してるでしょ、すさまじい完成度で、でもまだ健ちゃんがいるの、すごい。
そしてそのフロントマンふたりを両腕に抱えて”アナログフィッシュ”にしているのはふたりではなくて州ちゃんなんだよな。そういうバンドだと思う。ロマンチックだよなぁ。

下岡晃はここ10年ぐらいずっと、日本で一番いい歌詞を書き続けているミュージシャンだと思うんだけど、あまりの評価の追いつかなさにクラクラし、私はずっとブチギレている。どこか駅のホームの自販機の裏あたりに入口が存在し、そこを通じて行けば、下岡晃がワールドドームツアーをやってる世界がある、とかだったらどうしよう、私が知らないだけで。現世がそれにならないなら私もそこへ行きたい、もう二度と帰ってこない。

この日は久しぶりに「Light Bright」という曲をやって、あんまりいい曲だから、もうずっと泣きそうで、でもなんか泣いちゃだめ、と思って、口をぎゅっとしていたよ。泣いてもいいんだけど、普通に泣いてる日もあるし、でもなんかこの日は泣いちゃだめの日だった。泣いてる場合じゃない、ちゃんとしなきゃ、と思った。この場合の「ちゃんと」が何を指すのかは分からない、でもそんなんが分かるなら、私は音楽なんかなくたって生きていける。

下岡晃がいて、ずっと音楽をやっているという事実に、こんなに守られていると感じるの、私の勝手な意見なんだけど、でもそれ以上を求める気持ちは無いのでゆるしてほしい。ただずっと音楽をやっていてほしい。でもそれが当たり前ではないことはもう知ってて、それでもなお、と思う。

「守られている」というか、ずっと支えなんだよ。私のちまちませこせこした生活も、何一つままならない人生も、ずっと好きになれない容姿も、歪んでねじれた性格も、下岡晃の音楽を聴いているときだけは、あぁぜんぶこのままでいいのだ、と思える。まだおしまいじゃない、まだなんかある、違う視点の置き場所が、試してないやり方が、まだあるはず、このままいけばいい、だいじょうぶ、合ってる、と思える。深くお腹で息をして、背骨を元の位置に戻して、まだ、もうすこしがんばれる、と思える。

今年結成20周年なんだよアナログフィッシュ、超おめでとう。いつも大ありがとうございます。好きです。

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