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クミンとあとなんか
2026年3月13日 (金) 20:17
横浜美術館に行きたくてこの忙しいのに休みを取ったが、まさかの休館日で撃沈した。2~3年に一度、このレベルのポンコツミスをやってしまう。往復の交通費がもったいないのでキャンセルするのも気が引ける。ひとりならまぁそんなに気にしないけど、友人を誘っていたので本当に焦った。申し訳なくて……みんな「ごはんだけでも行こうよ」と言ってくれて優しかった。優しい人たちと友人で私は幸せ者だな、と思う。が、夕飯までごちそうになってしまい、図々しかった。次は私が払うぞ!
見たかった企画展は来週末で終わってしまうので、もうチャンスがない。悲しい。が、韓国の国立現代美術館に巡回するので、そちらで行くことにする。できればどっちにも行ってキャプションや展示構成なんかを見比べてみたかったけど、でももうしょうがない、休館日をちゃんと調べて生きようと思う。みなさん横浜美術館は木曜定休です。美術館は月曜定休、と思い込んでいませんか?横浜美術館は木曜定休です。
8時半には羽田に着く飛行機にしていたし、現代アート欲があったので東京都現代美術館に行き、ソル・ルウィット展を見てきた。ソル・ルウィットさんはコンセプチュアルアートの人だったみたいで、立方体の作品は見たことがあった。私は人の名前をぜんぜん覚えられないけど、作品は覚えている。コンセプチュアルアートはその名の通り、どんなモノをどんな完成度で作ったか、ということよりもそのコンセプトやアイデアこそを重要視する、というアートなので、本人が何も描かない・何も作らないケースが多くあるのだけど、見ていて安心するというか、なんだろうな、「ほらな?」みたいな気持ちになる。
えーと、ちゃんと説明すると、なんかこう、私の職業柄とか、趣味でなんかモノを作っていることに起因すると思うけど、結構「あなたはクリエイティブな人ですよね」的扱いを受けることが多い。それ自体に特に何か思うわけではないけど、どうも「一線を引かれている感じ」を受ける。「あなたはクリイティブな人で、私は非クリエイティブな人です」みたいな感じ。それが嫌とかではないけど、でもなんかこう「そこに線があると思ってるかもしれんけど、全然ないよ」とは思い、やや寂しくも思う。そう、あなた(架空)はクリエイティブと非クリエイティブみたいなものが「対のように在る」と思っているかもしれんけど、無いのよ。そもそも対になってないし、非クリエイティブなものなんて、無いよ。ただその、無いものを証明するのは難しいので、私はまぁ在ることにして話を進めたり、話を終わらせたりする。コンセプチュアルアートというのはその、無いことを証明してくれているような気がする。だから「ほらな?無いやろ?」と思えて、ホッとする。無いほうが良いと思っているんだと思う。私は、何かと何かを分ける線が、どんな世界においても、無いほうが良いと思っている。
ソル・ルウィットさんは「アイデアはひとりが所有できるものではない」みたいなこともご自身の哲学としてテキストに残していて嬉しかった。私もそう思う。つまり、アイデアはそれを理解し、実行できさえすれば、共有できる、という意味だと思う。そんなんめっちゃ希望やん。私もそう思う。
コンセプチュアルアートって作品を見ながら逆引き辞典みたいに指示書の内容を思い浮かべたりするけど、指示書そのものを併せて展示されるケースはあまり見たことがないように思う。ご法度なんだろうか。
上階で開催されていた『TCAA 受賞記念展 湿地』もすごく良かった。こちらは梅田哲也さんと呉夏枝さんのふたり展のような感じというか、こういうパターンの展示を初めて見たように思う。ふたりの作品がスペースを分けず、混在して展示されていた。ふたりは別に共同制作をしているアーティストとかではないみたい。TCAAは“中堅アーティストを対象とした現代美術の賞”とのこと。
『湿地』というタイトルのとおり、水にまつわるテーマの作品展だった。美術館はもちろん屋内だし、美術作品の多くは水に濡れるとか水がかかるとか水に浸かるとかは想定されていないし、美術館の中を歩いていて水を感じたことなどなかったと思うけど、梅田哲也さんの作品の上を歩いているとき、私は確かに「いま海におるぞ」と感じて不思議だった。呉夏枝さんの作品を見ているときも「いま浜に立って向こうの島を見とるぞ」と感じて不思議だった。水が使われている作品というのは結構見るけど、本展で水そのものはひとつも出てこない。おもしろかった。
窓際の廊下に吊られたビニールの横を歩いているときも海を感じた。私が歩くことによって生まれるわずかな空気の動きで、ビニールが揺れ、音が鳴るのだけど、あまりにも海だった。共鳴するような音も、ビニールから返される風圧も、気持ちよくて3回歩いた。
地下には美術図書室があり、カール・ブロスフェルトの作品集を書架から出してもらって眺めた。タッシェンのが1冊しかなかった。
図書室には映画や演劇に関する洋書もたっぷりあって楽しかった。ウォン・カーウァイの本があると検索システム上に出たので探したけど見つけられず、時間切れ。こんな図書室が家の近くにあったら最高やのにな。無料やし。
美術館を出たあとはバスで50分くらい移動して友人たちと合流、行きたかった中国茶のカフェに行ったり誠品生活をぐるっとしたりしてから、なんか妙にイケてる中華料理屋で羊肉なんかを食べた。おそらく四川でも広東でも上海でもない中華料理で、思い切りがよい料理というか、酒を飲ませる店のわりに過度な塩味もなく、とてもおいしかった。むやみに塩を強くしたり、変に甘さを足したりしないで、香味野菜とかスパイスとか使って味を組み立てる料理が好きだな、と思った。それにしても中華料理は本当に奥が深い。歴史が長いこともあるだろうけど、あとシンプルに土地が広いもんなぁ。
