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俺は車にウーハーを
2025年1月23日 (木) 20:50
友人が「台湾旅行へ行こうと思うので話を聞きたい」と連絡をくれた。こんなにうれしい誘いはないと思う。一緒に行く旅行も良いけれど、別々に行く旅行だって良いよね。行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか。
寝る前に「これを言ってあげるべきだった」ということが2~3浮かんで「でも別に調べるだろうし、ガイドブックに書いてあるやんな」と思い、LINEするには至らなかった。でも一応書いておきます。
①空港から電車に乗るとき、現金で切符を買うけど、券売機では大きいお札が使えなくてちょっと困った。
券売機は100元か200元しか使えなかった記憶。
改札口の駅員さんに言えばもちろん両替してもらえるけど、そもそも空港で両替するときに細かいお札をゲットしておけばよかった。
ここでは紫のコインみたいなのが切手で、かわいかったのだけど、改札を出るときに回収されます。おみやげに持って帰りたいなと思ったけど、そういうのじゃないみたい。
②電車での飲食が禁止されていて、駅のホームでも水すら飲めないので気を付けて。
改札を通ったあとは飲食禁止、みたいなルールらしい。
私は電車内ではあんまりないけど、ホームではお茶を飲んだり飴ちゃん食べたりするので、結構気をつけないと危なかった。
③悠遊カードを手に入れればチャージして使えるので、切符を買う必要がなくなって便利。バスに現金で乗ろうとするの、結構ハードル高い気がする!小銭むずい。どれがなに元なんか覚えられんまま帰ってきた。
ただし悠遊カードは返金がややこしい&返金手数料がかかるようなので、なるべくきちんと使いきれる額を計算しておいてチャージすると良い。最後にコンビニで使い切るとか。
悠遊カードは駅の券売機で買うか、コンビニでも売っているし、キーホルダー型のかわいいのもある。
私はキーホルダー型のが欲しかったけど、結構良い値段するので、普通にカードタイプのにした。これも100元ぐらいはした。
以上です。
帰ってきたらどんな旅行だったか、何を食べたか、何を買ったか聞きたい。連絡してね(私信)。私は人の旅行の話も好きです。いや、みんな人の旅行の話好きよね。
私は年度末が無事に終わったらゴールデンウィーク前にまた韓国に行こうと思う。「もう日本に帰りたい」と思いたいので、5泊ぐらいしようと思っています。あと家庭料理を教わりたいので、そういうアクティビティを探そうと思う。
…………「もう日本に帰りたいと思いたい」って妙なこと言うてるな……思わなかったらどうしよう。いや思ったこと一回もないかも。「家に帰りたい」とは思うけど、それは「自分の布団」とか「自分の家の湯舟」みたいな意味であって、「日本」ではないのでは。「日本」て何を指すんでしょうね。
今ちょっと「言葉がぜんぶ通じるところ」のことかなと思ったけど、私べつに「日本」で「言葉がぜんぶ通じてるなぁ」と思ったことない。あと「通じてないほうが楽」なこと、いっぱいあるよな、言葉って。
「日本」てなんのことを指すんでしょうね。
day1
2025年1月14日 (火) 20:47
RMさんのドキュメンタリー映画を観てきた。私的2024年ベストアルバムだった「Right Place, Wrong Person」の制作を追い、記録した映画だ。
土曜日、病院が終わったので映画館へ、と思って空席状況を調べたらお昼の回がほとんど満席だった。おそらくワイワイ観たいような映画ではないので、一旦パスして帰宅。21時半スタートの回を予約した。
昼間とは打って変わって観客は7〜8人くらい、同年代くらいの女性がほとんどだったけど、ご夫婦のお客さんもいた。
映画本編前に予告編がいくつかかかるのだけど、中学生が観るような漫画原作の恋愛映画の予告編ばかりかかって、とても複雑な気持ちになった。まず大前提として「中学生が観るような漫画原作の恋愛映画」のことを貶めたりする気持ちは全くない。揶揄する気持ちもない。例えば好きなアイドルが出演している、好きな漫画が実写映画化する、などのきっかけで年若い人たちが映画館に足を運ぶことは良いことだと思うから、だからそういう映画が存在することや、そういう映画を製作する人たちのことを、とやかく言いたいわけではないのだ。
ただ、RMさんのドキュメンタリー映画を観に来た客に、見せる予告編ではないだろう、と思う。そもそも21時半スタートの回なので、18歳未満の人はここにはいないのだ。ピンクとパステルカラーでキラキラの予告編をかけても、たぶん、いやほぼ意味ないよ。「次このKokiさん初主演の映画を観に来よう~っと」と思わないよ。少なくとも私は思わない。
