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Life is beautiful

2023年4月11日 (火) 21:44

映画のはなし

映画「Not famous man」を観てきた。

私は一応スタッフ側の人だったので2年ほど前に数回、その後完成版を数回、と観ていたものの、映画館で観ることは体験として全く違うものだな、と思った。普通に色も音も違う。
周囲の席から聞こえるクスクス笑い、くしゃみ、咳払い、ジュースを飲む音、ポップコーンのにおい、服がこすれる音、たぶん「雑音」と呼ばれる類のものが私にとっては愛おしかった。ハヤシさんが作った映画、今50人くらいの人たちが、一緒に観てる、みんなチケット買ってくれたんや、わざわざ映画館に来てくれたんや、長かったここまで、みんなめちゃくちゃ頑張った、すごい、などと思うと、もう泣きそうだった。
が、実際は泣いていない。そういう映画じゃないねん。泣くような映画じゃなくて、そこが良さやねん。

人物を主題にしたドキュメンタリーは、観る人がどの視点に自分を置くか、というところがおもしろいと思う。すでに設定されていてその視点にうまく誘導するドキュメンタリーもあるけど、本作は「私が私の視点をどこに置くか私が決められる」という映画になっているんじゃないか、と観ながら考えた。そこがこの映画の良さなんじゃないか。
そう考えると、あの不思議な読後感・後味・余韻には納得がいくような気がする。「Not famous man」を観終えたあとの、高揚はしていないが決して悪い気分ではなく、臨場感があるわけではないがまったくの他人事だとも思えないようなあの感じ、あれは視点を強制されていないからこそなのではないか。視点や立ち位置を勝手に決められることの居心地の悪さが、この映画には一切ない。

そして、監督は撮影することでウどんさんのことを鼓舞しようとはしていないし、嗾けも煽りもしていない、激励している様子もなく、ただ一緒にいる。これ以上離れると傍観者特有の冷たさや安全圏から観察する人の嫌味っぽさみたいなものが見えるかもしれないけど、それもない。ただ横に、一緒にいる。
……でもハヤシさんてそういう人なんだよな…ハヤシさんもしかしてめちゃくちゃドキュメンタリー映画が向いてるんちゃうん…?

私は「この映画で切り取られた小野ウどんさん」ご本人ほどのフットワークの軽さや、担ぎ上げられ力というか祭り上げられ力みたいなものは、自分に無いと思う。でも年齢は近くて同年代と言えるし、新卒で入社した会社での経験も少し似ている。ざっくり「ものづくりを生業にしている」点も同じと言えるかもしれない。ラーメンを引き合いに出したうどんの話は納得できた。が、真正面からすべて共感できるかと言うと、それはあやしい。というか今現在の2023年を生きる小野ウどんさんも、劇中の小野ウどんさんに真正面からすべて共感できるかというと、そんなことはないんじゃないのかな。あ、本人に聞いてみたいな。

とは言え、ウどんさんに何か助言が出来るような視点に自分を置くことは出来なかった。この視点に名前を付けるのは難しいが、便宜上暫定的に「大人」と名付けたとして、私は全然「大人」ではないと思う。自分が今後いつ「大人」になれるのか見当もつかないし、もしかしたら自分でそう思える日など来ないのではないか、と最近気づきつつある。「大人」になるにはまず「大人」を自分で定義せねばと思うが、それも出来ない。私は劇中のウどんさんに「こうしたほうがいいよ」とか「それじゃだめだよ」とか、なんにも言えないのだ。もし何か言えることがあるとしたら「なんかわからんけど、お互いがんばろうな」ぐらいのことだ。フワっとしていてきっと印象にも残らないだろうけど、でも無責任に「その道は間違ってないよ!頑張って!」とかは言えない。「私は私の持ち場をがんばりますので、ウどんさんはウどんさんの持ち場でがんばってください」としか言えない。
ただ2023年の小野ウどんさんを見て思うことは、きっとウどんさんはウどんさんの持ち場でこの6年をがんばったんだろうな、ということだ。

