TANAKA NOZOMI

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のめわせ

2022年1月7日 (金) 21:37

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友人のお誕生日祝いに何かおいしいものを食べようよと言ったら、気軽なフレンチがいいな、ということになった。ちょうど正月で実家にいたので「気軽なフレンチの店、どっかええとこ知らん?」と家族に聞いたところ、弟は「いや知らんわ、俺人生で“気軽なフレンチ”言うたことないわ」と言った。なんて非ロマンチックな弟なん…クリスマスのデートとかで行けや…と思ったけど、まぁ弟はそういうタイプじゃないか…というか世にロマンチックな男は私が思うより少ないんだと思う。弟に限った話ではない気がする。

「気軽なフレンチ」の「気軽な」について、定義は友人とすり合わせしていないので分からないが、たぶん金額的なことと、アラカルトのメニューがあること、それから店の雰囲気、を指すと思う。結果として選んだ店の金額はまぁまぁのものになったし、コースしかなかった。店の雰囲気はまだ行ってないので分からないが、写真で見る限りはわりと気軽そうに見える。少なくともドレスコードはないようだ。

予約のために電話すると、受付してくれた男性は物腰が柔らかく、フレンドリーだが踏み込みすぎない話し方をした。始めに名前を聞くのもスマートだなと思った。真似しようと思う。

お金は最初から私が全額払うつもりでいたので別に問題ないし、おいしいものや、それを作る人の技術や、気持ちよく過ごす時間に対してお金を使うのが好きだから全然構わないけど、人によっては引く値段かもしれない。私もまぁまぁ高ぇな~とは思っているがギリ引いてはいない。期待はしているが、正直レストランの類は実際に自分で行ってみないと分からないので、今のところなんとも言えん。
が、友人は引くかもしれない、というか逆に気を使うんじゃないかという気がする。そうなってくると私も気を使うし、自分が気を使ったことに対して私が気を使うことで友人はまたさらに気を使いそうだ。まずい。負の気づかいループに入ってしまう。ハッピーな未来が見えない。伝票を見せないようにしなければならない。

お金のことは価値観としか言いようがないのだな、と年々強く思う。例えば私は、10年前と比べると「特に目的はないけど一応しておくタイプの貯金」が出来るようになった。金銭的余裕の有無によるところもまぁあるけど、そもそも私は「理由もないのに貯金なんかしてどうするねん」と思っているのだ。今も基本的にはそう思っている。
が、歳を取るにつれて、良いことでも悪いことでも、単にお金があれば解決・回避できること、というのは一定数存在する、ということが分かるようになった。この先何があるかわからないけど、わからないから一応貯金するのだ。何もなきゃないで、それでいいし。
でも同じだけ、お金があったって何も解決できない、というシーンも間違いなく存在する。何億積んだって時間は買えないし、2分で売り切れたパジャマを翌日メルカリで見つけても、買う気にはならない。お金だけが問題じゃないんだな、というシーンは存在する。
つまりお金は多ければ多いほどそれで良い、全解決する、というものではないし、額面はどうあれ「どのように扱うか」ということのほうが本質なんじゃないだろうか。何にお金を払い、そのお金がどこからどのような形で私のところへ来たのかを自覚し、払ったお金がどこの誰に渡り、その先でどう使われるのかを見ている、見た上で稼いだり使ったり貯めたり増やしたりする、というのが大事なんじゃないかと思う。まぁ、今のところはそう思うだけで、また変わってくるだろうな。価値観て思ったほど固まってないものなんだな、というのもここ10年ぐらいで気づいたことのひとつだと思う。価値観なんてグニャグニャでグラグラ。

今確実だと思っていることのひとつは、例えば「ジャズをかけると生活のすべてが超イイカンジになる」というものだが、これもいつかグラグラと崩れるんだろうか。あぁ今日も、何にも確証がない。

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