私以外のふたりは初対面だったのだけど、初対面の人たちがちゃんと時間をかけて丁寧に自己紹介をしあうさまを見るのは豊かなことだと思った。子供のころは自己紹介なんて名前を言い合えばそれで必要十分で、あとのことは徐々に、という感じだけど(一緒に過ごす時間が長いから)大人はそうはいかない。重ねてきたものが少なくないから自分のことを話すのだって一苦労だし、お互いに経験則があるから悪意なく人の話を勝手に補完してしまったりもする。自己紹介には長く時間がかかる。1回会ったくらいでは終わらない。これを一方が面倒がったり、端折ったりすると、結構すぐバレる。別にバレても構わない、どうでもいい、と思っている人もいると思うけど……私が今日ここへ来なくても、ふたりがどこかで会う機会はあっただろう、でも私はここへ居合わせられてよかったな、と思った。
新横浜まで移動し、新幹線に乗って帰宅。読書をするつもりだったけど眠すぎて全然捗らず。自転車を飛ばして帰宅したらまた漏水していた。もうええて。
now on
2026年3月10日 (火) 21:24
『猪名野神社の市』が無事に終わった。いや、無事かどうかはかなり判定が難しい。自分の寒さ対策がかなり甘かったせいで震えがくるほどだったので……お湯とか布とかが圧倒的に足りなかった。カイロとか。しかもお借りしたテントを自分でちゃんと立てられず、たたむのもひとりで出来ず、手伝ってもらったし……こういうのに出店すると、毎回「何もできないな」と気づく。次は自分でできるように、と思いメモを残したけど、テントによって違うんかな……分からん、何も分からん。イベントは楽しかったし、良い神社でした。神社出たとこの和菓子屋さん行きたかったな。いちご大福食べたい。
伊丹はいま、大相撲大阪場所に向けて秀ノ山部屋が来ているらしく、たくさんのぼりが出ていてお相撲フィーバー感(?)があった。お相撲のこと知らんすぎるのだけど、つまり大阪場所に向けた期間と大阪場所の開催中は近隣の市町村に部屋ごと遠征に来る、みたいなことらしい。オリンピックの選手村みたいな感じ、と教えてもらったが、オリンピックも全く見ないのでフワッとしか分からん。猪名野神社には土俵があるので、そこで公開稽古が行われたりしたらしい。秀ノ山部屋は元大関の琴奨菊さんが設立した、とのこと。私は「部屋」もフワッとしか分からんのだが、つまりプロレスで言うところの「団体」ってことかいな。琴奨菊さんはウルティモ・ドラゴンってことか。いやプロレスもフワッとしか分からんのやけど……
とはいえ力士のみなさんには少し馴染みがある。東京に住んでいるときは学校とバイト先が総武線・中央線沿いだったので、結構電車で見かけた。お相撲さんってなんか甘い、あの、懐かしいかんじのにおいするね。あとは友達が両国に住みだしたころ、家の周りにちゃんこ屋さんがいっぱいあったし、浴衣とか草履とかを売るようなお店がたくさんあって、結構カルチャーショックだったことを思い出した。お相撲いっかい見に行ってみたいな。おもしろいでしょうね。両国国技館のお弁当も食べてみたい。焼き鳥のやつ。
家で漏水が発生し、トラブルのさなかにある。まぁ建物の築年数から考えると、漏水ぐらい起きたって不思議ではない。上階宅の人がちゃんと対応してくれる人で本当に良かったと思う。何より「リノベーションのとき風呂の位置変えてなくてよかった……」と思った。水漏れの位置は私の風呂の、というか脱衣所の天井にあたる部分なので、多少濡れても問題ない床材だし、濡れて壊れるような精密な家電や家具も置いていない。もしこれが寝室だったり、クローゼットだったりしたらもっと被害が大きかったと思う。だって布団とか服とかが濡れるってことやから……さらにこれがリビングの上だったら無垢材のフローリングにこの量の水が、と思うと震える。泣いたかもしれん。嫌すぎて。まぁ風呂の位置を変えるプランがあったわけではないけど……
一方、保険まわりの扱いで言うと私は「被害者」であり、「損害賠償請求」をする立場であるらしい。ぶ、物騒な……上階宅の人は水を出しっぱなしにしてたとかではないし、悪意も故意もないのに、ただ上に住んでいるだけで「加害者」なんだそうだ。え、でも物理的に水は上から下へ流れるので、それを「加害」と言ってしまって良いのか。なんか、なにその、変じゃない……?「嫌なら人の上に住むなよ」ってことか?現状まだ漏水の場所は特定されていないので、設備側の問題かもしれないし……
バンタンのカムバに際しファンダムがちょっとザワついているので、何を見て何を見ないか、自分で決める必要がある。ファンダムがデカいので、いろんなことを言う人がいるし、それで良いと思うけど、だって人はいろんなことを言う生き物なので、ただ私は私が何を見るか、何を思うか、何を言うか、を自分で決めることが出来るから、引き続きそうする。やっぱちょっと「ジンくんはこう思ってるはず」「ジンくんがかわいそう」「ジンくんつらそうな顔してた、私には分かる」みたいなの見るとしんどい。好きゆえのことやから、私だって気持ちが分からんとは思わんけど、でもジンくんが言ってないことでモメたり喧嘩しはじめるのはちょっと、偶像が過ぎるやん。いやジンくんに限らず。
