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11メートル
2025年11月16日 (日) 20:36
久しぶりに自分の家で週末を迎える気がする。いや「気がする」んじゃなくて、まじで4週間ぶり。起きて早々に洗濯。最近ほんとうにずっと天気が良い。
今日は病院に行く日だ。経過が良いので一気に薬がふたつ減った。うれしい。
早い時間だが昼ごはんを食べることにする。病院の日は点心を食べることが多い。月一回の通院のあとは「今月も一ヶ月よくがんばったな」という自画自賛の気持ちになり、ちょっと良いものを食べたい気持ちになる。「ちょっと良いもの」は人によって大きく異なる気がする。私の「ちょっと良いもの」は自分で作れないものや、作れるけど面倒なもの、が該当する感じ。そういえば2~3年前は洋食屋さんにハマってて、病院の帰りに洋食屋さんに行くのがお決まりだったな。
今日のは初めて行く店だったがイマイチだった。が、飲食店に関しては自分で行って自分で食べる以外に好みかどうかを知る術がないので仕方ないし、おいしい点心屋さんをたくさん知っているのにイマイチなところに来ているぞ、と思うとおもしろいので全然気にしない。人と一緒だと「イマイチな店をチョイスしてしまって申し訳ないな」と思わないでもないが、ひとりだとそれもない。私が私のチョイスでミスり、私のお金でお会計をしている。引きの画で見て笑える。
隣の個室では会社の何か集まりみたいなのでおじさんが大勢つどっており、隣の席では大声のおばさんが3人で久しぶりの再会を喜ぶ会みたいなのが行われていた。4人掛けのテーブル席であんなに大声である必要があるのだろうか。いや必要とかじゃなくて、ベースがあれなんだろうな。最近大声の人よく見かけるな。笑っちゃうからやめてほしい、あと会話がぜんぶ聞こえる、まじで全部。
このあとは美術館に行くが、天気も良いし自転車日和だ。駅前で自転車を借りて南下。かっこいいスポーティーな自転車に乗ったお兄さんがふたり、橋を渡ったあと海側にくだる道へ曲がった。ん?そこ降りられるの?と思い、引き返してついて行くと、海際に遊歩道が整備してあってびっくりした。ぜんぜん知らんかった。こんないい道があったの?広いし。信号もない。私は家から美術館まで何回も自転車で来ているのに、こんな道があることを知らなかったし、Googleマップだって教えてくれなかった。いや、Googleマップでこのへんの道調べたことないか。そうかも。次からここを使おう。気持ち良い道見つけてうれしい。
県立美術館で『リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s』を観る。7〜8年前くらいに似たような展示を東京で観た記憶がある。あれは「戦後、日本の住宅がどのような変遷を経て来たのか」みたいなのが主題だった。すごくおもしろかったのと、私は本当に家が好きだ、と思った。あらゆる建築物の中でも、住宅が、人が住む家が、一番おもしろい。
本展はその世界版というか、日本に限らず、1920年以降の住宅を紹介する、というもので、ル・コルビュジエ、アアルトとか、建築に明るくない私も知っている建築家が紹介されている。
全体を通して、鉄骨で家を建てられるようになったのはかなり大きな変化だったんだな、と実感した。ヨーロッパで見る煉瓦や石造りの家って「地震がこない国は良いっすね、どっしり300年とか保つしね、うらやましっすわ」ぐらいにしか思ってなかったのだけど、「壁面で構造を支えないといけないから壁を薄くできないし窓を増やせない、調光に難がある」という、けして小さくはない問題があったことを知った。要は窓を増やしたり、大きくすることで、家の強度が下がってしまう、という。聞けば当たり前のことだけど、全然思いつかなかった……通りに面していない建物だと、光を取り入れるのはさらに難しいだろう。日本の木造の家は柱で支えているから、普通に窓を作れるし、縁側があったり、明るい家が多いイメージがある。
鉄骨やガラスを工場で作れるようになると、壁面をガラスにしたり、大きな窓を作ったりできるようになり、本展で紹介されている住宅にも「ガラスの家」と名付けられているのがふたつ(別の国、別の設計者)あったりして興味深かった。素材の変化や進化によって作るものも変化・進化する、というのはどの業界にもあって、素敵なことだな、と思う。例えば質の良い絵の具をチューブに入れて持ち歩けるようになったあたりから、サイズの小さい風景画が増えた、みたいな話とか。
