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構造

2026年7月17日 (金) 20:57

映画のはなし

濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』を見た。私が好きな、石っぽい濱口竜介作品だった。「石っぽい」の意味は以前『ハッピーアワー』を見たときに書いたので、割愛する。『親密さ』を見たときに書いたものも残っている。濱口竜介の映画ぜんぶ長いけど、退屈とは無縁というかすっと感情が動き続けるので長いと感じたことがない。なおかつ終わったときに「あぁ終わっちゃった、もっと見れるのに」と思う。たぶん、あまりフィクションぽくないせいかも。だから登場人物たちに対して「え、まだ知り会ったばっかりやのに…」と感じてしまう。原作があるものと知らずに見たんですが、元になった往復書簡があるようです。

中盤のシーン(劇中ホワイトボードに書いてたところ)は、私が2017年に(奇しくも、本作の舞台である)フランスに行ったときに持ち帰ったいわば種のような感情や感覚、疑念を、概ね10年かけて(意図的ではないが結果的に)育て続け、人に話す必要に迫られなかったので言語化を怠り、昨年の秋にようやく「これ問題じゃない?」と言っている人たちを見つけた件と、まったく同じ内容だった。
私は愚かなので、あのシーンで「え、何か答え(ようなもの)をくれる……?」と思ってしまった。安直すぎると、自分に落胆した。そんな簡単に答えが提示されるようなことじゃないと分かっていたのに、分かっていたはずだったのに、と思った。
たぶん自分で認識しているより、この件がしんどいんだと思う。「こんなの良くない、いやだ、もうやめにしたい、そっちへ行きたくない、このあたりで一旦とめたい、戻れるところまで戻りたい」と10年も思っているのに、具体的に何か出来ることがあるわけでもないのとか、明確に「こうしよう、こういうのを試してみよう、みんなでやろう」と打ち出してくれる人がいないことなんかが、ずっとしんどい。たぶん「私なんかが気づけたり考え付くようなこと、もっと賢くてちゃんと勉強してる人たちはもうとっくに分かってるねんから、誰かなんとかしてくれるよ、大丈夫大丈夫」を落としどころとしていたのに、そうじゃないかもしれない、というのが年々ハッキリしてきたからだと思う。「誰かがなんとかしてくれる」なんて無責任な落としどころ、もうとっくに機能していないのは分かってるけど、でもじゃあ私に何が出来るのか。考えるのはできるけど、それが何かを変えてるとは到底思えない。適当なところで絶望しておいて「でもまぁ私が生きてるうちにはどうもならんか、子もおらんし」などと楽観的に切り替えておけばいいのかもしれんけど、それすらも上手くできない。具体的に何も出来ないだけじゃなくて、自分の内側で考えないようにするコントロールすることも出来ない。何なら出来るのか。
劇中「何と戦ってる?」と聞かれたマリー=ルーが「構造」と答えたとき、うらやましいと思った。私は自分の内側で考えてるだけで、何とも戦えていないからだ。私は自分の会社とか、家族とか、友人同士とかの小さいコミュニティの中ですら、何とも戦えていない。

なんか「しんどい」みたいな感想になってしまって、これはちょっと、映画の感想とは違うんですが、映画はとても、良かったです。
だいたい映画を見ていない人にとったらまるっきり何も意味が分からない文章になっていると思う。何の件についての文章か書いてないから。でもそれは私にはどうすることもできないので、あなたが映画を見てください。(???)
まぁ「こういうシーンで、こういう内容の会話があって、流れはこうで」と詳細を書けばいいけど、書きたくない。私はあらすじを憎んでいるからです。あらすじなんか読むな、人間にはあらすじを読むような時間はない。常に本編だけを見ろ。

帰りは自転車を借りて海側を通って帰った。海側のほうが道が空いている。コンデジを買ってから常に持ち歩いているので「そういえば撮りたかったところ」を順番にまわる。
友人の言った「カメラあれば撮る人」は本当に言い得て妙だと思った。確かに私「この道のラインがなんか好き」とか「この建物の角が良い」みたいなのが街中にあるわ。「ここ隙間の形がきれいやから光が良い」みたいなやつ。
でもわざわざ撮ったりはしてなかった、だって「カメラ無い」から。だから、あれば撮る。だってカメラあるねんもん、そら撮るやろ。

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