グループで、チームで活動をしている、ということを、ファンはもっと深く理解すべきじゃないかと思う。ジンくんが冬に入隊することになったのも、グクが2年も早く入隊したのも、ナムジュンのあの配信を「(メンバーは)誰も観てない」とテヒョンが言ったのも、そもそもナムジュンがあの配信で言ったことだって、すべてはグループのためで、その愛情深さや献身を、忍耐を、互いへの信頼を、ファンはもっと重く捉えるべきじゃないのか。なんというか、軽薄すぎるように感じる。
そういえば昨日なんかGoogleフォトの通知で「かけがえのないジンくんの写真を見ましょう」と出ていて笑った。かけがえのないジンくん。わはは。響きも良いですね。かけがえのないジンくん。Googleフォトって結構頻繁に「ナムジュンをチェックしましょう」とか「ジミンに挨拶しましょう」とか誘ってきてかわいい。私も「しましょう、ぜひしましょう」と思ってついタップしてしまう。
さて、近頃は「私は過去の話に極端に興味がない」という気づきがあり、これは何かの糸口ではないかと思うので、引き続き思考している。歴史には興味がある。国史に限らず、個人史も興味があるので過去の話に興味がないとは自覚がなかったけど「あの時ああいうことがありましたね」「懐かしいね」みたいな話が極端に嫌いだ。そこから繋がって何か別のことを話せるときは楽しいと感じるのに、ただ「過去を懐かしむ」みたいなことを、ポジティブな気持ちで出来ない。「どうでもええやん、もう済んだ話やん」と思ってしまう。家族と「おじいちゃんあのときこう言うてたよね」「おばあちゃんこれが好きやったよね」みたいな話はある種のノスタルジーを持って出来るから、思い出話が出来ないわけではないはずだ。人の話を聞くだけでなく、例えばここ20年くらいの自分の話をざっとまとめて話すのも楽しめない。私の人生は人に話して聞かせる価値のあるようなものではないけど、1分で居住地と在籍のトピックだけ話せば済むほど無価値なものでもないからだ。私の人生だけでなく、誰の人生もそうでしょう。伝記にするほどの人生ではないかもしれないけど、1分にまとめられる人生なんてないよ。
もしかしたら「あらすじ」に興味がないことと繋がっているかもしれない。そうだ、私は「あらすじ」が嫌いだ、ほとんど憎んでいる。映画のレビューサイトにあらすじを書く奴がほんとうに嫌い、レビューを書けよ、お前の感想を書け。あらすじを読んで「なるほどね」みたいな顔をしている奴も嫌いだ、何も分かってないねんから分かったような顔すんな、「あらすじを読みました」って顔だけせえよ。
これ繋がってるんかな、分からんけど。
今のあなたの話をしてくれ、今あなたが楽しいこと、今あなたが食べたいもの、今あなたが怒っていること、今あなたがほしいもの、今の話をしてくれ。私もそうする。
なんとかなれ
2026年3月2日 (月) 21:44
本屋さんに行ったら小説『プロジェクトヘイルメアリー』がたくさん平積みしてあった。文庫本が出たらしい。あと、映画化されるらしい。ライアン・ゴズリングが書影にいる。ここ数年、よく耳にしたタイトルだったので、「あぁ、あの」と思う。私は本を読む人とあまり交流がないので、本をおすすめされるようなことがないし、私自身は別に読書家でもなく、年に数冊、多くても10数冊程度しか読まない。読んだ本をあまり言いたくないので(恥ずかしい)積極的に話しかけもしない。だからタイトルをよく耳にしている時点で、たぶんめっちゃ売れてるんやろな、と思う。試しに手に取ってページをめくると献辞が気が入ったので買うことにしたが、今日は荷物が多いのでとりあえず上巻だけ買った。若林正恭著『青天』も気になるところ。こちらもたっぷり平積みしてある。
上下巻、上中下巻、などに分かれている小説をまとめて買うかどうか、というのの統計を知りたい。データないですか。漫画とかはそもそも発売時期に差があるから、まとめて買いたくても買えない場合があると思うけど、小説はまとめて書き終えてあって、同時に発売できるけどまとめて一冊にすると分厚すぎるので分けてある、という場合が多くないですか。つまり、まとめて買える状態じゃないですか。
私は上巻だけ買って続きを読まなかった、ということは過去に無いと思うけど、まとめて買うには値段が高い(若いころは例えば3000円は大金だった)・今2冊買うと重い・この旅行中に2冊は絶対に読み切らない1冊あれば十分、などの理由で、分けて買うことが比較的多いように感じます。
さて日曜日、ゆっくり本を読むために7時には起床し、ファミレスに行く。路面店のファミレスは窓も多くて席も広いし空いていて気分が良いので好き。ココアもおいしいし。たっぷりした朝ごはんにドリンクバーも注文して、がっつり読書。1時間と少ししたところで、やや混んできたので退店、歩いて図書館に移動。
図書館でいつも行くフロアはかなり静かだし、当然のように参考図書まみれなので捗る。辞書を傍らに置いて、2時間ほど読んだ。
歩いてスーパーに寄り、蕪が安い、生姜がもうないから買いたいけど高い、蕪は鶏ひき肉とスープにしよう、を買って帰宅。ストーブをつけて続きを読む。困ったことに、16時には読み終わってしまった。手元に下巻がないのに、上巻を、16時に読み終わってしまった。しかも自宅で。困った。
咄嗟に「逆にすれば良かった」と思った。つまり、家で読み始め、図書館で続きを読み、ファミレスに移動しておやつを食べながら読み終われば、そのまま本屋へ行き、下巻を買えたのに。私の家の近くに本屋はない。いや、あるにはあるけど、古本屋しかない。まぁまだ16時やねんから今から本屋に行ったってええねんけどな。でも今本屋に行ったらそのままにしむら珈琲で下巻を読み始めてしまうやろ。帰ってくるの何時になんねん。
