TANAKA NOZOMI

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カテゴリー:映画のはなし

assemble

2022年5月18日 (水) 21:31

映画のはなし

昨年末からマーベル作品の履修を開始し、先日ようやく「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観終えた。現在は「ドクターストレンジ」の新作が劇場公開されている最中だし、おそらくエンドゲーム後もヒーローの皆さんのお仕事は続いていくのだろうが、私としては一旦履修完了としたい。

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」ではすげえ強い敵(サノス)にボッコボコにやられてしまい、弊推し(アイアンマン)は心身ともにペッチャンコになり「おいおいおいどないすんねんこれまじかおい」しか言うことがなくなったが、リアルタイム劇場鑑賞スタイルのみなさんはここから「アベンジャーズ/エンドゲーム」が公開されるまで1年待たされたのかと思うと「なんか、大変でしたね、大丈夫でした?なんか飲む?」と声をかけたくなる。大丈夫でしたか?

どうでもいいけどサノスの顎、紅茶花伝のペットボトルの下半分にすごい似てない?映画観る前からずっと思っててんけど、さっき試しにTwitterで検索してみたら結構言われてた。既出でしたか。あと紅茶花伝のボトルもうこの形じゃなくなってる。

もしマーベル作品を履修したいな~とお思いの方は、私のもっちゃん(私のもっちゃんとは)が作成してくれた履修表を置いておきますので長押しで保存するなどして参考にしてください。
個人的に、推しはアイアンマン、仲良くなりたいのはアントマン、仲間に入りたいのはガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、住みたいのはワカンダ(ブラックパンサー)、保護したいのはスパイダーマン、もっちゃんの推しはキャプテン・アメリカです。

親密さ

2022年3月8日 (火) 22:53

映画のはなし

映画を観ていたら、登場人物が「尊敬されたいとは言ってない、ただ尊重してほしかった、でもそれを相手に言うことは尊重からいちばん遠いことだ、あの人は世界が情報だと思ってる、私のことも、でも私は情報じゃない」というようなことを言ったので、思わず目を閉じて唸ってしまった。
その台詞の前半部分は、私がこの1年の間ずっと立ち止まっていた感情と寸分違わず同じもので、その台詞の後半部分は、私がなぜ立ち止まっていたかの答えだったからだ。

そうだ、私は情報じゃない。処理すべき情報などではないのだ。あぁ、そのことに、怒っていたんだった。それを理解してもらえなかったことに、こんなに長い間、悲しんでいたんだった。

4時間半ほどの長い映画だったせいもあるけど、すごく集中して観たので疲れた。が、映画を観ているとたまにこういうことがあるな、と思った。それについて考えている人は私だけじゃなくて、過去にもいるし、きっと未来にもいるということ。既に知っているはずのその事実に、何度も出会う。映画を観ていると、こういうことがある。

そしてそれは「正しい答え」などではなく、ただその人が思考の末に、目印みたいにして置いた、石のようなものだ。その石を、私が今日、たまたま見つけた。たまたまこの映画を観たから、その石を見つけることができた。

私はうれしくて、この石をポケットに入れ、宝物のように持ち帰る。他人には「ただの石だよ」と言われるが、それは構わない。私は「そう、ただの石なのよ」と答えてもいい、今これが宝石に見えるのは私だけだからだ。いつか私にもこの石が、ただの石に見える日が来るかもしれない。でもその日が来るまで、これは宝石なのだ。

みんなとかいない

2021年10月30日 (土) 22:50

映画のはなし

観た映画を「filmarks」というサービスで記録している。他人様のレビューにはさっぱり興味が無いが、私は“私がそのタイミングで何を感じたか”には興味があるので、後から見返したときのキーになるような短文を書いて保存している。あまりに短文すぎてうまくキーとして作動しない場合もあるけど、まぁ自分のせいなので仕方ない。

観た映画を記録しているので、結果的に今年何本観たのかが分かる。去年は65本で、今年は今時点で41本だ。減ってるね。
何しろ今年はかなりの時間をBTSに割いた(今も割いている)ので、他が圧迫されているのだ。音楽もほとんどBTSを聞いている。BTSは今日も最高です。

セリーヌ・シアマ監督の「トムボーイ」を観に、映画館へ行った。新作だと思っていたら10年前の作品だったようだ。日本では未公開だったんだろうか。
めちゃくちゃセンシティブな題材を扱った作品だったので個人的には笑うシーンなどひとつもなかったのだが、後ろの席に座っていたおばさんたちがずっとクスクス笑っていて、発狂するかと思った。何がどうおもしろかったのか、どこが笑いのツボだったのか聞きたい。

ホームページを見てみたら「主人公ロール/ミカエルに寄り添った目線とユーモアを以て、ひと夏の挑戦が描かれる」との記載があり、また発狂しそうになっている。あれは「ユーモア」なのか?「ひと夏の挑戦」か?あれが?
私はあれが“子どものやるおもしろいごっこ遊び”だとは思わなかったし、セリーヌ・シアマがあれを「ユーモア」として撮ったとは今も全然思えない。
ベルリン国際映画祭では「思いがけない笑いと涙を誘われる。忘れがたい場面でいっぱい」「アイデンティティーの探求とその落とし穴を描いたエポックな作品」と称賛された、とも記載がある。思いがけない笑い…?どのシーンのことを言っているんだ。さっぱり分からん、いや妹のシーンはほっこり癒されるものがあったけど、それのこと?まじ何を言っているんだベルリン国際映画祭。誰のコメントだ。
私が狂っているのかもしれない。

もしくは10年という年月は価値観や感覚や理解を大きく変えてしまうような、長い時間なのかもしれない。10年前、22歳の私が観たら、あのおばさんと同じようにクスクス笑ったんだろうか。「ユーモアがあるなぁ」とニコニコできただろうか。

私は私が狂っているかどうかを判断できないのだな、と思うと怖ろしい。狂っているかどうかを判断するには常に他者との比較があり、そっちが正常かどうかを決めるのは、どうせ多数決だからだ。規模の大きいものごとを動かすときに多数決が適しているのは何となく感覚で理解できるけど、規模の小さいものごとに、なるべく多数決を持ち込まないようにしたい。他者は知らん、知らんが私は。

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