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Deep Dark Secret
2024年8月20日 (火) 20:33
映画『インサイドヘッド2』を観てきた。文句なしの名作だったので、もう一回観たい。
前作から9年が経過している。早い。『インサイドヘッド』のほうは当時ドリカムの謎MV(たぶんファンから募集したであろう一般のご家族の写真が風船だかしゃぼん玉だかのアニメーションに乗って流れていく映像と合わせてドリカムの曲を聴くというもの、本編前に流れた)がメインで騒がれ(というか貶され)、肝心の本編があまり評価されていなかった記憶がある。というか本編の評価の前に必ずドリカムに触れる、みたいなことが起きていた記憶がある。何その現象。
私が友人に「ピクサーで一番好きなのはインサイドヘッド」と言うと、大抵「見てない」と返されたりもしていて、あんまり正しく評価されていないように感じる。見てよ。
私は初見から大ファンになり、以降は年に2~3回観ている。「性格の島」や「考えの列車」、見分けの付かない「事実」と「意見」、次元を行き来する映像とか、夢を作るスタジオとか、アイディアと見せ方が何もかも秀逸で感動する。人間ってこんなに掘り下げて考えられるし、エンターテイメントとしての表現に落とし込めるんや……すごいよ……
ライリーのイマジナリーフレンド「ビンボン」が記憶の谷に残るシーンは何回観ても泣いてしまう。今思い出しながら既に涙ぐんでいる。こんなに百発百中で泣くシーン、他にないよ。
『インサイドヘッド2』では監督がピート・ドクターではなくなっていることに悲しみを感じたりもしたけれど、なんのこっちゃなかった。エグゼクティブプロデューサーでクレジットされてたし、何よりピクサーは「ひとりの天才に頼らない作り方」をしているんじゃないかと感じることが多い。ま、私はアニメーションに詳しくもないし作ったこともないので知らんけど、でもチームで何かを作ることについては最近よく考える。
若い頃は「スタープレーヤーになれないんだったら死にたい」みたいな感じが少なからずあったし、なんでもかんでも自分でやりたがって、そういうのが「努力」であると誤解していたと思う。最近は人の手や脳を借りることがどれほど自分や成果の為になるかがよく分かるし、伸ばしたいのは「なんでもかんでも自分で出来ること」よりも「人の手や脳をいかに上手く借りるか、借りた手や脳をいかに上手く活かすか」の部分だし、なおかつ「あなたにならいつでも貸すよ、手でも脳でも」と言ってもらえる自分であることのほうが重要になってきた。あと私も自信をもって貸せる手と脳を持っていたい。スタープレーヤーにはなれなかったし、なれないままで生きていくけど、でも背番号は欲しいし、いつでも肩をあっためて、ベンチに座っていたい。
……比喩にスポーツを使ったが、私はスポーツが全く分からないので具体的な競技は特に何も浮かんでいない。肩あっためてるからピッチャーなんかな。図々しいな。
ピート・ドクターについては、『モンスターズインク』の製作中に911のテロ事件が起きた、作中のスシレストランが爆発するシーンが全く笑えなくなってしまい公開前に差し替えた、何かが爆発するおもしろいシーンはもう二度と描けないと思った、と話しているインタビューを見て以来、その「人としての感覚」を信頼している。「創作なんだから、その中でなら何をやっても良い」というような言説を見るたび、このことを思い出す。どっちが正しいとかって話じゃないけど。
『インサイドヘッド2』は前作から4年後の設定で、主人公のライリーは13歳になっている。子どものころのピュアな感情(ヨロコビ、カナシミ、ビビリ、イカリ、ムカムカ)以外に、新たに4つの感情(シンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィ)が登場する。
本質的には似た感情のキャラクターが、似た特徴を持つ造形になっているのが秀逸。例えばヨロコビとイイナーは目が大きくてキラキラしてるとこが似てるけど、イイナーは背が小さいとか。確かに「羨望」ってめちゃくちゃ背伸びする。
ビビリとシンパイもギョロ目ちゃんなのと体型は似てるけど、シンパイは口が大きい。つまり声が大きい(声量ではなくて)。確かに、未来に起こるかもしれないことを心配して不安に思い、先回りして最悪の想定をしてどうしようどうしよう、てやってるとき、脳内はかなりうるさい。
ダリィがちょいちょいフランス語でしゃべってたのは、原語版だと名前が「Ennui」だったからだとさっき気づいてニヤニヤした。そっかアンニュイってフランス語。
前作から引き続き「感情そのものに良いとか悪いとかはない」というのを大前提としてストーリーが組み立てられているところが良かった。どの感情も人間を形作るのに必要であり、要らない感情などなく優劣もない、忘れたい過去や思い出はあるけれど、要らない経験などひとつもない、と言うところまでが前作だったと思う。人間賛歌やん。
今作はさらに「感情が人格を決めることはない」と言い切るところまで行きつき、最後は「大人になるにつれて生まれた厄介な感情(いや、厄介に思える感情)をどう扱うか」というところに着地した。文句なしの名作。
思春期の制御不能な感じや、過敏で過剰な感じもすごくうまく表現されていて、自分の13歳を思い出して身悶えした。たぶんみんな自分の13歳を思い出して身悶えしながら作ったと思う。そしてそれがどんなに苦痛で、不愉快で、情けなく、おもしろくて、喜びにあふれた仕事だったか想像できる。想像できるから泣いてしまう。後半まじでずっと泣いてたな。良い仕事見ると泣いちゃう。
さらにまた4年後の設定で、17歳のライリーを描いてほしい。観たい。
I must go punch that baby
2024年2月8日 (木) 19:08
ヨルゴス・ランティモス監督作品『哀れなるものたち』を観た。
土曜日、朝起きて洗濯して、ゲームをして、うっかり昼寝をしていたら、すっかり日が暮れており、このまま1日が終わるのが惜しくなった。こういう日はレイトショーへ行くのが良い。週末でもレイトショーならあまり混まないし、うっかり昼寝をしたことも「夜映画館へ行くから仮眠をとった」と言い訳がつくし、夜遅くに映画館にいるのはなんとなくワクワクする。
東京に住んでいたころ、終電が出たあとも開いている映画館があることに大変驚いたし、嬉しかった。当時好きだった人と、新宿や錦糸町の映画館で24時過ぎから始まる映画を観て、始発が走るまで喫茶店でおしゃべりし、ずっと散歩したの、良い思い出です。別れ際にいつも「たのしかったね」と言う人で、あれ好きだったな。
思い出の「で」って「出」なのはなんで?実は略語なのか?
