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nothing is real

2025年2月12日 (水) 20:59

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飛び地的な祝日を有意義に過ごせると得をした気持ちになる。寒波でやばいので家にいようと思っていたけど、目覚ましもかけていないのに7時半に目が覚めた。こういうとき「年取ったなぁ~」と思う。夜ふかしもできないし、10時間睡眠とかもできなくなった。生活がどんどん朝型になる。朝5時に散歩する爺さんの気持ち、めっちゃ分かる。多分私もそうなる。

布団の中で映画館のスケジュールを確認し、今日は「リアルペイン」を観に行くことにした。

昨日届いたSTAND OILのかばんを持って出かける。STAND OILはずっとかわいいと思っていた韓国のブランドだ。9月に渡韓したときお店の前までは行ったけど、結構並んでたから入るのを諦めたのだった。また行けばいいや、と思っていたけど、先週うっかりネットで買ってしまった。悩んだけどBUTTER BAGっていう、四角いのにした。黒か茶色が使いやすいかな~と思ったけど、BUTTERなので黄色にした。ほんとにバターみたいな、こっくりした黄色。かわいいかわいい。

「リアルペイン」はとんでもなく好みの映画だった。ジェシー・アイゼンバーグが脚本を書き、監督し、出演している。前作が好みだったので、たぶんこれも好きだろうな~と思って観たけど、予想を大きく越えてよかった。
派手か地味かで言えば、圧倒的に地味な作品ではある。ジェシー・アイゼンバーグがどういう人なのか詳しく知らないけど、過去の出演作を見るに、派手な映画は撮らないタイプじゃないかと思う。前作も地味ではあった。ただ、本当に思慮深い人なんじゃないかと思ったりもする。
ストーリーの大筋は「従兄弟とふたりで祖母の故郷であるポーランドを旅行し、史跡をめぐるツアーに参加する」というもの。大事件は何も起きないのに、私は笑ったり泣いたり忙しかった。
祖母がどうにか生き延びたその先に自分たちがいること、従兄弟が自殺しようとしたこと。ガス室で殺されたユダヤ人、睡眠薬で死のうとした従兄弟。強制収容所を訪れること、そこへ行く道中で一等車に乗ること。みたいな、相反すること、あらゆる矛盾についての映画だったと思う。愛することと憎むことは残念ながら表裏ではないし、同じ強度で共存する。でもそのことを認めると整合性が取れなくなるあの感じ、いや、整合性など元から取れていないことに気づいてしまうあの感じが、映像になってそこに置いてあった。
なんにでも説明がついたり、オチがついたりすると思っていられた頃はよかったな。そんな頃なかったか。
シーンが空港で始まって、空港で終わるのも良かった。繰り返すものが好きなので……あと私は空港も好きだ。人が通り過ぎるところが好きだし、音がもこもこするのも好き。

こういう映画、宣伝が難しいだろうな。「リアルペイン~心の旅~」と副題が付いてるけど、これは余計だと思う。ごめん。でも「リアルペイン」と言われて「わぁおもしろそうな映画!絶対観に行きたい!」とはならないだろう。かといってこういう、観ればタイトルの意味が理解できる系の映画に邦題を付けるのは難問中の難問でそれこそ野暮だし、せめて副題でも付けようか……と思う気持ちもよく分かる。
「この旅の先に、僕らは未来を見つける」というキャッチコピーも苦しい。この映画のエンディングで「未来を見つけ」てたとは思えないし、そもそも「未来」て「見つける」ようなもんか?生きていれば良くも悪くも勝手に来るのが「未来」であって、作中でデヴィッドとベンジーが苦しいのは「未来を見つけ」られないからではなくて、どうにもならないものを抱えて生きているからじゃないのか。とはいえ何かキャッチコピーを付けてこの映画を説明しようと試みる気持ちは理解できるし、私が他に良いのを提案できる気もしないが……
ものを作るのって大変だけど、それを宣伝したり、紹介したりするのだって同じくらい大変よな。

映画のあとはユザワヤへ。春に手しごと市に出ることにしたので、ブースに使う布を買いに行く。事前に要る布のサイズを計算していなかったので、結局買わずに退散。お店はのすみっこで電卓をたたき「7m要るな……?」と考えていたけど、家に帰って落ち着いて計算したら4m50cmで十分足りる。アホの計算。

帰りに元町の好きな韓国料理屋で、お惣菜を買って帰った。いつもキンパを買うけど、今日はいろんなお惣菜がちょこちょこセットになっているのと、チャプチェにした。どれもおいしい。このお店がずっとここにあってほしい。

夜、友人が送ってくれた苺が届いた。今年の年賀状に「苺を作り始めた、良いのができてるからよかったら送るよ」と書いてくれていたのだ。すごくうれしかった。ただの社交辞令だと思えばそうかもしれないと思ったけど、でもこういう優しさとか、ほっといたら絶えるような交流とかを、ちゃんと握りしめて生きたい。ま、そんな大げさな話じゃないけども。ただの食いしん坊です。私は今年最初に刷った苺のハンカチを添えて「苺うれしい、大好物!待ってるね」と手紙を返した。
私はその友人が送ってくれる年賀状が毎年すごく好きだ。絵も字もかわいいし、絶対に私には作れないものが詰まっている。私が練習したり、真似したりしても、永遠に手に入れられないものだけで出来ているのだ。いいな、こんなのが描けて、いいな。
届いた苺は、白い緩衝材の上にきれいに並べられ、つやつやと光っている。こんなにたくさん!!?と焦るぐらいの量だったけど、このために空けておいたみたいに冷蔵庫の野菜室はすっからかんだった。
さっそく食べてみると、すごくおいしい。甘いけどすっきりしている。さっぱりした甘さ。大きめの口で食べても3口分はあるぐらい一粒が大きい。あの子こんなん作れるんや、すごい、これって作れるもんなんや……と、しばしボーっとした。食べものって、おいしいときすごいボーっとなる。しかも、こういう何の調理も加工もしていない、素材そのままのおいしいものってすごみがある。神々しいな……と思いながら、キッチンで立ったまま3個も食べた。食べ過ぎ。
お礼に何を送ろうかな、私も何かおいしいもの送りたい。何かリクエストがあるか聞いたら「姪っ子たちが喜ぶものがいい」とのこと。かわいい。

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