そこでふと、RMさんが、キムナムジュンさんが身を置いている場所こそ、このピンクとパステルカラーでキラキラにしたKpop業界なのかも、と思い至り、私はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。こういう違和感や、ミスマッチの中で、つまり逆境の中で生きて、音楽をやってきた人なんじゃないのか。
BTSは表層だけ、いや、例えば「Dynamite」だけピックアップすれば「ピンクとパステルカラーでキラキラ」と言えなくもない。世界的ヒットをおさめ、商業的にも大いに成功し、間違いなくポップスターだ、キラキラ以外の何者でもない、じゃあ「あのBTSのリーダーのドキュメンタリー映画」という点だけピックアップしてかける予告編を選べば、ああいうラインナップになるのかもしれない。機械的にやれば。だから、別に「間違ってる」とかではないのよな。今まさに「Right Place, Wrong Person」状態やん私、私が、と思ってちょっと笑った。
映画はとても良かったです。変わっていく君のことが好きだよキムナムジュン。
このごろ布団がつめたいので、湯たんぽを導入した。私は平熱が高く、手足の血行も良いので冷え性とは無縁の人生を歩んできたが、最近は年齢のせいか足先が冷える。夜、冷たい布団に入り、寝付くまでの時間がつらい。電気毛布は大げさだし、靴下は寝心地が好きじゃなくて嫌だけど、湯たんぽは良いかもしれないと思い、無印良品で小さめのをひとつ買ってみた。
無印良品の湯たんぽはポリエチレンのような素材で、カバーは別売りになっている。気に入るカバーがないのでいったんスルーした。ニットのさ、レトロな感じのが良いわ。かわいいやつないかな。
結局メルカリでハンドメイド小物を売っている方のところで、湯たんぽカバーを買った。オレンジと緑の巾着型で、お花のモチーフが編んである。かわいい。こういうのよ、こういうのが欲しかったのよ。アクリル毛糸だから洗濯もできる。
お風呂に入る前にお湯を湯たんぽに入れ、先にベッドにいれておく。お風呂から出て、さて寝るか、のころには、布団そのものがあたたかくなっている。猫と寝てるみたいだな、と思う。まぁ猫と寝たことないんですけど。犬も一緒に寝るとこんな感じかな。犬って一緒に寝てくれるの?犬種によるんかな。
両親、姉、甥たちで日生に行った。牡蠣を食べ、漁港で買い物をして、博物館を覗いて帰宅。翌日は姉と甥たちで公園に行ったりした。
姉は20年近く保育士をしている。最近は管理職のような立場になっているものの、園にはいるので、とんでもない数の子どもを見ているはずだ。先日は「教え子が成人し、会いたいと連絡をくれたので、何人か連れていって焼肉を食べさせる」みたいなことが起きていた。私は「教え子が成人し」のあたりで既にクラクラする。「会いたいと連絡をくれた」のもすごい。
私は姉が保育士をしているところを見たことがないが、甥たちへの接し方を見ると、なんとなくその様が分かるような気がする。たぶん「子どもがかわいいと思う気持ち」や「自分より小さく、弱いものを守ろうとする気持ち」みたいな、結構原始的な気持ちがベースとしてありつつも、それとは別軸で「観察したり、研究したり、比較したりする」ような、ある種冷静な、もっと言うと冷淡な気持ちがあるんじゃないか。そういう、相反する感情のバランスを取る仕事なんじゃないか。どちらにも偏らず、バランスを。
またバランスの話をしている。私は一生バランスの話をし続けるのだと思う。
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2024年12月25日 (水) 21:58
11月くらいに設定した「年内にやることリスト」が概ね完了した。残りは「積んである本を読み切る」だが、これはかなり厳しい、無理やと思う。多すぎる。本を買うことのハードルが低すぎるから、どんどん増える。まぁ年が明けても別にええから、積んである本を一旦読み切ろう、読み切ったら本屋に行って良いことにしようと思う。実家帰るときに本持って帰りや。
CDプレーヤーが壊れ、レコードを聴く用のスピーカーが壊れ、家で音楽を聴く環境がないまま、1年近く過ぎた。電化製品を捨てるのってめんどくさいし、そもそも棚からおろすのも大変。配線とかあるし。が、リストに書いてあるので(私が書いてんけど)仕方なく休みの日にちょこちょこ実施。とりあえずレコードが聴けるようになった。すごい安いスピーカーやけど、これぐらいで良いねん、という音がする。レコードは「持っているやつしか聴けない」というのが気に入っている。
RMの「Right Place, Wrong Person」がレコードで欲しいねんけど、いつ出るんやろ。リリースから半年ぐらいたつし、そろそろ出てもいい頃やと思うねんけどな。年内はもうないか……
このアルバムが「今年まじでめちゃくちゃ褒められるはず、(具体的に誰かは知らんが)音楽詳しい人たちが超騒ぐはず、良アルバムすぎる、ベストアルバムオブザイヤー」と思っててんけど、まったくそんなことはなかったので「???」と思っています。???
