TANAKA NOZOMI

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おやすみマーフィー

2022年10月3日 (月) 20:56

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21時前だというのに気絶するほど眠い。昨日あまり深く寝られなかったからだろうか。夢を見たせいだ。夢の中で、私はなぜか社会人オーケストラみたいなところに所属しており、なぜかソロパートのオーディションみたいなことをさせられていた。夢なので楽譜は初見だし、そもそも楽器を持つのだって数年ぶりだ。オケのメンバーは知らない人ばかりだったが全員悪意に満ちており、私の拙い演奏にクスクス笑い、聞こえる声量で「ヘタじゃない?」「わきまえろよ」と口々に意地悪を言った。悔しくて泣きながら目が覚めた。そりゃヘタやろうよ、練習してないもん、音出しぐらいさせてくれても良くない?あと楽譜が初見やねんけど、ってか何あの曲、全然知らん曲やし、転調が多すぎるし、私ソロやりたいなんて言うてへんし、っつーか「わきまえろ」てなんやねん、誰やあいつ、もっぺん言うてみろや。ゆ、夢か……何いまの夢……つらかった……

京都でライブの時は1時間半の距離を帰るのが億劫で、いつも泊まりにしている。時間も遅くなるし寝るだけだから、大抵はカプセルホテルに泊まるけど、たまにはちょっと良いところに泊まろうかと思い、3倍くらいの値段のところを予約した。朝ごはんも付いている。3倍と言ってもカプセルホテルの3倍だし、朝ごはんが付いているのだから全然高くない。お得なホテルだ。ベッドはキングサイズで横幅は200cmもあった。しかもJBLのスピーカーが置いてある。うれしくてCSSの「Music Is My Hot Hot Sex」を爆音でかけた。ミュージックイズマイキングサイズベッド。さすがに爆音すぎるかと思ったけど、元々設定してあったボリュームがこれなんだから、たぶん大丈夫なんだろう。苦情があればフロントから連絡が来るだろうし。
広いベッドがうれしくて、斜めに寝転がって眠くなるまで本を読んだ。今読んでいる本は胸糞悪い感じの小説なので、情緒が無茶苦茶になる。

朝ごはんは離れにある古民家で、まずはお出汁を飲むような和朝食を食べた。羽釜で炊いたごはんがおいしい。おかずは小松菜のもみじ和えに梨が入っていたのがおいしかった。「もみじ和えて何やろ」と思っていたが、たぶんにんじんをすったやつと胡麻をすったやつで和えてあった。梨は食感も良いし、ほんのりした甘さも合うし、季節感もあって良いなぁ。
ただ、だし巻きたまごは姉が作ったやつの方がおいしいと思う。というか私は姉が作っただし巻きたまごが好きすぎるのだ。姉は焼酎バーで働いていたときにマスターに教わっていて、だし巻きたまごがめちゃくちゃおいしい。私はどこでだし巻きたまごを食べても「いや、姉が作ったやつの方がおいしいな」と思っている。もちろん口には出さないが。
京都でだし巻きたまごなら、丸太町の十二段家がおいしい。……姉のと同じくらい。

ライブはアナログフィッシュの企画ライブ「ジョントポール」で、これはボーカルが2人いるアナログフィッシュならではのおもしろい企画だ。通常は2人の曲を合わせてセットリストを構成するところを「ジョントポール」では下岡回・佐々木回に分けて演奏する。下岡回のライブでは下岡晃の曲だけを、佐々木回のライブでは佐々木健太郎の曲だけを演奏するのだ。通し券も売っている。
嘘みたいな話だが「ジョントポール」は16年ぶりらしい。16年。
ライブは下岡バンド・佐々木バンドともに、とても良かった。下岡回は3曲も新曲をやってくれて、うれしくてソワソワした。新曲が出来ていることもうれしいし、それを聴けることもうれしいし、私が初めてこの曲を聴いたのが今なんだ、と思うのもうえしい。州ちゃんがメインボーカルをやってくれる曲もあって、とにかく贅沢な時間だった。佐々木回は終盤に「パワーーーー!!!!」みたいな楽曲を畳み掛けるような構成になっていて、かっこよすぎて笑ってしまった。かっこよすぎると笑ってしまう。
Ryo Hamamotoは演奏中、私にはよく分からないタイミングで膝をつく(膝をつく、って意味わからんけど、他になんて表現したらええねん、膝を折る?)のだけど、あれがよく分からないけどすごくかっこいい。真似したい(出来ない)。

