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look how they shine for
2023年11月16日 (木) 20:27
東京ドームでColdplayを観てきた。ライブを観るのは私の記憶が正しければ2011年のフジロック以来2度目だ。フロントマンのクリス・マーティンは「2025年にリリースする作品が最後になる予定」とインタビューで答えており、もしかしたら日本で公演をするのは最後かもしれない、と思ったし、友人が「のんが行くなら一緒に行く」と言ってくれたこともあって、チケットを買った。
でも、もう一回記事をちゃんと読んだら「そのあとはツアーだけをやる」みたいなことも言っているようなので、まぁ2025年以降も公演を観る機会はあるのかもしれん。それならそれでいいね。
ライブ前、友人と「自分の創作物(例えば小説や漫画や音楽)が店舗に並ぶのって、怖くないのかな」というような話をしていた。自分の作ったものを自分で売るところまではまだ感覚が掴めるし経験があるけど、例えば自分が書いた小説が印刷され、製本され、全国各地の書店に並び、誰かの手に渡っていくところを想像すると、確かに怖い。喜びももちろん想像できるけど、どちらかと言うと「途方もない」みたいな恐怖を感じる。
私は「だんだん“自分が作った”という感覚が薄れるというか、手元を離れていくんじゃない?」と答え、友人も概ね同意してくれた。
でもColdplayのステージを観ていると「必ずしも、そうじゃないかもしれない」と思ってしまった。古い曲も、新しい曲も、誰かとコラボした曲も、自分たちの手から放さずちゃんと握りしめているような、そういうライブだった。そういう曲だけを演奏する、と決めているのかもしれないし、どんなに年月が経って、作った日のことを忘れて、聴く人の解釈に委ねるようになっても、ずっと手を放すことなく握りしめておく方法を、知っているのかもしれない。
だって、客席からステージに上げたお客さんを隣に座らせ、キーボードを弾きながら『Fly On』を歌うクリス・マーティンを観ていたら「“今はもう手元に置いていない曲”なんだとしたら、そんなふうに歌えるものだろうか」と思ったのだ。
ライブ中盤には「世界に愛を送ろう」と言い、みんなでお祈りをする時間があった。祈ることに即効性が無いことなどとうに知っているけれど、祈ることからしかどんな物事も始まらないだろうが、とも思うので、5万人に向かって「戦争や虐殺や争いが終わるよう、みんなでお祈りをしよう」と大真面目に発信してくれる人が居るということと、それに同意し応える人が5万人居る、ということが素直に嬉しかった。こういう種類の希望を感じられることが、日常にはあまりにも少ないと思う。
入場時に配られたザイロバンドを腕につけて、演出の一部になれたことも嬉しかった。私は何かの一部にされることに対するネガティブな違和感を幼少期から捨てられずにいるし、だから学校も嫌いだったけど(ある程度ひとまとめにしないと対峙できない、というのは今では分かる、私だってそうしている)、Coldplayのこれに関しては嬉しかった。理由も理屈もわからないので自分でも不思議だ。東京ドームが黄色い照明だけで満たされる中で演奏された『Yellow』は美しかったし、同時に私の左腕も黄色く光っていて、遠い席の人たちからは演出の一部としてそれが見えていると思うと、私も何かの役に立っているんじゃないかと思えて嬉しい。
ザイロバンドは返却する仕組みになっているので、リサイクルされ、またどこかの国のどこかの公演で誰かの身体の一部になるのだろうと思うとそれも感慨深かった。
購入する仕組みになっていないのも良いなと思った。嵐のツアーごとにデザインが変わるペンライトは思い出になるから良いなと思うし、KPOPアイドルのペンライトはグループそれぞれオリジナルの形があってそれも楽しいし(ジンくんは自分たちのペンライトが早く欲しくて急かしたほど、と言っていた)、それぞれに良さを感じるけど、どちらも「チケット代を払ったのに、さらにペンライトも買う」点は変わらない。(他にも様々理由はあるだろうけど)金銭的に購入が難しい人が少なからずいることを想像するとつらい。演出に影響することを考えると出来れば買いたいと思うだろうし、周りの席の人がみんな持ってたら申し訳ない気持ちになったりするかもしれない。配布して回収するのは環境への配慮もあるだろうけど、それ以外にもポジティブな面があるなぁと思った。
結びとして書きたいことは特にない。私ひとりだったら行かなかったかもしれないので友人に感謝を込めて。いつもありがとうね。
Flying Theme
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』を観た。ジンくんが出ているからだ。ジンくんは入隊前、ソロシングルとして『The Astronaut』をリリースし、その曲を作ったクリス・マーティン率いるColdplayのアルゼンチンでのライブに出演した。入隊前最後のステージだった。
ステージの映像は後日Youtubeで公開されたが、私は「なぜこれを見るためにアルゼンチンに行かなかったのか」と後悔した。私が人生で後悔していることなんてほとんどない。結構いろんなことをあっさり忘れてしまうし「まぁ何らかの理由があってこうなってるんだろうな」とか「あのころは思いつかなかったから仕方ないな」みたいな捉え方をしているので「後悔」と名前をつけていることなんて、ほとんどないのだ。だから「なぜこのステージを見に、アルゼンチンへ行かなかったのか、行けなかったんじゃなくて、行こうとしなかった」と、未だに後悔しているのは自分でもめずらしいことだと思う。