『哀れなるものたち』は、赤ちゃんを身ごもったまま自ら命を絶ったが、その赤ちゃんの脳を移植して蘇生した女性、が主人公だ。何そのこわい設定。主人公・ベラは成人女性の形をしているものの脳は0歳なので、行動や言動と姿形がちぐはぐになっている。ベラに母親(であり、自分自身)のころの記憶はない。映画序盤は幼児語で話し、よちよち歩く。脳が0歳でも、身体は成人なのだからよちよち歩きはおかしくない?と思ったけど、足をどう動かせばスムーズか、を知っていて指令を出せるのは脳だから、ってことなんかな。
あらすじを見ると奇抜、と思ったけど、ストーリーはどちらかというと普遍的なものだった。ベラは世界を知りたいと望み、親元(というか脳を移植して蘇生した外科医)を離れて旅をし、人と出会い、本を読んで、知識を、職を得て、格差を知り、絶望し、そして選択する。なぜ世界がこのような形をしているのかを、ベラの目を通してもう一度観ることになり、私は子どもみたいに泣いた。世界は美しく、怖ろしく、実はグニャグニャで、人間は哀れで愚かだ。リスボンで音楽を見つけるシーンがすごく良かった。音楽って世界でいちばん美しいものじゃないですか?
ロケ地を全部調べ上げたくなるほど画面がきれいで(船内のシーンどこで撮ったか知りたい、あれはセットじゃない気がする、あとで調べる)、映画館を出てまず最初に担当したデザイナーが誰かを調べるくらい衣装が良かった。こういう現代劇ではないがフィクションであり、時代設定をそんなに厳密にしていない(していないはず、たぶん)いくらでもファンタジックにできるお話で、登場人物に何を着せるかって結構難しいんじゃないかな。正解がないから。ベラの服、独創的で、でもかわいかった。
映画が終わって外に出たら少しだけ雨が降っていた。手ぶらで来たので傘はないし、タクシーに乗るほどの雨じゃなかったので、自転車で家に帰った。雨が降ると街が全体的に静かになるのが好きだ。
映画が好きなのって、こういう前後とか、気分とか、フワッとしたものを多いに含むよなぁ。ま、全趣味がそうか。
아무튼
2024年1月12日 (金) 20:24
年明けのtanayouradio(私が友人のヨウリーとふたりで映画の話をする音声配信番組)で「トム・クルーズの行く末を一緒に見守ってほしい」と言われたので、最近は『とにかくトム・クルーズ祭り』を自主開催し、手始めに『ミッションインポッシブル』シリーズを順に観ている。
ヨウリーによると「トム・クルーズはひとりでハリウッドを引き受けており、引退する気配がない、まだバリバリに現役でアクションシーンをこなし、自分の娘くらいの年齢の女性と堂々と恋愛シーンを演じている、“不気味の谷”のようなものを感じる、一緒に見守ってほしい」とのこと。なるほど。
私はトム・クルーズをまともに通っておらず『トップガン』も『ミッションインポッシブル』も、ちゃんと観たことがない。去年はこういった「そういえばちゃんと観たことがない」映画たちを積極的に観ていこうと思っていたし、それを受けて『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を観たのに、200本観てもトム・クルーズが出演している作品は1本も観なかった。断じて意図的ではない。
とはいえトム・クルーズを知らずに生きていくなど当然不可能なので、金曜ロードショーや家族が観ているDVDなどで、大体のことは知っている。『ミッションインポッシブル』の宙づりシーンなどはもちろん見覚えがあるが、そんなことよりあれを支えているほうの俳優がジャン・レノだったことに、心底驚いた。ジャン・レノが出てたの?いつから?(???)
そういえば『バニラスカイ』は父と映画館で観たような記憶がある。三宮センター街の上にあった映画館(今はもうない)で、話の内容は本当に全く覚えていないが、なんか難解な映画だった気がする。私は当時12歳で子どもだったせいかもしれないけど「はぁ……?」と思った、その読後感だけを覚えている。
『ラストサムライ』も映画館で観たな。こっちは六甲アイランドにあった映画館(今はもうない)で観た。
よくみんなで出かける家族だったので、週末はだいたいバーベキューか登山かキャンプへ行き、雨なら映画館に行くのが定番だった。今思うと、とても恵まれた環境で育ててもらっている。朝みんなで新聞の映画欄を確認し、どの映画を観るか相談して決め、父が電話で席を予約してくれて、車で行く、というのが定番だった。そうだよ、映画館で席を予約するのは電話だった。懐かしいなぁ。六甲アイランドにあった映画館はいつでもほどよく空いていて、でも5~6スクリーンあったので家族全員が同じ映画を観なくてもいいのが良かった。でも、10年くらい前に閉館してしまったようです。
中学を卒業すると、家族みんなで映画館に行くことはあまりなくなって、友だちと行ったり、お姉ちゃんとその彼氏と行ったりすることが多くなった。当時は高校生が3人で映画館に行くと学割料金よりもさらに安くなる、というキャンペーンがあったので、お姉ちゃんとその彼氏と私、という明らかに私が邪魔なメンツで映画館に行っていた。ちなみにお姉ちゃんの歴代彼氏の中で、私は彼が一番好きだったし、好きなふたりだった、進学や就職で一度別れるかもしれないけど、このふたりはまた再会して結婚するはず、とまで思っていた(余談過ぎる)。
約30年遅れで観る『ミッションインポッシブル』は、当たり前だが緊張感が無い。今年公開された最新作までで、計7作品出ていて、そのすべてでトム・クルーズが主演を務めていることを、私は既に知ってしまっているからだ。インポッシブルなミッションを課されて右往左往しているトム・クルーズを観ても、全然ヒヤヒヤ出来ない。緊張感がまるで無い。だってあと6作品続くねんもん、ずっと主演やん、知ってんねん私。ごめんトム・クルーズ。
ヒヤヒヤ出来ない、というのは一方で、安心して観られるという面もあるので、デメリットばかりではない。夕飯を食べながら再生し、皿を洗っている間は見逃しているけど、別に気にしない。そんなに集中して観ることもない。だってイーサン・ハントは2023年までインポッシブルなミッションに挑み続けていると知っているし、もっと言えば2025年に次回作が公開されることも知っているのだ。10分くらい目を離しても別に、大丈夫っしょ。
