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カテゴリー:映画のはなし

MP3 killed The CD star ?

2019年5月13日 (月) 21:55

映画のはなし

週末、元町映画館で「世界一と言われた映画館」というドキュメンタリー映画(山形県酒田市にあったグリーンハウスという映画館について取材した映画、グリーンハウスは火事で無くなってしまったそう…今もあったら行きたかったなぁ)を観て、そのあとのトークショーにも参加して、それがすごい楽しかったので、ちょっとしゃべりたいな、と思ったんだけども、もう前提が多すぎてここには書けない。いや、書こうとしたけど挫折した。
まず映画を観てない人にちゃんと内容を説明をした方が良いなと思って、その上でトークショーの話をしないことには伝わらないし、でもちょっと無理があったわ、私の文章力では厳しい。あとここに書くつもりで人の話を聞いてないから、話の流れがぶつ切りになってしまう、記憶力も自信ない。ので、誰か会ったとき聞いてほしい、頼む。

つーかこういう時って、私はいつもひとりで行ってるんですよ、まじで良くない。こういうことがあるから、いつもひとりでフラフラ気楽にしてないで、ちゃんと、面倒がってないで誰か誘って、自分から声をかけて、人を巻き込んでいかないとダメなんだよ私は。社会とか未来とかそういうふんわりしたものの為じゃなくて、自分の為に、いつもひとりでいるのは、やめにしなきゃだめだ。

元町映画館はわりとよく映画鑑賞後のトークショーを企画していて、前にも参加したことがあったのだけど、これがめちゃくちゃおもしろくて、好きなんだよ。今回もめちゃくちゃおもしろかった。
前にトークショー付きで観たやつは、結構前のことになるけど、おじいちゃんがトルコからドイツに移住して、っていう映画で(ごめん説明が雑すぎるな、”おじいちゃんの里帰り”っていう邦題です、よかったら観てください)「そもそもなんでトルコからドイツに移住するの?」っていう、社会情勢の部分を知った方がより映画がおもしろいよ!っていうことで、大学から先生を招いてトークショーをやってくれて、そういう感じで、まぁ、とにかくすごく良い映画館なんだよ。好きな映画館。良い椅子が入ってるのも好き。

トークショーがある回は、もうちょっとチケットを高くしてもいいんじゃないか…と思うけど、私みたいなもんが気にするようなことじゃないのかな…余計なお世話ですかね。あ、既にしてるの?わからんけど。
はっきりと「節約のため」にレイトショーかレディースデーで映画を観ていた頃に比べて(あ、名画座は好きで行ってた、節約のためでなく)、今はもう少しお金に余裕がある(お察しの通り、たかが知れた余裕ではありますが)ので、好きな映画館(に限らずお店とかミュージシャンとかもそう)に必要なら必要な額のお金を払いたい、という気持ちがある。もっと言うと、頼むから閉めないで続けてほしい、という気持ちがある。それがどんなに「当たり前のことじゃない」かが身に染みて分かるぐらいに私は歳を取ったし、閉める(辞める)理由がお金だけなんだったら、どうにかできるんじゃ、と思う。
若いころはそんなこと考えもしなかったけど、つーか若いころは何かを「これはできないな!」と思うことの理由、8割くらいがお金だったよ。私だけか?

あ、「お金なんてどこにでもあるものだよ」っていうの、誰のいつの何のセリフだっけ、漫画とかかな…いま急に思い出した。思い出しただけで、全然関係ない話です。

映画「世界一と言われた映画館」は、全体的に「あのころは良かった、あの映画館はとても良いものだった、代えがたい思い出だ」というのをみんな(働いてた人、通ってた人、映写技師さんとか)がキラキラした目で話すのを聴く、という感じで、私はとてもおもしろかった。
「いま私は映画館の映画を映画館で観ている」という入れ子状のおもしろさもあったし。

