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リゴンドラ

2019年9月2日 (月) 22:01

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月に一回は必ずシルクスクリーンをやる、というのを今年の5月に決めて、一応途切れずに続いている。作りたいものがなくなるかな、と思っていたけど、今のところその様子はないし、毎回めちゃくちゃ楽しい。もっと上手くできる、たっぷり余地があるぞ、と思うし、行く日を決めて、それに向けて準備をしたり、原画を描いたり(そんなにまともに描いてないけどそれは今はいい)、行くまでもずっと楽しいんだよな。地味にお金はかかるけど自分が欲しいやつを作ってるから物欲も満たされるし、良いことばっかりだ。腰が痛くなるぐらいしかデメリットがない。あれ、意外とデメリット大きいな…いや、良いのよそんなことは。来月はコースターを作ります。そのあとは手ぬぐい。

週末はたけに会って、会うのが超ひさしぶりで、会ったら話したいなと思っていたことがたくさんあったはずやのに、なんかあんまり足らなくて、そのわりにたぶん5時間くらい話してて、まだ「足りる」とこまでぜんぜん来てないんだろうな、と思った。いつか足りる日が来るんだろうか。でも「もう話すことないね」ってなってからもきっと楽しいと思うんだよ、どうですかね。

たけが好きだと言った小説を読んだら、あぁめっちゃ分かる、どんな性格か説明されるより、どんな子どもだったか聞くより、あなたのことがずっと分かる、という気持ちになった。何がどう分かったのかはうまく説明ができない、ってことはそれは分かったって言わないのかな。じゃあ「分かっては無いけど、これが好きなんだな~と思ってにこにこした」でいいや。
でも私もこれは読んでみたら結果として好きだったけど、あなたに出会わなかったらこの本を手に取らなかったな、とも思った。
こういう「分かる」と、どんなに言葉を尽くしても横たわる「分からない」とを行ったり来たりしながら、それでも一緒にいたいんだけど、どうですかね。

「ブログ読んでますよ」と言われて、嬉しいけどなんか妙に恥ずかしくて、正解の顔がわからなくなった。でも「よくあんな長いやつ読めるね」と答えたのは、どう考えても無礼やったな、バカなんじゃないの、素直に「ありがとう」が言えんのかよ。つーか後から振り返るとこれは”照れ隠し”みたいなものと自覚してるけど、ダサすぎるな…何なん…
人と話すと、こうやって自分のバカなところを自分でわざわざ掘り起こしてるみたいな時がある。やめたい。しかも帰り道でそういうのをいくつも思い返して、なんでもっとやさしいすなおな生き物になれないのか、とグッタリする。やめたい。

今書いてるこれも読まれるのかな、と思うと嬉しいけどいろいろ恥ずかしいしあと引かれたらやだな、もう正解の顔がわからない。でも読んでくれてありがとうね、正解の顔が分からないだけで、嬉しいのは嬉しいんです。根本的にはただ照れてるだけなので気にしないでください。

帰り、駅に着いたとき、「海を見てから帰ろうかな」と急に思い立ち、なんだかすごく名案な気がして、8月31日っぽいし、と思ったのだけど、当然街灯とか消えてて、曇ってるから月明かりもないしお店も閉まってて、で真っ暗で、どこからが海なのかすらさっぱり分からず、ただ潮風を浴びて少しぼーっとし、「あ、入水自殺と思われて通報されるかも」と思い、わりとすぐに帰った。靴がKEENだったので砂が盛大に侵入し、それを片足ずつ出しながら、私は何を以って海を海と認識してるのかな、と思った。だって暗いけど見えてて、海はそこにあるし、音も匂いもするのにさ。光が要るやつなのか。

駅からタクシーに乗ったらまさかの100円足らなくて、運転手さんに「家すぐなんで、お金取ってきます、すぐなんですごめんなさい、帰ればあります」って言ったら「いいよいいよ、100円まけとくよ」っていう出来事があって(タクシーってまけられるの?まじですいませんでした)、それで、ついさっき、難波でたけの財布に焼き鳥屋さんのお釣りの100円を入れたのを思い出して、すごいな、と思った。あの100円はこの100円だったのか、みたいな。なんか、なにこれ、童話みたいじゃない?と思ったけど、違うか。わからん。この話から得られる教訓などは一切無い。

