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look how they shine for
2023年11月16日 (木) 20:27
東京ドームでColdplayを観てきた。ライブを観るのは私の記憶が正しければ2011年のフジロック以来2度目だ。フロントマンのクリス・マーティンは「2025年にリリースする作品が最後になる予定」とインタビューで答えており、もしかしたら日本で公演をするのは最後かもしれない、と思ったし、友人が「のんが行くなら一緒に行く」と言ってくれたこともあって、チケットを買った。
でも、もう一回記事をちゃんと読んだら「そのあとはツアーだけをやる」みたいなことも言っているようなので、まぁ2025年以降も公演を観る機会はあるのかもしれん。それならそれでいいね。
ライブ前、友人と「自分の創作物(例えば小説や漫画や音楽)が店舗に並ぶのって、怖くないのかな」というような話をしていた。自分の作ったものを自分で売るところまではまだ感覚が掴めるし経験があるけど、例えば自分が書いた小説が印刷され、製本され、全国各地の書店に並び、誰かの手に渡っていくところを想像すると、確かに怖い。喜びももちろん想像できるけど、どちらかと言うと「途方もない」みたいな恐怖を感じる。
私は「だんだん“自分が作った”という感覚が薄れるというか、手元を離れていくんじゃない?」と答え、友人も概ね同意してくれた。
でもColdplayのステージを観ていると「必ずしも、そうじゃないかもしれない」と思ってしまった。古い曲も、新しい曲も、誰かとコラボした曲も、自分たちの手から放さずちゃんと握りしめているような、そういうライブだった。そういう曲だけを演奏する、と決めているのかもしれないし、どんなに年月が経って、作った日のことを忘れて、聴く人の解釈に委ねるようになっても、ずっと手を放すことなく握りしめておく方法を、知っているのかもしれない。
だって、客席からステージに上げたお客さんを隣に座らせ、キーボードを弾きながら『Fly On』を歌うクリス・マーティンを観ていたら「“今はもう手元に置いていない曲”なんだとしたら、そんなふうに歌えるものだろうか」と思ったのだ。
ライブ中盤には「世界に愛を送ろう」と言い、みんなでお祈りをする時間があった。祈ることに即効性が無いことなどとうに知っているけれど、祈ることからしかどんな物事も始まらないだろうが、とも思うので、5万人に向かって「戦争や虐殺や争いが終わるよう、みんなでお祈りをしよう」と大真面目に発信してくれる人が居るということと、それに同意し応える人が5万人居る、ということが素直に嬉しかった。こういう種類の希望を感じられることが、日常にはあまりにも少ないと思う。
入場時に配られたザイロバンドを腕につけて、演出の一部になれたことも嬉しかった。私は何かの一部にされることに対するネガティブな違和感を幼少期から捨てられずにいるし、だから学校も嫌いだったけど(ある程度ひとまとめにしないと対峙できない、というのは今では分かる、私だってそうしている)、Coldplayのこれに関しては嬉しかった。理由も理屈もわからないので自分でも不思議だ。東京ドームが黄色い照明だけで満たされる中で演奏された『Yellow』は美しかったし、同時に私の左腕も黄色く光っていて、遠い席の人たちからは演出の一部としてそれが見えていると思うと、私も何かの役に立っているんじゃないかと思えて嬉しい。
ザイロバンドは返却する仕組みになっているので、リサイクルされ、またどこかの国のどこかの公演で誰かの身体の一部になるのだろうと思うとそれも感慨深かった。
購入する仕組みになっていないのも良いなと思った。嵐のツアーごとにデザインが変わるペンライトは思い出になるから良いなと思うし、KPOPアイドルのペンライトはグループそれぞれオリジナルの形があってそれも楽しいし(ジンくんは自分たちのペンライトが早く欲しくて急かしたほど、と言っていた)、それぞれに良さを感じるけど、どちらも「チケット代を払ったのに、さらにペンライトも買う」点は変わらない。(他にも様々理由はあるだろうけど)金銭的に購入が難しい人が少なからずいることを想像するとつらい。演出に影響することを考えると出来れば買いたいと思うだろうし、周りの席の人がみんな持ってたら申し訳ない気持ちになったりするかもしれない。配布して回収するのは環境への配慮もあるだろうけど、それ以外にもポジティブな面があるなぁと思った。
