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輝度
2025年6月25日 (水) 21:18
姪っ子、ではないか、えーと、私の従姉妹の娘は、私からすると呼びかたは何ですか。ちょっと調べてきます。
従姪(じゅうてつ)だそうです。耳慣れないですね。読みは「いとこめい」でも良いそうです。ほんまか……?今度図書館で調べておきます。
従姪と話しているとき、あんまりハマらなかった映画の話になった。彼女が言うには「妹が観たいって言うから一緒に観たけどイマイチで」とのこと。「イマイチってどんなところが?」と聞くと「そんなに深く考えんかった」と言う。
その話の前に、彼女は「何事にも深くのめり込むようなことがなくて、これといった趣味もないのが悩み」というようなことを言っていたので、私は「自分が何が好きかと同じぐらい、何が嫌いかをちゃんと考えて知っていかんから、逆に何も好きになれんくて、深くのめり込めんのとちゃう?」と話した。私は逆で、いろんなものにのめり込みやすいタイプなので、金もかかるしいつでも時間は足りないし、あらゆる趣味に同じだけの熱量を注ぐことの難しさに苦しんだりしているような人間だから、反射的に「趣味なんかなくたって別にええやん」と思ったが、それは言わないでおいた。趣味がない人の気持ちを、根本的に理解していないので、迂闊なことは言えない。
「試しにその映画の何がイマイチやったか話してみてよ」と促すと「話の先が読めてしまって、しかもその通りになったから、嫌いとまではいかんけど、でも楽しめなかった」とのこと。「でも“お約束”とか“ベタ”とか、いわゆるお決まりの展開ってのは映画にもドラマにも付き物やし、必ずしも“先が読めること”は弱点ではなくない?」と私は言ったが、従姪は「確かにそうや、楽しめるベタもある、でも違いがわからん」と言っていた。「もう少し深堀して考えてみたらおもしろいかもね」と言い置いて、この話は終わった。
後日、私の両親にこの話をしたら「普通はおもしろくないとか好みじゃないと思ったものについて、そんなに時間かけて考えたりせんやろ、お前はめんどくさいな」とのこと。私は生まれつきこういうめんどくさい人間やないか今さら何を、と思ったけど、加齢によって加速している自覚もある。ふはは。あなたたちが生み育てたモンスターですよ!!!と言いたいけど、両親のことは「私が成人するまで衣食住の世話をしてくれた心優しい人たち」としか思っていないので、私のめんどくささに両親がどの程度関与しているのかは全然わからない。正直、まったく関係ないようにも思う。
そもそも「好き」とか「よかった」とかについて話したり考えたりすることは「良いこと」とされていて、「おもしろくない」とか「好みじゃない」とかは蔑ろにするの、何なんや。同等に扱ってもええやん。「好き」と同じくらい「嫌い」について考えたほうが「好き」だって強化されるやんか。
まぁ私は嫌いな映画の何が嫌いかを言語化してまとめるためにもう一度観るような人間なので、評としては「めんどくさい」で合っていると思う。
興味が湧いたので、従姪が「イマイチ」と評した映画も観てみた。確かに「話の先は読めてしまった」。が、どう考えてもこれは子どもをメインターゲットにした映画なので「そらそうやろ」とは思った。私は子ども相手の創作物に、思いも付かない着地点とか、壮大な裏切り、とかは必要ないと思っている。よかったよかっためでたしめでたし、で終わっていい。
一方、SNSで見る限りは大人の評価も高いようだったので、気にかかり、何が理由か考えてみたけど、おそらくは原作アニメを子どもと一緒に観ている(というか、ながら見している、子どもと暮らすと自然にそうなる)ので、ある程度キャラクターについての前知識があるんだと思う。もしくは自分が子どものころに観ていた原作アニメの記憶がちゃんと残っている。
キャラクターたちそれぞれの性格や役どころ、経緯なんかをある程度把握している人は、劇中では特に何も説明されないキャラクターの行動や、細かい言動をきちんと理解できる。そういう基礎知識のない人は大筋のストーリーしか追えるものがなく、なおかつこの大筋のストーリーは「話の先が読めてしまう」くらい分かりやすいので、そら感想としては「イマイチ」になっちゃうね、と思った。
“イマイチ映画”としては分解しやすかった。なおかつ作り手や映画そのものではなく、どちらかというと「私はターゲットではない」という意味で、むしろこちらに非があるように感じた。
でも、序盤から何度も挟まれる台詞のないシーンは印象的で良かったな。「戦をすると何が起こるのか」ということを、子どもに伝えるのに、過不足ないシーンだったと思う。みんなが「かっこいい」「おもしろい」と言って見ている「たたかい」はアニメの中だけで起きているわけではないことが、直接的ではないにせよ伝わったんじゃないか。子どもに向けて物をつくる人たちのスタンスとして、かっこいいと思った。
先日観たある映画については、まだ自分の中で処理が終わっていないが、SNSを見ると「最高」「よすぎた」「すごすぎた」と絶賛コメントが流れてくるので、なんとなく焦る。良かった映画の処理に比べると、イマイチ乗れなかった映画の処理のほうが時間がかかるのだ。1回しか観ていない映画の記憶などもちろん日に日に薄れていくのに、どこがどう刺さらなかったのか、腹落ちさせられるまで熱心に考え続けるなんて、普通に疲れる。別に楽しくもない。何の時間なんだ。「好き」を考えるより「嫌い」を考えるほうが大変だ。疲れるけど、あきらめるのも癪に障る。「私はターゲットではない」のだったら話が早いのに、年齢層や趣味嗜好、監督の過去作からの流入客である点など、どう考えてもメインターゲットなのでよけいにしんどい。
とりあえず「ずっとダイジェストみたいだったのでアツくなれなかった」ということと「キャプションはないほうが良い、出したほうが親切だし、知ってほしくなる気持ちも分かる、でもキャプションはないほうが良い」、それから「対比させるなら他方の書き込みが甘いんじゃないか」ということ、さらに「感情表現をあまりにも役者の演技頼みにしすぎじゃないか」と思ったことは、ここに記録しておく。
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