去年200本観て感じたことのひとつに「平日に観られる映画はそれほど多くない」というのがある。所要時間はもちろんだが、それよりも内容のヘビーさ、ストーリーの難度、映像の複雑さなど、片時も目を離せないような映画を平日の夜に家で観るのはなかなか難しい。ちょっとLINEを返すあいだ目を離したり、お茶を注ぐあいだ目を離したりして、ストーリーを追えなくなるほどの展開だと、結構厳しい。鑑賞後に考え事が止まらなくなるような映画も、平日は見づらい。寝られなくなるから。
そういう意味でも『ミッションインポッシブル』は良い。ストーリーは難しくなく、次作に繋がる重要なヒントを目を皿のようにして探す必要もない。めっちゃ気楽。観終わったあとも「いやぁ~今日もミッションをコンプリートしたなぁ~」と言いながらすぐお風呂に入り、スコンと寝られる。
約30年遅れで観ているせいで、ガジェット類が古めかしいのも楽しい。いわゆる「椅子の男」は1作目から登場しているけど、現代からすると化石みたいな端末で仕事をしている。モニターの画質も当然粗い。また、3作目にはフィリップ・シーモア・ホフマンも出演している。懐かしくてちょっと泣いた。各作品は別にストーリーが繋がっているわけではなく、チームメンバーも変わるし、敵キャラも、ヒロインも変わるので、そういう面でも気楽だ。2作目のヒロインとは「カーチェイスでぐるぐるしたらすっかり恋に落ちている」みたいな展開で、笑ってしまった。どこでそない好きなるねん。昔はアクション映画のこういうドラマパートの雑さが好きじゃなかったが、35歳になったせいか、今はあんまり気にならない。「どこでそない好きなるねん」と言われても「今作は彼女がヒロイン役なので」とか「だってアクション映画やから」で済ませられる。まぁツッコミはするけども。どこでそない好きなるねん。
そういうわけで、ほとんど毎晩トム・クルーズを観ている。『トップガン』も2作出ているし、今月いっぱいは『とにかくトム・クルーズ祭り』を続けられそう。みなさんも良かったらぜひ。
簀巻き
2024年1月11日 (木) 20:45
アキ・カウリスマキ監督作品「枯れ葉」を観に元町映画館へ。家から20分くらいなので歩いていく。上映開始2~3分前に到着、入場するとほとんど満席でびっくりした。アキ・カウリスマキってこんなに人気監督なの?
ざっと見まわしたところ、比較的年配のお客さんが多い感じ。祖父ぐらいの歳の人と、母ぐらいの歳の人の間の席に座らせてもらい、鑑賞した。祖父ぐらいの歳の人には、座るなり「あんた、コートを脱いどきなさい、出たとき寒いよ」と言われ、ほんとうのおじいちゃんなのではないかと二度見した。私は祖父がふたりいたんですが、ふたりとも他界しています。言われるまま素直にコートを脱ぎ、上映開始。
去年「浮き雲」を観て、うわぁこの監督好きやなぁ~と思い、こんなにすぐ新作を観られるなんてツイてるな、と思う。アキ・カウリスマキ監督がそうなのか、それともスウェーデンの映画がそうなのかは分からないけど、画面の彩度がわりと低くてカメラがほとんど動かないのが気に入っている。彩度はともかくとして、私はカメラワークが忙しない映画より、画角が固定されていて人が出入りする映像が好みだし、ものすごく集中して観られる。ちなみに画角は固定されていればそれで良い、というわけではなくて、レイアウトが美しいほうが良い。そもそも私は、画角に何が収まっているかを観るために映画を観ている。……自分で撮ったことないのに贅沢を言ってすみません。
「私はおもろいねんけど、これは笑っていいんかな」と変な顔をしながら観るのも楽しくて好き。でもコメディ-ってわけでもないと思うし、とはいえ笑ってもいいんやと思う、多分。なんというか「おもしろかったら笑ってもいいよ」という気配が、映画の中に満ちている。
登場人物たちは仕事を転々としたり、スコンと落ちるように恋をしたり、ヘビーめのアル中だったりするのに、だから結構ドラマチックな毎日を生きているのに、誰もギャーギャー言わず、淡々と、ただ生活を送っているのも好き。正直これぐらいしゃべらずに生きていきたいし、「好き」とかどうとかゴチャゴチャ言わずに恋愛したい。
理不尽な経緯で突然仕事をクビになったふたりが、帰り際に何も言わず手を少しだけ触れさせて別れるシーンもすごくよかった。私は言葉をさほど信頼していないくせに、言葉以外にコミュニケーションを預けるほどのフィジカルが無いせいで、それを補うために過剰に言葉を積む悪癖があり、積めば積むほどさらに言葉を信頼できなくなる、という悪循環を生きているので、こういう友情や人間関係に、嫉妬に近いような憧れがある。
朝ごはんを食べる時間がなかったのでお腹がペッコペコで、映画のあとは映画館から徒歩50歩くらいの中華料理屋さんに駆け込んで、海老とたまごをごはんの上にのっけたのと、ワンタンスープがセットになったのを食べた。
メニュー表には950円と書いてあったので、お会計のときトレーに1000円札を置いたら「メニューの料金は税別なんよ」と言われた。「あぁすみません」と言って100円玉を追加で置いたら「でもまぁ1020円でいいわ、はいおつり、80円ね」と言われ、80円もらって帰った。なぜ1020円でいいのか、よく分からない。「でも」も「まぁ」も分からない。どういう意味なんやろ。5円玉が切れてるとしても、せめて1040円じゃない?いや別にいいけどさ。
はらわたを聴く
2023年12月28日 (木) 22:01
今年は「映画を200本観る」ことにして1年過ごしたけど、無事に200本終えました。ありがとうございました。
結論から言うと、200本はまぁまぁ多い。というか、1年あれば200本は「観られる数」ではあるけど、でも他のことなんも出来ん、という感じ。「他のこと」というのは私にとっては本を読むことやジャムを煮ること、シルクスクリーンで何か作ること、半日キッチンに立って料理をすること、などを言うのだけど、なんも出来んかったなぁ。今年、本は多分3冊ぐらいしか読んでないし、ジャムはひとつも煮てない、クッキーはよく焼いてたけど凝った料理ぜんぜんせんかったし、シルクスクリーンも一切してない。なるほど、映画200本観るとこうなるんか。
とは言え、1年で映画を200本観ないことには、1年で映画を200本観たらどんな感じの忙しなさで、どんな気持ちになるのか、とかは分かり得なかったと思うので、これで良かったと思う。「体験したことしかしゃべるな」という類の言説はムカつくし、絶対そんなことないやろ、と思うけど、でも体験したことには体感がくっついてくるから、しゃべること変わってくるで、とも思っているので、体感を得ることには価値があると大声で言える。とっても良い1年でした。