翌日、想定したより気温が高くて暑いし、もう帰ろうかな、と思ったものの、しっかり朝ごはんを食べたから元気が出てきて、アンディ・ウォーホル展を見に行くことにした。
美術館は想定の5倍混んでいて、しかも写真を撮っていいことになっていたから絶えずスマホのシャッター音がしていた。困ったことになった。まず、私は混んでいる美術館が心底嫌いだ。次点で写真を撮っていいことになっている美術館が本当に嫌いだ。昔は美術館で写真を撮るなんて、無かったと思う、いつからこんなことになったんだろう。最悪だ。2200円も払ったのに、もう帰りたい。
とりあえず入場を時間制で分けているようだったし、さして会場も広くないようだったので、ある程度人が捌けるのを待つことにした。とはいえ再入場は出来ないから、館内で待つしかない。どデカい迷彩柄の作品の前にベンチが置いてあったので、そこに座って20分くらいどデカい迷彩柄の作品を眺めた。でかい。どうやって刷ったんだろう。どデカい迷彩柄の作品は、後で確認したら高さが2m、幅が10mだった。でかい。どこで制作したんだろう。ウォーホルは人をたくさん雇ってたみたいだから、本人は刷ってないかもしれない。
ある程度人が捌けたら、空いている作品群を飛び石のように見た。ウォーホルの作品はMoMAで見た以来で久しぶりだ。写真の作品がかわいくて良かった。ドローイングをもっとたくさん見たかったな、というか作品点数が少なかった気がする。プレスリーのはMoMAで見たやつと同じなんだろうか。シルクスクリーン作品だから、同じに見えるけど違うやつかもしれない。
ウォーホルの作品は版さえ上手く似せれば、私もほぼ同じものを作れる(私だけでなく、全人類が作れる)が、それはもう出来ない、というところがウォーホルのすごいところだ。発明だからだ。ウォーホルは「ウォーホルっぽさ」を発明したから、後からこれをやるとみんな「ウォーホルっぽい」ものしか作れない。
ウォーホルは色彩感覚が陰キャっぽくて好きだ。ポップで明るい雰囲気のものを作る人が、ポップで明るい人なわけがない、と思う。

阪急電車に乗って梅田で降り、豆花を食べてから帰宅、帰宅後はオンラインショップの受注分を梱包して発送した。梱包、もうすこし効率よく、見た目よくやりたい。ギフト対応もできるようにしたらいいんじゃないかな、箱探そう。
数年ぶりにオンラインショップを開けましたので、よかったらどうぞ。とは言え今は1商品しかなくて、その在庫も無くなりかけています。が、増やす気でいます。https://tanakanozomi.stores.jp/

ただかわいいだけ

2022年9月30日 (金) 21:27

uncategorized

かわいくて、めちゃくちゃ欲しくて、とは言え生活に必ず要るものでない場合、簡単には買えない。値段が高ければなおのことだ。

アレッシィ(というイタリアのブランド)のケトルを何かのインテリア雑誌で見かけたとき、あまりのかわいさに、ページを千切って持って帰ろうかと思った。場所は通っていた高校から一番近い本屋で、雑誌は売り物だったので、もちろん千切りはしなかった。その時の私は高校生で、雑誌を買うお金すらないのに、インテリア雑誌に載っているケトルなんか、買えるはずもなかった。
数年後、そのケトルのことをふいに思いだし、すぐデザイナーを調べた。デザイナーはアルド・ロッシ、建築家だった。日本にもいくつか設計した建物があるようだ。
雑誌の中ではわりと高齢の女性の家のキッチンに置かれており、長く使い込んだような経年変化も含めて素敵だった。私は基本的に、デザインが良くて丈夫な物・質の良い物を長く使うのが好きだ。ただし「機能的でなくてもべつに良い」とも思っていて、自分ではそのあたりに、私らしさを感じたりもする。理由はわからないが。