国によって違う気候や場所によって異なる地形とか、特性をきちんと理解して設計されているのもおもしろかった。地中から空気を取り込む仕組みになっている京都の家(聴竹居/藤井厚二)は「夏をいかに乗り切るか、少しでも涼しく暮らしたい」という意気込みを感じる。「夏を過ごすための家」と銘打たれたアアルトの家(ムーラッツァロの実験住宅)は「夏だけの家があるんどすか、夏だけの?そら結構なことですなぁ〜」とつい思ってしまうけれど、建てられた場所がフィンランドだと知ると話が変わってくる。フィンランドの短い夏を、唯一の過ごしやすい季節をどのように楽しむかは、人生をどう生きるかとほとんど同義だろう。アアルトはここでとんでもない数の煉瓦やタイルを試し、その積み方や使い方を模索したらしい。ちなみに展示されていたレンガとタイルはアアルト財団から貸してもらったもので、財団のスタッフが手荷物で日本へ運んできたのだそうだ。手荷物が一番安心して運べるもんね。こういう話を聞くために解説会に参加したので、聞けて嬉しい。
一番の収穫はミラー邸のテキスタイルなんかを手がけたアレクサンダー・ジラードを知ったことだと思う。むしろなぜ今まで私はジラードを知らずに生きてこられたのか疑問なくらい、初見で「めちゃくちゃ好きなやつやん」と思った。ポップでカラフルで、かわいくて、なおかつ家とのバランスも良い。ミラー邸はもうどう見ても「金持ちの家」というか、でっっっかいし、金かかってるのがありありと分かるけれど、ただ下品でなく、モダンで上質で、何より住みやすそうだな、という印象だった。オリジナルでこの家のためにこしらえたテキスタイルや家具など、インテリアによるものも大きいと感じた。親しみやすさを生んでるというか。ダン・カイリーによる造園も素晴らしく、建物をドンと作るだけで住宅が完成するわけではないことがよく分かる。ミラー邸は床面から1段下がったところにロの字型のソファスペースが設けられているのだけど、ここに置くたくさんのクッションに使われているテキスタイルや、ミラー家みんな(7人家族らしい)のイニシャルや趣味なんかをモチーフにしたカーペットなんかがあまりにもかわいくて、にっこにこになってしまった。良い仕事を見るとにっこにこになってしまう。
菊竹清訓のスカイハウスはスケッチがかなり初期段階から残されており、本人が思いついたのをメモしておく程度のものから、徐々に解像度を高めていく過程が順番に見られたのもおもしろかった。最初期のスケッチはレシートの裏に描かれており、胸がぎゅっとなる。レシートの、裏。なんだろうな、私はものを作る人が見せる生活の片鱗みたいなものがとても、愛おしいと感じる。
大満足で移動し、十三で友人とごはん。「今日あたしが払うから、全部!」とのことで、1軒目のホルモンから喜八洲のみたらしだんご、2軒目の居酒屋も全部おごってもらった。「誕生日やからな!これがプレゼントってことで!」と言われ、ありがとうごちそうさま、と言ったが、よく考えたら全然誕生日じゃない。私の誕生日はまだ1ヶ月以上も先である。が、友人は私に誕生日プレゼントを渡せないこと(何を渡せば喜ぶかわからないこと)が心苦しいという話をいつもしてくれるので、ありがとうごちそうさま、で合っているようにも思う。「何を渡せば喜ぶかわからない」というのはよく言われるし、慣れている。でもそれは私のせいだから、とも思う。誕生日を覚えてくれていることだって当たり前ではなく嬉しいし、本当に何も要らないのだけど、それが寂しいらしい。寂しく思うようなことは何もないのにね、でも友人を寂しくさせるのは全く本意ではなく、夕飯をご馳走してくれるのだって嬉しいのだから、これで良いのだと思う。友人は過去に見たことないぐらい盛大に酔っ払い、駅で別れるのは不安なほどだったので、家まで送って行った。最近のマンションてそんな鍵なの???などと言いながら「まだ飲みたい」「帰らんといて」「掃除して行って(???)」とぐずる友人をどうにかなだめ帰宅した。あんなに酔ってる人、久しぶりに見たな。おもしろかった。
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