TANAKA NOZOMI

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払いたかったら払ってくれてもいいねんで

2022年6月13日 (月) 20:03

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姉が仕事の都合で帰省したので、両親と4人で食事しに行った。

姉は甥たちにも久しぶりに会ったようだが、甥にまだ叔母という概念はないらしく「のんちゃんのおともだち」と呼ばれたらしい。おともだちじゃないのよ、お姉ちゃんだよ。とは言え、姉が私の姉になってから33年と半年、その半分以上を確かに「おともだち」のように過ごしてきたな、とも思う。だから、あながち間違いじゃない。というか4歳はたぶん「叔母」とか分からないんだよな。こういうの習うんやっけ?学校とかで?それとも急に気づくのかな。

4人でごはんを食べてお酒を飲み、くだらない話(観る気なかったのにジュラシックパーク観てる間中ずっと電話してた、どんだけ蛸食べんねん、えっジョン・ファブローの映画やで絶対観たことあるはずや、いやもう徳利カラやん見たら分かるやん、そもそも酒盗ってなんなん、どんだけ蛸好きやねん、私の中の若手お笑い芸人はロバートで止まってる、そんなことするからそんなことになんねん、こがけんはまじでめっちゃ歌うまい、玉ねぎ高い理由なんなん今調べて、等々)をしていると、ふいに良い家に生まれてきてよかったな、と思った。この人たちと特に理由もなく一緒にいられるなんて、私は幸運だ。もちろん人間だから全員に良いところも嫌なところも、いろんな側面があるし、歳も取ったから性格も悪癖もソリッドになるけど、だからこそ、血はつながっているかもしれないが別の人間だということを何度も思い返し、いつでも対話をすることが大事だと思う。でもそれ以上に「いつでも対話が出来る」と思える人間だということ自体が、めちゃくちゃ稀有なことなんだろうな。長年に渡って家族をやっているから、慣れや勘でまかなえることが多いけど、それでも「これはちゃんと話さんと分からんやろうな」ということもあるし、でもそういう時に「まぁ話せば分かるやろ(同意してもらえるかどうかは別として、意図や意思は理解してもらえるだろう、の意)」と思えるの、本当はすごいことなんだろうな。
なぜそれが可能なのか、については正直分からないし「まじでただの運」としか言いようがない気もする。自分には一切なんの努力も無かったか、と言われるとそんなこたぁないが、じゃあすべて自らの努力によって得たものか、と言われるとそれもまた違うと感じる。
運が良いだけのことを、どのように処理すればいいのかは、ずっと分からない。「神に感謝する」とか全然しっくりこんしなぁ。「私は強運だと言い募る」のもなんか…だから何やねんとしか言いようがないし……
「親ガチャ」という言葉は嫌いなので使いたくないが(だってそれ言うてもうたら子ガチャも自動的に発生してしまうやん、双方めっちゃ嫌な言葉)そうとしか言いようがない、という感覚も理解できる。でもそもそも社会の構造とかでどうにか出来る部分も多いんじゃないんか、こういうのどうやっていけばいいんやろ、教育の分野っぽいと思うけど、そっち現場も手薄でそれどころじゃなさそうやし上も全然取り組んでる気配無い気がする……で、結局各ご家庭でどうぞ!はい頑張って!てなってるんかな。あぁそりゃあ「ガチャ」扱いしたくもなるか。

とかナントカ考えて坂を上っていたら家に着いた。夜は涼しくて、風も気持ちいい。イヤフォンから「I’m a born singer」と歌い出すジョングクさんの声に「いやほんまそうよ、歌声が既にそう言うてるもんな」と言いながら玄関のドアを開け、キッチンで立ったまま冷蔵庫で冷やしてあった蕎麦茶を飲んだ。

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