が、ケトルは3万円だった。3万円。湯を沸かすだけの道具が。高い。ヤカンに水を入れてコンロにかけ、湯を沸かしてる人間なんて、もはや少数派なんじゃないのか。いまどき電気ケトルだって3万もせずに買えるはずだ。でもかわいい。欲しい。もう高校生じゃないから3万円は「払える金額」だ。でもケトルだぞ、「3万円が払えるかどうか」は今あまり関係ない。
円錐形のすっきりしたデザインは、建築家が設計した建築物と同様に、整然としているように見えるが、全体のバランスや注ぎ口の角度、取っ手の大胆さは感性的でもある。うわーん、超かわいい。超欲しい。私の家のキッチンに、あのケトルを置くさまを想像してみる。リンナイのビルトインコンロにも似合うだろう。欲しい。
でも湯を沸かすだけなら鍋でも良いのだ。「今持っているのが少し小さくてちょっとだけ不便」は、3万円のケトルを買う理由として弱すぎる。一人暮らしを始めるときに母が買ってくれたこの琺瑯のケトルひとつで、もう10年近くやってきたのだから、普通に考えたら今後もこれひとつあればやっていけるはずだ。そもそも3万円あればケトルだけでなく家中の鍋とフライパンを全部買い替えられる。

こうなると毎月「ケトル用貯金」として紙封筒にちまちまと貯金し、数か月経ってもまだ欲しければ買っても良い、という独自ルールを発動するしかない。お店の近くを通ったから、賞与が出たから、などの衝動的な理由で買うことを禁止し、一時的に上がりやすい物欲の、鎮火を待つ作戦だ。ちょっと高いな……と思うものを買うときは大体いつもこの作戦でやってきた。もし鎮火したら「いつもより多く貯金ができたな」で済むし、鎮火しなかった場合は堂々と胸を張って買えばいいのだ、そのために貯金したんだから。

それから4ヶ月ほどの「ケトル用貯金」を経たが、結局ケトル欲は鎮火しなかった。私はにこにこの顔で堂々と胸を張り、梅田へ行った。アレッシィは阪急の7階にある。お目当てのケトルは商品棚のだいぶ上の方にひとつだけ置かれていた。いかにも「意を決してこれを買いに来ました」という雰囲気が溢れ出ていた自覚があり恥ずかしかったが、意を決してこれを買いに来たのは事実なのだから仕方がない。店員さんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれるよりも先に「あれをください」と指をさした。

そのときの店員さんは「こちらはアルド・ロッシのデザインでして……いや、ご存じですよね、失礼いたしました」と言っていて、私の「意を決してこれを買いに来ました」感を、何も言わずとも理解してくれているようだった。私は「ずっと欲しかったんです、うれしいです」と答えておいた。私の言う「ずっと」がまさか10年越えとは思っていないだろうけど、店員さんは「そうでしたか、どうもありがとうございます」と言って箱から出したケトルに指紋が付いたりしないよう、白い手袋をはめて丁寧に梱包してくれた。水を入れて火にかける鉄なんだから指紋なんか気にしないで良いし、すぐ使うから箱はどうせ捨てるのに、と思う一方、「意を決してこれを買いに来ました」の身としては、丁寧に応対されるとうれしい。

そこから2年経った。アルド・ロッシのイルコニコケトルは、今日も私の家のキッチンでかわいい顔をしている。冬はストーブの上に乗っているが、飽きずに今もずっとかわいい。私は「良い物を買ったなぁ」と、にこにこの顔をしている。