今日のところは下巻はあきらめて蕪を煮て鶏だんごのスープを作り、ひじきとツナ缶で煮物を作り、余った鶏ひき肉とレンコンでそぼろを作った。茄子とレンコンでしそ味噌炒めをつくり、夕飯とした。ひじきとツナ缶の煮物、混ぜご飯にしておにぎりにしたらおいしそう。え、ぜったいおいしい。下巻は明日買う。
ハッピーオタクライフ
2026年2月27日 (金) 21:33
『猪名野神社の市』というイベントに参加することになった。お誘いのメールをいただいて嬉しかったのと、伊丹はけっこう仕事でご縁がある場所だからだ。JRの駅前にある日本酒の工場は、横を歩いているとお米を蒸すふんわりと甘いにおいがして好き。猪名野神社には行ったことがないけど、かなり歴史のある神社らしい。神社の境内でやるイベントに参加したい気持ちもあったのでうれしい。3月8日の土曜日です。お近くの方はぜひ来てください。古本屋さんとかも出店されるみたいよ。楽しみ。
猪名野神社は伊丹の人にとったら、どういう神社なんやろ。初詣にいくような、馴染みの神社なんかな。私にとって馴染みの神社は湊川神社。実家から近いかというと微妙な距離だが、初詣といえば楠公さんで、家族でもよく行ってた。よく考えたら実家からなら長田神社とか海神社のほうが近いのに、なんで楠公さんに……本籍地があのへんやからかな。行きやすさで言えば生田神社も同じようなもんやけど、そんなに行ったことない。え、神社ってどこに行ってもええんか?担当とかある?ないよな。ないよな?(担当?)
スクエアスクラップを始めた。正方形の型抜きパンチをつかって、スクラップノートを作る、というのをやってる人を前に見かけて、ずっと真似したかったのだけど肝心の正方形の型抜きパンチがなかなか売ってなくて、こないだようやく買えた。プレゼントにもらった包装紙とか、お店のフライヤーとかショップカードとか、美術館でもらってきた冊子とかを、型抜きパンチで1.5mm角の正方形に切り抜いて、それをノートに貼っていく、というものなのだけど、永遠に溜まっていく「かわいいけど用途のない紙」を整理できるのが良い。私はポストカードとシール・ステッカー類はまとめてあるので「集めている/コレクションしている」と言ってもまぁ差支えないレベルで整頓してあるけど、印刷物は……サイズとか厚みもバラバラで、ファイルにまとめるのが難しいし、人から見たら資源ごみではあるし、とはいえかわいいから捨てたくはないし、でも使いどころがあるような物でもないし、という感じで、だから家のあちこちに点在している。年に1~2回「なんか捨てるもんないかな」のタイミングで目に触れ、「あ、これ置いてたなそういえば」→「まぁ要らんけど、でもかわいいな」→「捨ててもええけどな、でも捨てるには惜しいか……」→「そない嵩張るもんでもないし、このままでえっか」と見て見ぬふりをしてきた。スクエアスクラップにすれば「かわいい/捨てるには惜しい」気持ちを蔑ろにせずに済むし、ノート1冊にまとめられて、残りは「もう切り抜くとこがないわ」で心置きなく捨てられるし、かなり良い。良いものを思いつき、紹介してくれる人がいて、素晴らしいと思う、ありがとうございます。今は家のあちこちから正方形にできる紙がないか探し出し、夜な夜な切り抜いてスクラップノートの後ろにくっついているビニールの袋に溜め、ある程度溜まってきたらノートに糊付けして貼る、というのを繰り返している。作業自体が楽しいし、家の中の物の総量は減るし、スクラップノートはかわいいし、良いことしかない。特に「集めている」のと「捨ててない」のとは別ものである、という点がここ数年は気になり続けているので、これを「集めている」にしっかり振り切れるのが気持ち良い。
問題はこのスクラップノートが1冊に収まりきらなくなり、数冊に及んだ場合はどうするのか、ということだけど、積極的に紙集めに奔走しない限りは心配せんでもええやろ、という感じなので今のところは気にしないでおくことにする。
この調子で雑誌の整理にも手をつけたい。推しがいると雑誌が溜まっていきますね。「載っている」程度であれば買わないと思うんですが、どうしても「表紙」の場合が多いし、我慢できずに買ってしまう。ジンくんは今GUCCIさんとFredさんのアンバサダーをさせてもらっているので、名だたるファッション誌で素敵なお洋服を着せてもらって普段とはちょっと違う感じのメイクにしてもらって、庶民の私はガラスケース越しに見るしかないような、今世では手に取ることすら無いレベルのゴージャスどデカ宝石のついたジュエリーをお召しになっていたりするから、買わないのは無理。雑誌なら買えるし。あの、金額的に。なおかつジンくんは「あんまりスッピンでだらっとしたとこ見せたくない、きれいにしてるとこだけ見てほしい」というようなことを頻繁に言っているので、ファッション誌の表紙などはまさに「ジンくんが見せたいと思っているジンくん」であるので、むしろ積極的に見たい。が、雑誌って嵩張りますね。そんなに多く買ってるつもりないけど、だって表紙6パターンのときとか、厳選して1冊だけ買ってるねんで、よく耐えてるほうやわ、にも関わらず雑誌って嵩張る。とはいえ雑誌はおおむね定型サイズなので、分解し、必要なページだけ抜き出して、きれいにカットすればファイリングできるはず。ファイリングできれば「捨ててない」でも「積んである」でもなく「集めている」にできるので、頑張ろうと思います。