10年(もっと長いかもしれん)履いたマーチンの3ホールがかなりボロい感じになってきたので買い替えた。新品のマーチン、こんなに硬かった?こんなにも?ほぼ武器やん。痛すぎる。先代がやや大きく、薄めの靴下のときカポカポするので、今回はワンサイズ小さいのを買った。たぶんちょっと伸びたらちょうど良いぐらいのサイズではあるものの、硬すぎる。足の甲んとこ血ぃ止まってんちゃうんか。履いて慣らすしかないのは分かってるけど、こんな痛いもんを履こうという気持ちにならんやろ。なんやこのアホの靴。自分で買ったくせに悪口を言ってすみません。履き慣れたマーチンのことは好きです。
靴はニューバランスとかがいっちゃんええわ。ニューバランスで靴擦れしたことなんかないもん。
年末(や年度末やお盆前など)になると「そんなもん年明けでええやろどう考えても」とか「自分でやれやそれぐらいのこと」みたいな内容の仕事を押し付けるだけ押し付けてくる人が多数、次々に登場するので心労がすごい。胃が痛い。どうしても年内にやってほしい/やらなあかん、のではなくて、ただ「自分がボールを持ったまま年を越したくない」というだけのアレです。アレをゴリゴリ押し付けられる。しんどい。もうやめて。
「無いものについて考えない」というのは私が仕事をする上で最大のテーマだと思っているけど、いまだに「私が管理して私が手を動かして私が納めるしかない、全部私の責任」ていう状況のこと、ずっとしんどいとは思ってる。しんどいし、どうにかなってほしいけど、考えてもどうにもならない。どうにもならないことなので別に口に出さんけども。
口に出した方が楽になる人もおるって知ってるけど、私は口に出すとそれが自分の耳に入ってきてそのせいでネガティブな気持ちが強化されるから嫌やねんよな。ネガティブが強化されるわりに、事態は一切動かんてのが嫌やねん。ネガティブを口に出して事態が好転するなら出すがな、でもせんやん。だって事態を好転させる人が私しかおらんねんもん。自分で自分のネガティブを強化するだけで終わるやん。
が、これを「ポジティブ思考」だの「責任感がある」だのと誤解されている。それもしんどい。どこがやねん。何もわかってないな。でも、これもどうにもならない。誤解されながら死ぬ。
だいぶ誤解され慣れてきたな、とは思う。ただ「誤解してます」と言うのを面倒がって端折ってるだけ、とも言える。だって面倒やん。勝手に誤解してるのはそっちやのに、なんで私が誤解を解くための面倒を受け入れなあかんねん。意味分からん。もういい。誤解されたままで死ぬ。
そうや、老後の心配がそんなにないな、ぐらいのまとまった貯金ができたら、こんなストレスしかない仕事はやめにしよう。また古本屋でバイトしたらいいわ。月12万ぐらい稼いで、稼げるかな、毎日本棚を整えて、たまにポップ作ったりして、そういう生活がいいな。そうや、人が作ったものを売る仕事がいいわ。スーパーでもいいやん。そうしよう。20年後ぐらいかな。あと20年か、じゃあそんなに先じゃないやんな。月に1万円ずつでも貯金すれば、年に1~2回は旅行もいけるやろ。
あ、急に気が楽になった。よしよし。なんにせよ、今年もよく働いた。えらかったね。よくがんばった。欲しかった時計見に行ってもええよ!