私は「あのころは良かった」トークがわりと好きな性質で、話してくれる人がいることを幸運だなぁと思うし、映画の中に限らず、できればもっと普通にいろんなところで知らない人からも聞きたいと思うんだけど、対にして出てきがちな「それに比べて今は良くない」という方向の話になってくると、ちょっと嫌だな、展開として雑だな、と思う。
「あのころ」と「今」とは分断されたものじゃなくてずっと続いているし「私の若いころ」と「今の若い子」とはめちゃくちゃ関連し、繰り返してもいる、自分の子や孫でなくても。「現実は正解なんだ」と言ったのは立川談志。

トークショーでは「映画館に若い人が来なくなったね」という話が出て、まぁ寄席とか行っても若い人が来ないって言ってるし、どこもそうなんでしょうね、と思うものの、私も今30歳だし、みなさんの言う「映画館に来なくなった若い人」には含まれていないのだろうと察するけど、結局若くたって映画館で映画観る人は観るし、暇で時間余ってる人に無料でいいよって言っても観ない若い人は観ないし、「若い人」という大きい主語で出来る話じゃないな、と思った。

主語が大きい話、もう全然どこにも、誰にも響かないので、その話はしてないのと同じになってしまう、私もやりがちだから気を付けてる。私もすぐ「男はみんなさぁ」とか言ってしまうんだよ、ごめんなさい、しかも理性的にそれを言った時の感情を紐解くと「お父さんはいっつもさぁ」と言えばいいだけだった、みたいなこと、よくあります。ぜんぜん「みんな」じゃねぇ。気を付けます。個の話が結果的に全体に共感される話になるのは良いけど、全体の話に個を押し込むのは良くないと思う、少なくとも私は嫌いだ。

それにさ、映画を観る・観ないってのは、教育の話にもなってくるでしょう。教育って別に学校で映画見せろとかいう話じゃなくて(いやもちろん見せてもいいけど)、というか教育って学校以外でも日常的に無意識にやってることで、「映画ってものがありまして、これを映画館という場所で観るの、まじで超絶最高なんですよ」というのが、自分よりも年若い人に伝わってないように感じる、そのことがとても悲しい、映画館がなくなってしまうんじゃないかという危機感を感じる、っていうような、自分を主語にした話をした方が良いんじゃないのかな。それなら私は共感できる、「そうですね、私もそう思います」と言える。

あと、おそらくあなたたちが言うところの「若い人」たちに、今ぜんぜん、お金をあげてないじゃないか、みたいなことも、思う。こんなこと、世代で分断するようなこと、結局は誰も悪くないと思うから本当は言いたくないけど、でも言うけど、少ない給与から年金と保険料をごっそり取られて「でもあなたはもらえないからアテにしないで、自分の分は自分で貯めてね」って言われて、「最近の子は車買わないしゴルフも行かない、家も買わない、海外旅行も行かない」って言われてる「若い人」よ。もう先に生まれただけの人の話は聞かなくていいよ、と思ってしまう。

もちろん映画館で映画を観るお金が出せない(出したくない)っていうだけが「映画館で映画観ない理由」ではないと思うけど、でもゼロではないんだろうな…
仮にさ、「おばちゃん今から映画観に行くねんけど、一緒に行かへん?チケット代出すよ」って電車で隣の席の子を誘ったとして、多分、何人かは来るんじゃないの?まぁ怖がられるし私もいろんな意味で怖いからやらないけど、でも18~20歳くらい当時の私がこう言われたら、一緒に行くんじゃないかな。あと「今から歌舞伎観に行くけどチケット余ってて、一緒に観ない?お代いいから」って言われたら今でも完全に行く、誰か言ってくれないかな。待ってます。
でもそれって結局、もう大分近いところまで来てる人なんだよな、あとはお金とか、きっかけを待ってるだけの状態まで来てる人、だからあのトークショーの場で言ってた「映画館に来なくなった若い人」とは、ちょっとニュアンスが違うのかもしれない。

あと「今の子はスマホとかネットで観れて、映画館行かなくても済むからかなぁ」っていう話も出て、それはそうだな~と思うけど、でも私は家で、DVDとかネットとかで観る映画も大好きだから、一概に映画は映画館で観るもの、みたいな話は、私はできない、と思った。
あ、もちろん、「映画館という場所がなくならないためにも、もっとたくさんの人が映画館で観てくれると良いよね」というニュアンスの話であったと思う、「映画館以外で観る映画は映画に非ず」というニュアンスの話ではなかった。全くない。