家のことで言えば、久しぶりにクッションカバーを買い替えた。家を作っているとき、ソファーを映画『グッバイ・ゴダール!』みたいな感じにまとめたいと思っていた。ちょっとミッドセンチュリーぽい感じで、かわいいのよな。家具屋さんで張地のサンプルを見ながら完全にこれやん、というレベルに似た色の生地を選び、映画のトーンに合わせて赤と青とそれからストライプのクッションカバーをIKEAで買った。5年くらい経ったし、ちょっと飽きたし、ピンクと黄色と薄いグリーン、みたいなカバーにした。これに合わせてソファーをピンクにしたらかわいいと思うねんけど、ソファーを買い替える気はないから選べる張地の中にちょうどいいピンクがあるかどうかを見に行く必要があります。っつーかピンク自体がないかもしれんけど……
家のことは終わりがなく、毎日たのしいです。
うってつけの日
2026年2月24日 (火) 21:25
土曜日、予定通りバナナブレッドを焼いた。栗原はるみさんのレシピで作っているけど、家にあるもんだけで出来るし簡単やしおいしい。バナナはレシピより多く入れたけど、別に支障はないようでした。あんまり甘くないのも良い。私は甘いものが好きなのに、甘すぎるとこめかみの下のあたりがギスギス痛み、おいしいと感じにくくなる。
バナナブレッドを焼くとき必ずいつも「バナナブレッドにうってつけの日」と脳内に出るけど、口に出したことはない。こういう「絶対に脳内をよぎるけど、口に出したことはない(=人に言ったことはない)」言葉だけを集めた本がほしい。
なお、サリンジャーはライ麦畑しか読んだことが無いです。
キムゴウンさんが恋しくてドラマ版『ユミの細胞たち』を見ていたらアンボヒョンさんに大ハマリしてしまい、3連休の間ずっとアンボヒョンさんを見続ける妖怪になった。ファンクラブに入ったろかな、と勢いづいたんですけど役者さんのファンクラブって何がどうなるんでしょうか。「何がどうなる」というか、まぁ書いてあるんですけど、1番の「オリジナル会員証の発行」は分かるとして2番の「チケット優先販売」は何なんや。何のチケットやろ。分からん。入れば分かるんかな。たぶんファンミーティングとかがあるんやろけど、あんまり行きたくはない。恥ずかしくて……一旦落ち着いて考えます。
音楽をやっている人のファンクラブにしか入ったことがないのと、「音楽を聞く」以外の目的で好きな人・応援している人に会う理由が分からず、ただただ恥ずかしい。舞台挨拶は行ったことあるけど、あれは映画かお芝居を見に行っているし……ま、恥ずかしがっとらんと実績解除的なことでなんでも行ってみたらええけどな。
……実績解除ってどこから発生した言葉なんやろ、便利ですね。なんとなくゲーム界隈から出てきた言葉な感じがする。生まれて初めて使った。
夜に映画でもと思い、映画館で『センチメンタル・バリュー』を観てきた。すごく良かった。人間の気持ち・心・感情ほど複雑で、混乱し、整合性がなく、整頓されていないものなど無いと思うのだけど、そのありようが脚本化され、映像になっていたのがすごく良かった。こんなことできるんや、と思った。だって、なにか作品をつくることって、結構「混沌に片を付ける」という方法をとることとイコールな場合が多くないですか?
父を憎み許せない気持ちと、興味深くある種誇らしく思う気持ちとは、同時に、常に同じ強度で共存し、カードの裏表みたいに片方だけを見せたり、片方しかないように振る舞うことは出来ない。でもそれで良くて、そうしかできないこと、私がそうであるように、あなたも彼女もそうであることを、認め合い、ゆるし合わなくては、と思った。たとえ理解はできなくても。
妹が「私とお姉ちゃんの違いはひとつだけだよ」と言ったとき、次に何を言うかが分かりすぎて、めっちゃ泣いた。
合理的であることが良いこととされすぎている、というか合理的に生きてさえいれば賢く見えて、誰かに攻撃される余地を最小限にできる、みたいな価値観があると思う。だいたいこの価値観に、社会がまるごと覆いつくされていると感じる。でも私はそれには乗りたくないし、もっとこの混沌から何かを掬いあげて並べ立て、丁寧に磨いてサンプリングし、あなたや彼女のそれと見比べて生きたいと思う。
にんげんのぜんぶ
2026年2月20日 (金) 20:49
横浜美術館に行きたくて、でもお金つかいすぎてる・今年まだまだめっちゃお金使う予定ある・年度末で仕事忙しい、などを二転三転したが「行って後悔することなどないので行っとけ」と脳内に極太フォントで出たので結局行くことにした。「行っとけばよかったな」と後悔することはあっても「行かんかったらよかったな」と後悔することはない、あったとしても「でも行かんかったら“行かんかったらよかった”と思うことすらできんかったからな」と思いなおせるし。ちょっともったいないけど泊まると高いので日帰りにした。始発の飛行機で行って、最終の新幹線で帰るスケジュール。前後は自転車移動の予定。ギリまだこれぐらいの無茶は利く年齢な気がする。20代なら夜行バスとかが選択肢に入ってたよなぁ。今もう夜行バスは選択肢にないわ。4列シートでディズニーランド行って4列シートで帰ってた10代のころとかがあったの、嘘みたい。
ダイアンの津田さんがツイッターで、誰かの「変な標準語やめろ(要約)」的なリプライに対して「お前が勝手に標準語で再生しとるだけやろ(要約)」的なリプライをしてたの、何日か前に見かけて、あれおもしろいなと思ったのに、見つけられん。関西弁っていわゆる「歌詞」を指す場合と「メロディー」を指す場合、まれに「リズム」を指す場合があると思うんですけど、この場合の「変な標準語やめろ(要約)」は「歌詞」に対して言うてて、津田さんは「お前が勝手に標準語のメロディーで演奏しただけ」という意味で返した、という状態やと思う。例えば私は、どんな文章も関西弁の「メロディー」で脳内再生もしくは音読をすることができるけど、これって関西弁に限らず方言話者だけが出来ることなんでしょうか。いや、方言話者であっても文章を読むときは標準語の「メロディー」になってしまう、という人のほうが多いんでしょうか。それとも「歌詞」が標準語になっている以上、「メロディー」だけを方言にすることはできない、不可能である、という方言もあるんですか。