行けばよかった。その気になれば行けたはずだったのに。丸1日飛行機に乗って、ジンくんが歌う5分のために、ブエノスアイレスへ行けばよかったのだ。入隊直後は私の情緒がかなりアレ(かなりアレて)だったので「あの5分が最後だったかもしれないのに、ジンくんがステージに立つのは、あれが最後だったかもしれないのに」と考えてしまってつらかった。
もし次の機会があれば、世界のどこでも行こう、というか行こうと努力はしてみよう、と心に決めて、せめて映画は観ることにした。
Coldplayは言わずと知れたイギリスのロックバンドだ。今調べたら、グラミー賞を7回も受賞している。モンスターバンドですね。
私は16歳か17歳あたりで『A RUSH OF BLOOD TO THE HEAD』をTSUTAYAさんで借りたのが最初だったように思う。砂の人が崩れるようなジャケのやつ。初めて買ったアルバムは『VIVA LA VIDA OR DEATH AND ALL HIS FRIENDS』、そこから『GHOST STORIES』くらいまでは比較的熱心に追っていたものの、音楽性が変わり(というかColdplayってアルバムごとに結構ごっそり変えるね)、音数が増え(私は基本的に音数が少ないスカスカの音楽が好き、これはただの好み)、大局的なことを歌詞にするところに、だんだんついていけなくなってしまった。
というかまぁこれはColdplayだけじゃないけど、世界的に売れたバンドって、大体なんか環境問題とか、世界平和とか、宇宙の真理がどうとか、そういう「なんかでかいこと」を歌うようになっていく。まぁ冷静に考えたら当たり前だ。友だちと組んだバンドで、イギリス国内だけで活動していたような頃とは違うんだから、目に見えるものが変わってくるんだから、いつまでも四畳半の部屋に暮らしてるような曲ばっかりを書き続けるわけがない。頭では分かるけど、でもこっちはまだCDを買うのすら金銭的ハードルがあったティーンエイジャーの気持ちを今もリアルな手触りで覚えているし、精神的には四畳半の部屋に住んでるままなんだから、置いていかれる子どものような気持ちだ。まぁ、この気持ちをクリス・マーティンに分かってほしいとかは全然思わないけど。だからこそ、ただ勝手に距離を取り、疎遠になってしまう。
そんなだったから、BTSとColdplayのコラボ曲『My Universe』は私にとってColdplayとの再会の曲でもあった。BTSのメンバーはColdplayのファンだと公言しているし、カバーした『Fix You』は本家を超えるほどの名作だったから、コラボを意外だとは思わなかったけど、クリス・マーティンは始め「音楽性が違いすぎる、うまくいくわけない」と否定的だったらしい。
でも「Coldplay聴く奴はゲイ」などと差別的に揶揄されてきた彼らと、「女みたいに化粧して踊るアジア人」などと偏見を向けられてきたバンタンは、通じ合う部分があるだろうと思う。確かに音楽性は違うかもしれんけど、でも同志みたいに。
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでの公演をディレクターズカット版にしたものだそうだ。当日(去年の10月28日)は世界中の映画館でライブビューイングが行われたらしい。
序盤、クリス・マーティンがそのライブビューイングを実施している国の名前を読み上げるシーンがあった。たぶん50か国分くらいを、アルファベット順に。何かメモを見て、それを読んでるんだろうと思ったら違って、暗記してて、すごくかっこいいシーンだった。覚えたのか!というかっこよさもまぁあるけど、それより読み方というか、ピアノをちょっと弾きながら、ラップみたいに、ポエトリーリーディングみたいに読むので、それがすごくかっこよかった。
クリス・マーティンは全編を通して体力オバケだった。スタミナと、あと場の掌握力が尋常じゃない。体を鍛えてる、とかはもちろん普通にあるとして、たぶん「言いたいことがめっちゃある」という状態なんだろうな、ということがビッシバシに伝わってきた。言いたいことがある・伝えたいことがある奴は、ステージ上で一番強いと思う。何万人もの人に真正面から伝えたいことがあり、それを理解してもらうために音楽をお供えしているようなライブをしていた。カメラに写っている限りでは、観客はそれを受け入れているように見えた。つーかめちゃくちゃ盛り上がってて、みんなよく歌ってたし、楽しそうなのも良かった。
終盤では、それこそ四畳半くらいのサイズのステージでアコースティックな雰囲気で演奏をするシーンもあり、私は「置いていかれる子どものような気持ち」とか言って長いことゴネていたことを恥じ、反省した。何をつまんないことを言ってんだろう、ごめんね、私が間違ってたよ。長いこと、ごめんなさいね。
ギターのジョニー・バックランドはすごく繊細できれいな音を出す人なので、正直こういうステージのほうが映えるようにも感じた。
クリス・マーティンはメンバーひとりずつに感謝を伝え、愛おしそうな目で見て、メンバーはみな誇らしそうな、でも照れくさそうな顔をしてそれに応えていた。私はバンドのこういう、チーム感みたいなものにめちゃくちゃ弱い。人間が人間同士でやることに「永遠」なんかないと知っているからだ。ベショベショに泣いた。
あとColdplayはライブの時、ドラマーのウィル・チャンピオンさんがメインでコーラスをするスピッツタイプのバンドなんですが、このウィル・チャンピオンさんが、すごく良くて、声質も良いし、アガりました。コーラスが上手いドラマーってなんでテンションあがっちゃうんやろ。私だけ?みんなもそう?
クリス・マーティンが「歓迎してほしい、わざわざ韓国から来てくれたんだ」と紹介し、ステージに上がったジンくんはあまりにも「宝物」だったので、ちょっと眩暈がした。キラキラしている。ティンカーベルが撒いた妖精の粉みたいなのが見える。内側から発光している。推しの贔屓目でそう見えるだけなんだろうか、いやまぁそれはそうだろうけど、でもあまりにも宝物だったので……「あまりにも宝物」って大丈夫?何言うてるか分かる?
