TANAKA NOZOMI

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夕暮れと君が好きさ

2021年3月20日 (土) 23:58

音楽のはなし

世間がこんなことになって、いつのまにか1年が過ぎた。医者でも研究者でも看護師でもない私にできることは引き続き、マスクと消毒ぐらいしかない。これからどうなっていくんだろう。

去年の2月、心斎橋のジャニスで見て以来1年ぶりに見るアナログフィッシュは、特に何かが変わった、という様子はなかった。あ、見た目とかの話ですけど、みんな元気そうだった。よかった、ライブに来ているお客さんたちも、見覚えのあるいつもの顔ぶれがあった。みんな元気そうだった。よかった。
私もそうだけど、みんないつも見る場所が大体おんなじだから、自然と覚えている。あの人今日は居ないんだな、昨日来てたのかな。

磔磔に椅子が置いてあるのなんて初めて見た。バンドがステージに上がると、前の方のお客さんがパラパラ立ち上がって、州ちゃんが「そうだよ、好きなタイミングで立っていいんだよ、好きなときに座っていいし」というようなことを言った。ライブハウスで「好きなタイミングで立って、好きなときに座る」、というのは今まであまり無かったことだ。足が疲れたり、飲み物を飲んだり、ゆっくり聞きたいとき、座れるのはわりといいことなんだよな。世がどんな状況だとしても、悪いことばっかり、出来なくなったことばっかりに気を向けなくていいんだ。そんな当たり前のこと、知ってるのにすぐ忘れるな。

去年も新曲をライブで聞いた記憶があるけど、今年も新曲が聞けた。新曲がかっこいいことが、アナログフィッシュを好きでいて一番うれしいことだと思う。あの頃のアナログフィッシュも良かったが、一番良いのは今のアナログフィッシュだ。今のアナログフィッシュが一番かっこよくて、一番良い。
しかもふたりともの新曲がかっこいい。この人たちにとってお互いがつくるものは、どのぐらいお互いに影響を与えているんだろうか。健ちゃんの新曲はハモりが素敵で、かっこいい曲だった。あのハモりを考えているのは絶対に健ちゃんだと思うけど、どうやってふたりに伝えているのかが気になる。楽譜を書くんだろうか。これは悪口ではなくてむしろ畏怖を込めた褒め言葉だが、佐々木健太郎という人は楽譜を書くような人には全く見えない。

私は歌詞を詩のように扱ったりするのが好きではないし、詩として成立するねやったら音楽は出番ナシやないか、良い歌詞は常に良いメロディーと良いリズムと共にあれよ、歌詞への共感なんて求めてない、といつも思っているけど、下岡晃の新曲「Yakisoba」の歌詞には一言一句すべてに同意・共感している。メロディーもさみしくて優しくて好きだな。私が書いた曲ってことにならないだろうか。
このミニマルで私的な愛おしいこの曲を、今年レコーディングしてくれるかもしれない。「今年アルバムを出せたらいいなと思ってます」って言うてた。そうすれば私はポケットにこの曲を入れておいて、いつでも好きなときに聞けるんだよ、うれしい、楽しみだな。

終盤に演奏された「Sayonara 90’s」は、2008年のリリースだったらしい。そっかもう10年以上前なのか。
80年代後半に生まれた私の90’sは、ここで歌われているものとは単純に違うものだ。私がヴィレッジヴァンガードで買ってきたカート・コバーンのポスターを壁に貼ったとき、彼はもうとっくに亡くなっていたし、下岡晃が歌う「希望が無いってことに希望があった」時代は、感覚としては概ね理解しているつもりだけど、実感としては知らない。
兄の話を聞くようだった「Sayonara 90’s」は、私が今この時代、この状況、この年齢で聞くと、少し違った手触りになった。探せば結構、この胸の中に、希望はあるね、それは例えば愛だったりする。本当にそうだな。

「抱きしめて」やらんねんな、最後かな、と思っていたら、「抱きしめて」は最後の曲だった。この1年くらいの間、下岡晃はインスタ配信で数十回この曲を演奏している。
この日磔磔で、「抱きしめて」を歌い終え、ギターを置いた下岡晃はとても大事なことを、簡単な言葉だけで言ってくれた。「こういうふうな日々が続くと、どうしても極端な方に自分の心が動いてしまう、なんでかっていうと、中庸で、真ん中に居ることが、とても難しいことだからなんだと思うんだよ、でも俺たちは、極端な、簡単な話に流されずに、中庸で、頭をつかって、なんとか頑張って、隣の人を大切にして、明日もマスクと消毒を続けるしかないと思う」と、言ってくれた。

そうだ、中庸であることは、常に真ん中を取ることは、難しいことなんだった。いつもはそれができるし、それが私だと思っていて、だから今それが出来ないのは、私が弱くてダサい人間だからだ、と思っていた。そのことがつらかった。自分のことを弱くてダサい人間だとしか思えないなんて最悪だ。
でもそうだ、難しいことなんだった、中庸であることは、真ん中に居ることは、難しいことなんだった。だから、でも頑張ろうねって、言ってほしかったんだった。言われて初めてそのことに気づいたよ。ありがとう下岡晃、いつもありがとう。

下岡晃が何を言ったのか、この日のMCをもう一度ちゃんと聞きたくて配信のチケットを買った。忘れたくなくて、また思い出したいときにいつでも読めるように、文字起こししていたら、写経ってこういうことなんじゃないの、と思った。

おしゃべりが上手じゃないこの人が一生懸命なにか伝えようとしてくれることに、いつだって本当に感謝してるのに、いつまでも何も返せなくて申し訳ないな、と思う。ありがとうございますしか言うことがないのは私の方だ、ずっと大事なバンドを続けてくれてありがとうございます。そのことが当たりまえじゃないということばかり、実感する1年だった。これからどうなっていくかは引き続きぜんぜん分からんが、どうにかやっていこう。どうにか、やっていこうね。

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