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2020年7月2日 (木) 19:18

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技術の無い技術職が嫌いすぎて延々悪口を書きそうになったけどやめておく。悪口を書きたければ、真正面からそう思うのなら、もちろん書いてもいいのだろうけど、呪詛からは何も生まれないのでやめておく。
いや、でも呪詛から美しい何か生み出す人もいるもんね。あれは、なんだ、そういう、性質ってことなのか。私はちがう、というだけのことか。

なんの闇も呪いもない人は「創作」を必要としないのではないか、と去年の夏ごろに話した。闇と、呪いを、それを漂わせている「穴」を、胸とお腹の間あたりにごっぽり空けて、それを埋めるために、私たちには「創作」があるのではないか。
でもそれで言うと私の「創作」は私の「穴」を埋めてはくれないし、「穴」とは全く別のところに私の「創作」はあり、となるとなんだ、私は何を、何のための何をやっているんだ。

深めていくものだと、思いすぎていたかもしれん。浅く、広く、軽く、ふわふわと浮いたまま、私は私の「創作」をやっていいし、「穴」は空けたまま生きてもいい、埋めてもいいけど、別に空けたまま生きてもいい、そういう人もたぶんいっぱいいる。これは、なんだ、そういう、性質ってことなのか。そもそも「穴」の存在すら知らないように見える人もいるのに。

重く、深く、厚く、潜っていくもんだと思ってた。年をとるということはイコールそういうことで、そうあるべき、とも思ってた。
なーんだなんだ、別に決まってねぇやん。わかっちゃった。これっぽっちのことに気づくのに、いつも本当に時間がかかるね。周回遅れか。何周遅れてる?

グレタ・ガーウィグの新作映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を観てきたら、画もストーリーも美しく、そのうえ強く、気高くて、こちらも背筋がしゃんとした。監督が加筆したとされる終盤のシーンも良かった、あれを観るためのすべてだったのかもしれない。と同時に、あれを見せたいがためのすべてだったのかもしれない、と思った。
妻になり子を産み育てる人生と、著作権を守り革張りの装丁を手に入れる人生は、比べようもなく、ただ等しく美しいね。願わくば、選ばずともそのどちらをも手に出来る世でありますように。
少し大人になったティモシー・シャラメがあんまり美しいので、内臓がいくつか溶けてしまった。ジョーにプロポーズする夕暮れのシーン、とてもよかった、「胸にせまる」とはこのことだ。
あそこで「言わないで」と言ってしまうジョーの性格というか、性分というか、あと「何を言われるか分かっている」という頭のよさ、勘のよさ、などなどを、目線・目の開き方・息の飲み方ですべて表現できるシアーシャ・ローナンよ。はー天才。何デミー賞でも何獅子賞でも何熊賞でも好きなん持ってって。

つーか「little women screenplay」で検索したら脚本が出てきたわ、これ脚本よね?やったぜ、超読む。
https://pmcvariety.files.wordpress.com/2019/12/little-women-by-greta-gerwig.pdf

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