ジンくんは緊張はしているようだったし、ソワソワしている感じはあったけど、でも浮ついている感じは見受けられなくて、ただいつも通り、ちゃんと仕事をしていたのが良かった。私はジンくんがいつでも自分が出来ること・これまでやってきたこと・たくさん練習したことを地に足つけてちゃんと披露するところがとても好きなのだ。奇跡を待ったり、過信したりしない、丁寧に仕事をするところが好きだ。
曲そのものや状況自体が既に十分エモいので、パフォーマンスの部分をエモくしてしまうともう胸やけするんじゃないかな、というシーンだったが、ジンくんはさすがにバランス感覚が優れていて、圧巻だった。
あぁ本当に、行けばよかった、ブエノスアイレス。でも今日のところは、映像で観られたことがありがたい。
どれ
2022年11月8日 (火) 20:58
渋谷すばるさんのライブへ行ってきた。友人が関ジャニデビュー前からのファンで、その付き添いだ。
とは言え友人も関ジャニデビュー直後くらいまでの期間を熱心に追っていて、近年の活動については詳しくないらしい。当時は握手会に行ったりもしていたそうだ。「渋谷すばる、今ライブやってるみたいやねんけど、ひとりで行くの嫌やしさぁ〜」と言うので、じゃあ一緒に行こうよ、と言ってチケットを買った。私は基本的に誰のライブも観たい。
ひとりでライブ行くのが嫌でライブに行けない人、ぜひ私を誘ってください。私は基本的に誰のライブでも観たいし、自分のチケット代は自分で払います。
ライブに来ている渋谷すばるさんのファンは、若くても20代後半ぐらいから大体40代ぐらいまでの女性がメインの客層で、夫婦やカップルで来ている人も多い感じがした。男性も思ったよりは多かった。
私は予習として2~3枚ぐらいアルバムを聴いてからライブに行ったので、知っている曲もたくさんやってくれたし、キーボードと渋谷すばる/ギターと渋谷すばる/ベースと渋谷すばる/ドラムと渋谷すばるとギター、みたいな2人ずつで演奏するアレンジがされている楽曲もあったりして興味深かった。私が単に音数が少ないバンドが好みってこともあるけど、ドラムとギターボーカルでふたりの編成とかおもしろいよね。全然関係ないけど初期ストレイテナー(ホリエ中山期)のことを思い出して懐かしい気持ちにもなった。
何より私は「味園ユニバース」を観ていたし、当時「古い日記」を歌う彼を見てギョッとしたのを覚えている。こ、この人こんな、ノーガード戦法みたいな歌をうたう人なの?と思ったし感動した。歌をうたっている人だけが纏うヴェールみたいなものが見えた。
渋谷すばるさんは彼が好きな音楽・影響を受けた音楽を、本人に聞かずとも7~8個スラスラぐらい挙げられるぐらいには音楽性が明瞭だった。華美でなく硬派なデザインのステージセットや、本人の立ち姿から、十二分にそれが伝わった。なるほど、これがやりたかったのね。そうかそうか。それで今、2年目なのね。そうか、なるほどな。
……これは関ジャニにいたままで、出来なかったんだろうか。そんな単純な話じゃないだろうか……でも、私は関ジャニをそんなに熱心に追ってはいないけど、でもさ、関ジャムで見る限り、関ジャニは良いバンドだなぁと思うけど、うーーーーん。土俵を変えたかった、ということなんだろうか。うーーーん、分からんな。
今はグループで活動する人を応援しているファンの気持ちが少なからず分かるので、私もファンとしてのいろんな感情が理解できる気がする。ずっとメンバーみんな一緒にいてほしくて、変わらない関係性でいてほしくて、ずっと仲良しでいてほしいが、当たり前に全員別の人間だから、うまくいかないときがあって、だんだん気持ちが同じ方を向かなくなるときがあって、努力や譲歩がいつでもうまく機能するわけではなくて、その末に別離があることもあるのだ。それでも舞台に上がってくれるなら応援したいし、好きなことを好きなようにやって、それを見せてくれたら嬉しいし、でも本当はそんなこと全部どうだってよくて、あなたが幸せで健康でいてさえくれれば、あとはどうだっていいよ、と思うでしょう。わかる、わかるよ……!!!(大号泣)
帰り道、キムナムジュンが言った「アイドルというシステムは人間を成長させない」という言葉とその意味について考えた。私は彼の言う「アイドルというシステム」を経験していないので実態は当然分からないが、それでも10代から20代までの自分自身がどのように生きてきたかは自分で知っているので、なんとなくその差異は分かる気がする。例えば「学校というシステム」が人間を成長させるかどうかは甚だ疑問ではあるが、自分にかけられる時間の量で言えば「アイドルというシステム」より遥かに多いんじゃないかと思う。「行かない」という選択肢だって、あるにはあるもんな、学校は。アイドルにそういう選択肢はないだろう、だって仕事だから。
大小さまざまな選択肢の多さは、精神的な身軽さにも繋がると思う。成長とは何かを端的に言うのは難しいが、少なくとも身軽であることは必要なんじゃないか。挑戦したり、失敗したりして、それでもまだ挽回できる、やり直せる、と思える程度の精神的身軽さは、成長に必要だろうと思う。
つーかその渦中にいてなお「アイドルというシステムは人間を成長させない」と言語化できるの、並大抵のことじゃないなと思うけどね。それほどまでに聡明なナムジュンが「成長できない」と感じているんだとしたら、なるほどそれは由々しき事態ですね、とも思う。
ま、渋谷すばるさんのことに私みたいな門外漢が口を出せるようなことなど何もないのだが、でもどうか幸せでいてほしいな。あんなにも「ただ音楽が好きなだけの人」が、幸せに生きられる世であってほしい。
ギターはアンドロジナス
2022年5月13日 (金) 20:41
スピッツが好きだ。父が好きだったので、そもそもバンドとは何なのかを知るよりもっと前から、私はスピッツが好きだった。なおかつ「スピッツが好きじゃない人なんかおらんやろ、老若男女全員全曲歌えるはず」と思いこんで生きてきたから、大人になると意外にも「チェリーと空も飛べるはずしか知らない」みたいな人が多くてびっくりしている。よく考えたら活動期間30年越えで一度も休止せず、オリジナルアルバムを16枚も出しているバンドの曲を、老若男女全員全曲歌えるはずがなかった。そりゃそうだ。
私が初めて聞いたスピッツの曲は、多くの人と同じように「ロビンソン」だったと思う。「チェリー」はジャケットが切手をたくさん貼ったみたいなカラフルなビジュアルで、カップリングが「バニーガール」だったことも、よく覚えている。「運命の人」が好きだった。
Mステに出演したとき、初めて写真ではない、動いて話し、演奏するスピッツを観た。テッちゃんはツノのついたバイキングみたいな帽子をかぶって、サングラスをかけていた。私は全体的に「なにこれ」と思った記憶がある。なんか「これ、人間がやってたんか」みたいな感じ。いや人間がやってるがな、そらそうやろ。このときの感覚・記憶について、未だにうまく言語化できない。同じ手触りの感情を、以来一度も感じていないので、似た感情についても話せない。