主語が小さい話をしよう、私の話だ。
数万円のバイト代から紙を買うお金や印刷代、画材を買うお金、フィルム代・現像代、そもそもの食費・生活費をひねり出しながらどうにかこうにか暮らしていた、給料日前には必ず銀行の残高が数十円になっていた18歳の私から、映画を奪わないでくれたのは、映画館じゃなくてTSUTAYAだった。当時、この世の誰よりも好きだった人と、TSUTAYAでお互いに5本ずつ選んだDVDを、(家にあった唯一のDVDを再生できる端末、こと)ノートパソコンで順番に観て、いつのまにか寝てしまって、また起きて続きを観た、あのとき観た映画を、映画館で観る映画と同じ文脈で話すことはできないな、と思う。
そりゃあ17インチぐらいのMacBookにオーディオテクニカのスピーカーをつないで電気消したソファーも無い家の布団の上で観てたから、映画館の方が圧倒的に良いに決まってるよ、そんなこと当たり前に分かってるし当時も分かってたよ、映画は映画館で観るものですそういうふうに作られていますよねそう思います、でも、そんな簡単な話じゃないところに、私の生活はあったよ。
だからNetflixもAppleTVもHuluもAmazonPrimeも、映画を観るという行為の、選択肢のひとつとして存在してくれていることに私は感謝している。私が18のときにあれよ…とは思うけども、それはもう、済んだ話だ。

でもこれは「映画館に若い人が来なくなった」話とはちょっと、ズレるのかな。違う話かもしれない。

ズレたついでに書くけど、あのころ、DVDで観て本当に大好きだと思った映画の中には、あとから映画館で観ることが出来たものもあるのよ、「トニー滝谷」です、神保町で観た、あんな幸福なことはなかった。いつどこでその映画に出会うかなんて、自分で自由に選べるようで、実際には選べないし、そのきっかけに、上も下もない、私はそれが金曜ロードショーの吹き替え映画だって、構わないと思っている。それに、いつかパリで、みほと一緒に映画館に行き、「アメリ」を観るのが、今の私の、夢のひとつでもあります。

書いてれば何か結論が出るのかな、と思ったけど別に出ないね。結論なんかそうそう出るものじゃない。
後出しじゃんけんみたいに、こんなとこにちまちま書いてないで、あの場で、あのトークショーの場で、まとまらなくても声を出せるぐらい、話し始められるくらいの社会性をもった大人になりたいけど、まだ全然だめだ。がんばります。
と言いつつ何をどうがんばるのかは全く見えてない。じゃあ「がんばります」と言わない方がいいな。

とにかく私は元町映画館がとっても好きだし、もっと好きになったな、ということと、あの日あの場にいた人たちともしまた会えたら話がしたいな、きっとおもしろいだろうな、ということが言いたかった。

終わります。

横にロートレックがいる

2018年8月7日 (火) 23:55

映画のはなし

映画「ゴッホ~最期の手紙~」のブルーレイがツタヤさんにあったので借りてきて観た。
結構、話題になってた気がする。油絵が動いてる!って。
実際100人以上の画家が全編「描いた」そうです。6万枚超えだそうです。
すごいね…すごい…
これキャッチに「愛か、狂気か。」って付いてるけど
あれでしょ、この仕事量はゴッホへの愛なのか、我々の狂気なのか、って意味でしょ。

印象派絵画がそのまま動く、2006年のロシアの映画「春のめざめ」っていう
すごい映画があるのでそっちもすごいよ。
(語彙力がひどい)

「ゴッホ~最期の手紙~」、この手法がすごい・おもしろいってだけでなく
お話もすごくよかったのでおすすめしたい。

ストーリーは郵便屋(この人の肖像画観た、ボストン美術館展で観た)の息子・アルマンが
ゴッホが最後に書いた手紙を弟・テオに届けようとすることに始まり
ゴッホはなぜ死んだのか、本当に自殺だったのか、を追っていく流れになっていて、
いろんな人に会いにいってゴッホがどんな人だったか、死ぬ前どんな様子だったかを聞くのが
主軸になっているのだけどまぁみんな言うことがバラバラで、
結局「ゴッホがどんなに人だったか」は全く分からないのだった。