つーかめっちゃ良い焼き鳥屋さんだったなぁ。焼き鳥って素材が良いのはもちろんやけど実はめちゃくちゃ技術が要るし、ポリシーっつーかプライドっつーか、作る側が何をどう食べさせたいのかがちゃんと目に見えて、それを楽しむ食べ物やのに、あんま考えないでわりとラフに食べてしまうけど、ラフになんか食べられない焼き鳥屋さんだった。美味かったし上手かったの。せせりとずりが特に上手かったな、「仕事がきれい!」と思った。良い焼き鳥屋さんだったなぁ。お皿もイケてた。全部塩だったのでたれのやつも食べたかったな、たれも塩も食べて、ようやくその焼き鳥屋さんがやりたいことの全貌が見えると思うんですけど、どうですか。
あ、また飯にうるせぇ話してるな、やべ。だめだめ、危険、食いしん坊危険。

起きたらつぐちゃんから刺繍のブックカバーが届いていて、それがもうめちゃくちゃにかわいくて大騒ぎした。手触りもふっかふかでめっちゃ良いんだよ。図案が大きいから畳みたいなステッチで埋めてあって、すごいかわいい。
つぐちゃんが作るもの、出会ってからずっと、本当に大好き。いつも全部お任せで、届くまで写真とか送らないようにしてくれてるのも私はうれしい。本人はロジカルなところとか事務的なところがうまく出来ないのが気になってるみたいやけど、私からしたらそんなのを補って余りあるほどあなたの作るものは魅力があるよ、と思う。整理整頓みたいなのは、後で出来るし、誰かに頼んだっていいやん、そんなのを補って余りあるほどあなたの作るものは魅力があるよ。何回でも言う。

私は手刺繍が好きで、東欧とかメキシコとか、アジアの民族の刺繍も好き、ラバリ族とか、が好きで、買いたいねんけど、欲しいやつは大体アンティークというかヴィンテージというか、であまり状態が良くなかったり、そもそも手が出せるお値段じゃなかったりすることが多い。あと「なにに使うの?」というサイズ感のものも多い。かわいいし欲しいし買える値段やけど用途が無い、みたいなこと。用途がなくても気にせずに買うときはあるけど、私はコレクションがしたいんじゃなくて生活する上で刺繍作品を使ったり飾ったりしたい。
だからつぐちゃんにオーダーすることによって好みの図案で、買える値段の、ちゃんと用途がある刺繍作品、を手に入れることができて、これはまじで最高の人生!って感じなんですけど伝わりますかね。
とりあえず4作はブックカバーを作ってもらうよう頼んであって、次は家の表札もお願いするつもり。刺繍の表札ぜったいかわいいと思うんだよ。いつかタペストリーもお願いしたいな、寝室に掛けたいの。

家のほうはプランがどんどん具体的になってきていて「いつか飽きそうなのを選ばないようにしよう」みたいな気持ちになることが増えてきたけど、ずっと考えてるうちに、生きてるかどうかすらわからない未来の自分に配慮するより(生きてはいてほしいけど)、今かわいいと思うものとか、今ルン♪とするやつを大事にしてるほうがいいんじゃないか、と思えてきた。何歳まで住むことになるのか、それが残りの人生ぜんぶなのか、まじで見当もつかないけど、今の私を大切にしてあげられるのは第一に今の私ではないのか。

あと友人に聞いてみるほうがブレがなくて不思議な気持ちになる。みんなが「これがのんっぽい」って言うやつ、一緒やねん。すごいなぁ。

かかる金額が大きくて怖いのはまだずっと続いてる(胃もずっと痛い)けど、プランナーさんも設計士さんも、いつも会うのが楽しいし、この人たちに払うのなら良いな、と思う。このまま行く。行くぜ!

最近はそういう感じです。とても元気にしています。

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