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2022年3月15日 (火) 22:00

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PERMISSION TO DANCEをタイトルに冠したライブを、4日間で3本観た。2本は自宅で、1本は映画館で観た。
演目としては同じものを10月にオンラインコンサートで観ているし、ロサンゼルス公演の配信も観たし、どれも良かったし、だからまぁ同じと言えば同じだから、そんな毎回親の仇みたいに全部を観んでもええかな、お金もかかるしさ、と思う気持ちがあるが、実際のところ「何一つ同じではない」ことをよく知っているから、この際お金のことは見て見ぬふりをして、観られるもんは一通り全部観とこか、ということにした。それに何より、2年半ぶりに母国である韓国で、有観客ライブをするBTSがどんな顔をするのか、見ておきたかった。
しかし、お金のことを見て見ぬふりをする日が増えていますね、みんなもそうですか?

有観客とは言え、感染対策として、観客側が声を出すことは禁止されている。席に座り、マスクをして、拍手で応援してね、というルールなのだ。ま、最近のライブは規模の大小問わず日本でもこんな感じではあるが、2年半ぶりの再会がこれじゃ、なかなかキツかっただろうな、えらいね、韓国のアミたち、えらかった。でもあなたたちがどんな気持ちで、その、何ら強制力のないルールを守ったかが、手に取るように分かる。気高いね。すきだよ。あとユンギがそのことを分かってくれていて、なおかつちゃんと言葉にしてくれたの、うれしかったね。
ユンギって別に腰が低いわけでもないし堂々としてるのに「俺が先に話を聞くよ」って顔してて、かっこいいなと思う。我の強さがないわけでもないし、言いたいことなんにもないってわけでもない、むしろメッセージ性が服着て歩いてるみたいなとこあるし、その割に不必要に謙虚ってことでもないし、意志が弱そうな顔もしていない、でも「ぜったいこの人は話聞いてくれる」と思わされるの、なんなんだろうな。不思議な人だ。

初日、やや様子をうかがうような、間合いを詰め合うような空気感が双方にあると感じた。真剣ではあるけどでも緊迫してはいない、ただお互いに、歩み寄ろうとしている。2年半ぶりに会えてたまらなくうれしいけど、でも今はまだ、駆け寄ってハグしちゃだめなの、手も繋げないし、あぁどうやってこの気持ちを表現すればいいの、というような。照れもちょっとあるし、みたいな。いやぁ、なるほどな、お客が居るとそうなるんだな、あなたたちは本当に、愛し愛されているんだな、と思った。
そういえばすっごい仲良い友だちと超久しぶりに会うと最初の15分くらいはこの感じになるな……なったことあるでしょ?私はある。

こういうとき、本当に頼りになるなぁと思うのはジョングクのことだ。いつどんな状況でも、何がどのように変化していても、その真っ只中に居ても、ジョングクだけはいつも変わらないように見える。ひたむきで、素直で、ただ歌って踊るのが好きなだけだよ、という顔をしている。
でも、それゆえに、この子にも当たり前に感情の起伏があり、眠れないほど悩む夜があり、不安や後悔や、戸惑いだってあるのだということを、私は忘れがちだな、と思う。この日私は「BTSが全員部下だったら私、うっかりジョングクさんを褒めるの、忘れてしまいそうだな」と思って、謎に反省した。だって、出来が良すぎるのだ。そつがないし、努力を自分からアピールしないし、というか「要るからやってるだけだよ」としか思っていなさそうな気すらする。
もしジョングクさんが私の部下だったら、最低でも月1回はグクを焼き肉屋さんに連れてってせっせと神戸牛特上カルビを焼き、大盛の白ごはんに載せてやりながら、ベッタベタのみっちみちに褒める日が要る……えらい、かっこいい、本当によくやってる、頼りにしてる、信頼してる、いつもありがとう、また上手になったね、今日は好きなもの全部食べて、グクだけだよ、と言う日が要る。
WINGSあたりのツアーライブの、どう見ても序盤でスタミナが切れている彼の、もどかしく、悔しそうな顔を思い出す。そうだよな、手を抜くのとペース配分を考えるのは全く別のことだと、頭ではわかるけど、頭と心は違うもんな。思うようにならなくて、苦しかったろうな。今となっては6人の兄をまとめて両腕に担いで走れそうなジョングクが、ぜんぜん奇跡なんかじゃないことを思い知る。えらいな。がんばったな。よくここまで来たな。すごいね、君はほんとうにすごい。

2日目、既にあの間合いを詰め合うような空気はなかった。観客がそこにいて、拍手をしてくれていること、仲間だから、それだけでコミュニケーションが取れること、そのことを、もう知っています、という顔をしていた。迷いなく、よっしゃここで遊ぶぞ!という顔をしていた。いやーすごいね、初日やって、昨日なか1日空いてそんで今日、もうそれ出来るの?もうわからん、なんでそんなことが出来るの。すげえ。意味分からん、すげえ。
ステージやパフォーマンスに限った話ではないけど「もっとこうしたい」「いつかああなりたい」「これでは全然足りない」というパワーは、何かを推進するときにすごく重要なことだと思う。でも「今ここにあるものでやる」のも、実は同じだけ重要なことだよな、と思った。
だって比較すれば、相対的に見れば、もっと良い日が、もっと良い場が、あるだろう。過去に何度もあっただろうし、天候にしたって、環境にしたって、もっと良い日は他にあるはずだ。でも今、とにかく今日来られる人は全員来たし、大声で歌うことは叶わないけど、でもここで一緒に居られる、そのことを、みんなちゃんと見ていた。よそ見しないでちゃんと見て、それを両手で掴んで、離さないようなライブだった。しかもそのことが、悲しくなかった。今ここにあるものを見ること・握りしめることは、失くしたものを嘆くことと、同義ではないのだと知った。

3日目、この形態のライブが、一旦ここで完成したんじゃないか、と思った。丸2年続いたこの状況がこれから先いつまで続くのか分からないし「この形態のライブ」自体、継続されるのか、もっと違う展開を見せるのかは分からないけど、でもだからこそ、一旦完結した、と感じた。と、同時に、今は常にどこかへ向かう道の、途中なんだな、と思った。過渡期なんだ、ずっと、常に。
エンディング中「昨日眠れなかったんだよ」とあくびをしてしまい、みんなにドヤされてたナムちゃん(かわいかった、オイコラ金髪!立ってろ!て言われてた)が深夜に投稿したコメントを翌朝読み、合点がいった。私たちも過渡期だし、私もあなたも過渡期だったのだ。ただそれが重なり合う日があって、その日が今日だったりしたのだな、と思った。ありがとうリーダー、たっぷり寝てほしい。
ジンくんはこの日、踊りながらよく笑っていた。そして時折、噛み締めるような顔で遠く客席を見つめ、あのギュッと閉じるまばたきをしていた。何を噛み締めたのか、私なんかが知る由もないが、「実感」とか「確信」とか、そういう類のものだったら良いな、と思った。そしてそれが「糧」になるんだったら良いのにな、と思った。

3日分ぜんぶが円盤になったりはしないんだろうか。なったとして何回見返すか分からんけど、でもなんか箱に入れて大事にしまっておきたいような3日間だった。ありがとうございました。ディレイも楽しみです。

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