例えばよ、私は川上未映子さんの書いた文章を標準語の「メロディー」で読むことは無理で、どんなに頑張っても絶対関西弁の「メロディー」になってしまうやんけ、と思うねんけど、これは私が関西弁話者だからなんですか?『わたくし率イン歯ー、または世界』なんてタイトル、どうやって標準語で読むねん。やってみてほしい。無理やろ。
いやでも、文章を読むときに脳内で音声が出ない(頭の中で音読をしない)場合もあるか。小説とかをものすごい集中して読んでるときって、脳内から音が消えるけど、でもあれは意図的にやってるもんじゃないからな……
私が書いた文章をみなさんがどの「メロディー」で音読しているのか気になる。私としては結構関西弁の「メロディー」で書いているんですけど、書いてる内容によっては混ざっています。ちなみにこのブログは冒頭から終わりまで、すべて関西弁の「メロディー」で書いています。伝わるんですかね。
津田さんのリプライは消してしまったんでしょうか。私は津田さんのアカウントをフォローしてないのに目にしたってことは炎上したんかな。
降ってわいたような3連休でうれしい。2/23が天皇誕生日なの、まだ不慣れ。おめでとうございます。
家を掃除するつもり。毎日違う靴下を履けるぐらいの数があるし、おそらくもう二度と着ないニットなどがあるので、整理しようと思う。あとキッチンのシンクの下を掃除する。だましだまし生活しているので……あと実家からもらったバナナがあるのでバナナブレッドを焼きます。私は生のバナナが全然好きじゃないけど、加熱したのは結構好き。
チークタイム
2026年2月12日 (木) 20:52
雨なのに洗濯をしたせいで、家じゅうが湿気ている。乾燥機的なものがないので、どうにもできない。除湿器的なものもないし……私は湿度に弱いくせに調湿に気を配らない人間なのだけど、もしかして現代では珍しいタイプなのかもしれん。梅雨時はエアコンの除湿機能を使い、冬はストーブにヤカンをのせることで加湿としている。ガサツ、とも言う。
いやでもこういうのって実家の影響を受けてるだけな気がするけど、そうでもないんかな。みんなどうしてるんやろ。除湿器買ってもいいけど、そない使うかな。というか、電化製品の見た目があまり好きでないので……最近はおしゃれなのも出ているだろうと思うけど、そういう問題ちゃうねん。電源コードがすでに嫌いやねん。
ボックスシーツが破れたのでIKEAに買い物にいく。昼間に行くと混んでるので、IKEAは夜行く。ボックスシーツが破れるなんて初めてやわ、これいつ買ったっけ。リネンの、結構いい値段したけどな。私が寝返りを打ちすぎてる?
IKEAでシーツを買ったことはない。売り場も真面目に見てないぐらい、スルーしてきたが、Airbnbで借りた家のシーツが適度な厚みで肌触りも良く、気持ちよかったので、タグを見てみたらIKEAだったから「今度見に行ってみよう」と思っていた。同じのは売ってなかったけど、パリッとスルッの間くらいの肌触りのシーツが見つかったので、これを買ってきた。ゴワゴワしたシーツって嫌やけど、あんまりホニャホニャのも好きちゃうねんよな……掛け布団カバーも買おうか悩んだけど、一旦ボックスシーツを使ってみてから決めようと思う。今の掛け布団カバーはおそらく生地サイズのせいでシングル以外は接ぎが入る仕様になっており、購入時は「まぁそらそうよな」ぐらいにしか思っていなかったのだけど、見た目も結構気になるし、縫い目部分の肌触りも結構気になるし、今後は気にして避けたほうが良いすね、と思っている。寝具って本来は下着と同じくらい気をつかって買うべきなんじゃないのか。一人暮らし20年ぐらいしてようやく気付いたわ……
IKEAは特に買う予定の家具が無くてもただ散歩するだけで楽しい。浮かれてサイドテーブルを選ぶカップルを見るのも好きだし、おそらく春から一人暮らしを始める男の子が両親とメジャーを引っ張り合ってるのもほほえましくて好きだ。そもそもインテリアが好きなのもあるけど、IKEAは全体的なつくりとして各アイテムがデカいのが良い。脚の細さやキャビネットの奥行きなんかも、国産の家具とは根本的に違う感じがする。スウェーデンは家がデカいんだろうな、と思う。
そういえば前に誰か芸人さんの家を見てヤイヤイ言うみたいなバラエティー番組を見ていたとき、結構良いマンションの広い部屋なのに家具が全部異様に小さくて「これぐらいの部屋のサイズになると要るかどうかに関わらずデカい家具を置かんとカッコつかんのやな」と勉強になったことを思い出した。一人暮らしで友達を呼んだりするタイプでない場合、たとえばソファーは2シーターか2.5シーター程度でじゅうぶん事足りるのだけど、部屋が広すぎる場合、事足りるとか関係なくL字のソファーを置くとか、座面がデカめのデザインにするとかしないと、空間がスッカスカになってしまう。
IKEAは輸送コストが抑えられる商品を安く売っている感じがあるので、それも見るのがおもしろい。ちゃんと見ればどういう理由で安いのかが分かるようになっている。ガラスの花瓶なんかは畳んだり重ねたりできないのでそんなに安くない。オレンジのと黄色のがかわいかったけど、私の家にはデカすぎるので買わず。花瓶もデカいんかい。花は同じですよね???