小学5年生のころ、ベストアルバム(RECYCLE Greatest Hits of SPITZ)が発売され、父が買ってきたそれを、繰り返し聞いた。のちに、このベストアルバムはレコード会社が勝手に発売を決めた「実質非公式盤」であることを知るが、今思うとこれに「リサイクル」と名付けるセンス、いいよね。ふふふ、てなるね。タイトルは本人たちが付けたんでしょ?違うんかな。
中学3年生のころ、秋に部活を引退すると、私は人生で初めて「めっちゃくちゃ暇」になり、毎日吐くほど退屈で、手持無沙汰で、教室にいるとそんな自分の異質さが際立つようで(そういう自意識過剰さも嫌だったし)、いつも所在なかった。友だちがいなかったわけでも、いじめられていたわけでもないのに、あのころの「無」といったらなかった。たった半年ほどのことだったのに、今思い返してもゾッとするほど長かった。退屈で空虚で、何もすることがなく、すべきことも、したいこともないのに、毎日学校に行くことだけは決まっているのが不可解で、かと言ってサボるほどの理由も見つけられず、ずっと気が狂いそうだった。
私は、近所のレンタルビデオ屋(ビデオ合衆国、という名の店、今はもうない)でスピッツのアルバムを片っ端から借り、それを聴くことと、衛星放送を録画した映画「アメリ」を繰り返し観ること、それから学校の図書室で借りた「13歳の黙示録(宗田理 著)」を繰り返し読むことによってどうにか正気を保っていた。いや、正気を保てていたかどうかは自信がない、全然余裕で狂ってた気もする。ははは。
借りてきたアルバムはどれもMDに録音し、制服の袖から出した片耳分のイヤフォンで何度も何度も聴き、歌詞は手書きでノートに写した。レンタル期間が終わるまでの1週間は毎日ブックレットを持ち歩き、学校にいる間ずっとそれをA6サイズのノートに書き写して過ごした。コンビニに行けばコピー機くらい使えたし、家のファックスには印刷機能もあったのに、なぜ手書きで写す必要があったのか。わけわからんな~ほんまに暇やってんな~!などと思っていたけど、最近ようやくわかった。あれは、信仰だったのだ。吐くほど退屈で所在なかったあの頃の私が、どうにか息をしていられたのはスピッツがいたからだ。スピッツはあのとき間違いなく私の神様で、ブックレットに並ぶ歌詞は教典そのものだった。教徒が教典をコンビニでコピーするはずないよ、自分の手で書き写すに決まってるやん。
スピッツは神様のくせに、私に何かを説いたり、答えを提示したり、発明を声高に発表したりしないところが好きで、そこが今もずっと好きだ。
歌詞は意味が分かりそうで分からない。考察して楽しむ人も多いようだが、私は「何言うてるか全然分からんな~」とか「分かる気がするけどやっぱりわからんな~」とか言ってそのまま置いておくのが好きだ。分からないことを考えるのは楽しいし、分からないのに好きなのはもっと楽しいことだ。恋に似ている。何も分からない私も、ムエタイの女の子みたいな蹴りを食らったり、羊の夜をビールで洗ったり、日曜日はバスの揺れ方で人生の意味が分かったりするし、愛はコンビニでも買えるけどもう少し探す。社会はきまじめで少しサディスティックだが、その手を振りほどいて王様は裸です!と叫びたい夜もある。
マサムネは情緒ある魅力的な声で、歌だってもちろん上手だけど、ドヤ顔で歌い上げたりはしないし、歌唱力を見せつけるようなことには全然興味がなさそうだ。
「14歳の時に聴いていたものを、人は生涯聴き続けるんじゃないか、当時俺が聴いてたのは奥田民生」と言ったのは後藤正文だが、確かに私は生涯スピッツを聴き続けるような気がしている。
なぜ今日急にスピッツの話をしているかというと、例年通りのペースなら今年はアルバムが出る年だからだ。12枚目のアルバム「さざなみCD」以降、スピッツは3年に一度のペースで、フルアルバムをリリースしている。たのしみだな。
まぁ今のところ何の発表もないので「たのしみだな」はおかしいが。
つーか3年(実質2年くらいなのか?)でフルアルバム出せるだけの曲が十数曲作れるのすごいなあ。
この夜は台無しに
2022年1月28日 (金) 22:32
アナログフィッシュのベース・ボーカルである佐々木健太郎さんが大阪のFM802にご出演されたので、その放送をradikoで聞いた。先月バンドのあたらしいアルバム「SNS」が発売されたので、その“全曲解説”だ。全曲解説なんて、めずらしいな。
ラジオの中のいちコーナーとして健ちゃんがひとりで話すのだが、本人の「いかにも用意した原稿を読み上げていますよ」という感じと「でもちゃんと気持ちを込めて読み上げるぞ」という意気込みの両方を感じて、すごくよかった。健ちゃんらしいな、と思ったからだ。
健ちゃんはライブなどでは比較的自由奔放(に見える)な振る舞いを見せる人だし、歌声もソウルフルでファンキーな印象があるので、思いつきで行動するアドリブタイプの人かと思いがちだが、実際は「ここで腕を振り上げようと思って家で練習してきた」とか「ライブの前の晩にイメトレをする」、「お客さんがいるのを想像して、コール&レスポンスの練習をする」とか言っているので、わりとちゃんと準備をする人なんだと思う。
The La’sの曲をライブでカバーしたときも、カタカナで「デーシーゴー(※There she goes)」と歌詞を手書きした紙を用意し、それを足元に置いてカンペにしていた。
私は健ちゃんのこういうところがとても好きだ。お客さんに楽しんでほしくて、そのために自分に持てる力を発揮したくて、でもだからこそちゃんと用意していくぞ!準備万端でやるぞ!という振る舞いがすごく好きだし、にも関わらずずっと“ハート”とか“心”とかを取り出して見せてくれるような性質の人で居続けていることが、とても良いなと思う。まぶしい人だ。
全曲解説は内容もすごくおもしろかった。パーソナリティーの土井コマキさんも言っていたけど、こんなふうに自分の言葉で、自分のことだけじゃなく「下岡晃というシンガーソングライター」について話す佐々木健太郎は初めてだったのでは、と思う。私はもちろん下岡晃本人ではないし、そもそも全然関係ない人間なのに、なんかうれしい。
健ちゃんと下岡晃は別の人間なんだから当たり前だけど、10代からずっと友だちで、20年一緒にバンドをやっていても、健ちゃんには健ちゃんだけの「下岡晃観」があるのだ、と思うとうれしい。逆もまた然りなんだろう。
インタビューとかでもこのあたりをあまり突っ込んで聞く人おらんかったんちゃうかな。私が聞き手だったら佐々木健太郎に向かって「下岡晃というシンガーソングライターについてどう思いますか?」なんて聞かんもんな。質問がざっくりしすぎてるし、そう聞かれて出てくる言葉と「アルバムの全曲について解説してください」って言われて出てくる言葉とは、たぶん違うんじゃないかと思う。
「ロックバンドが歌詞に“居酒屋”って使うの?と思ってびっくりした」というようなことを言っていたのもよかった。この人は自分たちがロックバンドであると認識し、そのことに矜持があり、そして自分のど真ん中に今もなお“ロック”が燦然と刺さっているのだろうな、と思った。あぁすてきだな。かっこいいね。
