タナカノゾミのポートフォリオサイト

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2025年10月7日 (火) 21:03

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万博に行ったら「いつか行ってみたい国」が自分にたくさんあることに気が付き、「いつか」と言ったって時間はそんなにないのだよな、という気持ちになっている。国内は移動にそんなに時間がかからないから、高齢になってからでも良いと思っていたけど、海外だって年に何回も行けるわけじゃないし、さくさく決めて、さくさく行かないと「いつか」なんて来ない。まじで4~5カ国くらい絞り込んで、15年計画ぐらいのものを打ち立ててもいいのかも。とはいえ、私は自分の潮目みたいなタイミングだったり突発性みたいなものだって大事にしてやりたいので、あまり計画を立てすぎるのもイマイチ気が進まん。あまり追い立てずにのびのびやらせておけば、勝手に人生を楽しむのが私だと思うし……
来年RMさんがサンフランシスコ近代美術館でキュレーション展をやるというので、これを機としてロスに行くのも良いかもしれない。RMさんはいつかこういう展示をやるだろうと思っていたけど(たくさんお声がかかっているだろうし)、それにしてもいきなりアメリカで。しかもこんなに早く。うーん、すごいし、うらやましいし、良かったね、と思うし、見に行きたい。こんなのは望んで実現できるようなものではなく、前例だってないだろうし、でもすごくうれしいだろうな。楽しいだろうし。ナムジュンが楽しいだろうと思うと、私もうれしいよ。
私が現代美術にタッチしたきっかけはいくつかあるけど、それにしたってナムジュンの影響が超でかいので、ある種の原点回帰みたいに、見ておいたほうがいいのでは、と思ったりもする。が、こんな物価高で円安のタイミング、かつ政治的にもあまり(いやかなり)気持ちの良い時期ではないタイミングでアメリカに行きたいかと言われると、正直決断できない。ま、決断せんでええのだけど今べつに。

先日、美術館に行ったら映像作品の多い展覧会だったのだけど、スピーカーから音を出すタイプの展示作品と、ワイヤレスヘッドホンを貸すタイプの展示作品が混在していておもしろかった。ヘッドホンが置いてあってコードがびよーんてなってて、2人ぐらいが使えるようになってる展示ならたまに見かけるけど、ワイヤレスヘッドホンは初めて。壁に8個くらいかけてあって、使ったら戻す、みたいな感じだった。
映像作品の展示って観るのに時間がかかるから椅子を置いてくれてたりすることはよくあるのだけど、音は結構「どうにもならないです」みたいになってることが多かった。つまり、他の作品の音と混ざっちゃったり、あまりクリアに聞こえないけど「でもまぁこれ以上音量を上げると他の作品を静かに観てる人の邪魔になるもんね、仕方ないね」みたいになっていることが多い。ほとんどの場合で、作者の意図した音量なのかどうかが分からないし……まぁ「参考程度に音声もどうぞ、あとは字幕読んで、どうせ聞いてもドイツ語ですし」みたいな感じというか。
ワイヤレスヘッドホンにしてあることで、他の作品の音をある程度(完全にではないが)遮断できて、今見ている作品の音だけを聞くことが出来るのはかなり良い体験だった。コードがないから席を移動したり、立ち上がったりしても良いし。
シアターみたいなのがある美術館だと映像作品をまとめてそこで上映する形になってることもある。あれは落ち着いて見られるけど、途中で席を立ったり、途中から入ったりするのにハードルが生まれてしまってデメリットもある。

この日はコレクション展も観られて楽しかった。私は元永定正さんがとても好きらしい。「どうやって描いた?あ、流したのか?どっちから、あ、こっちから流してるんか、いや違うか」と思うような絵があり、つい長居してしまった。見飽きないのだ。とにかくでかいのも良い。作品サイズって、なんで大きいとうれしいんだろうな。なんか理由なく「大きい」ということそれ自体をありがたく感じてしまうのだけど、もしかしたら「大きい作品を作るのは技法にかかわらず大変だ」という実感があるからかもしれない。シルクスクリーンも、大きいのを刷ろうと思うと大変なんです、シンプルに身体が大変。

日本中がお米がないと騒いだ年だったけど、我が家は別の理由でお米がない年だった。食べてしまったのだ。一族に子どもが増え、それぞれがみんな食べ盛りなこともあって、2024年に収穫したお米を食べ尽くしてしまったのだった。こんなことは私の知る限り初めて(たぶん母や伯父たちが知る限りでも初めて)。
夏ごろ母に「これでお米最後やから、あとはスーパーで買うなり、なんとかし」と言われ、えぇ~困ったなぁ~と思っていたのだけど、結局私はお米を買うことなく秋になった。今週中には稲刈りをして、週末には籾摺りをするので、もう新米が食べられる。国のお米事情がどうなるかは、全国の米農家さんたちの収穫具合によるのだろうか。

