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はらわたを聴く

2023年12月28日 (木) 22:01

映画のはなし

今年は「映画を200本観る」ことにして1年過ごしたけど、無事に200本終えました。ありがとうございました。
結論から言うと、200本はまぁまぁ多い。というか、1年あれば200本は「観られる数」ではあるけど、でも他のことなんも出来ん、という感じ。「他のこと」というのは私にとっては本を読むことやジャムを煮ること、シルクスクリーンで何か作ること、半日キッチンに立って料理をすること、などを言うのだけど、なんも出来んかったなぁ。今年、本は多分3冊ぐらいしか読んでないし、ジャムはひとつも煮てない、クッキーはよく焼いてたけど凝った料理ぜんぜんせんかったし、シルクスクリーンも一切してない。なるほど、映画200本観るとこうなるんか。

とは言え、1年で映画を200本観ないことには、1年で映画を200本観たらどんな感じの忙しなさで、どんな気持ちになるのか、とかは分かり得なかったと思うので、これで良かったと思う。「体験したことしかしゃべるな」という類の言説はムカつくし、絶対そんなことないやろ、と思うけど、でも体験したことには体感がくっついてくるから、しゃべること変わってくるで、とも思っているので、体感を得ることには価値があると大声で言える。とっても良い1年でした。

200本観る、と決めていることによって、映画館へ行くことが前よりもっと身近になったのも良かった。もともとは月1~2回映画館で観る、という感じで、土日両方つづけて映画館に行ったりすると「ちょっと節約せなあかんかな…」などと思っていたけど今は「いや200本観なあかんねんもん」と言い訳が立つので精神的に楽。それでもサブスクで観てるほうが圧倒的に多いけど。でも数えたら50本くらいを映画館で観たようです。週に1回は映画館にいる計算か。どおりで、なんとなく顔を覚えている店員さんが数人おる。

200本目を何にしようかな、というのは今月のあたまくらいから少し考えていて、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』にしました。すごく良かった。
317分(5時間17分)の作品なので、観れるかな……(おしり的な意味と、集中力的な意味の両方で)と思ってはいたけど、全くの杞憂で「あっ終わった…?えぇー…終わっちゃった……」ぐらいの感じでした。むしろ「もっと観れるのに…」という感じ。でも多分これ以上長くしてもあかんし、これより短くてもあかんのやろうな。でないと、わざわざ317分の映画を世に出さんやろ、と思う。映画にはそれぞれ必要な尺があり、それは映画そのものが決めると思う。
あと上映時間が長い映画って、4時間超えるとだいたい休憩挟むから、みんな心配せんで大丈夫やで。あ、まぁ映画館によるけど。『ハッピーアワー』は3部に分けてあって、間は15分の休憩があるので、まじで全然大丈夫でした。

濱口竜介監督の映画、『親密さ』を観た時も思ったけど、石みたいやな、と思う。河原とかで見つけた「良い石」をポケットに入れて大事に持って帰り、玄関の棚に置いておいたりする感じに似ている。友人からは「この石なんなん、なんでここに置いてるん」などと言われたりもするけど、私は「え、良くない?その石、良い石やなぁ~と思って持って帰ってきてん」と答える。その感じに似ている。つまり、私がどんな風にこの映画のことを大事にするかは、私が何を魅力としてこの映画を好くかは、ぜんぶ私が決めることやねん、と思える。そしてそれを、濱口竜介に咎められたりせんやろうな、と思える。こういう、根拠とか理屈とかなしの、ボワッとでっかい信頼がある。

まぁ濱口竜介さんについてはかろうじてお顔を存じているくらいでインタビューも読んでなければ舞台挨拶も拝見したことがないので、何も知らんやろ、と言われたら「ごめんなさい」としか言いようがない。先言うとこ、ごめんなさい。