white cat
2024年12月18日 (水) 20:02
ルンバを使い始めた。買ってから1か月、箱から出す暇がなかったが「このまま2025年になってしまう」と思い、一念発起して起動した。
私はあまり「賢い電化製品」に興味がなかったが、ルンバさんとの暮らしはかなり良い。まず、ルンバさんには好きな名前を付けることができる。「なんのために名前を……?」と思いつつ、「ユンギ」とした。白いから。白いルンバやから。
ユンギはスマホで操作できるようになっている。なるほど、さっきWi-Fiに繋げたのはそういう理由だったのだ。とりあえず動かしてみるか、と思い、全部屋の掃除モードにして開始。思ったより早いスピードで動く。「音がうるさい」というレビューを見かけたけど、私としては「……いや、こんなもんじゃない?」程度の音量。エコモードを使用すればもう少し音量は下がる様子。でも掃除機もこれぐらいの音量ちゃうかな。おんなじようなもんやで。
ユンギは早速リビングのサイドテーブルとごみ箱をぐいぐい押しやりながら進んでいる。なるほど、これぐらいの重さのものは動かしちゃうんか……ユンギけっこう力持ちやな……ユンギが掃除しやすいよう、床のものをせっせと避けていく。椅子はテーブルの上にひっくり返して置き、床から離す。掃除機ではやりにくかった食器棚の下も上手に掃除してくれてありがたい。
前面にセンサーが付いているようで、壁面には強い。当たらないで上手に避けている。ただし家具の細い脚には弱いらしい。我が家の家具は全体的に脚が細めなので、ガンガン激突している。か、かわいい。すでにかわいい。車で言うところのバンパーみたいなパーツがついているので、家具が傷つく心配はなさそう。
何より一番いいのは、私だったら「ま、今日はリビング・ダイニングだけでいっか!寝室は明日やろ~」などと安直に手を抜き、結局翌日は掃除機を手に持たない、みたいなのをやりがちなのに対し、ユンギは全部の部屋をくまなく掃除するところだ。ユンギに「ま、いっか今日のところはこんなもんで」みたいな怠惰な気持ちは存在しない。助かる。
無垢床なので水拭きは困るなぁと思っていたが、「どのくらいの量の水を使うか」というモードの変更ができる。これも助かる。寝室と浴室はビニールタイルなので、むしろ水拭きしてほしい。こういうときはユンギを寝室に入れてからリビングとの境目にバリケードを作り(我が家は寝室とリビングの間にドアをつけていない)あとは浴室のドアを閉めればいける。
が、こうすると寝室・浴室から自分の家があるリビングに帰れなくなってしまうのがネック。アプリに「ユンギが立ち往生しています。たすけてください」という通知が来るのはかわいい。
放置しがちなベッドの下も、置いてある衣装ケースさえ床から上げておけばユンギが掃除してくれる。私はとにかく、床に置いている物を上に移動しさえすればいいのだ。とっても助かる。
最近は平日でも、夜ご飯を食べ終わってテレビを見たり本を読んだりしている時間を、ユンギに掃除してもらっている。前述のとおり床に置いている物をすべて移動し、私自身はソファーの上に避難する。40分くらいすると掃除が終わる。週に2~3回くらいお願いすると、快適に暮らせるな、という感じ。
ルンバ買ってから床に物を置かなくなった、という話、よく聞くけど分かるな~私もそうしようかな。
my dear
2024年12月10日 (火) 20:01
「人」を好きになることがほとんどない。私が好きになるのは「創作物」である場合が多い。絵でも音楽でも小説でも映画でも、ほとんどそうだと思う。それを創作した「人」が存在していることは当然わかっているし、その人への敬意なんかは感じるけど、「創作物」への好意を上回ることがほとんどない気がする。
あまり意識したことがなかった。何が原因なんだろう。そもそも人間が別に好きじゃないからか……?と思ったけど、「人間」みたいな多種多様な生き物を好きかどうかなんて、自分でもよくわからない。あと自分も人間やし……
好きな人間もいるし、嫌いな人間もいる、ぐらいしか言えることがない。みんなそうだろう。
私は長年、好きな画家としてマティスを挙げてきたが、マティス本人についてはほとんど何の知識もなく、好きかどうかの判断もつかない。私が「マティスが好きです」と言っているとき、私の頭に浮かんでいるのは、彼の顔でも、生前のエピソードでも、経歴でも名言でもなく、「赤のアトリエ」や「ダンス」や「花と果実」でしかない。
ちなみに私がマティスについて知っていることは下記のとおり。アメトーーク!で「マティス大好き芸人」が企画されても出演できないぐらいの知識量。
・わりと遅くに絵を描きだした人であること(何歳から、とかは知らん)
・フォーヴィスムの画家
・フランス人
・南仏で亡くなった(どこで、とかまでは知らん)
・晩年は病気もして絵を描く体力がなくなったが、切り絵をやってた
先日「マティスやピカソ、ダリが好きだった食べ物やよく食べていたお菓子なんかについて話します」というお題目の講演会があったので参加してきた。そこで聞いた話によると、マティスは法律家になるための勉強をしており、一度就職したらしい。法律事務所で働き、裁判官になるための試験も受け、しかも合格している。しかし盲腸になって入院し、その療養中に絵を描きだしたらしいのだ。暇つぶしで描き始めた絵画にのめり込み、二十歳を過ぎてから画家に転向したという。フランスのだいぶ北の方の出身だそうで、結構裕福な商家の生まれらしい。真面目な堅い仕事に就いてほしかっただろうに、ご両親はさぞかしショックだったろうな。
50歳くらいでニースに引っ越した。ここでアトリエを構えたマティスは、壺やらラグやら鳥かごやら、とにかく絵のモチーフになるものをたくさん集めて、アトリエを飾っていたらしい。植物を育てたり、鳥を飼ったりして、アトリエはとてもにぎやかだったよう。好きなものを集めて自分のスペースを飾るのが好きな感じ、めちゃくちゃわかる、私もそうやねんマティス。
マティスはアトリエにモデルを呼んで絵を描くことが多かったので、休憩中に食べてもらうために「フリュイコンフィ」をよく買っていたらしい。フリュイコンフィというのは果物を砂糖漬けにした南仏のお菓子で、マティスが通ってたお店は今もまだあるそうだ。
モデルさんにおやつを用意する感じ、なんかわかる。「ギャラはもちろん支払うしお昼休憩は取ってもらうとして、でも結構長丁場になるしな~」みたいな時に、おやつ用意する気持ち、わかるわ。
マティスが好きなのはその絵の色彩や、オブジェクトのセンスの良さ、伸びやかさ、おおらかさ、そもそもの手癖、みたいなものであって、マティスがどんな人かは別に関係ない、と思っていたけど、たぶん関係なくないんだよな、と思った。たぶん、関係なくないよ。
まぁ一方で、マティスが幼少期から絵しか興味のないボンクラ系息子で、モデルさんになんの気遣いもない横柄な画家だったとしても、別に今さら作品を嫌いになったりはせんけど、とも思う。
とはいえ共通点が多いというか、似た感覚を私も持ってるよな~だから好きになったんかもしれんね、とWikipediaを眺めていたら、マティスと私は誕生日が同じ日だった。
さすがにこれは、もっと早い段階で気づかんか……?