コロナで臥せっている間に夏が終わったような感じがする。半袖はもう仕舞うかな。来月韓国に行くので、コートを倉庫から出しておくべきか悩む。コートが要るほどではないかもしれないけど、日本よりは寒い気がする。冬の韓国は未経験なので楽しみ。ま、冬ってほど冬でもないか。

先月、友人と火鍋を食べながら「次期総理はどうなるだろう」という話をしていた。私たちの意見としては「女性が総理大臣になることは大歓迎だが、それでも高市は絶対に違う」で一致しており、私は「進次郎はそもそも政治家よりもっと向いた仕事があるように思う」とも言った。なんというか、あの「お金持ちの家で何不自由なく育った人特有の健やかさ」みたいなものって、望んで手に入るようなものではないと思うからだ。そういうの、活かせる場がもっとあると思うけどな。……具体的にどこかは思いつかないので言えませんが。
その数日後、石破総理が国連でした演説の全文が公開されているのを読んだけど、なんというか、ごく真っ当で、良かった。差別や排外主義や虐殺にNOを言い、国連の在り方を問う、ごく真っ当な演説だった。アジアの国々の寛容に、きちんと感謝を述べたのも良かった。最近は自分自身がやったことだけに向き合えば良いのは子どもだけで、大人はそれじゃだめなんだなと、よく思う。生まれていない頃のことなので私は知りませんなどと、口が裂けても言えないし、謝罪し続けないといけないし、二度と起こらないように、どうすれば良いのか考えないといけないし、何が起こったのかをきちんと認識するために勉強をしないといけない。そうだ、「平和と安全は決して所与のものではない」からだ。
一方で「真っ当であること」を「良かった」と喜ぶような世界がまずおかしいけどな、とも思う。でもなんか、あまりにも真っ当なことを言う政治家が少ないので……残念ながら高市総理のことを私は「真っ当なことを言う政治家」だとは思えないので、とても暗い気持ちになる。先行き不安です。

5days

2025年10月5日 (日) 20:27

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コロナになった。おそらくは万博でもらってきたのだろうと思う。油断した。たしかに人はめちゃくちゃ多かったけど、でもほとんど外にいたのにな、電車とか別の場所で感染したのかも。ま、調べようがないのでどうでもいいけど。一緒に行った友人がかかっていないのは本当に良かった。不幸中の幸いとはこのことだ。

もともとあまり体調が良くなかったのに、調子に乗って遊んだのが良くなかった。おまけに気が立ってよく眠れず、気温の変化もあったし、体調を崩しそうだなとは思っていた。喉が少し痛いくらいだったうちはまだリカバリできると思っていて、熱もなかった。実際うがい薬と龍角散で喉の痛みはだいぶやわらいでいた。他に症状もない。風邪の引き始め、と判断して、かなり早めに横になった。夜中に寝苦しくて目が覚め、熱をはかると39度で、さすがにこれはコロナかインフルエンザだと思った。ただの風邪で39度も出ない。

家から歩いていけるところに発熱外来がある内科を見つけ、朝一で行く。他の患者さんとは接触しない動線になっていて良かった。看護師さんも慣れているようでテキパキしている。ものの15分で診察まで完了。コロナは陽性、インフルエンザは陰性、とのこと。薬をもらって家に帰るまで30分。
この時点では喉もあまり痛くないし、熱があるからしんどいけどそんなにキツくもないな、ぐらいの感じ。軽症なのかな、と思い、油断していた。
ここから丸2日くらいは本当に熱も下がらないし、咳も止まらないしで、まじで地獄だった。人生観が変わるぐらいしんどかったし、ひどかった。咳のしすぎでほとんど寝られない。関節痛もあってどんな体勢でもつらいし、扁桃腺あたりも腫れている。座っているとほんの少し咳がおさまる。

どうにもならない案件がいくつかあり、汗をダラダラかいて、震えながら仕事もした。朦朧としていたので、出来はかなり悪いはずだ。出社したら方々への謝罪から始めることになる。キツい。仕方ないけど。家で出来る仕事でよかった、いや、家で出来ない仕事だったら、やらなくて済んだのか……良し悪しっすな~~~