私はこの”人”とか”もの”とかについていろんな人がいろんなことを言うのが好きで、
それがバラバラであることに、心底安心する。
もっと言うと、健全だな、と思う。

人は誰にでも一貫して同じ顔を見せるわけではないと思うし、
時と場合によって人の印象なんて簡単に変わるし
ある”人”について何か話すとき、その人のどこをピックアップするのか、
どのエピソードを切り取るのかによって全然違う”人”にも見えるわけで
つまりある”人”についての話が
全員一致するなんてこと絶対ないだろうと私は思うのだ。

だから、ゴッホが自分の耳を切った(それを娼婦に渡した)エピソードを切り取れば狂ってる、と思うし
子どもを膝にのせてニワトリの絵を描いてあげたエピソードを切り取ればやさしい人、と思うし、
この映画はそういう、いろんな角度から”人”を観ることが出来るストーリーになっていて
それがとても、よかったです。

「ゴッホがどんな人だったか」なんて、もうとっくに死んだ人なので分かりようがないし
まぁ仮に生きて会えたとしたって
私がゴッホがどんな人だと思うかは完全に私だけのものであって
それを共有したり、決めつけたりする必要はぜんぜん無い。

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」も、これはドキュメンタリーやけど
同じくマイヤーについていろんな人がいろんなこと言う映画で
これも結局「マイヤーがどんな人だったか」は全く分からなくて最高だったのでおすすめです。
「分からない」は最高。
「分からない」から考えるし、調べるし、人に聞くし、
「分からない」はたのしい。

しかしまぁ芸術家というのはなぜこうもみな、ひどく孤独で、
うまく生きられない人ばかりなのだろう、と思う。
でもこういう、なんというか”死”に触れることのできる人だけが
この世に持ち帰れる何かがあるのかもしれん、とも思う。
でもクレーとかマティスみたいなタイプの画家もいるので
一概には言えませんね。

父はアルルに、ゴッホが描いたカフェを見に、
またフランスに行きたい、と言っていたので
近いうちに行けたらいいな。
パリももうちょっとゆっくり行きたいけど、
私もニースに行ってみたいし、南仏が呼んでる。

もし天才だった場合

2018年6月11日 (月) 22:10

映画のはなし

沖田修一監督の「モリのいる場所」を観てきたので、最高だったので
最高だったことを書きます。
ネタバレ禁止協会のみなさまはお引き取り願います。念の為。

「滝を見にいく」からもう4年?と、思ったら
間に「モヒカン故郷に帰る」があったわ、忘れてたごめん。
沖田修一の映画はいつも食べるシーンが印象的で、
「南極料理人」とかはまぁご飯の映画と言えるので分かるけど
そうじゃない映画でもご飯のシーンが大事に撮られてるなぁと思う。ご飯が好きなんですかね?監督。
すごい好きなのは「キツツキと雨」で海苔を食べるシーン。
本編というか、話の大筋とは別に関係ないのかもしれんけど
あの親子の、関係性とか空気感とかが、あのシーンからにじみ出てて好きだ。

「モリのいる場所」でも、冒頭の朝ごはんのシーンと
カレーうどんのシーン、大勢で食べるすき焼きのシーン、と
愛おしいシーンがたくさんありました。
あの大勢で食べるすき焼きのシーンは撮り方も好きやったなぁ、
あ、もう一回行くんですねカメラ!と思った。…伝われ!

