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パン・ギャラクティック・ピザ・ポート
2025年8月6日 (水) 20:48
空港で、のたうち回って泣いてる子どもがいた。文字通り「のたうち回って泣いて」いたので、結構ショッキングだった。遠目だと姿ははっきり見えなかったので小さい子だろうと思って保安検査場を通過したら、そこで泣いていたのが小学生4年生ぐらいの男の子だったので驚いた。さすがにもう、「のたうち回って泣く」しか出来ない歳ではないのではないか、と思ったからだ。おそらく彼は迷子だ。
私に子どもはいないので自分が子どもの頃のことしか話すことがないが、我が家は家族とはぐれ、迷子になった時のルールみたいなものが決まっていた。例えばディズニーランドに行くとき、入園して少し歩いたくらいのところで必ず「みんなとはぐれた時の待ち合わせ場所」を決める。お店の前だったり、何かの看板や花壇の前だったり、アトラクションの入り口だったり、とにかく分かりやすい目印になる場所を、父か母が「ここが今日の待ち合わせ場所」と決めるのだ。みんなとはぐれちゃったな~と思ったら、辺りを少し探してみて、それでも見つけられなかったら、その待ち合わせ場所へ行き、そこでじっと待つ、というルールだ。ウロウロすると会えないので、待ち合わせ場所に着いたらそこから離れないように、ただ待つように、と言われていた。
遊園地や広い公園、ショッピングモール、スキー場など、とにかく人が多くて迷子になりやすい場所へ行くときは必ずそうした。当時は携帯電話もなかったし、GPSなんてもちろんのこと、一度はぐれたらそう簡単には見つけられない。子どもが気を取られる楽しいものがたくさんある場所は、迷子になりやすいので、迷子になること前提のルールだったのだと思う。
待ち合わせ場所を覚えていてもたどり着けないんじゃないか、と思うけど、小学校にあがるくらいの年齢になると私たちは「人に道を聞く」ということが出来るようになっていた。道を掃除しているスタッフの人や、家族連れの優しそうな人に自分で声をかけて「宇宙人のいるピザ屋さんに行きたいんですけど、連れてってもらえませんか」などと言うことが出来た。
このルールはなかなか実用的で、私も何度か、その都度決まる待ち合わせ場所で、家族を待った。子どもだったのでどのぐらい待ったのかは覚えてないし、不安だったことに間違いはないが、それでも「来ない」ということはなかったし、何よりそこで待つことには根拠があったのが良かったんじゃないかと思う。これが例えば「迷子になったら、その場から動かない」というルールだったら、きっと、もっと不安だったんじゃないだろうか。ここで待っていて見つけてもらえるという根拠がないから。
こういう家族のルールがあったことを、ブワッと思い出した。大人になって、自分も相手もスマホを持っている状態だと、迷子とは無縁だよな。「迷子」って大人の場合には使わないんだろうか。大人の場合はなんて言うの。「失踪」か……?
件の男の子は警備員さんと空港スタッフの女性がケアしていたが、ほんの数分でお父さんらしき人が戻ってきた。その人は男の子をなだめながら「トイレに行くからここで待っててって、言うたやんか!聞いてたやろ!」と言っていた。たぶん、ほんとに5分ぐらい離れただけなんだろうと思う。5分離れただけであんなに。
この話を姉にした。姉は長いこと保育士で、子どもについては一等詳しい。私が聞きたかったのは「5分離れただけであんなに泣くのは何故か」ということだ。3歳の子なら分かるし、3歳の子を置いてトイレに行くなよ、と思うけど、あの男の子はどう見ても小学生だった。自分で水筒も持っていたし、きちんと帽子を被って、床でのたうち回って泣いてさえいなければ「しっかりしてそうな子だな」と思ったはずだ。それとも、もしお父さんがトイレに行く数分をただ待つのが困難な子なんだとしたら、置いていくなよ。どういう親やねん。
姉は「まぁ信頼関係が築けてないって感じやと思うよ」と言った。「例えばな、小さい約束を何回も破るとか、そういうのを何回も積み重ねると、なんぼ小学生で高学年になってても、そんなふうになるよ、置いてかれてパニックやねんもん」と。
「小さい約束」というのが、この件とどう繋がるのかピンとこなかったので重ねて質問すると「今日一緒にお風呂入ろうとか、ごはんのあとで一緒にゲームしようとか、宿題終わったら一緒におやつ食べようとか、そういうやつ、大人がその場しのぎでする、小さい約束よ、大人ってそういうのすぐ破るやろ、ほんで謝らんやろ、どうせ子どもやから覚えてないと思って」と姉は言った。確かに、と思った。大人はその場を収めるためだけに、小さい約束をする。人前で泣いている子に、今やってほしいことをやらない子に「これと引き換えに」と差し出すアレのことだ。無理もない。大人にはその場をしのぐことが今は何より大事だという時が少なからずあるし、子どもが思うよりも大人はずっと複雑なのだ。親を責める気にはならない。
一方、その小さい約束を頼りにして生きるしかない子どものことを思うと胸が痛い。姉いわく「どうせ覚えてない」と思っているのは大人だけで、実際覚えていないのも大人だけだそうだ。子どもはちゃんと覚えている。覚えているけど、それを指摘したり、責めたりするほどの言葉を持たない、というだけのことらしい。だから一見「どうせ子どもやから覚えてない」と映る。
あの男の子はもしかしたら、これまでずっと小さい約束を守ってもらえなかったのかもしれない。もしそうだとしたら、お父さんが「トイレ行ってくるから、ここで待ってて」と言うその言葉も、まったく信じられないのかもしれない。本当に、空港に置き去りにされたと思って、泣くのも無理はないかもしれない。
人間がやることの不確かさや、目に見えないものを構築することの難しさを思うと気が遠くなる。親子だからといって、テレパシーが使えるわけでも、脳の一部を共有しているわけでもない。不完全な生き物だ。
もちろん私に出来ることは何もなく、彼らの事情や経緯など知る由もなく、なぜこれを書き残すのかは自分でも分からない。彼らは私とは違う搭乗口に並んだようだったので、たぶん沖縄か鹿児島へ行く便に乗ったと思う。きっと夏休みだろうから、旅行か、帰省かな。ふたりとも楽しいといいな。
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