あと「リリックがちょっとパーソナルすぎるかなと思って、ソロに回そうかとも思ったんですけど」と言っていたのも興味深かった。どうやって振り分けてるのか、聞いてみたかったから。
最近は「音楽に解説とかいい、説明しないで、要らない、そっとしておいてくれ」と思うことが多いから、聞こうかどうかちょっと迷ったけど、聞いてみてよかった。
蕎麦には/ねぎ/そしてわさび
2021年12月14日 (火) 22:02
アナログフィッシュの新しいアルバム、その名も「SNS」が発売された。今そのタイトルなの、今2021年なんだが、今なのか、今なんだね、なるほどわかった。
CDの帯には「たとえば ストレス/ない/生活」とある。ほほぅなるほど。わかった。
アルバムは聴く前から知っていたが、めちゃくちゃ良い。超良い。何周聴いてもずっと良い。
なぜ「聴く前から知っていた」かと言うと、私は前回のアルバムが出た後も可能な限りライブへ足を運び、配信ライブを観て、ファンクラブ会員限定の生配信コンテンツなどを観て、その中で披露されてきたいくつかの新曲を、聴いてきたからだ。彼らの曲は聴くたびにアレンジや歌詞が変わるし、これまでの経験上「そのままレコーディングされることはない」と知っているので、ライブで新曲を演奏されるとやや緊張する。まばたきするのも惜しいくらいだ、ぜったいちゃんと聴きたい。
心斎橋のジャニスで聴いた「うつくしいほし」、同じ日に「U.S.O」を聴いたと思う。佐々木健太郎・下岡晃、両者ともの新曲があまりにかっこいいのでうれしくてお祝いしたくなり、私は帰り道にお寿司屋へ行き、緑茶ハイでひとり乾杯した。しまあじがおいしかった。
「Yakisoba」を聴いたのは配信ライブだ。私は開始直前まで昼寝をしていて、目が覚めたらお腹がすいていて、だから焼きそばを作って食べて、そのあとだった。「うちに帰ったら焼きそばを食べよう 3食入りの食べ慣れたやつを」という歌い出しだったから、びっくりした。私が食べ慣れてる3食入りの焼きそばはマルちゃんのやつなんだが、下岡晃も同じだろうか。
私はこういうミニマルでシンプルな、やさしくて少しさみしい曲が好きだ。私が思う「孤独」の形と似ている気がする。なんでこんな曲が書けるんだろう、私が作った曲ってことにならないかな。だめですか。そこをなんとか。
「Is It Too Late?」を初めて聴いたのはいつだっただろうか。ライブでは4~5回ほど聴いたと思う。徐々に確立されていく彼らのコーラスと、その過程を聴けることは、ファンとしてほんとうに幸せなことだ。
7曲目に収録されている下岡晃の曲「さわらないでいい」をCDで再生し、初めて聴いたとき、臓器が全部一旦止まったような感覚がした。なんだこの曲は。すごい。かんべんしてくれ。え、これどっかのライブでやったのかな?一回聴いたことあるような気もしてきた。いや気のせいかもしれん。
まず、私はこれが何の曲なのかわからない。わからないのが良い。あなたが歌う「毒がある」という「その棘」は、何のことだ、でも私は「さわらなくていい」と言われている。なぜ「毒がある」と知っているの。触ったのか。触った人を見たのか。何の歌だ。全然わからない、でもわからなくて良い。歌詞なんかわからなくて良い。
やさしくされてる、と思う。最近の下岡晃の曲、すごい「まもられてるな」と感じる。理由はわからない。でも「無理にはなさなくていい この沈黙はいやじゃないから 今はしゃべらなくていい」って、すごく、やさしくされていませんか。そんなの人に言われたことないし、人に言ったこともないわ、そうだよ、言ったことない。私は「無理に話さなくて良い、この沈黙は嫌じゃない」と、人に言ったことがありません。思ったことはあるけど、でも言ってみてもいいのかもしれない。なんつー曲だ、うおお、すごい、かんべんしてくれ。
「うつくしいほし」はライブで聴くとかなり切迫感がある。積み重ねるようなリズムのAメロから「とおくからみればうつくしい」と繰り返すサビ。喉元にナイフを突きつけているような切実さ。下岡晃のこういう曲を聴くとき、私はちゃんと聞こえているのに耳が遠くなったような、シーンとした気持ちになる。手も足も全く動かなくなるし、髪の生え際がざわざわ、後頭部のあたりがびりびりする。なんて、かっこいい、きょくだ。
レコーディングされた「うつくしいほし」は、ライブで聴いたよりもずっと、やさしい・やわらかい印象を受けた。でも、どっちも好きだな。
あの喉元ナイフバージョンはまた、ライブでは聴けるんだろうか(※そんなバージョンはない)。
健ちゃんはここ数年の間ずっと、熟成がすすむ赤ワインのようだ。とろりとロマンチックで、ビターに熟している。光に透かすとキラキラする声。私はワインに全く詳しくないのでこの比喩は危険かもしれない。が、文章はこのまま進む。
健ちゃんは太陽の人だ。ご本人と面識はないしまともに話したことなど一度もなく、私はただ17年くらいステージの下から彼を見上げているだけのファンだから、あくまで印象論でしかないが、健ちゃんは太陽の人だ。いつも大きい口を開けて少し斜め上を見ながら「希望はある」と歌い、赤いスニーカーを履いて外へ連れ出してくれる。素直で、天真爛漫で、でもシャイで、ストンと健やかな人だ。ま、めちゃくちゃ酒飲みらしいと聞いたこともあるけど。
ベースもギターもキーボードも持たず、ただその声だけでエンターテイメントを成立させられる才能があり、にも拘らず、そのことを自覚していないようにも見える。まぶしい。
健ちゃんはロマンチックだ。現代において、ロマンチックは最も難しいスタンスかもしれない。
ボケよりツッコミがウケる時代になった。もう10年ぐらいずっとそんな感じだ。SNSユーザーはあらゆるものごとに下手なツッコミを入れたがり、その速度を競い合っている(ように見える)。Twitterはまるで“うまいこと言うた奴選手権会場”のようだと思う。世はリアリストで溢れ、軽い気持ちで放り投げたボケにはマジレスとクソリプが来る。マジレスとクソリプって本来別のものなのに、もはや同じ意味に聞こえる。
そんな中で、ただ堂々とロマンチックであること、聴く人をロマンチックにさせられることは大変難しい。今ロマンチックをやるには強度が要る。ちょっとやそっとのロマンチックなんかでは何にも勝てない。誰も酔わない。リアリストの口を塞ぎ、聴く人の目をやさしく塞ぐロマンチックには、強度と深度が要る。健ちゃんはそれができる。
9曲目に収録されている健ちゃんの曲「Can I Talk To You」は間違いなくロマンチックだ。テレもせずど真ん中に、これ以上重くはできないであろうロマンチックを、ズドンと置いていく。このアルバム、最後の曲がこれなの?超かっこいいな。つーか健ちゃんの最近の曲に出てくる女の人って結構バチバチに怒ってて、それも良いな。
前作「Still Life」からもう3年か…あの時も「極まってんなぁ~」と思ったのに、まだ先が、まだ奥が、あるようだ。そうですかそうですか。わかりました。どこまででも一緒に行くよ。
