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Deep Dark Secret
2024年8月20日 (火) 20:33
映画『インサイドヘッド2』を観てきた。文句なしの名作だったので、もう一回観たい。
前作から9年が経過している。早い。『インサイドヘッド』のほうは当時ドリカムの謎MV(たぶんファンから募集したであろう一般のご家族の写真が風船だかしゃぼん玉だかのアニメーションに乗って流れていく映像と合わせてドリカムの曲を聴くというもの、本編前に流れた)がメインで騒がれ(というか貶され)、肝心の本編があまり評価されていなかった記憶がある。というか本編の評価の前に必ずドリカムに触れる、みたいなことが起きていた記憶がある。何その現象。
私が友人に「ピクサーで一番好きなのはインサイドヘッド」と言うと、大抵「見てない」と返されたりもしていて、あんまり正しく評価されていないように感じる。見てよ。
私は初見から大ファンになり、以降は年に2~3回観ている。「性格の島」や「考えの列車」、見分けの付かない「事実」と「意見」、次元を行き来する映像とか、夢を作るスタジオとか、アイディアと見せ方が何もかも秀逸で感動する。人間ってこんなに掘り下げて考えられるし、エンターテイメントとしての表現に落とし込めるんや……すごいよ……
ライリーのイマジナリーフレンド「ビンボン」が記憶の谷に残るシーンは何回観ても泣いてしまう。今思い出しながら既に涙ぐんでいる。こんなに百発百中で泣くシーン、他にないよ。
『インサイドヘッド2』では監督がピート・ドクターではなくなっていることに悲しみを感じたりもしたけれど、なんのこっちゃなかった。エグゼクティブプロデューサーでクレジットされてたし、何よりピクサーは「ひとりの天才に頼らない作り方」をしているんじゃないかと感じることが多い。ま、私はアニメーションに詳しくもないし作ったこともないので知らんけど、でもチームで何かを作ることについては最近よく考える。
若い頃は「スタープレーヤーになれないんだったら死にたい」みたいな感じが少なからずあったし、なんでもかんでも自分でやりたがって、そういうのが「努力」であると誤解していたと思う。最近は人の手や脳を借りることがどれほど自分や成果の為になるかがよく分かるし、伸ばしたいのは「なんでもかんでも自分で出来ること」よりも「人の手や脳をいかに上手く借りるか、借りた手や脳をいかに上手く活かすか」の部分だし、なおかつ「あなたにならいつでも貸すよ、手でも脳でも」と言ってもらえる自分であることのほうが重要になってきた。あと私も自信をもって貸せる手と脳を持っていたい。スタープレーヤーにはなれなかったし、なれないままで生きていくけど、でも背番号は欲しいし、いつでも肩をあっためて、ベンチに座っていたい。
……比喩にスポーツを使ったが、私はスポーツが全く分からないので具体的な競技は特に何も浮かんでいない。肩あっためてるからピッチャーなんかな。図々しいな。
ピート・ドクターについては、『モンスターズインク』の製作中に911のテロ事件が起きた、作中のスシレストランが爆発するシーンが全く笑えなくなってしまい公開前に差し替えた、何かが爆発するおもしろいシーンはもう二度と描けないと思った、と話しているインタビューを見て以来、その「人としての感覚」を信頼している。「創作なんだから、その中でなら何をやっても良い」というような言説を見るたび、このことを思い出す。どっちが正しいとかって話じゃないけど。
『インサイドヘッド2』は前作から4年後の設定で、主人公のライリーは13歳になっている。子どものころのピュアな感情(ヨロコビ、カナシミ、ビビリ、イカリ、ムカムカ)以外に、新たに4つの感情(シンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィ)が登場する。
本質的には似た感情のキャラクターが、似た特徴を持つ造形になっているのが秀逸。例えばヨロコビとイイナーは目が大きくてキラキラしてるとこが似てるけど、イイナーは背が小さいとか。確かに「羨望」ってめちゃくちゃ背伸びする。
ビビリとシンパイもギョロ目ちゃんなのと体型は似てるけど、シンパイは口が大きい。つまり声が大きい(声量ではなくて)。確かに、未来に起こるかもしれないことを心配して不安に思い、先回りして最悪の想定をしてどうしようどうしよう、てやってるとき、脳内はかなりうるさい。
ダリィがちょいちょいフランス語でしゃべってたのは、原語版だと名前が「Ennui」だったからだとさっき気づいてニヤニヤした。そっかアンニュイってフランス語。
前作から引き続き「感情そのものに良いとか悪いとかはない」というのを大前提としてストーリーが組み立てられているところが良かった。どの感情も人間を形作るのに必要であり、要らない感情などなく優劣もない、忘れたい過去や思い出はあるけれど、要らない経験などひとつもない、と言うところまでが前作だったと思う。人間賛歌やん。
今作はさらに「感情が人格を決めることはない」と言い切るところまで行きつき、最後は「大人になるにつれて生まれた厄介な感情(いや、厄介に思える感情)をどう扱うか」というところに着地した。文句なしの名作。
思春期の制御不能な感じや、過敏で過剰な感じもすごくうまく表現されていて、自分の13歳を思い出して身悶えした。たぶんみんな自分の13歳を思い出して身悶えしながら作ったと思う。そしてそれがどんなに苦痛で、不愉快で、情けなく、おもしろくて、喜びにあふれた仕事だったか想像できる。想像できるから泣いてしまう。後半まじでずっと泣いてたな。良い仕事見ると泣いちゃう。
さらにまた4年後の設定で、17歳のライリーを描いてほしい。観たい。
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