コロナにかかりたくない理由の一番は嗅覚と味覚を失う、と聞いていたからだったけど、発症して3日目、本当に嗅覚がなくなった。もっと前になかったのかもしれないけど、気づかなかった。それどころじゃなかったし……
え、嗅覚ない?とゾッとした。シャワーを浴びているのに、ボディーソープのにおいが全くしないのだ。あれ?と思い、洗顔用スクラブのジャーの蓋をあけて鼻をつっこんだが、これも全く、なんのにおいもしない。鼻が詰まっているから、とかいうレベルじゃない、本当になんのにおいもしない。
シャワーを終えたあとは冷蔵庫を開け、醤油やらキムチやら味噌やら、嗅げるものを全部試したが、どれも全滅。酢も、コーヒーも、シナモンパウダーも。こわかった。鼻がきかないなんて、生まれてはじめてだ。

鼻がきかないと、いいにおいのハンドソープを使うのをためらう。「もったいない」と思ってしまうのだ。このハンドソープは桃のジュワっとしたにおいがする。結構高いけど、でも毎日使うものやし、と思って買ったやつ。毎日使うものはほんのり気分が良くなったり、うれしくなるものを使いたい。
私は食器用洗剤で手を洗いながら「いやいや、鼻がきかんぐらいのことで自分を大事にできなくなってるぞ」と思った。せめて手はボディーソープで洗おう。

不思議なことに、味覚は無くならなかった。嗅覚がないせいで味覚も鈍くはなっているが、無くなってはいない。グループLINEで「コロナになっちゃった!超キツい!」と泣き言を言っていたら、友人が「スープストックトーキョーの詰め合わせ送った!土曜に届くから!」とスープの詰め合わせを送ってくれて嬉しかった。「何か欲しいものない?」と聞かれても、こんなのは思いつかない。ドンピシャで今欲しいものがこれだった、すごい、と思いながら、さっそく鯛出汁のスープを食べた。電子レンジであっためて食べられるのも嬉しいし、めちゃくちゃおいしい。

なんとなく「私はかからない」と思っていたのかもしれないな、とぼんやりする。早く嗅覚が戻って欲しいな。
ほんとうにきつかったので、もうだれもかからないでほしい。会社の人たちも感染していないようで本当によかった。
まじでもうだれもかからないでほしい。

落下

2025年10月4日 (土) 14:26

uncategorized

ウェス・アンダーソンの新作を観て以降、配色のアイデアが止まらない。メモしておけば良いだろうと思うけど、配色をメモするなんて……とも思う。……何を言っているんだ。メモせえよ。何が嫌やねん。

万博に行ってきた。初日は夜券で夕方からだったものの、丸3日、大いに楽しんだ。私は「絶対に行きたいパビリオン」もなければ、「絶対に行きたくないパビリオン」もなく、万博に行く奴の中で最もモチベーションが低い人間なのではないかと思ったけど、熱心にリサーチしてくれていた友人のおかげで楽しめたんだと思う。混雑を避けるための工夫とかアイデアが、動線や設計など随所に見られたのもおもしろかった。ただジッと立って待つより、足踏みレベルでも少し身体を動かしたほうが、精神的に楽だということも覚えた。2日目はとにかく人が多く、パビリオンは並ぶのすらお断りされているような状態だったのだけど、スタンプはパビリオンに入らなくても押せるとか、ショップは入っても良いとか、レストランは入れないけどメニューは見ても良いとか、まぁまぁやることを見つけられておもしろかった。
それから、人間ってめちゃくちゃベタな生き物だなぁと思った。誰かが走り出すとつられて走ったり、あたたかい食べ物を食べるとホッとしたり、疲れて体力が無くなってくると性格が悪くなり、暑いだけで思考が鈍り、小さいことに引っかかって、(毎日あると聞いているのに)花火の音にびっくりし、光って動くものがあるとつい見てしまう。ベタ過ぎる。もちろん私もベタだ、例外なく全員が。「ベタなことしたくない」もベタやし……もちろん愚かだな、単純だな、と思う反面、人間は愛らしい生き物だな、とも思う。人間個々については何も言えないが(個体差がありすぎるので手に負えんし)、人間そのものは極めて阿呆で、愛らしいと思う。
一方、パビリオンをいろいろ観ていると国内旅行で地方都市に行ったときの感じと、すこし近いものを感じ取るときもあって、これが世界規模で起こっているのか、と思いもした。地方都市では、駅前に商業施設があり、ユニクロと無印があり、みたいなことが多い。別に仙台に行かなくたって利久があって牛タンを食べられるし、北海道に行かなくたって輸送がハイクオリティだからウニもイクラも蟹も食べられる。方言はいずれ絶えるだろう、そう遠くないうちに。平均化している、という意味では良いことなのかもしれないけど、コピペで増やした街ばかりになっているんじゃないかと思うと寂しく、虚しい。それでもみんな駅前にユニクロがあったら便利だし、SNSでバズってたコンビニスイーツが売ってたら嬉しくて買っちゃうし、それ自体が悪いことだなんて思わない。流行りのラブブが欲しいよな、分かるよ。
これを世界規模にして、県や市じゃなくて国に分けても、もしかしたらほとんど同じことが起こっているんじゃないか。いや、起こそうとしてるのか?それが世界平和ってことなのかな……違うと思うけど、感覚的なことなので言語化が難しい。
私が島国で生まれ育っていることも、価値観に大きく影響しているんじゃないかと思う。でも生まれる国なんて選べないし、みんなも選べないしなぁ。