タライのとこ(加瀬亮の足、よかったよねぇ)と、”知らない男”のシーンは
「ちょっとやりすぎでは」みたいな感想も見かけた(filmarksで)けど
私はそうは思わなかったな。
「えっ何?何何?」と思う画をやけに長く回して不安にさせてきたりするの、
沖田修一の好きなところのひとつでもあるから、
ぜんぜん、沖田修一がやりたいと思ったのをやってくれ引き続き、と思った。
前述の2つのシーンについては、妙な浮遊感があって良いなーと思ったけどなぁ、私は。

映画「南極料理人」でも、観測隊員と通信して質問を受け付けるシーンで
男の子を真正面から撮ったカットがやけに長く入ってて、
「え、なに、何の時間?え?」って思って、
ああいうの話の流れとは大きくは関係しないのに、なんか記憶に残るんよな。
サラッと流せないというか。

沖田修一が演出したドラマ「火花」の5話にも
マネージャー(染谷将太)がコピー機の前でじーーーーっとしてる妙に長いシーンがあって、
あの「え、今なんの時間?なにこれ?」ってなる、
あのざわざわとした気持ちに私は沖田修一を感じてると思う。
まぁ不穏さというか。

あと、何と表現すればいいのかずっと困ってて、しっくりくる言葉が見つからないので、
仕方なく暫定的に”俗っぽさ”と私が呼んでいる沖田修一の良さがありまして、
「モリのいる場所」ではカメラアシスタントの子がまさにそれで、
あの子が「明日も行くんすか?」って言うあのシーンが、とってもよかったなぁ。
ともすれば”ゆるい”とか言われて、その棚に雑に仕舞われてしまいそうな沖田修一作品において、
この”俗っぽさ”は本当の本当に重要、と思う。
「キツツキと雨」で海苔を食べるシーン(というか海苔の食べ方)とか
「南極料理人」でぼんちゃんとドクターが手伝ってるあのしゅうまいのシーンとか、
これ何て表現すればいいんでしょう。

こういう映画、宣伝が難しいのだろうな、と思って
例えばキャッチコピーを付けるにしても、どこをどうピックアップしても
”ピックアップする”という行為自体がこの映画には不向きな感じがして、
結果”夫婦愛の話”みたいなコピーが付いてて、うーーーーーん、となった。
でも”夫婦愛の話”ではない、とは思えない、十分に”夫婦愛の話”でもあるし、
間違ってはないけど、かといって全然芯食ってないし、うーーーーん、となった。難しいね。

ただこの”どこ切ってもどこ食べても沖田修一の味がする映画”が
本当に愛おしいと思うし、これが映画館で観られる2018年に生きてるのがうれしい、とすら思った。
どアタマに、庭をずーっと横移動して撮るシーンがあって
隙間にモリが居て、気づくか気づかないかぐらいの絶妙なトーンで居て、
あのシーンからもうグッと来まくってたわ。あぁー好き!沖田修一好き!ってなったわ。

この”沖田修一映画宣伝難しい問題”(問題なのかどうかはさておき)については
ご本人がブログでこう書いていらっしゃるので、もうこれでいいと思う。
—————
映画「モリのいる場所」は、実在した画家、熊谷守一さんの、晩年の夏の一日を切り取った映画です。
真珠も桃も、猿も骨も出てきません。
難しい映画だと思われがちですが、そんなことは全くありません。
たくさん、虫が出てくる、楽しい映画です。
小さな庭の冒険物語です。
—————

そうそう”たくさん、虫が出てくる、楽しい映画”ね、そうそう。
あの虫が歩く音?足音?カサカサカサっていうあれは
ほんとにあの場で録音したやつなのかね。気になる。
”蟻は左の2番目の足から歩きはじめる”も気になる。ほんとかな。

あと画家の話をやってるのに結局絵を描いてるシーンが一切出てこなかったの、
完全に意図的にやってるってのは分かるけど、その心は?と思う。気になる。
どうやら夜しか絵を描かなかったらしい(晩年だけ?)ので
その謎めきを謎のままにしたかった、ということかな。気になる。

”モリ”は実在した画家・熊谷守一という人で、私は全然知らなかったんですけど、
すごく貧乏したり、文化勲章を辞退したり、全然家から出なかったり、
本人は長生きしたけど子どもが小さい時に亡くなってしまったり、した人、のようです。
記念館があるみたいです。気になります。

というわけで「モリのいる場所」、絶賛上映中です。
ぜひ劇場でごらんください。音楽もとっても良いです。

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