さて、200本観たけど「今までに観たいと思ってたやつ、全部観られたな~」という感覚は全くなく、実際に「観たい映画リスト」にはまだ100本ぐらい入っている。夏ごろにも「観たい映画リスト、あとちょうど100本ぐらいやな~」と思った記憶があるので、だから減ってないのだ。厳密に言うと減ってはいるけどその都度増えるので、プラマイで減ってない。

というわけで来年も引き続き映画は観る。そして引き続き、好きな映画があったら教えてください。人の好きな映画観るの、結構好きやな、と気づいたのも、今年良かったことのひとつやと思う。それから嫌いな映画も、あったら教えてほしい。私は好きと同じぐらい、嫌いについて知りたいし、考えたい。

はぁ~200本終わった、良いお年を、13時間寝ます、とか言ってシメたいが、年末は実家の行事ごとでかなりキツいので、全然のんびりした気分にはなれない。年明けは落ち着くので、また書きます。良いお年を。

バスで行く

2023年12月4日 (月) 21:36

映画のはなし

今年は映画を200本観ることにしている。現時点で183本まで来たので、いけると思う。
ヨウリーが「タナノゾの200本を振り返る配信やろうよ」と言ってくれたので、年明けにやる予定です。また告知します。
一応「観たことない映画200本に限る」というルールにしていたけど、「観たような気もしなくもないけどはっきり覚えていない」みたいなのはOKとしている。自分ルールでしかないので別にそんなに厳密にしなくてもいいんちゃうんか、と思わなくもないが、性格が細かいので……

『アメリ』のデジタルリマスター版の上映が始まっているので、週末は映画館へ行った。『アメリ』は私が人生で一番繰り返し観た映画だと思う。少なくとも100回は観ている。初めて観たのはたぶん14歳のとき、父がBSかなんかで放送されていたのを録画したビデオテープで、以降暇さえあれば観ていた。当時はリビングにしかテレビがなかったので、弟がよく「またアメリ観とうやん、観過ぎやろ、年間何回観てんねん」と言っていた。年間だと20回くらいかも。
私の中学校時代は人生のほとんどすべてが部活で構成されていて、朝練行って授業受けて夕方部活やって日が暮れたら帰る、週末は部活、ずっと部活、夏休みも冬休みも春休みもずっと部活、という生活をしていたので、テレビもほとんど観なかったし、流行りの音楽も知らなかったし、雑誌を買ったりファッションに興味を持ったりもしなかったし、だから公開当時2001年の『アメリ』の様子は全く知らない。社会的ブームになるほど人気があったことも、後から知ったことだった。インターネットもまださほど普及していなかったし、SNSも無かったので、私は『アメリ』が世間一般にどのように受け入れられているのかを何も知らなかった。語り合えるような友だちも当然いなかったので、ひとりで繰り返し観るしか気持ちの向けどころが無かったんだと思う。そら100回ぐらい観るやろ。
高校に入学すると、ようやく『アメリ』が好きだと言う友人と出会うことが出来た。私は『アメリ』が好きどころか、『アメリ』を知っている人にすら会ったことが無かったので、ものすごく嬉しかった。その友人とはそこから約10年後、一緒にモンマルトルへ行き、カフェ・デ・ドゥ・ムーランにも行ったし、もちろんクリームブリュレをスプーンの裏面でバキッと割って食べた。

そんなだったから『アメリ』を映画館で観るのは初めてのことだ。デジタルリマスター版なだけあって、確かにCG部分がキレイになっている。ストーリーの流れはもちろん、台詞(というか翻訳字幕)もほとんど覚えているけど、観るのは結構久しぶりだったので楽しめた。ニノみたいな独創的な趣味を持っていて、モテはしないけど人当たりがよく、アメリのまどろっこしい距離の詰め方を気味悪がったりせず、なおかつ応戦できるくらいの大らかさがあり、下がり眉の目元がかわいい男の子、めっっっちゃ好み……と思いながら観たけど、こんな人おらんよな~ははは、映画映画。