200本観る、と決めていることによって、映画館へ行くことが前よりもっと身近になったのも良かった。もともとは月1~2回映画館で観る、という感じで、土日両方つづけて映画館に行ったりすると「ちょっと節約せなあかんかな…」などと思っていたけど今は「いや200本観なあかんねんもん」と言い訳が立つので精神的に楽。それでもサブスクで観てるほうが圧倒的に多いけど。でも数えたら50本くらいを映画館で観たようです。週に1回は映画館にいる計算か。どおりで、なんとなく顔を覚えている店員さんが数人おる。
200本目を何にしようかな、というのは今月のあたまくらいから少し考えていて、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』にしました。すごく良かった。
317分(5時間17分)の作品なので、観れるかな……(おしり的な意味と、集中力的な意味の両方で)と思ってはいたけど、全くの杞憂で「あっ終わった…?えぇー…終わっちゃった……」ぐらいの感じでした。むしろ「もっと観れるのに…」という感じ。でも多分これ以上長くしてもあかんし、これより短くてもあかんのやろうな。でないと、わざわざ317分の映画を世に出さんやろ、と思う。映画にはそれぞれ必要な尺があり、それは映画そのものが決めると思う。
あと上映時間が長い映画って、4時間超えるとだいたい休憩挟むから、みんな心配せんで大丈夫やで。あ、まぁ映画館によるけど。『ハッピーアワー』は3部に分けてあって、間は15分の休憩があるので、まじで全然大丈夫でした。
濱口竜介監督の映画、『親密さ』を観た時も思ったけど、石みたいやな、と思う。河原とかで見つけた「良い石」をポケットに入れて大事に持って帰り、玄関の棚に置いておいたりする感じに似ている。友人からは「この石なんなん、なんでここに置いてるん」などと言われたりもするけど、私は「え、良くない?その石、良い石やなぁ~と思って持って帰ってきてん」と答える。その感じに似ている。つまり、私がどんな風にこの映画のことを大事にするかは、私が何を魅力としてこの映画を好くかは、ぜんぶ私が決めることやねん、と思える。そしてそれを、濱口竜介に咎められたりせんやろうな、と思える。こういう、根拠とか理屈とかなしの、ボワッとでっかい信頼がある。
まぁ濱口竜介さんについてはかろうじてお顔を存じているくらいでインタビューも読んでなければ舞台挨拶も拝見したことがないので、何も知らんやろ、と言われたら「ごめんなさい」としか言いようがない。先言うとこ、ごめんなさい。
さて、200本観たけど「今までに観たいと思ってたやつ、全部観られたな~」という感覚は全くなく、実際に「観たい映画リスト」にはまだ100本ぐらい入っている。夏ごろにも「観たい映画リスト、あとちょうど100本ぐらいやな~」と思った記憶があるので、だから減ってないのだ。厳密に言うと減ってはいるけどその都度増えるので、プラマイで減ってない。
というわけで来年も引き続き映画は観る。そして引き続き、好きな映画があったら教えてください。人の好きな映画観るの、結構好きやな、と気づいたのも、今年良かったことのひとつやと思う。それから嫌いな映画も、あったら教えてほしい。私は好きと同じぐらい、嫌いについて知りたいし、考えたい。
はぁ~200本終わった、良いお年を、13時間寝ます、とか言ってシメたいが、年末は実家の行事ごとでかなりキツいので、全然のんびりした気分にはなれない。年明けは落ち着くので、また書きます。良いお年を。
バスで行く
2023年12月4日 (月) 21:36
今年は映画を200本観ることにしている。現時点で183本まで来たので、いけると思う。
ヨウリーが「タナノゾの200本を振り返る配信やろうよ」と言ってくれたので、年明けにやる予定です。また告知します。
一応「観たことない映画200本に限る」というルールにしていたけど、「観たような気もしなくもないけどはっきり覚えていない」みたいなのはOKとしている。自分ルールでしかないので別にそんなに厳密にしなくてもいいんちゃうんか、と思わなくもないが、性格が細かいので……
『アメリ』のデジタルリマスター版の上映が始まっているので、週末は映画館へ行った。『アメリ』は私が人生で一番繰り返し観た映画だと思う。少なくとも100回は観ている。初めて観たのはたぶん14歳のとき、父がBSかなんかで放送されていたのを録画したビデオテープで、以降暇さえあれば観ていた。当時はリビングにしかテレビがなかったので、弟がよく「またアメリ観とうやん、観過ぎやろ、年間何回観てんねん」と言っていた。年間だと20回くらいかも。
私の中学校時代は人生のほとんどすべてが部活で構成されていて、朝練行って授業受けて夕方部活やって日が暮れたら帰る、週末は部活、ずっと部活、夏休みも冬休みも春休みもずっと部活、という生活をしていたので、テレビもほとんど観なかったし、流行りの音楽も知らなかったし、雑誌を買ったりファッションに興味を持ったりもしなかったし、だから公開当時2001年の『アメリ』の様子は全く知らない。社会的ブームになるほど人気があったことも、後から知ったことだった。インターネットもまださほど普及していなかったし、SNSも無かったので、私は『アメリ』が世間一般にどのように受け入れられているのかを何も知らなかった。語り合えるような友だちも当然いなかったので、ひとりで繰り返し観るしか気持ちの向けどころが無かったんだと思う。そら100回ぐらい観るやろ。
高校に入学すると、ようやく『アメリ』が好きだと言う友人と出会うことが出来た。私は『アメリ』が好きどころか、『アメリ』を知っている人にすら会ったことが無かったので、ものすごく嬉しかった。その友人とはそこから約10年後、一緒にモンマルトルへ行き、カフェ・デ・ドゥ・ムーランにも行ったし、もちろんクリームブリュレをスプーンの裏面でバキッと割って食べた。
そんなだったから『アメリ』を映画館で観るのは初めてのことだ。デジタルリマスター版なだけあって、確かにCG部分がキレイになっている。ストーリーの流れはもちろん、台詞(というか翻訳字幕)もほとんど覚えているけど、観るのは結構久しぶりだったので楽しめた。ニノみたいな独創的な趣味を持っていて、モテはしないけど人当たりがよく、アメリのまどろっこしい距離の詰め方を気味悪がったりせず、なおかつ応戦できるくらいの大らかさがあり、下がり眉の目元がかわいい男の子、めっっっちゃ好み……と思いながら観たけど、こんな人おらんよな~ははは、映画映画。