利己と利他については、私は「バランスじゃない?」と思う。いやまぁ、私は「すべてのものごとはバランス」と思っているので利己と利他に限った話ではないけど。でも利他しか持たない人は不気味だし、利己しか持たない人は疲れる。ビジネスにおいては100%利他的であれ、という意見があるのは、もちろん理解出来るけど……
あのあとの、家に帰ってウどんさんがベッドに寝そべったまま「まぁ理解はできるっすけど、たぶん納得はしてないすね」みたいなことを言うシーン好きだったな。あれ監督も「とりあえず座って話そっか」とか言わなかったんだろうな。めっちゃおもしろいね。

あと私が好きなシーンは、まず「公園でクラうどんファンディングの返礼品であるうどんを打つ」シーンな。ウどんさんが自分でセットしたであろうカメラの絶妙な画角、散歩してる人との会話とその間、何回観ても笑ってしまう。でも単純に、外でうどんを打つのって、たのしいんじゃないかな。気持ちよさそうじゃない?
あと「メリーゴーランドに乗る小野ウどん」のシーン。3周くらい回ったと記憶していたけど、普通にもっと回ってたわ。なんなん。あのシーンめちゃくちゃ沖田修一っぽさがあると思うけど、伝わりますか。
「自由の女神を見に行く」シーンも好きだった。ちょっと逆光っぽくて、海があって、ダラダラしてて、画として好きなシーンです。自由の女神、私も見に行ったけど陸から見るとめっちゃ小さいのよね、ほとんど見えない。
「マツケンとしゃべる」シーンも良い。「うるせぇ働け!」と言いたくなるけど、でも自分が友だちと話しているのを撮影して客観的に観たことがないだけで、私も大体あんなもんだと思う。

それから広報まわりでお世話になったみなさんにお礼を言いたい。
まずはイラストレーターのツクダヒナミさん、一緒に仕事が出来て光栄でした。ありがとうございました。イラストレーターと仕事をするということは割とセンシティブなことだと思っていて、イラストの持ち味を絶対に活かしたいし、イラストレーターに「私のイラスト台無しやん」と思われたらもうデザイナーは廃業、みたいなところがあると思う。ツクダさんは「良い見せ方とかはデザイナーのほうが絶対分かってるでしょ」と言ってくれて、その、身を預けられるような緊張感が、私にとって良い方向に働いたんじゃないかと思う。何よりデータを触っていて楽しいイラストだった。その感じが、作ったものにも出ていると思う。レイアウトを変えてもイラストの良さや魅力が失われないし、線画なのに単体で使ってもちゃんと強度があってかわいい。おかげさまで私はのびのび仕事ができたと思う、幸せでした。
そしてスタッフ小野さんはこまごました面倒な仕事が多かったと思うけど、嫌な顔をしたり空気を悪くしたりするようなことが一度もなかった。なんか調べたり、日程とか調整したり、方々に連絡を取ったり、みたいな仕事ってやってみると結構手間がかかるし、成果として何か目に見えるようなものにはならないことが多くて、実は一番大変だと思う。小野さんはいつでもみんなが仕事しやすいように、一生懸命動いてくれてありがたかった。
終盤あたりの「うどんの食べかた説明書」を作る案件では、私が小野さんに若干八つ当たりし(年度末で2~3月が忙しすぎたことと、それに付随する慢性的な寝不足が主な原因だけど、でもこれは言い訳です、小野さんにはまじで関係ないし)あれ、ほんとに申し訳なかった。すみませんでした。小野さんは逆ギレしたりすることなくパワポで一生懸命説明書を作ってくれて、私はそれを元にイラレで清書する仕事を、ありがたいのと自分が情けないのとで泣きながらやりました。

最後に監督、私がハヤシさんに何か言うの、変な感じがするけど、でも言うけど、いろんな経験をさせてもらってありがとうございました。アップリンクでいろんな人に声を掛けられ、お土産やプレゼントをもらい、トークイベントに登壇して拍手をもらっているハヤシさんを見ていると、なんか照れくさいような、でも嬉しいし、とはいえ他人事じゃないような、不思議な感覚になった。そして、たぶんみんなにそう思われてるんだろうなハヤシさんは。良い人生だね。
いろいろあったけど、映画館で上映できてほんとにほんとによかった。上映したら、ちゃんと人が観てくれて、人が観たらなんか感想を言ってもらえるんだな、という当たり前のことがすごく感動的だったと思う。その流れみたいなものの中にいられて、私はうれしかったです。
また映画撮ってほしいな。もうこりごりですか?また撮ってほしいよ。

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