結びとして書きたいことは特にない。私ひとりだったら行かなかったかもしれないので友人に感謝を込めて。いつもありがとうね。
Flying Theme
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』を観た。ジンくんが出ているからだ。ジンくんは入隊前、ソロシングルとして『The Astronaut』をリリースし、その曲を作ったクリス・マーティン率いるColdplayのアルゼンチンでのライブに出演した。入隊前最後のステージだった。
ステージの映像は後日Youtubeで公開されたが、私は「なぜこれを見るためにアルゼンチンに行かなかったのか」と後悔した。私が人生で後悔していることなんてほとんどない。結構いろんなことをあっさり忘れてしまうし「まぁ何らかの理由があってこうなってるんだろうな」とか「あのころは思いつかなかったから仕方ないな」みたいな捉え方をしているので「後悔」と名前をつけていることなんて、ほとんどないのだ。だから「なぜこのステージを見に、アルゼンチンへ行かなかったのか、行けなかったんじゃなくて、行こうとしなかった」と、未だに後悔しているのは自分でもめずらしいことだと思う。
行けばよかった。その気になれば行けたはずだったのに。丸1日飛行機に乗って、ジンくんが歌う5分のために、ブエノスアイレスへ行けばよかったのだ。入隊直後は私の情緒がかなりアレ(かなりアレて)だったので「あの5分が最後だったかもしれないのに、ジンくんがステージに立つのは、あれが最後だったかもしれないのに」と考えてしまってつらかった。
もし次の機会があれば、世界のどこでも行こう、というか行こうと努力はしてみよう、と心に決めて、せめて映画は観ることにした。
Coldplayは言わずと知れたイギリスのロックバンドだ。今調べたら、グラミー賞を7回も受賞している。モンスターバンドですね。
私は16歳か17歳あたりで『A RUSH OF BLOOD TO THE HEAD』をTSUTAYAさんで借りたのが最初だったように思う。砂の人が崩れるようなジャケのやつ。初めて買ったアルバムは『VIVA LA VIDA OR DEATH AND ALL HIS FRIENDS』、そこから『GHOST STORIES』くらいまでは比較的熱心に追っていたものの、音楽性が変わり(というかColdplayってアルバムごとに結構ごっそり変えるね)、音数が増え(私は基本的に音数が少ないスカスカの音楽が好き、これはただの好み)、大局的なことを歌詞にするところに、だんだんついていけなくなってしまった。
というかまぁこれはColdplayだけじゃないけど、世界的に売れたバンドって、大体なんか環境問題とか、世界平和とか、宇宙の真理がどうとか、そういう「なんかでかいこと」を歌うようになっていく。まぁ冷静に考えたら当たり前だ。友だちと組んだバンドで、イギリス国内だけで活動していたような頃とは違うんだから、目に見えるものが変わってくるんだから、いつまでも四畳半の部屋に暮らしてるような曲ばっかりを書き続けるわけがない。頭では分かるけど、でもこっちはまだCDを買うのすら金銭的ハードルがあったティーンエイジャーの気持ちを今もリアルな手触りで覚えているし、精神的には四畳半の部屋に住んでるままなんだから、置いていかれる子どものような気持ちだ。まぁ、この気持ちをクリス・マーティンに分かってほしいとかは全然思わないけど。だからこそ、ただ勝手に距離を取り、疎遠になってしまう。
そんなだったから、BTSとColdplayのコラボ曲『My Universe』は私にとってColdplayとの再会の曲でもあった。BTSのメンバーはColdplayのファンだと公言しているし、カバーした『Fix You』は本家を超えるほどの名作だったから、コラボを意外だとは思わなかったけど、クリス・マーティンは始め「音楽性が違いすぎる、うまくいくわけない」と否定的だったらしい。
でも「Coldplay聴く奴はゲイ」などと差別的に揶揄されてきた彼らと、「女みたいに化粧して踊るアジア人」などと偏見を向けられてきたバンタンは、通じ合う部分があるだろうと思う。確かに音楽性は違うかもしれんけど、でも同志みたいに。