同じ日に『ゴーストワールド』も観に行った。奇しくも『アメリ』と同じく2001年公開の映画だったらしい。
『ゴーストワールド』を初めて観たのはたぶん17歳のとき、友人が「ゴーストワールドって映画の、主人公の子がのんに似てる」と言ったのがきっかけだったと記憶している。当時は既にミクシィがあり、日常的にインターネットが使えるようになっていたのですぐに『ゴーストワールド』のメインビジュアルだかスチールだかを見ることが出来た。友人が「主人公の子」と言ったのはソーラ・バーチ演じるイーニドのことだ。ボブヘアに眼鏡、古着っぽいTシャツに短めのボトムス、確かに似てる、と思ってツタヤさんでDVDを借りて帰った。
観てみると、似ているのは外見よりむしろ性格だった。偏屈で口達者で皮肉屋、いつでもどこでも波風を立ててばかりいて、大体いつも不機嫌、人を「ダサい」とこき下ろすわりに自分も十分ダサい、自覚もあるけど友人には知られたくない、さらに「自分は何者かになれる」となんの根拠もなく思っているところも、めちゃくちゃ似ていた。
17歳を2回繰り返せる年数を生きた2023年の私は、結局何者にもなれないまま育った町を去るイーニドのことを、母親のような気持ちで見るにはまだ早く、希望を込めて我がことのように見つめるにはもう遅い、といった気持ちで観届けた。何者にもなれなかった後の人生を生きている2023年の私は、そのことを嘆くフェーズすらもとうに終え、毎日ゴキゲンで、楽しくやっている。望んだ仕事に就いて、恵まれた環境に身を置き、かわいい家に住んで、好きな人たちにいつでも会える。あのころなれると思っていた「何者」とは、いったい何だったんだろう、もう思い出せない。具体性なかったもんな。微塵も。
イーニドは町を出て、もう戻らないのだろうか。でも「夢はある日突然町を出ていくこと」と言っていたし、だから夢は叶ったとも言える。とはいえ案外すぐに戻ってくる気もする。「こんな退屈な町」と言いながらも一生をそこで暮らす人、いっぱいおるもんな。
おもしろかったのは「私の家、ほとんどシーモアの家とおんなじだな」と思ったことだった。愛すべきガラクタでみっちりと埋まった私の家は、シーモアの家とほとんど同じだ。私とシーモアの違いはその家を尊重してくれない恋人を一時的にでもつくり、家に上げているところだと思う。あなた自身だけじゃなくて、あなたが大切にしているものに敬意を払ってくれない人とは、一緒にいちゃいけないよシーモア。
一方、シーモアの終盤の振る舞いは、大人になった今観ると、全く受け入れられない。映画全体のテーマ自体は普遍的なものと言えるけど、でもディティール詰めていくとかなり厳しい部分があると思った。でもこれは映画がどうこうではなくて、時代が進んでいることの証だったり、私の感覚が年齢とともに変化していることの証だったりする。
「今は差別を隠すのが上手くなった」という台詞についても「うーーーんここから20年以上経ったけど差別については今もまだそのへんで足踏みしてるわたぶん世界中が、すみません不甲斐なくて」と思った。今は「隠すのが上手くなった」というよりむしろ「差別なんかしてないのに」とか「差別は無い」みたいなことを堂々と言う人が多い気すらする。……おい後退してないか。
いずれの映画も再上映用にパンフレットが制作されていたので、買って帰った。観たことある映画も、映画館で観るのは楽しいね。
ところで今日はかわいくてかっこよくて素敵なジンくんのお誕生日です。おめでとうジンくん、今年もずっと好きだったわ。あったかくして、よく食べて、よく寝られますように。
ひどい食事
2023年7月5日 (水) 20:51
映画『マルセル 靴をはいた小さな貝』がすごく良かった。今のところ、今年いちばん好きな映画だと思う。
主人公はタイトルどおり、靴をはいた小さな貝のマルセルで、ジャンルとしてはドキュメンタリーなのか、でもストップモーションアニメでもあるし、いや待てストップモーションアニメはジャンルではないのか?手法か?でもそれならドキュメンタリーだって手法じゃないの?うーん分からん、どうでもいい、とにかく『マルセル 靴をはいた小さな貝』がとっても良かった。貝がどうやって靴をはくのか不思議に思うかもしれないけど、まぁ見ればわかる。本当にはいている。
あまりにも愛おしい映画だったので、この感情を言語化できないことが悔しく、でも「何でも言語化できると思うなよ」と思って生きているので、大変嬉しくもある。言語化できない感情が湧いてくることが、私は嬉しいし楽しい。絶対に「かわいい」だけは言うまい、と思うが、どう考えてもマルセルは「かわいい」ので歯がゆい。
私は「かわいい」に他の言葉を詰めまくっている自覚がある。私が「かわいい」としか言っていないときは端折っているのだ。なんだったら端折っている言葉のほうが多い。
例えば「めっちゃくちゃ好きすぎてこんなん手をつなぐくらいではどうにもならんので今すぐ家に連れて帰って何か食べさせて私のベッドで寝かせたいしその寝顔だけみて5時間ぼーっとしたい」と言いたいところを「かわいい」の一言で済ませている。全部言おうと思えば言えるけど、ややこしかったり、怖がらせたくなかったり、誤解を生みそうだったり、なんか怒られそうだったり、通報されそうだったり、ふつうにめんどくさかったりするとき、とにかく「かわいい」でカタをつけているのだ。カタがついているかどうかはあやしい。
週末観た、映画『アシスタント』も良かった。映画に関する会社(配給会社なんかな、とにかく映画作る会社)でアシスタントとして働く女性が、出社して退勤するまでの1日だけの、ごくシンプルな話ではあるけど、「この“感じ”って映像化できるんだな……」と感動した。派手な展開はなく、脚本もどちらかと言うと地味で、オフィス、給湯室、ボスの部屋くらいしか出てこないのに、観終わると12時間みっちり働いた日みたいに疲れた。主人公は話していないときのほうが雄弁で、私はその機微を絶対に見落としたくなくて、ずっと緊張していた。
帰り道、主人公の名前が全く思い出せず、私が思い出せないのか、いや、そもそも劇中で誰も名前を呼んでないんじゃないの、と思い至り、ぞっとした。名前が無いということは「誰でもない」のではなくて「彼女が誰でもある」という意味なのだ。彼女は私だし、私は彼女なのだろう。ウェブサイトには「英語で匿名の女性を指す “Jane Doe” に由来するジェーンというキャラクター」と記載があった。匿名の女性。