Young Forever
2021年10月25日 (月) 22:18
BTSのオンラインコンサートを見たので、その感想を書きたいと思ったがどうにも難しい。あらゆるものごとは多面的で、多層的で、どこをどう切り取ってどのように食べ、咀嚼し、何として出力するのかは、どこからも誰からも供されない、私が自分でやるのだ、いつだって、というようなことを考えた。人間が作り、人間が見ているのだ、私は本当に音楽が好きだな。
マッコリをほぼ全部ひとりで飲み干したのに頭が冴えていて、帰り道に駅前で借りた自転車に乗ってずっとグルグル考えていた。
持って生まれたもの、自分で捏ねたもの・積んだもの・捨てたもの・持ったままいるもの、人にもらったもの、まだ届かないもの、環境、トラウマ、思い出、欲しいかどうか、誰といるか、どこでやるか、みたいなことをずっとグルグル、断片的な思考がグルグル、引っ越してきてからよく自転車に乗るようになったなぁ、私がキム・ナムジュンです。タルンイは電動じゃないらしい、ソウルは坂がどれぐらいあるんだろう。神戸は坂ばっかだよ、おナム。
ジンくんMCで「音はずしたりしたわ…まじ自分で自分が憎い、ぴえん(※意訳)」みたいなこと言うてたけど、それよりもちょっと、なんかこう、何かを吹っ切ったような、腹が決まったような顔をしていて、よかったな。ジンくんよ、私は最近過去のライブ映像をわりと立て続けに4~5本見たんですけどね、あなたはステージに居るときに所在なげな顔をしていたり、様子をうかがうような顔をしていることが多い気がしていて、でも昨日はなんか、一旦脇に置いておくから、みたいな顔をしていたような気がする。気のせいだったらごめんだよ。でも最近の楽曲のおかげだったり、こないだのバンドとのコラボの影響だったり、もしかしたら本当に何かを吹っ切ったり、あと歳を重ねたせいとかもあるのかもしれない。そうだと良いな。
終盤の「僕がプレゼントだよ」発言については「あーはいはいありがとうございます通常営業やなあんたは、はいはいかわいいかわいい」と言って笑ってたけど、一晩あけたら今は「いやほんま、あんたがプレゼントやわ、もう受け取ってたわ既に、私は何を返したらええんや、返せるもんなんも持ってへん、生まれてきてくれてありがとう、まじで存在がプレゼントや」と大真顔でいる。7人とも、生まれてきてくれてありがとう、宝物やわ。
もし私がBTSだったら(ありえない話はやめてください)「ジョングクが居る」ということが「歌もダンスも何もかもやめてしまう理由」になり得るし、それと同時に「BTSであり続ける理由」にもなり得るだろうな。そして「僕は自分のことはつらくない、ヒョン達がつらそうなのを見ることだけがつらい」と言っていたグクが、今ステージに居るときいちばん安定しているように見えるけど、なんだ、すごいな、感動的だな。なんでこんなことが起こるんだろう、人間がやってることなのに…いや、人間がやってることだからなの?人間おもろすぎんか。
オンコン見ながら何か食べたり飲んだりできないと思う、余韻で寝られないかも、月曜休みにしとけばよかった、などと言っていたが、実際の私はバリエーション豊富な4種のキムチと牛肉をのっけたジャジャン麺、ヒラメのお刺身、チヂミ、蒸し豚、をジョングクもびっくりの勢いでもりもり食べ、ビールとマッコリをジミンちゃん並みにごびごび飲み、感情が高まったので自転車で走り回って程よく疲れ、何はともあれ今日もバンタンは最高!!!!と風呂に入り、日付が変わる前にぐっすりと寝た。
何より、私は私の仕事と生活とをやるぞ!!がんばるぞ!!!という気分になった。睡眠も栄養も足りているし、月曜からやる気に満ちている。
こんなに好影響なライブある?
Save me
2021年6月22日 (火) 20:12
前述の通り、BTSにハマっている。「ハマっている」が正しい表現かどうかは分かんないな、だって「ハマっている」って、言葉としてはわりと一時的なことっぽいけど、たぶん長い付き合いになるだろうな、と思っています。好きなアイドルが居る生活ってしあわせだ……末永くよろしくお願いします。
えー最近はずっと曲を、BTSの曲を聞いてて、今Spotifyで聞ける分は全部聞き終えたので、プレイリストを作ってきました。
チロルオンニ(ARMYの先輩)(ARMYはBTSファンの呼称)が「全曲履修し終えたらプレイリスト作ってね」と言ってくれたのがすごくうれしかったので、勝手に同じ部署の後輩みたいな顔をして作りました。えへへ。
誰にも頼まれていないけど以下、ライナーノーツです、というか単に好きポイントを言いたい。
01.Attack on BTS
アイドルに歌ってほしい曲の1つとして「キャラソンみてぇなやつ」というジャンルがあると思う。
本人たちが主演するアクションヒーロー物の映画があったとして、その主題歌か、オープニングテーマみたいな曲。スピッツで言うと「ミカンズのテーマ」みたいな曲のことです。
この曲がそれです。(解釈違いでぶん殴られるかもしれない)
02.IDOL
ただ突飛で奇抜なことをやっている、というわけではない一曲。民族音楽っぽい要素も入っててかっこいい。
ラップラインがかっこいい~すき~冒頭のナムさん~ライブの時ジミンが「You can’t stop me lovin’ myself」でオラついてる感じもすき~
韓国の文化とか言語とかに関して、私はもっと勉強すべきだな、という気持ちもあります。
03.Like
なんかもうこのままショートムービーが撮れる。主演どうしよう、シュガにやってほしいな。シュガが「なんで”いやだ”ボタンは無いの」って言うの想像したら超かわいい。
04.Embarrassed
不甲斐ない曲を2曲続けてかけたい、という欲が出てきたので4曲目はこれ。ベッドでもだもだしてる、という曲なんですが、韓国語だと「이불킥(=布団キック)」という曲名?らしい。何そのかわいいの……かわいいね…
05.DNA
Youtube、Spotify、VLiveを行き来してBTSの曲を聞き、BTSの動画を見て夜更かし、どうにか布団にもぐりこんだ後ジンくんのもぐもぐGIFを漁っていたら寝落ち、という生活を送る中で、並行して「BTSのマネージャーになってデビューさせる」という夢みたいなゲームをやってるんですが、その中で延々流れている曲、ことDNA。
もっとドヤドヤのイントロにしそうなところを、この音数の減らしっぷり…いいぞいいぞ!!!テヒョンさんの低音ボイス大好き芸人で特番やらせてほしい。
06.FAKE LOVE
この曲はジンくんがサビ(FAKE LOVE♪のとこ)で良い仕事していてラブい。
韓国語ってどっちかっつーと英語に近い譜割りになるんだな、と新鮮に感じる私はK-POP初めましての女。
07.Converse High
たまたま私がコンバースのハイカットを履いているときに聴いてしまって、きゅんとした曲。歌詞も「ナムジュンには内緒ね」とか「コンバース ローは履かないで」とか言っててすごくかわいい。ユンギの「脱ぐの大変でしょ?」も超良い、何、え?脱がせようとしてんの?何?
