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dont feel, think

2025年11月17日 (月) 20:38

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「“考えろ”って言ったやん私に、覚えてないかもしれんけど、あれずっと、忘れられへんねん」、と友人が言った。覚えている。あの日、彼女は夫と喧嘩した話を私にしていた。明らかにどっちが悪いとかいうレベルの喧嘩ではなく、いわゆる価値観の話だと感じたので、私は「こんな誰も悪ないタイプの喧嘩、長引くで、自分の過去の話・自分の今の感情・相手の過去の話・相手の今の感情を全部分けて整理したうえで話さんと平行線のままやで、最悪の場合これが原因で離別って感じになると思うよ」というようなことを言った。「どうすればいいん、もうしんどい、そんなにいろんなこと考えたことない、みんなだってそんなに考えてないよ私だけじゃなくて」と嘆く彼女に、私は「考えろや、考えて苦しめ、“みんな”は知らん」と言って、その日の話はだいたいそれで終わった。覚えている。ちょうど1年前くらいのことだ。

言ったあと、ほとんど呪いみたいなことを言ったな、と思った。「考えて苦しめ」は呪いじゃないか。間違ったことを言った気はなかったが、呪いをかけるつもりもなかったので、その点だけ謝ろうか、と思ったが「考えろ」と「“みんな”は知らん」については訂正する気がなかったので、結局連絡しなかった。考えるのは苦しいし、正解だってないし、彼女の言うとおりしんどいが、でも考えて・選択する・決めるしか、人生でやることなどないと思う。あれから1年経ったけど、今もそう思っている。私も考えて、選択している。それしかやることがない。

私は友人にも、会ったことはないがその夫にも、幸せでいてほしいと思う。ひとりで幸せでいることはできる、ひとりずつ幸せでいることも、でもふたりで幸せでいることはたぶんもう少し難しい。どの過程でも「考える」は必ず要ると思う。“みんな”がやっててもやってなくても、過去にやったことがなくても、「考える」は要ると思う。

「忘れられへんねん」と言った彼女によると、何かあるたびに脳内に私が表れて「考えろや」と「いじめ」てくるらしい。まじで呪いやん、と言ってふたりで笑った。

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