そしてこの映画のタイトルが『アシスタント』なのもゾクゾクする。こわい。主人公の仕事がスケジュール調整をしたり、事務仕事やお茶くみなんかしたりする業務内容なので、単にその名称でもあるけど、でもこの映画が主題にしている会社や社会の構造の、いつからなのか分からないけどちょっとずつ狂ってきていて、みんなも気づいているのに、でももう崩すのもやっかいで、ちょっと小突いたくらいではぜんぜん壊れそうにない、この構造の、手伝いをしている人=アシスタント、とも取れる。私も「アシスタント」じゃないか。嫌だ。嫌だけど、でも私はどうすればいいのか知ってる。嫌だから、今やるべきことは、火炎瓶を投げることでも、街頭で人を刺すことでもない、露を払うこと。
家に帰ってネットフリックスで監督(キティ・グリーン)の作品『ジョンベネ殺害事件の謎』も観た。これもすごかった。観たことないジャンルだったと思う。他に似た映画を知らない。
今年ほんとに「他に似た映画を知らん」てなる映画をたくさん観ていると思う。単に観てる映画の数が多い=母数が多いから、とも取れるけど、どうなんだろうか。調べようがないけど。もしほんとに母数が多いことだけが原因なんだったら、私は毎年映画を200本観ないといけなくなる。……しんどい。
アーモンド
2023年6月30日 (金) 21:50
BTS SUGAのドキュメンタリー『SUGA: Road to D-DAY』を映画館で観た。Disney+で配信されているけど、なんとなく映画館で上映があるような気がして寝かせておいたのだ。大きいスクリーンで観られてよかった。
めちゃくちゃ語弊のある言い方になってしまうけど、作中、SUGAはずーーーっとゴチャゴチャ言ってて、それがすごく良かった。あぁ人間だ、と思った。
いや、当たり前に人間だけど、でもステージに立ってる時のユンギはいつだって王の風格だし、自分を天才だと言い切り、そう、疑いようもなく天才だ。特別背が高いわけでも、特別ガタイが良いわけでもなく、ましてや普段は猫背でノソノソしているというのに、ステージではいつだって堂々と立っていて、その姿が神々しく、美しい。
そのユンギが、あのユンギが、作中では「こんなにしんどいのになんでこれが仕事なんだろう」「夢がなくなっちゃったかも」「夢がなくなったら大人になってしまうのに、ずっと夢を見ていたいのに」「成功しても幸せになれないなら、なんのための仕事なんだよって言われた、パンPDに」「アメリカ来て酒ばっか飲んでる、作業もしないで」などと延々ゴチャゴチャ言っている。どうにもならないことを、そうと分かっていても何度も何度も繰り返し考え、行ったり来たりしてしまうさまを見せてくれる。in the soopとかでも多少このゴチャゴチャ言ってんのは見せてもらっていたけど、1時間半たっぷり。たっぷりのゴチャゴチャ。うれしい。
うーん、でもわかる、グルグルしちゃうよな、わかるよ。このグルグルが、このゴチャゴチャこそがミンユンギだと知っている。いや待て、グラミーに手がかかってるような人に向かって「わかる」って言っていいのかな、でも「わかる」としか言いようがないねんごめん。
あぁ年相応だ、と思うし、これを映像で記録し、見せてくれるのか、とも思う。良いのに、ここまで見せないでも、良いのにさ、優しい子だな。ありがとうね。
「今作っとかないと」「説得する段階は後で出て来るから、それは俺の仕事」「とにかく今作業しとかないと、後で大変だから」みたいな話、あまりにも共感してしまって、私がミンユンギに共感できることなんてあるのか、ともはや不思議だった。でもパーツを作っておく、みたいなことが絶対的に要るの、すごくよくわかる。使えるかどうかはもっと後で決まるし、自分で決める場合もあるから、今はとにかく素材をたくさん用意しておく、みたいなこと、ある。わかる。それに、出役としてやること(ダンスの練習をするとか、コンテンツの撮影をするとか)が詰まってきたら、こういう「パーツをたくさん作っておく」みたいな時間は、ぜんぜん取れないんだろうなと思う。そして「説得する段階」な、あまりにもわかるわ。
作曲家でありプロデューサーであり、出役でもあるってのが、コトを複雑にしている部分は多いのだろうな。出役じゃなければもっと楽できた部分や、ある種の気楽さなんかもあったように思う。でも出役じゃないなら作れなかったものが山ほどあるのも事実だろうし、何よりユンギって「生きざま芸人」みたいなところがあるから……他に選択肢はなかったんじゃないかと思う。
in the soopのあのトレーラーにジミンが来て『AMYGDALA』を聴かせるシーンも、なんかよかったな。あれどういう経緯か分からんけどたぶん「どないなん?出来たん?」みたいな感じでジミンが自主的に来たんちゃうかな。ユンギが呼んだわけじゃなくて。ジミンはそういう「いま声をかけてもいいかどうか」とか「様子を見に行きたいけどタイミングが合ってるのかどうか」とかのバランスを見るのがとっても上手な人、という印象がある。自分が甘えているテイをとって相手を甘やかしたり、相手を楽にする言葉を人によって選べたりとか。釜山コンのビハインドで、テヒョンに「大丈夫だよ、泣かないで」と声をかけて手を握ってたの、よく覚えてる。すごい「対テヒョン」の言葉だと感じる。あまりにもストレートな慰めで……同じ状況があっても他のメンバーにこうは言わないと思う。というか、誰が相手でも、ジミンはどう声をかけるかを自分で考えて実践できる人なんだろうな。どう声をかけるかだけじゃなくて、声をかけないことだって出来る人だ。
ジミンて昔の映像とか見てると結構「俺が俺が」タイプに見えるのに、最近だと場の空気を良くしたり、調整したりするポジションになっていることが多いように思う。ジンくんとか、ホビとかがやってきたことを、ジミンがやっている。意図的にそう変えてきたのか、自然とそうなってきたのか、知りたい、聞きたいな。ジミンちょっとお茶せん?今週日曜って空いてる??
シュチムは狭いシート席にふたり並んで座って「ええやん」「もっかい頭から聞く?」とか言ってて、あのシーン、妙に良かった。
『AMYGDALA』はもともとBTSの曲として書いた、みたいな話があったと思うけど(どこで読んだっけ、なんかインタビューと思うけど忘れた)ソロ曲とグループの曲はどうやって振り分けるのかな。何か基準がありますか?