爽やかな曲調でフェティシズム(もしくはエロティシズム)を歌うの、アイドルにやってほしいことのひとつです、ありがとうございます。
08.Telepathy
この曲かわいいし踊れるし色んな音がして楽しい。
あとBTSの好きポイントのひとつとして「オクターブハモ」があります。「オクターブハモ+上ハモ」とか大好物。ジミンのおかげであるケースが多い気がする、ジミンありがとう。
09.Mikrokosmos
曲を聞いて歌詞だけ読んでるときは「なんか規模でかい曲だな」と思っていたのですが、この曲のライブ映像を見た時に「あぁこの人たちはそんなに突拍子もない距離感のところに行ってはないし、行く気もないのだな」と、何もかも分かったような気がした。
私みたいなもんはどうせ分かったような気がしただけで引き続き何も分からないのだが、それでも何もかも分かった顔をして誰かと肩を組み、絶対違うと分かっていても、確信めいた声でI got youと歌う夜は、要る。
10.Outro:Circle room cypher
デビュー当時はどうやら今よりもゴリゴリのヒップホップグループだったらしいBTSがサイファーやってる…!の一曲。他にも何曲かこういうやつがあったけど、最初期のこれをプレイリストに入れました。当時おそらく15~16歳のジョングクがこれをやってると思うとあまりのかわいさに母を通り越して祖母の顔になってしまいます。
以上10曲です、ダーッと入れたら13曲になって、そこから3曲外すのに3日かかりました。
さらに最新曲・Butterを入れたい気持ちがすごくあって、なぜならすごく好きな曲だから、でもプレイリストって好きな曲だけ入れるやつじゃないから(そういうプレイリストもあるけど)(そういうプレイリストにしてもよかったけど)、今回は入れるとこがなかった。でもButterすごい良くて、ド頭からSmooth Criminalって歌ってるし、BメロでMan in the mirrorをやって、嫌みとかひねくれとかなく、直球ど真ん中ホームランでポップミュージックをやってるところがすごく良い。ナムジュンが何かのインタビューで「この曲に意味なんか無いですよ笑」って言ってたのも最高に良かったな。そのバランス感覚よ…!テテに「Cool shade stunner Yeah I owe it all to my mother」と歌わせるメタ的なセンスも素敵。やぁ~!持ってけグラミー!
夕暮れと君が好きさ
2021年3月20日 (土) 23:58
世間がこんなことになって、いつのまにか1年が過ぎた。医者でも研究者でも看護師でもない私にできることは引き続き、マスクと消毒ぐらいしかない。これからどうなっていくんだろう。
去年の2月、心斎橋のジャニスで見て以来1年ぶりに見るアナログフィッシュは、特に何かが変わった、という様子はなかった。あ、見た目とかの話ですけど、みんな元気そうだった。よかった、ライブに来ているお客さんたちも、見覚えのあるいつもの顔ぶれがあった。みんな元気そうだった。よかった。
私もそうだけど、みんないつも見る場所が大体おんなじだから、自然と覚えている。あの人今日は居ないんだな、昨日来てたのかな。
磔磔に椅子が置いてあるのなんて初めて見た。バンドがステージに上がると、前の方のお客さんがパラパラ立ち上がって、州ちゃんが「そうだよ、好きなタイミングで立っていいんだよ、好きなときに座っていいし」というようなことを言った。ライブハウスで「好きなタイミングで立って、好きなときに座る」、というのは今まであまり無かったことだ。足が疲れたり、飲み物を飲んだり、ゆっくり聞きたいとき、座れるのはわりといいことなんだよな。世がどんな状況だとしても、悪いことばっかり、出来なくなったことばっかりに気を向けなくていいんだ。そんな当たり前のこと、知ってるのにすぐ忘れるな。
去年も新曲をライブで聞いた記憶があるけど、今年も新曲が聞けた。新曲がかっこいいことが、アナログフィッシュを好きでいて一番うれしいことだと思う。あの頃のアナログフィッシュも良かったが、一番良いのは今のアナログフィッシュだ。今のアナログフィッシュが一番かっこよくて、一番良い。
しかもふたりともの新曲がかっこいい。この人たちにとってお互いがつくるものは、どのぐらいお互いに影響を与えているんだろうか。健ちゃんの新曲はハモりが素敵で、かっこいい曲だった。あのハモりを考えているのは絶対に健ちゃんだと思うけど、どうやってふたりに伝えているのかが気になる。楽譜を書くんだろうか。これは悪口ではなくてむしろ畏怖を込めた褒め言葉だが、佐々木健太郎という人は楽譜を書くような人には全く見えない。
私は歌詞を詩のように扱ったりするのが好きではないし、詩として成立するねやったら音楽は出番ナシやないか、良い歌詞は常に良いメロディーと良いリズムと共にあれよ、歌詞への共感なんて求めてない、といつも思っているけど、下岡晃の新曲「Yakisoba」の歌詞には一言一句すべてに同意・共感している。メロディーもさみしくて優しくて好きだな。私が書いた曲ってことにならないだろうか。
このミニマルで私的な愛おしいこの曲を、今年レコーディングしてくれるかもしれない。「今年アルバムを出せたらいいなと思ってます」って言うてた。そうすれば私はポケットにこの曲を入れておいて、いつでも好きなときに聞けるんだよ、うれしい、楽しみだな。
終盤に演奏された「Sayonara 90’s」は、2008年のリリースだったらしい。そっかもう10年以上前なのか。
80年代後半に生まれた私の90’sは、ここで歌われているものとは単純に違うものだ。私がヴィレッジヴァンガードで買ってきたカート・コバーンのポスターを壁に貼ったとき、彼はもうとっくに亡くなっていたし、下岡晃が歌う「希望が無いってことに希望があった」時代は、感覚としては概ね理解しているつもりだけど、実感としては知らない。
