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ながれ星をつかめたらどーしよ?(どーする?)

2019年6月24日 (月) 01:45

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とても悲しい訃報があって、家にいる人(両親です)にそれを話したら、全然通じなくて、そもそも私はその人の友人ではないし、かろうじて知人ではあるのかもしれないけど私が一方的に知って、慕っているだけのことであって、そりゃあまぁ通じないか、そもそも私が説明できないんだもん、しゃあねぇわな、と思った。
結局わかってくれる人は全員インターネットの中にいて、でももしインターネットの中だけに私を含め、この人たち全員が存在するのだったら、みんなこんな思いをしないでいられたのに、もちろんそんなわけはないし、などと考え、私は誰にも何にも言えなくなり、twitterの投稿画面を開いたり閉じたりしながらただめそめそ泣いて、何年振りかわからないけどりゅうくんが居たのでフォローして、りゅうくんが元気だと言うのでなんか嬉しくなって泣いて、感情がぐちゃぐちゃで、そんで寝た。結局寝るんだよ、毎日、馬鹿じゃねぇのと思うけど。なんで毎日眠くなるんだろうね、こんな悲しい日にまで。

でも私の悲しみは私だけのものであって、誰かのと比べたり、誰かに遠慮したりしなくていいんだってことを、もう知っている。感情は、人のと比べて大きいとか小さいとか、浅いとか深いとか、そんな風にしなくていいやつなんだよ、この気持ちを誰かにわかってもらうことも必然ではない、私はもうとっくにそれを知っているから、事情も経緯も知らないけれど、構わず風呂場でぼろぼろ泣く。

目が覚めたら、私なんでまだのうのうと生きてんのかな、と思い、すぐに打ち消そうとしたけどだめだった、私なんでまだのうのうと生きてんのかな、アホみたいな顔して。
でも他にどうしろってんだよ、のうのうと生きる以外、私に何ができる。

翌日の朝、家を出てiTunesを開き、その人の名前を検索したら、9年前のミックスがあったので再生した。私がよく知らないってだけの理由で避けてきたような食わず嫌いの音楽を、おいしく食べられるよって教えてくれたのは間違いなくこの人だったな、会社で見る夜中のUSTに、何度も救われたな、と思って、この人がもう居ないという事実が悲しいし、嫌でたまらないのに、それとは全く関係なく「古い手紙」がかっこいいし、おジャ魔女どれみのイントロがイケてるしで、楽しくなってきて、楽しくなってきてることにムカついて、もうどんな顔で生きたらいいのかさっぱり分からん。感情と表情が一致しないし、感情っていっこにならないんだよ、なんだこれ、不便だな。

どんな顔でも、生きてる人は生きなきゃだめだな、あの人の分も、とかって話じゃない、私は私の分を出来るかぎり、真っ当に、アホ面でのうのうと生きる。

山田ワープさん、ありがとうございました。ずっと、いちばん好きなDJです。

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