その漢字どっかで見たことある
2024年12月1日 (日) 20:51
台湾旅行の影響で、台湾料理に興味が出てきた。
私は分かりやすく影響を受けるタイプなので、旅行先で食べたものをすぐ家で作ろうとする。
迪化街にある「老阿伯魷魚羹」というお店で食べた「油蔥飯」がおいしくて、絶対作りたい。ネギとエビの殻と、たぶん少しにんにくをカリカリに揚げたものがトッピングされていて、ベースには甘辛いお醤油のタレがかかっていた。少しだけ油がかかっていたけど、あんまりクセのない油だったように思う。
これが一緒に食べたイカのつみれとおさかなの団子が入ったあっさり味のスープとすごく合っておいしかった。おさかな団子のほうは中に肉あんが入っていて、これが味噌味というか、少し濃いめに味付けされていて、スープとのバランスが良い。冬瓜が入ってたのもよかった。大根かもしれんけど、でもあれは冬瓜な気がする。ごはんと合わせて580円くらいだったのも嬉しかったな。
近所にあったら絶対通うのに……あれ、日本で食べられるお店ないのかしら。
帰国後、「油蔥飯」についてずっと調べていると、おそらくキーになるであろう調味料「醬油膏」にたどり着いた。多分カルディとかに行けば買えると思うけど、選択肢が欲しいのでまずは南京町に行ってみようと思う。そういえば宇治川の商店街にも中国食材の商店があったはず。売ってるんちゃうんか醬油膏。
そういえば従兄弟のお嫁さんが中国の子なんだけど、その子のお母さんのお料理を食べさせてもらったとき、見たことない調味料をたくさん持ってきていた。「これだけは日本に来るとき持ってくるの、これは中国の醤油」と言っていて、へぇちょっとなめさせて、ともらったあの醤油は、甘かった。あれもしかしたら醬油膏だったのかも。
トッピングが揚げた「紅葱頭」であることも分かったが、こちらは日本では手に入らなさそう。いわゆる玉ねぎとは違い、エシャロットと訳されている様子。その根っこ部分が「紅葱頭」らしい。エシャロットはフランス料理によく出てくるけど、あれとおんなじもの?あれの根元ってこと??台湾では市場にもスーパーにも行ったけど、見かけなかった気がする。どういう状態で売ってるんやろ……
すでに揚げてある「油蔥酥」なら日本でも買えそうなので、これを買ってみようと思う。
答え合わせが出来ないので、おそらくこう、たぶんそう、みたいな域を出ないのが悲しい。料理を教えてくれる現地のおばあちゃんみたいな人とマッチングできないだろうか。1か月くらい台湾でおばあちゃんと一緒に暮らして、料理を教わりたい。料理は言葉が通じなくても教われると思う。1か月もいれば、最低限の日常会話くらいは覚えられそう。一緒に市場に買い物に行って、保存食を作ったり、調味料を覚えたりするの、絶対楽しいと思う。私は料理を教えてもらう代わりにおばあちゃんの生活費を出したり、料理以外の家事を請け負ったり、あとはITのサポートをしたりしたい。こういうマッチングアプリが出てほしい。難しいか。
my cup of tea
2024年11月28日 (木) 22:03
九份で工夫茶を飲んだ影響で、人生で二度目の「台湾茶器ほしい期」が訪れている。
工夫茶との出会いは2019年のことだ。上野のカヤバ珈琲でモーニングを食べようと友人と待ち合わせをしたら、残念ながら臨時休業だった。こんな早い時間に開いてるお店が他にあるかね……と近所を散策していたら、まだ開店前だったが工夫茶のお店を見つけた。そのときは工夫茶という言葉も知らなかったが、お店の雰囲気が良さそうだったので「開店まで待って、ここでお茶しようよ」ということになった。
工夫茶(くふうちゃ)というのは中国の伝統的なお茶の淹れ方のことで、まぁ日本でいえば茶道みたいな感じだと思う。茶道と同じように専門の道具や茶器を使い、決まった手順で淹れる。とはいえ別にそんな難しいもんではなく、要は道具をあたため、お湯を少し冷まして(台湾茶や中国茶は100℃だと高すぎる、80℃くらいまで冷まして淹れる)お茶の葉にお湯を入れ、あとは漉して飲む、というもの。途中香りをかいだり、余ったお湯を捨てるための器を用意したり、いろいろお作法はあるけど、別に無視しても大丈夫(なはず)。
台湾に行って素敵な茶器があったら買おう、と思っていたけど、これがなかなか難しかった。台湾でもこんなのでお茶を飲む人は少ないのかもしれない。紅茶が好きでもティーセットを一揃い買う人はそんなに多くないもんな。それと一緒かな。