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでの公演をディレクターズカット版にしたものだそうだ。当日(去年の10月28日)は世界中の映画館でライブビューイングが行われたらしい。
序盤、クリス・マーティンがそのライブビューイングを実施している国の名前を読み上げるシーンがあった。たぶん50か国分くらいを、アルファベット順に。何かメモを見て、それを読んでるんだろうと思ったら違って、暗記してて、すごくかっこいいシーンだった。覚えたのか!というかっこよさもまぁあるけど、それより読み方というか、ピアノをちょっと弾きながら、ラップみたいに、ポエトリーリーディングみたいに読むので、それがすごくかっこよかった。
クリス・マーティンは全編を通して体力オバケだった。スタミナと、あと場の掌握力が尋常じゃない。体を鍛えてる、とかはもちろん普通にあるとして、たぶん「言いたいことがめっちゃある」という状態なんだろうな、ということがビッシバシに伝わってきた。言いたいことがある・伝えたいことがある奴は、ステージ上で一番強いと思う。何万人もの人に真正面から伝えたいことがあり、それを理解してもらうために音楽をお供えしているようなライブをしていた。カメラに写っている限りでは、観客はそれを受け入れているように見えた。つーかめちゃくちゃ盛り上がってて、みんなよく歌ってたし、楽しそうなのも良かった。
終盤では、それこそ四畳半くらいのサイズのステージでアコースティックな雰囲気で演奏をするシーンもあり、私は「置いていかれる子どものような気持ち」とか言って長いことゴネていたことを恥じ、反省した。何をつまんないことを言ってんだろう、ごめんね、私が間違ってたよ。長いこと、ごめんなさいね。
ギターのジョニー・バックランドはすごく繊細できれいな音を出す人なので、正直こういうステージのほうが映えるようにも感じた。
クリス・マーティンはメンバーひとりずつに感謝を伝え、愛おしそうな目で見て、メンバーはみな誇らしそうな、でも照れくさそうな顔をしてそれに応えていた。私はバンドのこういう、チーム感みたいなものにめちゃくちゃ弱い。人間が人間同士でやることに「永遠」なんかないと知っているからだ。ベショベショに泣いた。
あとColdplayはライブの時、ドラマーのウィル・チャンピオンさんがメインでコーラスをするスピッツタイプのバンドなんですが、このウィル・チャンピオンさんが、すごく良くて、声質も良いし、アガりました。コーラスが上手いドラマーってなんでテンションあがっちゃうんやろ。私だけ?みんなもそう?
クリス・マーティンが「歓迎してほしい、わざわざ韓国から来てくれたんだ」と紹介し、ステージに上がったジンくんはあまりにも「宝物」だったので、ちょっと眩暈がした。キラキラしている。ティンカーベルが撒いた妖精の粉みたいなのが見える。内側から発光している。推しの贔屓目でそう見えるだけなんだろうか、いやまぁそれはそうだろうけど、でもあまりにも宝物だったので……「あまりにも宝物」って大丈夫?何言うてるか分かる?
ジンくんは緊張はしているようだったし、ソワソワしている感じはあったけど、でも浮ついている感じは見受けられなくて、ただいつも通り、ちゃんと仕事をしていたのが良かった。私はジンくんがいつでも自分が出来ること・これまでやってきたこと・たくさん練習したことを地に足つけてちゃんと披露するところがとても好きなのだ。奇跡を待ったり、過信したりしない、丁寧に仕事をするところが好きだ。
曲そのものや状況自体が既に十分エモいので、パフォーマンスの部分をエモくしてしまうともう胸やけするんじゃないかな、というシーンだったが、ジンくんはさすがにバランス感覚が優れていて、圧巻だった。
あぁ本当に、行けばよかった、ブエノスアイレス。でも今日のところは、映像で観られたことがありがたい。
どれ
2022年11月8日 (火) 20:58
渋谷すばるさんのライブへ行ってきた。友人が関ジャニデビュー前からのファンで、その付き添いだ。
とは言え友人も関ジャニデビュー直後くらいまでの期間を熱心に追っていて、近年の活動については詳しくないらしい。当時は握手会に行ったりもしていたそうだ。「渋谷すばる、今ライブやってるみたいやねんけど、ひとりで行くの嫌やしさぁ〜」と言うので、じゃあ一緒に行こうよ、と言ってチケットを買った。私は基本的に誰のライブも観たい。