坂本龍一さんに会いに行くシーンもすごくよかった。良い顔してた。コードをいくつか弾いてくれるその横で「ヤバイいま俺の目の前で坂本龍一がピアノ弾いてる……!!!」という高揚感を隠し切れない顔をしてるユンギはかわいかった。ヒーローに会うとき、人間はみんな良い顔をする。「緊張します」と言いながらピアノの前に座り、本人の前で『戦場のメリークリスマス』を弾くところも、とても幸せなシーンだった。
映画には入っていなかったけど、坂本龍一さんはこのあとユンギの肩と背中をやさしくトントン、として、孫に言うみたいに、「いい子だ」と言ってくれたのだった。そうなんです教授、いい子なんですありがとうございます。
つーかユンギってすごいかわいい人なんだよな、愛らしい人というかさ、かわいげがある。あんなにずっと歌詞が怒ってるのに、不思議だが。いいなぁかわいげがある人は。うらやましいよユンギ。
2023年6月、ソロツアーを終えて、追加公演も発表された。ユンギが今何を考えているのか知りたい、が、まぁ結局はユンギが幸せで、やりたいこと全部やって、健康でいてくれたら、私はうれしい。
Can you fix it?
2023年5月10日 (水) 22:14
映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観てきた。最近は週1ペースで映画館に行くので、予告編を観る機会が多くあり、観たいな~と思っていたのだ。目が忙しそうなアニメーション映画なので、字幕版で観るか吹替版で観るか悩む。吹替版を選ぶことってほとんどゼロに近いぐらい無いけど、ディズニーとかピクサーとかは吹替版が好きだったりもするので悩む。トム・ハンクスは大好きだけど私にとってウッディーは唐沢寿明だし、バズは所ジョージ。
誰か観た人おらんかな~と思ってTwitterに書いたら、菜緒さんが「吹替版バッチリだよ!」と教えてくれてかわいかった。おすすめされたものに素直にトライすることにしているので、早速観てきた。
感想を箇条書きに。
- 本編前のタイトル画で初めて吹替版の脚本が上田誠さんであることを知り、心の中でガッツポーズ
- 序盤から横スクロールのシーンがあり、ワクワクが爆発
- 道具を持つルイージと、ドアを開けたりして走りやすくしてあげるマリオの、協力プレイシーンっぽいのも最高
- 犬使いたいよね、イルミネーションやもんな〜犬得意やんな〜
- イルミネーションてかなり新しくできた制作会社、というイメージでおるけど、とは言え2007年設立らしい、そんなに新しくもないのか……
- ピーチ姫はそういう経緯でキノピオと暮らしてるんやな、知らんかった(これ映画だけの設定?)、だいぶ端折ってあったけど、大事に育てられたんやな、ということが伝わった
- こういう「詳細は端折るけど伝わってほしい部分だけは的確に伝える」みたいなことの技法、文献とかある??
- 私はマリオをそんなにプレイしてない人生やけど、ちゃんと耳馴染みのある音が方々から聞こえて楽しい
- 「やらいでか!」とか「〜まである」とか台詞回しが新鮮でいい感じ、字幕版も見たくなっちゃうな
- カートの、車選ぶシーンたのしい、レースよりあの車選ぶ時間のほうが楽しいまである
- 結構手垢つきまくりの楽曲(キルビル、a-ha、Mr. Blue Skyなど)を使うのでちょっとヒヤヒヤするものの「だって使いたいもん!」みたいな無邪気さが感じられてむしろ好印象、どのシーンか忘れたけどAC/DCもかかってたね
- Mr. Blue Skyを素敵に使ってくれた映画といえばガーディアンズ・オブ・ギャラクシーだと思うけど、こっちも最新作が上映中なのでぜひ映画館で観たい
- とか言ってたら字幕版マリオはクリス・プラットさん(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの主演の役者さん)だそうです、ええやん…字幕版も観たいやん……
- っつーかヨッシーは出ないの?と思ってたら本編終盤でたまごだけチラッと映り、なおかつエンドロール後にも出してくる、続編をやるつもりなんか…?
- マリオとルイージはキノコ王国で暮らしてる風のエンディングやったけど、あんまり詳しくは見せなかったのも気になる、おい続編をやるつもりなんか…??
- ディディーがチラッと出たのかわいかったね
- ピーチ姫がガッツリ戦う系プリンセスなのも現代っぽい(ゲーム内でこんな戦うっけ?ってかプレイヤーではないよね?そういうシリーズもあるんかな)
- BTSメンバーをマリオのキャラクターに例えると?へのジンくんの回答がマリオ=ユンギ、ルイージ=ジミン、ドンキー=グク、クッパ=ナム、ヨッシー=ホビ、キノピオ=ジンくん、ピーチ姫=テテ、やったの首もげるほど頷いちゃった
- キノピオの「死ぬにはかわいすぎます~!」みたいな台詞、あまりにもキムソクジン
- 自分のかわいさに自覚があるキノピオ、キノピオってこんなキャラクターやっけ?
- ごはんを振る舞って衛兵の気を引くキノピオ、あまりにもキムソクジン、めっちゃやりそう、「さぁ今のうちに!行って!」みたいなことめっちゃやりそう
- クッパ役の三宅健太さんはスラダンでゴリの声優さんだったのか…すんごい上手だった、歌も?歌もご本人なの??
- 字幕版のクッパ役はジャック・ブラックらしい、うわぁ観たい、歌うジャック・ブラックは最高やからな…
- 意外とデートムービーなのか、年齢問わずカップルが多くておもしろかった、恋人と映画観に行くの、実は結構ムズくないすか?