飲むときに使う茶杯は雑貨屋さんでかわいいのがあったから買ったけど、淹れるほうの道具はなかなか。ものすごくお値段が高かったり、ちょっと装飾的すぎたり、難しかった。蓋椀ならたくさん見かけたしこれなら値段的にも買えるけど、そうなるともっとデザインを吟味したい。3泊4日の旅行中に、選んで買うところまでは結局行きつかなかった。
帰国後、九份のお茶屋さんで使った、片口に蓋が付いたようなのが欲しい、と思って探していたら、あれは「絞り出し」とか「宝瓶」という名前らしい。なんにでも名前がある。蓋椀と違って注ぎやすいように口が付いていて、指を添えるところに細工があり熱くないようになっている。急須や茶瓶と違うのは、内側を洗ったり、茶葉を捨てたりしやすい点だと思う。
ポットウォーマーと宝瓶があれば、かなり略式ではあるけどキッチンに何度も立たないで工夫茶っぽいものが楽しめるんじゃないか、というところまで思考がたどり着いている。でも茶托も欲しいし、あとお茶菓子を載せるあれもほしい、あのお皿に脚がついたみたいなやつ、あれの名前なに。
こうやって、また物が増える。
my sweet home
2024年11月25日 (月) 20:51
ひとり暮らしの家について、最近よく考える。家というものが好きすぎるのだ。私は自分の家も好きだし、そもそも「住居」に興味がある。家は生活であり、生活は人そのものだ。家について考えることは、人について考えることと同義だと思う。おもしろいに決まっている。
先日、友人の家に遊びに行った。2か月ほど前「ほとんど決めようと思っている家を見に行く」と連絡をもらい、内見に着いていった家だ。私の家好きは周知のことで、友人たちは物件の間取り図を送ってきて「どう思う?」と聞いてくれたりする。
彼女が「間取りと写真だけ見て、ほぼほぼ決めようと思ってる」と言ったそのマンションは比較的高層階の部屋で、駅が近いのに周辺環境のおかげで眺望もよく、私も申し分ない部屋だと思った。あと4~5畳くらい広ければ文句ないのに……と思ったが、そんな部屋がないことは知っている。ひとり暮らしの家といえば20平米前後、それ以上の広さになると無駄に部屋数が増えるのだ。
私は「いいと思う、ベランダも広いし収納も十分あるし、あとこういうキッチンは料理が捗るね」と答え、あとは賃貸契約の書類を一緒に確認した。
引っ越しが済んでひと月ほど経った彼女の家は、コンパクトで住みやすそうに見えた。広めのベッドを窓際に置き、気に入っていると言っていた白い丸テーブルを置いた部屋は、居心地が良かった。何より、家のサイズから生活がはみ出ていない、と感じる。彼女は「収納こんなに要らんねん、私ぜんぜん物なかったわ」と笑っていた。言葉通り、確かにクローゼットは半分以上空いている。ひとり暮らしをすると、自分の生活のサイズがよく分かるな、と思った。
先月泊めてもらった姉の家は、ベッドの上ですべての生活が完結するようなサイズ感だった。「狭い」と言ってしまえばそれまでだが、私は「いったい誰のために、何のために、家を広くしておく必要があるんだろう」と考える。姉の趣味は漫画を読んだり、ゲームをしたりすること、あとは友人と酒を飲むこと、それから体を動かすことなので、家でするのは前述の2つだけだ。ベッドの上で完結できる。友人と酒を飲むのは外でできる。ましてや彼女の家は赤羽なのだ。徒歩圏内に、行ききれないほどの飲み屋があるだろう、しかも安くてうまい店が。
姉は最近買ったというプロジェクターで壁一面にYouTubeの画面を映し、私の推しのMVを見せてくれた。「ゲームもこれでやんねん」とのこと。さぞかし楽しいだろう、良いな。
大きい家具を置くかもしれないから、人を呼ぶかもしれないから、誰か泊めるかもしれないから、など、ひとり暮らしにまつわる「かもしれない」は多い。どれも「ひとり」という身軽さから発生しているが、実はそのほとんどが「かもしれない」のまま、実際には起きないんだと思う。だから、ひとり暮らしをするときはなるべく「かもしれない」を除外して、自分の生活のサイズだけを見るべきなんじゃないか。もし頻繁に人を呼ぶようになったり、しょっちゅう誰かを泊めるようになったり、絶対に置きたい大型の家具を見つけたりした場合は、その時になってから家を変えるべきだと思う。
人の家を見ていると、自分の家についてもいろいろと改善点が見えてくるように思う。物が増え続けているので、年内にどうにかしたい。ギターアンプ捨てたいんですけど、誰か欲しい?
