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TOO MUCH PAIN
2023年9月25日 (月) 20:57
立て続けにヘビーな映画を観てしまい、自分で選んで観ているのでもちろん誰も責められないが、とにかくしんどい。『地獄の黙示録』を観た翌日に『福田村事件』を観に行ってしまい、人間の愚かさについて考え込んでしまった。戦争も、差別も、あまりにも愚かだ、しかも終わってない。人間は戦争をし続けるし、差別をし続けるのだ。あまりにも愚かだ。私が何を考え込んだところで人間の愚かさは変わらないし、私もその愚かな人間のひとりとして生まれ、愚かなまま生き、いずれは死ぬのだ。私に出来ることは先人の愚かさから目を逸らさずに学び、我が愚かさを自覚し、同じ間違いを繰り返さない、ぐらいのことだろう。いや違う、「自分は間違う」ということを知って、覚えていて、いつでも「本当にそうなのか、これでいいのか」と自分に問うようにする、というか。
……結局こういう精神論みたいなところに戻ってきちゃうな。これでいいんだろうか。これでいいのだ、と言い切れないし、かと言ってこれじゃだめ!とも思えない。
ただ映画や映像としての感想を書くとすれば、『地獄の黙示録』はめちゃくちゃ重厚な作りをしており、記録映画なのかと思うほど骨太の映像だった。こんなん、作るほうも演じるほうもみんなキツかっただろう。おかげさまで、観るほうもしっかりキツい。153分の間、ずっと塗り重ねた地獄を見ているので、息苦しいほどだった。あと20分長い映画だったら気が狂ってたかもしれない、危なかった。でもこの「もうやめて、しんどい、待って、もうやめようよ」と思っている間が、実は一番しんどいのだろうな、とも思った。気が狂ったほうがきっと楽だ。「あぁ夕焼けがきれい」と思っている間が、たぶん一番しんどい。
『福田村事件』では東出昌大さんがあまりにも良い間男役を演じていた。東出昌大さんは、ほとんどしゃべらせなくていいぐらい、なんというか、華があると思う。例えば立っているだけで、もしくは座り込んでどっか遠くを見ているだけで、「あ、なんかええ男おるな」の感じがある。あるやろ。「イケメン」とかとは違うやつ。「華」という表現が正しいのだろうか……ちょっと良いのが見当たらんが。
とは言えどうしても「でもこいつ不倫してんよな~」が枕詞として頭をよぎるので、正直それがいつもめんどくさい。私は不倫というものは「当事者だけが怒り、傷ついた・裏切られたと糾弾し、必要に応じて大いに責めるべき、そして不倫したほうは当事者にのみ誠実に謝罪し、相応の償いをすべきもの」という認識であるので、東出昌大さんの不倫について怒りもしていなければ謝罪もまったく必要ないし償いなど一切求めていないけど、情報として知ってしまった以上、雑音として記憶には残ってしまう。なので、何年経過しようが、当事者が許そうが、莫大な慰謝料を払っていようが、まじで関係なく、私の頭の中にずっと雑音として「でもこいつ不倫してんよな~」が残り続けてしまうのだ。正直これはめっちゃ迷惑な話で、めっちゃ残念だよ。今後東出昌大さんがどんな良い役を得て、どんなにすばらしい演技をしても「でもこいつ不倫してんよな~」を経由せなあかんの、めんどくさいねん。だから不倫ってしたらあかんねん、わかった?なにこの話。
……もしかして不倫をするような人は「でもこいつ不倫してんよな~」と思いながら自分の芝居を観られても、別に平気なのか……?不本意じゃないの??いや待て、そもそも「不倫をするような人」と括れるか?無理な気がする。特性じゃないもんな、多分。なにこの話。もうええわ。やめさしてもらうわ。
『福田村事件』でお豆屋さんの役の役者さんがすごく良い表情をしてて、観たことない役者さんやな、新人さんかな、上手とかじゃないんかもしれんけどでも、良い役者さんやな、などと思っていたらコムアイさんだった。あんまり他にいないタイプの役者さんだと思う。他に何か出てないのかな、と思ったら『アイスクリームフィーバー』に出ていらっしゃったようです。あー見逃したやつよ。映画館でやってる作品をきちんと追うの、結構難しい。
