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Good Morning America

2023年2月1日 (水) 20:17

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挨拶について考える。「大豆田とわ子と三人の元夫」を観たせいだ。劇中、岡田将生さん演じる中村慎森は「挨拶って要ります?」と発言し、雑談やお土産、花束、など私が社会に身を置き、なるべく円滑に、かつご機嫌に、周囲の人たちとコミュニケーションを取れるように実践しているアレコレについて、揚げ足を取ってくる。とはいえ慎森に「揚げ足を取っている」という自覚は全然ないし、屁理屈を言っているつもりもない。
「挨拶は大事って言う人、挨拶って漢字で書けるのかな」と言うシーンでは毎回、指で手のひらに「挨拶」と書いてしまう。か、書けるぞ、挨拶、書けたわ、よかった。あの漢字両方ほかのとこで使わんよなぁ。

挨拶も雑談もお土産も、まぁ心底本音で必ず必要!と思っているか、と問われたら私はちょっと自信がない。正直めんどくさいと思っている時だってあるもん、雑談とお土産は特に。好きな人とする雑談は楽しいし、好きな人に渡そうと思って選ぶお土産は楽しいけど、時間の隙間を埋めるためだけの雑談は疲れるし、個包装で・あんまり高すぎなくて・持って帰るのに重くなくて、と消去法で選ぶお土産には愛などないからだ。
挨拶は雑談とお土産に比べると圧倒的に時間を取らないので負担に感じることは特に無いけど、そのぶん相手に無視されると小さな嫌悪感や不信感、不快感が溜まる。大きな感情ではないが、確実に溜まっている感じがする。ただの挨拶なのに。めんどくさいね。慎森の言う通り、全部要らないのかもしれない。

「また明日ね」という挨拶は大人になると使わなくなった。今日会って、明日も会う、なんてことがほとんどないからだ。会社の人には明日も会うのに、誰も「また明日」とは言わない。

「さようなら」も長いこと言っていない。お別れの挨拶に「バイバイ」や「またね」は言うけど、「さようなら」はもう誰に対しても言っていないと思う。先生や先輩に別れ際言うのは「さようなら」だったけど、今は上司に「さようなら」とは言わない。別れ際は「お先に失礼します」「お疲れ様でした」だし、取引先のお客さんにだって「さようなら」とは言わない。「ありがとうございました」「失礼いたします」ぐらい。「さようなら」ってもう一生使わないのかもしれん。

この文章に、結論などはない。何も論じていないので当然のことだが。

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