TANAKA NOZOMI

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肺、全然、きれいです

2021年5月26日 (水) 21:46

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具体的にいつからなのかは分からないが、数年前から「丁寧な暮らし」という概念をよく目にするようになった。10年前は無かったと思うんですけど…どこ発祥なんだ。だれ発信なの。
出所はちょっとわからんが「なんとなくブームっぽくなって、ブームっぽくなったものは大抵批判されるもので、批判されても引き続き丁寧な暮らし推しの人はまだ大勢居る、批判する側の言い分も一概に否定できるものではない」というフワワ~の認識でいるけど合ってるでしょうか。

今朝家を出る前に「部屋がやや荒れ気味であるな…」と思い、続けて「もっと丁寧に暮らさなくては、定時に帰れているのだし」と思った。朝は寝ぼけていたのか自分でも気がつかなかったが、冷静に考えると、定時に帰れているかどうかと丁寧に暮らすかどうかは別に関連していない。今朝のことは単に「床がホコリっぽいな、今日帰ったらワイパーで掃除しようっと」と言えば済むことだった。自分の脳内とは言え、ものは言いようやで…気ぃつけや…

自分で自分に向けて「独り身で仕事も忙しないねんからもっと丁寧に暮らせや」と言うことと、他人様に向かって「独り身で仕事も忙しないねんからもっと丁寧に暮らせや」と言うことは、全く違うことのように見えて、実はそう遠くないのではないか、と思う。その乱暴なさまは、丁寧とはほど遠い。これを自戒と名付ければそれらしいパッケージに見えなくもないが、自分だけに向けるものだとしてもやや鋭利な気がする。もっと鋭利に研ぐべきものは別にあるぞ。

さて、「丁寧な暮らし」を実践できておらず、目指してもいないし推奨もしていない30代独身女性こと私の家では、5月がもう終わりというのにストーブが出しっぱなし、コートは1着もクリーニングに出してない、冬物の服を軒並みクローゼットにかけっぱなし、タンスの上に複数のセーターを積みっぱなしである。
昨日レモンイエローのひまわりを買ってニコニコして帰ったら、ひまわりとストーブが部屋に同時に存在することに大きな違和感を覚え、冬を終わらせなくては、この家には私しかいない、私が冬を終わらせるのだ、とようやく気付いた。冬を終わらせるのが先、ひまわりは後だったのだ。順番を間違えた。
もうストーブはつけないし、万が一寒くなったとしても灯油がなくなってるからどうせつけられない、私は暑がりなので3月になると厚手のセーターはもう着ない。絶対今月中になんとかしよう。フラグではありません。

私はコートをクリーニングに出したり出さなかったりする。年によって違う。明確な指標はなく、単なる気まぐれであるが、せいぜい1~2万円くらいのコートしか買ったことがないので、それに1500円くらいかかるクリーニング代を出すのがなんとなく不服なのだ。とは言えクリーニング屋さんにちゃんとやってもらうとフカッとして軽くなったような気がするし、形もパリッとして、いいにおいになるよね。よーし、毎年ちゃんとクリーニング屋さんに出すぞ、いつも出すお店と大体の時期を決めちゃえばいいんだ、そうすれば考えたり調べたりする必要なくなる。よーし。

だいたい次の冬まで絶対に着ないのだから、コートなんか家に置いておく必要すらないのでは、と思い、クリーニングしたうえで保管してくれるサービスを試しに使ってみることにした。家に置いておけばタダなのに、月に数百円とは言えそんなことに金をかけるのか、せいぜい1~2万円くらいのコートしかなかったんじゃないのか、金払って保管しておくようなものなのかよ、と思わないでもないが、ちょっとうるさいな、えーと、一旦無視します。

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