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ここからは二人きり

2020年4月15日 (水) 22:35

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散歩していて、好みの物件を見つけると、googleで検索する癖が直らない。
賃貸なのか分譲なのか、築年数は、間取りは、などを調べ、中見たいな~どんなかな~作り付けの棚かわいいな~などと思い、次いで、予想よりだいぶ事態を軽く受け止めてんな!引っ越して半年も経ってないぞ!と思う。私が、ふたり居る。
まぁ家のことは単に趣味であるからして、今に始まった話でもないし、この癖を直す必要はないわけで、もちろんものすっごく好みの家が見つかってしまったら、住み替えたっていいのだ。今の家を売るか貸すかして。そんなことが可能かどうかは全然知らんけど。なるべく「こうしなきゃダメ」みたいなのから離れたい。少なくとも軸足をそこに置かないようにしたい。

東京で暮らす姉に電話をし、様子を聞く。駅から家までの帰り道(あの長いアーケード)を歩いている最中らしい姉は、雨風が強いので今はお前としゃべっている場合じゃない、集中して帰ります、ということで早々に切られる。
職業柄、私より遥かに守るべき対象が多い姉は、私より遥かにやさしい人間なので、この事態に思うこと・感じることが多すぎるだろう、負担がかかっているだろうと思ったけど、まぁそんなに、心配するほどでもなかったのかな。それならそれで、良いけどね。
私生活がアレすぎて忘れてるけど、姉はもともと頭の良い人なんだよ、仕事もできるし、気が利くし、私生活がアレすぎて忘れてるだけで。これは悪口ではない。私は姉を深く尊敬しているし、深く愛してもいる。また、言うまでもなく、姉はそのことを自覚している。はず。

ここ2週間くらい、家でお酒を飲む日が増えてきて、それはそれで楽しい。オンライン飲みをやりましょうよ、と誘ってみたら、わりとすんなりできたし、なかなか楽しいもので、よかった。逃す終電もなく、各々が用意したものを好き勝手に飲み食いし、ワリカンするお金も要らない。まぁ外で飲むのも楽しいっつーか私は食べるのが好きなので、全然比較するようなもんじゃないけどな。自分で作ったごはんはおいしいけど(世界一うまいな!とか言ってる日もあるし)、でも自分で作ったものは自分で作ったものでしかない、それ以上でもそれ以下でもない、という感じがする。
話してるときの映像は無くても別に良いけど、できればあったほうが良いと思う、「それ何?何飲んでるの?」とか言えるのが楽しかった。

あとはツイートからその人の年齢を推し量ることはほぼ不可能だな、と思ったし、人と話しているときは自分ひとりで考え事をしているときとは違う部位を使っているんだな、と思った。人に何かを伝えようとすると、いろんな角度から言葉を尽くすようになって、しかも自然とそれができる。「語彙力…」とか言って終わりにしてんじゃないよ、手ぇ抜くな。

それから、ほぼ初対面みたいな人と話すと自分が「確かに!」を頻発するのもおもしろかった、やっぱ入口を共感にすることが多い、友だちになろうとしてるからだ、と思って、興味深かった。自分がしゃべってるときも「確かに!」って言わせようとしてるもんな、わりと無自覚的にさ、ははは。友だちになりたいんだな。

つーか「オンライン飲み」って、名前が付いただけで、これ10年ちょい前ぐらいにSkypeでやってたやつとおんなじじゃない?もしくはずっと名前があったのに、私が知らなかっただけか。
これに限らず「名前がついている」という事実、結構すごいことだと思う。あの現象にも、この感情にも未だ名前がないのによ、あっという間に誰かが付けて(たぶん同じようなタイミングで複数が付けただろう)、意味と紐づいた状態で広まってるってことでしょう?名前がついてるってすごいなぁ。

あ、べつに良い名前だな、とは思っていません。
あ、これ言わなくていいか。

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