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窓を開けますよ

2025年12月16日 (火) 20:11

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ほんとうに意味が分からないけど、あと2週間もすると今年が終わる。とても充実した楽しい1年だったけど、すごく早かったな。でも今年すごい楽しかった。ってか年々楽しいな。年々楽しいよ。
ラジオで「2月に何をしてたか」というおたよりテーマが発表されており、私はおたよりを送るわけでもないくせに「本当に何も覚えていない」と不安になった。ブログを確認すると、2月の私は阪急にチョコレートを買いに行き(これはわりと毎年そう)、タイプロを見て(2月だったのか)、mixi2を始め(2月だったのか)、友人が送ってくれた苺を食べていた(すごくおいしかった)。

母に会い、年末の予定を少し話した。基本的には飯の相談だ。お餅の心配や、おせちの心配や、母は心配ごとが多いようだ。偉いなと思う反面、人の飯の心配をするのが母の人生になっていたら結構嫌だな、とも思う。余計なお世話かもしれないけど……
私は老若男女問わず全人類が「自分の飯の心配は自分でしなさいよ」と思っている。さまざま事情があって出来ない場合は何らかの対価を払い、人に頼んだり任せたりすることもあって良いと思うが、基本的には自分の飯の心配は自分ですべきだと思う。便宜上「飯」と言っているが、「生活」と言い換えても良い。寝起きして自分と自分の生活空間と自分の着るものを清潔にし健康で文化的な生活を送るために必要なことを、全員自分でやるべきだと思う。全部自分でやって、最低限のレベルまで出来るようになってようやく、得手不得手の話や、分担の話をしたいと思える。ま、時代はだんだんそっちへ動いているんだろうとは思うけども……いや、希望的観測かも……

土曜日は年に一度あるかないかのペースで開催されるmofgmona no zakka 移動店へ。沖縄にある雑貨屋さんのポップアップみたいな感じで、行き始めてからかれこれ10年くらいになる。お店にはまだ行ったことが無い、というか私は沖縄に行ったことがないのだけど、沖縄の作家ものの食器をたくさん見て買える貴重な機会なので、毎年楽しみにしている。
気に入った皿があったのでほぼ即決したけど、20cmくらいの平皿で9000円越えだったので、ちょっと喉が「グッ」と鳴った。高い。「9000円の平皿は高い」という感覚は普通にあるのだ。高いよ。が、買わない理由になるほどの値段ではないな、という感じ。気に入った皿は買ったほうが良い。そんなにたくさんは無いし、いつでも買えるものじゃないからだ。
あと気に入ってる皿って絶対使うもん。色味はベーシックなので使いやすそう。
母は毎年やちむんらしいデザインで使いやすいサイズの小鉢や深皿をコツコツと買い増やしている。手持ちの皿と合わせられるかどうかで、買う皿が決まるので、母のチョイスはいつも茶色っぽく、私のチョイスはいつも白っぽい。
私は長らく北欧食器が好きだったので(今も好き)高い金を払うなら絵皿が欲しい、という感じで生きてきたけど、最近は質感というかテクスチャに特に興味があるので、選ぶものに影響しているなと感じる。

夜は両親を連れてお寿司屋へ、母の誕生日祝いと「みんな1年頑張りました」の会を開く。お寿司屋のカウンター席は最高。ミュージカルとかプロレスとかと同じくらい面白い。ここの大将は平目に切り昆布を和えたり、鮪を漬けたりするための、いわゆる調理道具にもかっこいい器を使っていて素敵だなと思う。あんまり手元が見えるお寿司屋にたくさん行ってないので分からないのだけど、これってお寿司屋的には普通のことなんだろうか。例えばイタリアンとかフレンチの人も、洋食屋も、ソースを保存したり衣を付けたりするのには、ステンレスのボウルとか、バットとか、シール蓋の琺瑯容器とかを使ってるでしょう。イッタラでパン生地を捏ねたり、ウェッジウッドでマリネしたりはしていないはずだ。お寿司屋とか和食の人が有田焼で鮪を漬けるのって普通なの???お客さんから手元が見えるから、気を配ってるってことなの?寿司ネタを保存してある薄い木箱もかっこよかった。

日曜は調べものがあって図書館へ。図書館に行く理由のメインは司書さんとお話しすることだと思う。司書さん以外から一度も聞いたことが無い「〇〇〇という本がありますが、見てみられますか?」という言葉も好き。見てみられますか。なんか品があって好き。例えば服屋さんとかだったら「他の色もありますが、ご覧になりますか?」とか「サイズお出しいたしましょうか?」とかは聞くことがあると思うのだけど「見てみられますか?」は図書館司書さんからしか聞いたことがない気がする。

荒井良二さんの特別展が終わってしまうので、無理やり予定に組み込んで美術館へ。物量にぶん殴られて圧倒され、クラクラした。この出し惜しみしない感じ、いや展示としてではなくて作風として、作風として出し惜しみしていない感じ、本当に素晴らしいなと思う。なんだろうこの、もったぶらなさは。この人は自分の作るものを「良い」とは思っているけれど、もしかしたら「高尚」だとか「希少」だとか、さらに「独自のもの」だとは思っていないんじゃないだろうか。なんでか「みんなでやったんですよ」感がある。閉じていない。軽やか。良いなぁ荒井良二は、何が描いてあるとか、何色だとか、全部どうでもよくなるぐらい良いぞ。
グッズがイマイチ過ぎてガックリしてから帰宅。美術展のグッズ、なんでこんなイマイチなんだろう。こっちは金を使う気満々で行っているのに、買うものがないって何?理由はなんとなく読めるのだが、別に改善策があるわけでもないのでただただ悲しい。もはや高解像度のデータを売ってくれたら自分でグッズを作るから、というレベル。売ってくれるわけないけど……

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