光について
2024年11月20日 (水) 20:45
生まれつき蛍光灯が嫌いだ。「生まれつき」なはずがない、と思うかもしれないけど、私は6歳の時点で父親に「新居の電気の色が気に入らん、もっと黄色い色の電気にしてほしい、家が白すぎる、そもそもこんなに明るい必要はない」という旨の主張をしているので、もう「生まれつき」でいいと思う。
30年後の現在、わが家に蛍光色の明かりは一つもない。風呂はかろうじて昼白色にした。風呂だけは裸眼で使う部屋なので、電球色だと危ないからだ。私はたまに自分でもびっくりするぐらい目が悪い。
イルミネーションも興味がない、と最近自覚した。人工的な光が全般的に嫌いなんだと思う。目が痛いし、シンプルに発色が好みじゃない。あまりきれいだと思えない。「イルミネーションを見に行く」のもまるで興味がない。ぜんぜん行きたくない。
友人にその話をしたら「じゃあ何の光ならきれいなの……星は……?星はきれい?」と、怪物に人間の情緒があるかどうかを確認するときみたいな質問をされた。星はきれいです。
ライブの演出としての光は、わりと受け入れられるようになってきた。アイドルというものを概念から理解し、楽しめるようになったことが理由として大きいと思う。
客席のペンライトをBluetoothで制御する演出は誰が始めたんかな。松本潤くんが「Coldplayのライブでやってたのを見て、自分たちのライブでもやれないか相談した」というようなことを言っていた記憶があるので、嵐よりColdplayが先、ということになる。
Coldplayのライブは昨年東京ドームで見たが、リストバンドの形をしたライトが入場時に配られた。私に見えている景色と同じように、反対側の席やアリーナ席にいる人たちもこの光が見えているのだ、私もその光のなかのひとつになっているんだ、と思うと嬉しかった。私も何かの役に立っているような気分になれたからだ。
札幌ドームで嵐を見たときは、母の友人にペンライトを借りて持って行った。私は3階席の上から5段目くらいの席で、初めて見た嵐は小指の先よりも小さかった。スピーカーも限界があり、反響と残響でもこもこした「隣の村の祭の音」を聞いているみたいだった。そんな状況でも、メンバーはみんな千切れるほどこちらに両腕を振って「見えてるよ」と言ってくれた。見えているのはペンライトだと思った。こんなに遠くても、そちら側が明るくてこちら側は暗くても、見えるのは光を持っているからだ。ここに光があり、それが動くのが見えるから、翔くんはここに人がいるとわかるのだ、と。
人工的であっても、意味のある光であれば好き、という感じかもしれない。
……てなるとイルミネーションを作っている人とかに会って話を聞けば「あの人が作った光だ」と思えるようになるので意味が生まれますね。好きになるかも。
イルミネーションを作っている人ってどこに行けば会えます?