キッズ商品もかわいいので、毎回買うのを堪えるのがつらい。最近はタコのぬいぐるみが欲しくて、行くたびに見て見ぬふりをするのに必死。黄色のタコで、かわいいんです。でもぬいぐるみ要らんから……捨てるとき悲しいのが目に見えてるし……タコのぬいぐるみってヨーロッパにもあるけど、日本ではあまり見かけない気がする。水族館に行ってもサメとかイルカとかカメとかのぬいぐるみはあるけど、タコって見かけませんよね。………食うものとして見てるからか??
スーパーボウルのハーフタイムショーをYoutubeで見た。リアルタイムで見るほど熱心に追ってはいないものの、近年はこの時期になるとオードリーがNFL仕事のために現地入りし、ラジオでその話をするので……
今年のは「金かかってんな~」以外に言うことがありすぎるステージで、本当に良かった。そもそも撮ってるカメラがなんか違うと思うねんけど、あれは何なんや。スポーツを撮るカメラとはちゃうやろ。何やあれは。ステージセットもすごい良かった。畑できててな……電柱が立っててな……意味わからんと思うけど、畑ができてるんです。あと屋根から落ちて一回家の中に入るねんけど、あれは何なん、え、生やねんよな?生であんなことできるか……?カメラが1台じゃないことは分かってるけど、それにしたってあんなこと可能??すごすぎる。
バッドバニーさん、曲はちょっと聞いてたけど(ハートのジャケのアルバムとか)こんな人やったんやな。なんか、めっちゃかわいいし、おしゃれやし、まずほっぺたがかわいい。チーク塗ってる?かわいい。あとこういう統率!君臨!制圧!じゃない方の人やったんやな……めちゃくちゃ売れてる人ってかハーフタイムショーやるような人って、当たり前にスーパースターやと思うんですけど、そらやっぱ制圧!て感じになるやん。それがかっこいいねんけど、なんか今アメリカで君臨!みたいなの、しんどいやん。いや日本もそうやん、今って君臨されたないやん、もっと横とか円とかでギュッてやりたい感じあるやん。あと「侍らせんなや」とも思うし。わかる?私だけか???その、横でギュッてやりたい気持ちに、めちゃくちゃフィットするバッドバニーさんよ。ありがとうな。
ってか私、自覚なかったけど2026年にもなってまだ耳だけで音楽を聴いてて、YoutubeとかTikTokとかでは全く見てなかった。意図的にそうしてるわけじゃないつもりやけど……まじで興味ないんかもしれん。まぁバンタンのは見るけど、アイドルのMVとかも全く見てないし、KPOPの最近の曲とかひとつも知らん。アルゴリズムはどうなってるんやろ、仕事してないんちゃうん、だって全くおすすめしてこんやん。ドンデコルテのチャーハン動画とかはおすすめしてくるのに(見たし)。
無題
2026年2月9日 (月) 20:23
ひどい選挙結果を見ながら寝たのに、よく眠れて、危うく遅刻しかけた。風邪がだいぶよくなった。道が凍っているから降りるとき気をつけて、と車内にアナウンスしてくれるバスの運転手さんが優しい。寝て起きて見ても、ひどい選挙結果だった。
私は子どものころから多数決が嫌いだ。多数決なんかクソだ。どうせ「いつでも多数のほうに入れる奴」が考えたに決まっている。私はいつだって多数のほうに入れなかった。なぜ多いだけでそっちに決まるの?と言えば屁理屈扱いされたし、10代中頃になれば「変わってるね、って言われたいんでしょ」扱いされた。大人になってもまだ、多数決で国の代表が決まることにすら納得がいかない。私が納得しようがしまいが一切関係なく、コトが進んでいくことも知っている。それが多数決だからだ。多数決なんかクソだ。
「戦争をしたい人なんか、いないんだから」と言っている人がいたけど、ほんとうにそうだろうか。私はそうは思えない。戦争をしたい人は山ほどいる。戦争をしてるほうが儲かる人がいるし、自分が安全で、お金に困らないなら、いつどこで誰が死んでも構わない人はいる。大勢いる。
「戦争の準備を整えるための選挙」で「万事整いましたね」という選挙結果だったと見えるけど、これでもまだ「戦争をしたい人なんかいない」と言えるのか。私は本当に、戦争なんか絶対したくないし、誰にもしてほしくないよ。日本が世界に対してできることのほとんど唯一は「戦争がどんなに愚かで、ひどいものかを伝えること」なんじゃないかとすら思う。物価高で憂鬱な気持ちになるのもうんざりだし、円安のせいで旅行先が限られるのだって嫌だ。どの国の人とも仲良くしたいし、違いや文化や歴史を尊重したい、差別したくないし加担もしたくない。みんなもそうでしょう、同じ気持ちでしょう、と思っているのに、こうやってまた「お前は少数派だよ」と言われる。
絶望せずに生きるのって、難しいな。でも絶望しながらでも生きてはいけるし、希望ってどっか上から降ってくるようなもんじゃなくて、自分の内側で熾す感じやからな。何より絶望って若い人がすることなんじゃないかと、若い人だけにその権利があるんじゃないかと、最近はそう思います。
冬のせい
2026年2月8日 (日) 19:06
大混雑の催事場へ出かけていくのが億劫でしかなくなったので、チョコレートのイベントへ行くのをやめにした。その場で食べるタイプの商品が目当てなら行きたいけど、最近の混雑っぷりは行くだけで疲れ、自分から出向いたくせに「こんなとこでソフトクリーム食べたないわ」と辟易して帰ってくるだけなので、行く理由がなくなった。そもそも行く前に買うものをリストアップしておいて、ひとりで行って買いまわるだけで帰ってくるのだから、イベントの楽しい雰囲気もほとんど享受していない。