今月中に観るべき映画は150本で、今現在146本。100本を超えてから7~8月で気を緩めていた分を順調に巻き返している。年末えらいことにならんために、ここらで貯金(貯作?いやそんな言葉はない)もつくりたいです。平日もしっかり観ます。
Right back to you
2023年9月21日 (木) 20:45
必要があって、興味があることだけ勉強すればいい、と基本的には思っているけど「デッサンをやっていない」ということについては今後もずっとついてまわる気がする。ま、めっちゃやりたくなったらやればいいか。あと、やったからといって必ずしも出来るようになるとは限らない、ということはちゃんと知っていてほしい。私よ。こういうの「やりさえすれば出来るだろう」みたいな感じでいるけど、でもそうじゃないケース、いっぱい経験してきたよ。まじ忘れんな。
図書館へ行って植物の図鑑を眺めていたら「花序」という言葉があることを知った。茎に対してどのように花が付くか、を表す言葉だ。例えばチューリップやガーベラ、アネモネなんかは「単頂花序」と言い、枝分かれしない茎の先に1つだけ花をつける、という種類だそうだ。
「そんなもんに名前があるんか」と思ったが、すぐに「そら名前ぐらいあるか」と思い直した。名前がついている、ということは、私が知らなかっただけで、誰かと誰かは共通のものとして扱うことが出来ている、ということだから、それって素敵なことだな、と思う。
そう考えると「愛おしい」とか「さみしい」とか「うれしい」とか「楽しい」とか、あらゆる感情に名前をつけて、共通のものとして扱うのってすごい時間かかったんじゃないか、と思ったりもする。大変だったでしょうね。とはいえ「“さみしい”は共通でしょ!名前付いてるねんから!」みたいな感じで来られると「いやちょっと待ってよ、私の“さみしい”とお前の“さみしい”が同じものなわけないやん、雑に括るなよ」とも思う。複雑。あ、お前って言ってごめんね。
実家のオリーブの葉が全部落ちてしまい、母が悲しんでいたのだけど、いつのまにかまたぽつぽつ生えてきていておもしろかった。鉢の場所も変えていないし季節が変わったというには短期間すぎるので、何が原因なのかさっぱり分からない。こちらが勉強不足な部分は大いにあるけど、それにしても気まぐれすぎない??いや別に怒ってないよ、おもしろいなと思ってさ。
生きているだけなのに暑い時期が終わり、朝晩は何もせずにじっとしていれば涼しい、くらいの時期に差し掛かってきてうれしい。頼むスムーズにこのまま秋を始めてくれ。秋も遠慮せず堂々と始めてほしい。開会式!みたいなのやりたければやってもいいよ、付き合うよ。
星野源の1stどっかいった
2023年9月13日 (水) 20:51
メガ割で買ったサーキュレーター、あんま効果が分からんけど……と思ってたが、普通に置きかたが良くなかったみたい。ごめん。エアコンの向かい側あたりで回すようにしたらかなり快適になった。帰宅してから家全体が涼しくなるまでのスピードが速くなったし、もともと28度設定にしてたのを29度設定にしても涼しい。
サイズも小さくて音もうるさくないし気に入ってるけど、動作中に点くボタンまわりの明かりが青いのが最悪。あと本体はくすみピンクみたいな色やのにACアダプタとコードが真っ白なのが最悪。これなら本体も白にすればよかったよ、めっちゃ目立つやんか。あと青はないわ。部屋が明るくても光ってるのが認識しやすい色ってことなんやろうか……分からんけどダサい。分解して色変えられへんのかな、と思うぐらいダサい。
国産の電化製品、機能とか性能は満足するけど、デザインの面で家に置きたくないことが多くて買うのかなり躊躇する。躊躇し続けた結果、買うまでに1ヶ月以上時間が経ってしまい、朝晩は結構涼しくなってきた。わはは。冬もサーキュレーターを使ったほうがあったかいのかな。