작은 것보단 큰 걸 더 주는 일
2024年11月18日 (月) 20:06
ジンくんのソロアルバム『HAPPY』がリリースされた。ジンくんのことが人間として大好きなことは間違いないけど、音楽が好みかどうかは聴いてみないと分からないので私はかなり緊張していたが、長く聴いていけそうな楽曲ばかりでホッとしている。ジンくんが歌ってさえいればなんでも好き、というタイプのオタクだったら良かったのに、とは思う。自分でも自分が面倒(この件に限らず、私は本当に面倒な生き物)。
先行リリースされた『I’ll be there』は明るいサウンドのファンソングで、泣きながら笑っているみたいな曲だった。良い曲だと思う。「君(ファン)がいる限り、僕はここで歌うよ」という旨のファンソングは、手垢つきまくりのよくあるテーマだと思うけど、ジンくんがどういう人で、どういうマインドでアイドルをやっているかをよく知っているので、何回聞いても目がジワジワしてしまう。
入隊前の『The Astronaut』と聞き比べると、声質が変わっている。声質というか、歌声が力強く、逞しくなった。曲調の違いがあるので単純な比較にはならないけど、なんというか、ずっと歌声の根底にあった迷いや不安みたいなものが、なくなったように思う。18ヶ月間軍務に服していたのだから「歌唱力が上がった」とか「ボイトレを頑張った」みたいな話ではないだろう。だから、精神的な変化なんじゃないかと思う。
もしかしたら兵役を経たことで、業界以外の世界を知り、そこで得た人間関係や経験から、メンタルに作用する良い影響があったのかもしれない。勝手で、楽観的な憶測でしかないけど。
ジンくんは、いつどこに行っても誰からも愛される人だと思っているけど、それはジンくん自身がいつどんな経験をどこでしても、何かを得られる柔らかさを持っているからかもしれない。
何より、長い間「いつ行く、どうなる、免除される・されない」とジンくんの意思とまったく関係なく揺れ動いていた兵役が、どんな形であれ「ちゃんと終わった」ということで、得られた安心感があるだろう。これも想像でしかないけど、でももし私がジンくんだったら、お兄ちゃんも友達も、とうの昔に終えた兵役に、自分は自分の意思やタイミングで行けないこと、そもそも行くかどうかすら自分で決められないこと、それを決めるのは自分でも家族でもましてや会社でもなく国であること、などのストレスはとてつもなく大きいと思う。ジンくんは聞かれればいつでも「呼ばれればいつでも(兵役に)行きます、協議は会社に任せています」と答えていた。本当に言葉通りの意味だろうと思う。自分のことなのに、自分で決められる立場にない、という意味だ。これがストレスでないなら何だ。怖かっただろうな。
軍役の是非などの話ではなく、ジンくんが「このストレスから解放された」というただ一点のみにおいて言えば、行ってよかったんじゃないかと思う。だって「終わった」んだから。
ジンくんは、口では「僕はワールドワイドハンサムなので」とか「スーパースターです」とか言うわりに、いつもどこか不安げで、自信がなさそうで、遠慮がちなところがある。そういうところがいじらしく、健気でかわいいけれど、顔面以外への自己評価が低すぎるのだ。というか、顔面への評価を盾にして、それ以上踏み込めないようにしているところがある。謙虚と言うにはあまりにも行き過ぎている気がする。元来そういう控えめな性格でもあると思うし、自己表現の権化みたいなメンバーたちへの引け目もあるかもしれないし、明確な理由はわからないけど、ジンくんはいつも自分への評価が厳しいと、私は感じる。
他者からの評価にも一向に慣れる気配がなく、メンバーにまっすぐに褒められると、首まで真っ赤にして照れている。特に顔面以外を褒められているときのジンくんは、所在なさそうに恥ずかしがっていてとてもかわいい。たくさん努力してるんだから、何を褒められても「さも当然」みたいな顔してればいいのに、出来ないんだろうな。そういうところも好き。
前述の「かっこいい顔をみてください」みたいな発言も、いわゆる自己愛やうぬぼれ、自己陶酔の類から出ている言葉ではないのだと思う。
どの角度から見ても顔が美しいので事実を言っているだけ、という一面ももちろんあるけれど、自分自身を鼓舞したり、プロとして気持ちを安定させるための言葉だと思う。そうやってバランスをとる術をひとつずつ覚えていっているんだろうな。あんなふうに人生を切り売りする職業だと、線引きやバランスはかなり重要なんだろうと思う。
ジンくんは「もっとかっこいい人がたくさんいることは知っています、でも僕は自分の顔に満足しています」とも言っている。本質はこっちだと思う。
エンタメや音楽だけの話ではなく、どんな世界でも「もっとできるようになりたい、もっともっと」と上を目指す気持ちや力が大事なことはわかる。でも、それと同じくらい「自分にできること、持っているもの、今の自分そのもの」を愛し大切に思うことも、必要なんじゃないかと思う。それによって得られる安らぎや、あたたかさが、人には必要だと思う。ジンくんがグループに与えている安心感は、ここに由来するんじゃないか。
韓国で2日間開催されたショーケースは全く当選しなかったので家で見たけど、ファンに囲まれて幸せそうに歌うジンくんは夢みたいに美しかった。もう心細そうに、不安げに目を揺らしたりしていない。私が不安でこわくてさみしかったのと同じように、ジンくんも不安でこわくてさみしい18ヶ月間を過ごしたんだと、ようやく実感できたように思う。過去のことだったとしても「あのとき同じ気持ちだった」と教えてもらえることがとてもうれしい。
毎度のことながら、こんなに幸せにしてもらって返せるものが何もないの悔しいな。返せない分は私自身がもっと幸せに、豊かに生きられる力に変えたいと思う。具体的に何かは思いつかないんですけど、韓国語を頑張ります。
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