同じ日に『ゴーストワールド』も観に行った。奇しくも『アメリ』と同じく2001年公開の映画だったらしい。
『ゴーストワールド』を初めて観たのはたぶん17歳のとき、友人が「ゴーストワールドって映画の、主人公の子がのんに似てる」と言ったのがきっかけだったと記憶している。当時は既にミクシィがあり、日常的にインターネットが使えるようになっていたのですぐに『ゴーストワールド』のメインビジュアルだかスチールだかを見ることが出来た。友人が「主人公の子」と言ったのはソーラ・バーチ演じるイーニドのことだ。ボブヘアに眼鏡、古着っぽいTシャツに短めのボトムス、確かに似てる、と思ってツタヤさんでDVDを借りて帰った。
観てみると、似ているのは外見よりむしろ性格だった。偏屈で口達者で皮肉屋、いつでもどこでも波風を立ててばかりいて、大体いつも不機嫌、人を「ダサい」とこき下ろすわりに自分も十分ダサい、自覚もあるけど友人には知られたくない、さらに「自分は何者かになれる」となんの根拠もなく思っているところも、めちゃくちゃ似ていた。

17歳を2回繰り返せる年数を生きた2023年の私は、結局何者にもなれないまま育った町を去るイーニドのことを、母親のような気持ちで見るにはまだ早く、希望を込めて我がことのように見つめるにはもう遅い、といった気持ちで観届けた。何者にもなれなかった後の人生を生きている2023年の私は、そのことを嘆くフェーズすらもとうに終え、毎日ゴキゲンで、楽しくやっている。望んだ仕事に就いて、恵まれた環境に身を置き、かわいい家に住んで、好きな人たちにいつでも会える。あのころなれると思っていた「何者」とは、いったい何だったんだろう、もう思い出せない。具体性なかったもんな。微塵も。
イーニドは町を出て、もう戻らないのだろうか。でも「夢はある日突然町を出ていくこと」と言っていたし、だから夢は叶ったとも言える。とはいえ案外すぐに戻ってくる気もする。「こんな退屈な町」と言いながらも一生をそこで暮らす人、いっぱいおるもんな。
おもしろかったのは「私の家、ほとんどシーモアの家とおんなじだな」と思ったことだった。愛すべきガラクタでみっちりと埋まった私の家は、シーモアの家とほとんど同じだ。私とシーモアの違いはその家を尊重してくれない恋人を一時的にでもつくり、家に上げているところだと思う。あなた自身だけじゃなくて、あなたが大切にしているものに敬意を払ってくれない人とは、一緒にいちゃいけないよシーモア。

一方、シーモアの終盤の振る舞いは、大人になった今観ると、全く受け入れられない。映画全体のテーマ自体は普遍的なものと言えるけど、でもディティール詰めていくとかなり厳しい部分があると思った。でもこれは映画がどうこうではなくて、時代が進んでいることの証だったり、私の感覚が年齢とともに変化していることの証だったりする。
「今は差別を隠すのが上手くなった」という台詞についても「うーーーんここから20年以上経ったけど差別については今もまだそのへんで足踏みしてるわたぶん世界中が、すみません不甲斐なくて」と思った。今は「隠すのが上手くなった」というよりむしろ「差別なんかしてないのに」とか「差別は無い」みたいなことを堂々と言う人が多い気すらする。……おい後退してないか。

いずれの映画も再上映用にパンフレットが制作されていたので、買って帰った。観たことある映画も、映画館で観るのは楽しいね。

ところで今日はかわいくてかっこよくて素敵なジンくんのお誕生日です。おめでとうジンくん、今年もずっと好きだったわ。あったかくして、よく食べて、よく寝られますように。