涼しくなってきたので段々やる気が出てきて、床の拭き掃除をしたり、植物に土を足して手入れしたり、せいろで蒸し餃子をつくったりしている。蒸し餃子、餃子のなかで一番おいしい気がする、焼売も食べたい。もうちょっと寒くなったら豚まんも作るぞ。
床はそろそろワックスをかけなおしたほうが良いような気がする。リビングまわりは無垢床なので経年で色も良い雰囲気に変わってきたし、始めのころは気にしていた傷やへこみも「まぁこれはこれで味」みたいな感覚になってきたけど、Pタイルのほうはそうはいかない。単純に「劣化」している、という感じ。まぁ分かっていたしメリットもあるのだから諦めてこまめにメンテするしかない。もう少しマメに拭き掃除をするしかなさそう。ただこの「もう少しマメに」がムズイねんよなーーーー
今年は絶対に持っているCDを100枚ほど手放す、と決めていて、ようやく実行した。えらい。えらすぎる。2020年以降はBTS関連のもろもろも増えていく一方なので、そろそろ持っている物の総数を減らしたい、服ももう少し減らすぞ。靴は減らしてから買う、ので総数はおんなじだが、靴は収める場所が決まっているのでこれで大丈夫。
私にとってCDを100枚減らすというのは至難の業だ。「思い入れ」があるから。「物」は別に厄介じゃなくて、本当に厄介なのは「思い入れ」のほうだとつくづく思う。シングルCDを積極的に減らしたいと思って取り掛かったものの、初めて自分で買ったスピッツの『スターゲイザー』を手放すのは厳しい。アジカンのシングルは2015年くらいまでの分がほぼ全部あるが、中村佑介の作品を所蔵している、という気持ちになってしまって、これまた手放すのは難しい。っつーか家にこれだけCDがあっても再生機器のほうが壊れているので、「CDは全部要らない」としてしまえば話は早いのに、そうは出来ない。「思い入れ」があるから。明らかに思い入れのないもの(ビニールをつけたままのやつとか、つまり、開けてないやつ、聴いてないやん、買うなよ)の数枚以外は、全部ウンウン唸りながら箱に詰めた。
とはいえこういうときは「ひとり暮らしでよかったな」と思う。もし家に私以外の誰かがいて「もうCD要らんくない?邪魔やし全部処分してくれへん?」などと言われたらしんどい。思い入れは親しい人となら共有できそうに思えるけど実は出来ないものだと知っているし(理解や譲歩なら出来るけど限界がある)、家の収納スペースには限りがあるのだから仕方ないけど、でも傷つくだろう。逆の立場なら私も「ガンプラさすがに多すぎん?処分していい?2個ぐらいあればええやろ」とか言うんだろうきっと。平気な顔で、ひどいことを。ひとり暮らしでよかった。
でもこうやって、ただ生活に要らないものを、毎日使うわけじゃないものを、どんどん手放していくのが、最高に良いこと!とも思えない。物量が多いことが豊かであることとは思わないけど、豊かさとは何かを自分で考えたいとは思う。
そういえばここ2~3年でコーヒーをまったく飲まなくなったので、道具を一式、人に譲った。その人は最近になってコーヒーを自宅で淹れるようになったらしい。「ポットとな、ドリッパーは買ってん」と言っていて、いろんな豆を買うのが楽しいらしい。ええやんええやん。「挽くやつはまだないねん、手動がええんやろか」とのことだったので、一式送った。うちに手動も電動もあるよ、両方あげる。手動のは手間をかけるのが楽しいし(私は音も好き)、電動なら朝とか時間のないときも挽きたてを淹れられるのが良い。どっちも良さがある。「うれしい、さっそく使うわ、ありがとうね」と言って、その人はお煎餅の詰め合わせをお礼に送ってくれた。使わなくなったコーヒーミルが立派なお煎餅になって、私もうれしい。
いつでも要るものをすぐ買えるようになったけど、手放したり譲ったりすることのほうはまだ手軽とは言い難いよな。ごみを増やしたくない気持ちもあるし、上手に出来るようになりたい。頑張ります。
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