先日、家に遊びに来た友人が「おしゃれなヤカンやなぁ~」と言ってくれたので「そうやねん、めっちゃ高かった、3万もした」と答えたら「えー!めっちゃ高い!でも、やっぱ良いん?すぐ沸くとか?」と聞いてきておもしろかった。確かに、ただ湯を沸かすだけのものが3万円もするんだから「かわいい」だけでは済まされない。「異常に早く沸く」とか「お茶が劇的においしくなる」とか、付加価値的な要素が無いと、その値段はおかしい。そういう考え方もある。
残念ながら(?)このケトルは全部がステンレス製で、火にかけると全体が素手で触れないほど熱くなるのでミトンなしでは使えないし、蓋の部分が小さくて手が入らないので洗うのが面倒だし、茶渋が付いたらきちんと洗い落とせないかもしれないと思うと不安でお湯しか沸かせない。サイズもわりと大きいから置き場所を取る。お湯が沸く速度はあまり気にしていないので正確なことは分からないが、CMでやっているティファールの電気ケトルの方が絶対に早いだろう。すぐ沸く?と聞いてくれる友人の期待には沿えるほどの速度ではないと思う。

私は友人に「ううん、ただかわいいだけ」と答え、話題は別のことに移った。
ただかわいいだけのケトルで、私は今日もただ湯を沸かし、良い物を買ったなぁと、にこにこの顔をしている。

確定前夜

2022年9月28日 (水) 21:11

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自分の創作、作るものについて何度か文章を書こうと試みているけど、最終的に「誰が読みたいねんこれ」と急に萎えてしまい、下書きが増えていく。投稿した他の文章だって、全部「誰が読みたいねんこれ」のやつしか無いというのに、なぜ創作についてだけ書き終えられないのかが自分でも不思議だ。
とはいえ自分の創作について何かきちんと言い切ったり言い終えたりすることが出来るのは、もっとずっと後なんじゃないかとも思う。だって始めるぞ!と思うことなく、いつのまにか何か作っていたし、努力して続けるぞ!と思ったことも、これで終わりにするぞ!と思ったことも無いのだから、濃淡の差や程度の差こそあれ、今後も勝手に続いていくだろう。続けていけたらいいなぁ~とも思っている。終わっていないものについて書き終えられないのは、当然のことかもしれん。

一方、仕事については始めるぞ!と思って始めたし、自分自身の表現の場・創造の場とは思っていないので、もう少し冷静な視点がある(と思いたい、けど自分のことなので結局は主観でしかないから確証は持てない)。根本的なところに「お金くれるなら何でもやるよ」が敷いてあるし、ひっくり返せば「お金くれないならやらない」ものでもあるのだ。だからいわゆる「好きなことを仕事にする」みたいなこととはちょっと違う。好きか嫌いかで言えば好きだが、苦でない、と言う方が近い。冷たく聞こえる感じもするけど、仕事にも同じように愛着がある。ただ種類が、性質が違う。
あまり仕事だけを自分自身の表現の場・創造の場にしすぎるとしんどいんじゃないだろうか。他の人は知らんし、なかひろ以外とこういう話をしたことがないが、私は多分しんどくなると思う。例えば3案もデザイン案を出したのに「んーどれもイマイチっすねぇ~」などと言われたときに、いちいち「自分自身を否定された」と感じていたら、精神的に参ってしまうと思う。「ほな自分でやれや」ぐらいの精神性でいないとやっていけないし、そもそも万人が好むデザインなんて存在しないのだ。適度に受け流していかないとこんな仕事続けていけない。
そりゃあ「3案出したのにどれも刺さらんとなると今後のスケジュールがヤバいな、どこで巻こうかな」とか「予算的にだいぶ厳しくなっちゃうな、赤になったら嫌やな」とかは思うので、もちろん精神的に負荷はかかるけど、でもそれだけのことだ。

このあたりの線引き・区分け・分類について、定期的に文章にし、置いておきたいと思う。今後変化があったとき、もしくは変化を欲したときに、あぁ33歳のときはそう思っていたんですね、と戻ってこられるようにしたいからだ。そのとき共感できなくても、全く違うことを考えていたとしても、少なくとも33歳のこの日は、そんなことを考えていたんだなぁと思いたい。
とはいえ「思いたくない、知りたくもない」に振り切ったらこのサイトはサーバーごと消すと思う。

あらゆるものごとは「暫定」ですね。そんなことより秋が来てくれてうれしい、日によってまだ29度ぐらいあるけど、私は無視して、もう秋が来たことにして生活しています。

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