ひどい食事

2023年7月5日 (水) 20:51

映画のはなし

映画『マルセル 靴をはいた小さな貝』がすごく良かった。今のところ、今年いちばん好きな映画だと思う。
主人公はタイトルどおり、靴をはいた小さな貝のマルセルで、ジャンルとしてはドキュメンタリーなのか、でもストップモーションアニメでもあるし、いや待てストップモーションアニメはジャンルではないのか?手法か?でもそれならドキュメンタリーだって手法じゃないの?うーん分からん、どうでもいい、とにかく『マルセル 靴をはいた小さな貝』がとっても良かった。貝がどうやって靴をはくのか不思議に思うかもしれないけど、まぁ見ればわかる。本当にはいている。

あまりにも愛おしい映画だったので、この感情を言語化できないことが悔しく、でも「何でも言語化できると思うなよ」と思って生きているので、大変嬉しくもある。言語化できない感情が湧いてくることが、私は嬉しいし楽しい。絶対に「かわいい」だけは言うまい、と思うが、どう考えてもマルセルは「かわいい」ので歯がゆい。

私は「かわいい」に他の言葉を詰めまくっている自覚がある。私が「かわいい」としか言っていないときは端折っているのだ。なんだったら端折っている言葉のほうが多い。
例えば「めっちゃくちゃ好きすぎてこんなん手をつなぐくらいではどうにもならんので今すぐ家に連れて帰って何か食べさせて私のベッドで寝かせたいしその寝顔だけみて5時間ぼーっとしたい」と言いたいところを「かわいい」の一言で済ませている。全部言おうと思えば言えるけど、ややこしかったり、怖がらせたくなかったり、誤解を生みそうだったり、なんか怒られそうだったり、通報されそうだったり、ふつうにめんどくさかったりするとき、とにかく「かわいい」でカタをつけているのだ。カタがついているかどうかはあやしい。

週末観た、映画『アシスタント』も良かった。映画に関する会社(配給会社なんかな、とにかく映画作る会社)でアシスタントとして働く女性が、出社して退勤するまでの1日だけの、ごくシンプルな話ではあるけど、「この“感じ”って映像化できるんだな……」と感動した。派手な展開はなく、脚本もどちらかと言うと地味で、オフィス、給湯室、ボスの部屋くらいしか出てこないのに、観終わると12時間みっちり働いた日みたいに疲れた。主人公は話していないときのほうが雄弁で、私はその機微を絶対に見落としたくなくて、ずっと緊張していた。

帰り道、主人公の名前が全く思い出せず、私が思い出せないのか、いや、そもそも劇中で誰も名前を呼んでないんじゃないの、と思い至り、ぞっとした。名前が無いということは「誰でもない」のではなくて「彼女が誰でもある」という意味なのだ。彼女は私だし、私は彼女なのだろう。ウェブサイトには「英語で匿名の女性を指す “Jane Doe” に由来するジェーンというキャラクター」と記載があった。匿名の女性。

そしてこの映画のタイトルが『アシスタント』なのもゾクゾクする。こわい。主人公の仕事がスケジュール調整をしたり、事務仕事やお茶くみなんかしたりする業務内容なので、単にその名称でもあるけど、でもこの映画が主題にしている会社や社会の構造の、いつからなのか分からないけどちょっとずつ狂ってきていて、みんなも気づいているのに、でももう崩すのもやっかいで、ちょっと小突いたくらいではぜんぜん壊れそうにない、この構造の、手伝いをしている人=アシスタント、とも取れる。私も「アシスタント」じゃないか。嫌だ。嫌だけど、でも私はどうすればいいのか知ってる。嫌だから、今やるべきことは、火炎瓶を投げることでも、街頭で人を刺すことでもない、露を払うこと。

家に帰ってネットフリックスで監督(キティ・グリーン)の作品『ジョンベネ殺害事件の謎』も観た。これもすごかった。観たことないジャンルだったと思う。他に似た映画を知らない。

今年ほんとに「他に似た映画を知らん」てなる映画をたくさん観ていると思う。単に観てる映画の数が多い=母数が多いから、とも取れるけど、どうなんだろうか。調べようがないけど。もしほんとに母数が多いことだけが原因なんだったら、私は毎年映画を200本観ないといけなくなる。……しんどい。

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