ひとりでライブ行くのが嫌でライブに行けない人、ぜひ私を誘ってください。私は基本的に誰のライブでも観たいし、自分のチケット代は自分で払います。
ライブに来ている渋谷すばるさんのファンは、若くても20代後半ぐらいから大体40代ぐらいまでの女性がメインの客層で、夫婦やカップルで来ている人も多い感じがした。男性も思ったよりは多かった。
私は予習として2~3枚ぐらいアルバムを聴いてからライブに行ったので、知っている曲もたくさんやってくれたし、キーボードと渋谷すばる/ギターと渋谷すばる/ベースと渋谷すばる/ドラムと渋谷すばるとギター、みたいな2人ずつで演奏するアレンジがされている楽曲もあったりして興味深かった。私が単に音数が少ないバンドが好みってこともあるけど、ドラムとギターボーカルでふたりの編成とかおもしろいよね。全然関係ないけど初期ストレイテナー(ホリエ中山期)のことを思い出して懐かしい気持ちにもなった。
何より私は「味園ユニバース」を観ていたし、当時「古い日記」を歌う彼を見てギョッとしたのを覚えている。こ、この人こんな、ノーガード戦法みたいな歌をうたう人なの?と思ったし感動した。歌をうたっている人だけが纏うヴェールみたいなものが見えた。
渋谷すばるさんは彼が好きな音楽・影響を受けた音楽を、本人に聞かずとも7~8個スラスラぐらい挙げられるぐらいには音楽性が明瞭だった。華美でなく硬派なデザインのステージセットや、本人の立ち姿から、十二分にそれが伝わった。なるほど、これがやりたかったのね。そうかそうか。それで今、2年目なのね。そうか、なるほどな。
……これは関ジャニにいたままで、出来なかったんだろうか。そんな単純な話じゃないだろうか……でも、私は関ジャニをそんなに熱心に追ってはいないけど、でもさ、関ジャムで見る限り、関ジャニは良いバンドだなぁと思うけど、うーーーーん。土俵を変えたかった、ということなんだろうか。うーーーん、分からんな。
今はグループで活動する人を応援しているファンの気持ちが少なからず分かるので、私もファンとしてのいろんな感情が理解できる気がする。ずっとメンバーみんな一緒にいてほしくて、変わらない関係性でいてほしくて、ずっと仲良しでいてほしいが、当たり前に全員別の人間だから、うまくいかないときがあって、だんだん気持ちが同じ方を向かなくなるときがあって、努力や譲歩がいつでもうまく機能するわけではなくて、その末に別離があることもあるのだ。それでも舞台に上がってくれるなら応援したいし、好きなことを好きなようにやって、それを見せてくれたら嬉しいし、でも本当はそんなこと全部どうだってよくて、あなたが幸せで健康でいてさえくれれば、あとはどうだっていいよ、と思うでしょう。わかる、わかるよ……!!!(大号泣)
帰り道、キムナムジュンが言った「アイドルというシステムは人間を成長させない」という言葉とその意味について考えた。私は彼の言う「アイドルというシステム」を経験していないので実態は当然分からないが、それでも10代から20代までの自分自身がどのように生きてきたかは自分で知っているので、なんとなくその差異は分かる気がする。例えば「学校というシステム」が人間を成長させるかどうかは甚だ疑問ではあるが、自分にかけられる時間の量で言えば「アイドルというシステム」より遥かに多いんじゃないかと思う。「行かない」という選択肢だって、あるにはあるもんな、学校は。アイドルにそういう選択肢はないだろう、だって仕事だから。
大小さまざまな選択肢の多さは、精神的な身軽さにも繋がると思う。成長とは何かを端的に言うのは難しいが、少なくとも身軽であることは必要なんじゃないか。挑戦したり、失敗したりして、それでもまだ挽回できる、やり直せる、と思える程度の精神的身軽さは、成長に必要だろうと思う。
つーかその渦中にいてなお「アイドルというシステムは人間を成長させない」と言語化できるの、並大抵のことじゃないなと思うけどね。それほどまでに聡明なナムジュンが「成長できない」と感じているんだとしたら、なるほどそれは由々しき事態ですね、とも思う。
ま、渋谷すばるさんのことに私みたいな門外漢が口を出せるようなことなど何もないのだが、でもどうか幸せでいてほしいな。あんなにも「ただ音楽が好きなだけの人」が、幸せに生きられる世であってほしい。
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