幸い、どの百貨店も事前予約が出来たり、指定日配送もやってくれてるので、これで十分事足りる。店舗限定の商品もあると思うけど、そういうのはもう諦める、ご縁がないのだ。
年末ごろに予約しておいたクリオロのサブレを引き取りに行った。3年前くらいに目についたので買ってみたら大変おいしくて「クリオロなら国内にお店があるしまた買おう」と思ったら通年ある商品じゃなかったらしく、買えなかった。サブレは通年売ってるのに、チョコがけのはなくて……翌年の催事でも売り切れており、買えなかった。代わりにガナッシュが上に乗ってさらにチョコがけになったやつを買ったのだけど、リッチすぎて好みじゃなかった。足し算すれば良いというものでもない。が、少量を人にあげたりするならこのぐらいリッチな感じのが良いだろうな、とも思う。予約しておけばサブレは普通に2種類とも買えた。サックリほろりとしたクッキーに薄めにチョコレートがコーティングされていてめっちゃおいしい。
残りは来週家に届く。当然のように何を注文したか忘れているのでマイページにログインして調べてみたら、フィリップ・ベルとケストナーのサブレ、ヤン・ブリスのボンボンショコラ12粒入りが届くらしい。え、嬉しい、と思うくらい、何を注文したか忘れている。ややサブレ過多ではあるけど……しかも支払いが済んでいる。済んでいるというか、もちろん私が支払ったのだけど、忘れているのだ。結構な額やぞ、よく忘れられるな、と他人事のように思う。私は支払った金のことはどんどん忘れていく性質で、詳細な金額はおろか、何に支払ったのかもほとんど覚えていない。ま、支払いを忘れるよりは良い、はず。
起きたら雪が降っている。雪は好きだ。好き嫌いで雪を語れる地域に暮らしているせいだが。久しぶりに注文が入っていた手ぬぐいを梱包し(ありがとうございます)、少し雪がおさまったら投票所に行こうと思っていたけど、どんどん吹雪いてきたので、ブーツを履いてオリャッ!と出かけた。上の階のおばあちゃんもちょうど投票所へ出かけるところで「こらかなんわ、えらい積もっとる」「ほんまですね」と言い合った。「かなん」は「敵わん=敵わない」の意だが、あまり若い人は使わないので、なんとなく聞けるとうれしい。私は方言が好きだ。訛りも好きだけど、方言が特に好き。
投票の帰りはパン屋に寄り、コンビニで買い物をした。宅配便のおじさんがレジのおばさんに「どえらい雪やで、もう帰りたいわ」と泣き言を言っていて、なんか良かった。そうやんな、帰りたいよな。帰ってええと思うけど、あかんのかな。あかんわな。頑張ってください。
黄金の魚
2026年2月5日 (木) 20:19
甥2が突然「お魚ってお肉?」と聞いてきた。私はイヤフォンでピアノ曲を聴きながら弟の持ち物らしき小説を読んでいたので前の文脈が全く分からず、聞き間違いかもしれんと思ったので「なんですか?」と聞き返した。甥2はもう一度「お魚ってお肉?」と言った。もう一回聞いても、不思議な日本語だと思った。何その質問、破綻してないか、と思ったが、いや、破綻してない。ふざけているわけでもなさそうだったので「まぁお魚はお肉と言えるかもしれん、魚肉という言葉もあるし」と回答した。彼は分かったんだか分かってないんだか、納得したんだかしてないんだか、どうとも言えん表情をして、何も言わず、その場は終わった。結局前の文脈は分からなかったし、私は読んでいる小説がおもしろかったので続きを読むのを優先してしまい、それっきりになった。どういう趣意の質問やったんやろ。
バスに乗っているとき、これを思い出し、ぼんやりとした。「肉」というのはかなり人間目線の言葉ではないか、というかその、捕食者目線とでもいうか。あと鶏や豚や牛や羊や馬を見ていて「肉だ、うまそう」と思ったことはない。ような気がする。血抜きされ、解体され、骨や皮を取り除いて、ひとかたまりの「肉」になったものを見て初めて「うまそう」と思っているし、同じものだと分かっているはずなのに、何も分かっていないような感じがする。
一方で魚は、秋刀魚や鯖や鮭や鯛を見て既に「うまそう」と思えるので、むしろ「お魚ってお肉」なのかもしれん。
こういうことをずっと考えると、人はベジタリアンになったり、ヴィーガンになったりするのだろうか。でも「いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく」し、うーん、でも私は、ひかりかがやいているのか。どうだか。
せめて「しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく」ことを、いつも知っていたいとは思う。
それにしても、詩って何回読んでも良くてすごいな。口に出したくなるし。
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが とけていないということはない
ー 谷川俊太郎/黄金の魚
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