兄の話を聞くようだった「Sayonara 90’s」は、私が今この時代、この状況、この年齢で聞くと、少し違った手触りになった。探せば結構、この胸の中に、希望はあるね、それは例えば愛だったりする。本当にそうだな。
「抱きしめて」やらんねんな、最後かな、と思っていたら、「抱きしめて」は最後の曲だった。この1年くらいの間、下岡晃はインスタ配信で数十回この曲を演奏している。
この日磔磔で、「抱きしめて」を歌い終え、ギターを置いた下岡晃はとても大事なことを、簡単な言葉だけで言ってくれた。「こういうふうな日々が続くと、どうしても極端な方に自分の心が動いてしまう、なんでかっていうと、中庸で、真ん中に居ることが、とても難しいことだからなんだと思うんだよ、でも俺たちは、極端な、簡単な話に流されずに、中庸で、頭をつかって、なんとか頑張って、隣の人を大切にして、明日もマスクと消毒を続けるしかないと思う」と、言ってくれた。
そうだ、中庸であることは、常に真ん中を取ることは、難しいことなんだった。いつもはそれができるし、それが私だと思っていて、だから今それが出来ないのは、私が弱くてダサい人間だからだ、と思っていた。そのことがつらかった。自分のことを弱くてダサい人間だとしか思えないなんて最悪だ。
でもそうだ、難しいことなんだった、中庸であることは、真ん中に居ることは、難しいことなんだった。だから、でも頑張ろうねって、言ってほしかったんだった。言われて初めてそのことに気づいたよ。ありがとう下岡晃、いつもありがとう。
下岡晃が何を言ったのか、この日のMCをもう一度ちゃんと聞きたくて配信のチケットを買った。忘れたくなくて、また思い出したいときにいつでも読めるように、文字起こししていたら、写経ってこういうことなんじゃないの、と思った。
おしゃべりが上手じゃないこの人が一生懸命なにか伝えようとしてくれることに、いつだって本当に感謝してるのに、いつまでも何も返せなくて申し訳ないな、と思う。ありがとうございますしか言うことがないのは私の方だ、ずっと大事なバンドを続けてくれてありがとうございます。そのことが当たりまえじゃないということばかり、実感する1年だった。これからどうなっていくかは引き続きぜんぜん分からんが、どうにかやっていこう。どうにか、やっていこうね。
最近のはタテ編み
2020年10月10日 (土) 22:44
10月10日はアナログフィッシュの日だ。魚(とと)の日、ということらしい。
2010年10月10日に新木場スタジオコーストでやったライブに、病気療養中だったドラムの州ちゃんが復帰して以来、毎年10月10日は何らかの「たのしいこと」を用意してくれている。
今年の「たのしいこと」は配信ライブだった。
ライブに行けなくなってからどれぐらい経ったっけ、最後に見たライブ何だっけな、と思ったけど7月に野外ライブ行ってたわ。配信ライブは終わったあとなんとなく空虚な気持ちになる時が多くて微妙な心境ではあるけど、私は好きなバンドに好きなだけバンドを続けてほしいので、そのためにお金を払いたい。つーかやめたいならもちろんやめたっていいのだけど、やめる理由がお金だけなんだったらぜったい嫌だ。
今回の配信ライブ「Town Meeting by the Sea」は江ノ島オッパーラで事前に収録、ミックスして編集したやつを流すからみんなで見よう!メンバーもコメントするよ!というやつだったのだけど、何よりライブ自体がとっても良かったので良かった。「よかったのでよかった」ってすごい、ばかみたいな感想。でも音もよかったし、映像もすごくよかった、雰囲気いいね、という感じだった。現場に行けないなら、映像作品としておもしろいものを見たい、という気持ちがある。
配信開始直前にお昼寝をしていて、あと30~40分で始まるなぁというころに起きた。ちょっとおなかすいた…焼きそばでもたべよう、と作って食べたら、下岡晃の新曲が「yakisoba」だったのですごかった。単なる偶然ではありますが。
しかもめちゃくちゃいい曲だった。「うちに帰ったら 焼きそばを食べよう 3食入りの 食べ慣れたやつを」という歌い出し。あぁ今食べ終えたやつがそれだよ、私が食べ慣れた3食入りのはマルちゃんのやつです。
サビで「なんにもいいことない なんにもいいことなかった」に続けて「いい日だった」と歌われたので面食らってしまい、そのあとじんわり好きだった。なんだこのさみしくて愛おしい歌は。
そうなんだよな、「なんにもいいことない」と「いい日だった」は両立するんだよ。全然真逆のことではない。
帰ったら焼きそば食べよう、冷蔵庫になんかしらあるからそれで、別に寄らなくていいけどスーパーに寄って、あ、今日夕焼けきれい、あの子いま何してるかな、電話してみよっか、まぁ後でいーか、みたいな日、あるもんな。そしてそういう日は「なんにもいいことなかった」し、「いい日だった」んだよ。
なんだこのさみしくて愛おしい歌は。
なんでこんな曲が書けるんだろう、いいなぁ、下岡晃になりたい。
そしてこういう曲を歌ってはいるが「何もない日こそ尊い日である」みたいなことを説いてるわけではない、と思うけど実際はどうなんだろな、でも私は下岡晃のそういうとこが好きだよ。「そういうとこ」っていうのは「下岡晃はこういう人です」ってとてもひとことでは言えないとこです。まぁ人間は誰でもみんなそうやけど。
そういえばこないだ下岡晃がインスタライブで着ていたチャンピオンのスウェットに「お直ししたやつですか?」とコメントを打ったら「そう、これもう10年以上着てて、あのこれ、横編みなんです」と答えてくれてうれしかった。好きな人がするどうでもいい話ってなんであんな愛おしいんだろうな。毎晩どうでもいい話を留守電に入れておいてくれる恋人がほしい。
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