- 字幕版も観たくなっちゃったな、普通にもっかい観たい、ジンくんと並んで観たい、帰り道で「帰ったらマリカーやろうよ」「やろうやろう」みたいな話したい
Flying Theme
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』を観た。ジンくんが出ているからだ。ジンくんは入隊前、ソロシングルとして『The Astronaut』をリリースし、その曲を作ったクリス・マーティン率いるColdplayのアルゼンチンでのライブに出演した。入隊前最後のステージだった。
ステージの映像は後日Youtubeで公開されたが、私は「なぜこれを見るためにアルゼンチンに行かなかったのか」と後悔した。私が人生で後悔していることなんてほとんどない。結構いろんなことをあっさり忘れてしまうし「まぁ何らかの理由があってこうなってるんだろうな」とか「あのころは思いつかなかったから仕方ないな」みたいな捉え方をしているので「後悔」と名前をつけていることなんて、ほとんどないのだ。だから「なぜこのステージを見に、アルゼンチンへ行かなかったのか、行けなかったんじゃなくて、行こうとしなかった」と、未だに後悔しているのは自分でもめずらしいことだと思う。
行けばよかった。その気になれば行けたはずだったのに。丸1日飛行機に乗って、ジンくんが歌う5分のために、ブエノスアイレスへ行けばよかったのだ。入隊直後は私の情緒がかなりアレ(かなりアレて)だったので「あの5分が最後だったかもしれないのに、ジンくんがステージに立つのは、あれが最後だったかもしれないのに」と考えてしまってつらかった。
もし次の機会があれば、世界のどこでも行こう、というか行こうと努力はしてみよう、と心に決めて、せめて映画は観ることにした。
Coldplayは言わずと知れたイギリスのロックバンドだ。今調べたら、グラミー賞を7回も受賞している。モンスターバンドですね。
私は16歳か17歳あたりで『A RUSH OF BLOOD TO THE HEAD』をTSUTAYAさんで借りたのが最初だったように思う。砂の人が崩れるようなジャケのやつ。初めて買ったアルバムは『VIVA LA VIDA OR DEATH AND ALL HIS FRIENDS』、そこから『GHOST STORIES』くらいまでは比較的熱心に追っていたものの、音楽性が変わり(というかColdplayってアルバムごとに結構ごっそり変えるね)、音数が増え(私は基本的に音数が少ないスカスカの音楽が好き、これはただの好み)、大局的なことを歌詞にするところに、だんだんついていけなくなってしまった。
というかまぁこれはColdplayだけじゃないけど、世界的に売れたバンドって、大体なんか環境問題とか、世界平和とか、宇宙の真理がどうとか、そういう「なんかでかいこと」を歌うようになっていく。まぁ冷静に考えたら当たり前だ。友だちと組んだバンドで、イギリス国内だけで活動していたような頃とは違うんだから、目に見えるものが変わってくるんだから、いつまでも四畳半の部屋に暮らしてるような曲ばっかりを書き続けるわけがない。頭では分かるけど、でもこっちはまだCDを買うのすら金銭的ハードルがあったティーンエイジャーの気持ちを今もリアルな手触りで覚えているし、精神的には四畳半の部屋に住んでるままなんだから、置いていかれる子どものような気持ちだ。まぁ、この気持ちをクリス・マーティンに分かってほしいとかは全然思わないけど。だからこそ、ただ勝手に距離を取り、疎遠になってしまう。
そんなだったから、BTSとColdplayのコラボ曲『My Universe』は私にとってColdplayとの再会の曲でもあった。BTSのメンバーはColdplayのファンだと公言しているし、カバーした『Fix You』は本家を超えるほどの名作だったから、コラボを意外だとは思わなかったけど、クリス・マーティンは始め「音楽性が違いすぎる、うまくいくわけない」と否定的だったらしい。
でも「Coldplay聴く奴はゲイ」などと差別的に揶揄されてきた彼らと、「女みたいに化粧して踊るアジア人」などと偏見を向けられてきたバンタンは、通じ合う部分があるだろうと思う。確かに音楽性は違うかもしれんけど、でも同志みたいに。
映画『Coldplay Music Of The Spheres: Live at River Plate』はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでの公演をディレクターズカット版にしたものだそうだ。当日(去年の10月28日)は世界中の映画館でライブビューイングが行われたらしい。
序盤、クリス・マーティンがそのライブビューイングを実施している国の名前を読み上げるシーンがあった。たぶん50か国分くらいを、アルファベット順に。何かメモを見て、それを読んでるんだろうと思ったら違って、暗記してて、すごくかっこいいシーンだった。覚えたのか!というかっこよさもまぁあるけど、それより読み方というか、ピアノをちょっと弾きながら、ラップみたいに、ポエトリーリーディングみたいに読むので、それがすごくかっこよかった。
クリス・マーティンは全編を通して体力オバケだった。スタミナと、あと場の掌握力が尋常じゃない。体を鍛えてる、とかはもちろん普通にあるとして、たぶん「言いたいことがめっちゃある」という状態なんだろうな、ということがビッシバシに伝わってきた。言いたいことがある・伝えたいことがある奴は、ステージ上で一番強いと思う。何万人もの人に真正面から伝えたいことがあり、それを理解してもらうために音楽をお供えしているようなライブをしていた。カメラに写っている限りでは、観客はそれを受け入れているように見えた。つーかめちゃくちゃ盛り上がってて、みんなよく歌ってたし、楽しそうなのも良かった。
終盤では、それこそ四畳半くらいのサイズのステージでアコースティックな雰囲気で演奏をするシーンもあり、私は「置いていかれる子どものような気持ち」とか言って長いことゴネていたことを恥じ、反省した。何をつまんないことを言ってんだろう、ごめんね、私が間違ってたよ。長いこと、ごめんなさいね。
ギターのジョニー・バックランドはすごく繊細できれいな音を出す人なので、正直こういうステージのほうが映えるようにも感じた。
クリス・マーティンはメンバーひとりずつに感謝を伝え、愛おしそうな目で見て、メンバーはみな誇らしそうな、でも照れくさそうな顔をしてそれに応えていた。私はバンドのこういう、チーム感みたいなものにめちゃくちゃ弱い。人間が人間同士でやることに「永遠」なんかないと知っているからだ。ベショベショに泣いた。
あとColdplayはライブの時、ドラマーのウィル・チャンピオンさんがメインでコーラスをするスピッツタイプのバンドなんですが、このウィル・チャンピオンさんが、すごく良くて、声質も良いし、アガりました。コーラスが上手いドラマーってなんでテンションあがっちゃうんやろ。私だけ?みんなもそう?
クリス・マーティンが「歓迎してほしい、わざわざ韓国から来てくれたんだ」と紹介し、ステージに上がったジンくんはあまりにも「宝物」だったので、ちょっと眩暈がした。キラキラしている。ティンカーベルが撒いた妖精の粉みたいなのが見える。内側から発光している。推しの贔屓目でそう見えるだけなんだろうか、いやまぁそれはそうだろうけど、でもあまりにも宝物だったので……「あまりにも宝物」って大丈夫?何言うてるか分かる?
ジンくんは緊張はしているようだったし、ソワソワしている感じはあったけど、でも浮ついている感じは見受けられなくて、ただいつも通り、ちゃんと仕事をしていたのが良かった。私はジンくんがいつでも自分が出来ること・これまでやってきたこと・たくさん練習したことを地に足つけてちゃんと披露するところがとても好きなのだ。奇跡を待ったり、過信したりしない、丁寧に仕事をするところが好きだ。
曲そのものや状況自体が既に十分エモいので、パフォーマンスの部分をエモくしてしまうともう胸やけするんじゃないかな、というシーンだったが、ジンくんはさすがにバランス感覚が優れていて、圧巻だった。
あぁ本当に、行けばよかった、ブエノスアイレス。でも今日のところは、映像で観られたことがありがたい。
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