イタリアパビリオンに並んでいる間読んでいた本には「人間は“何も知らない”ということを知った時点から、科学を発展させてきた、今知っていることもすべては暫定であり、いつでも覆る可能性がある」というようなことが書かれていた。私は今も暫定の上を生きており、ある日バツンと切り落とすように死ぬんだろうか、と思った。

翌日は市立博物館で開催されている大ゴッホ展に行った。大盛況だった。親子連れや夫婦も多く、三世代と思しき家族連れも多かった。「ちょっと涼しくなったし、美術館でも行ってみようかね」という人が多いんだろうか。良いことだと思った。私は混んでいる美術館は心底嫌いだし、認証ショット的に写真を撮影することも本当に嫌いだけど、美術館や博物館や工芸館が閉館の危機にさらされるのはもっと嫌だ。お金がすべてを解決するわけではないけど、お金でしか解決できないことは確実にあるので、引き続き大勢の人がフィンセント・ファン・ゴッホの絵を観に行ってほしい。どの立場で言うとんねん、とは思う。
本展では作品の間に挟む形で手紙の抜粋が展示されていたのもよかった。ファン・ゴッホが弟の支援を受けて画業を続けたことは有名な話なのでもちろん知っていたけど、弟宛の手紙は600通くらい現存するらしい。さすがに書きすぎちゃうんか、と思うけど、それ以上に兄ちゃんから送られてきた600通の手紙を保管しておく弟がすごい。さすがに置いときすぎちゃうんか。捨てろよ、とまでは思わないが、600通の手紙を保管しておくには、なんというか、じゅうぶんに熱意が要るだろうと思う。600通「書く」よりむしろ「保管する」ほうに熱意を感じる。書いたほうは送ってしまえばお終いだし、その紙の束を見ることもなければ、自分で読み返すこともないけれど、受け取ったほうはその物量や滝のような感情を背負う羽目になる。手紙ってかなり一方的な行為だと思う。
兄への愛だった、と美しく捉えても良いけど、どちらかというと弟はかなり几帳面な性格だったんじゃないか、と思った。記録魔だったとか。ちなみに兄もかなり几帳面な性格だと思う。几帳面な人が描く絵だな、と思う。
静物画の間に挟まって掲示されていた「モデルを雇う金がないので仕方なく花の絵を描いている、これでも色彩の勉強にはなるから頑張る、でも本当は人物画だけを描きたいのに」みたいな手紙を読んで、私はちょっと笑ってしまった。これはシンプルに愚痴やん。あと金銭的なサポートをしてくれている弟にそんなん言うなよ。笑 
この手紙を受け取った弟は、いくらかお金を送ったんだろうか。これでモデルを雇ってね、少なくてごめん、と。もしくは「こちらも生活が厳しい、まとまった金が入るまでは静物画を描いて凌いでほしい、パリでは風景画が流行っている、風景画ならモデル代がかからないし、売れるかもしれない」とかなんとか書いて返事を出したのかも。
ファン・ゴッホ以外の作品もたくさん展示されていたのだけど、カミーユ・ピサロの絵を見て「なんちゅーあったかい色彩や、気の良さそうな人やな、虹を描く奴は大抵ええ奴よな~」と思っていたらキャプションに「ピサロは温厚な性格で、めっちゃ人望があったんやで」みたいなことが書いてあって感心した。こんなにも絵に性質が出るものだろうか。いや、温厚さが絵に出るほどに温厚な人だったんだろうな。クセ者だらけの画壇で慕われたんじゃないかと思うとかわいい。ドガとか、ゴーギャンとか、めんどくさそうやもんな、酒癖も悪そう(知らんけど)。

Umwelt

2025年9月25日 (木) 21:14

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甥たちと一緒に『もののけ姫』を観ていた。怖くて観られないらしいのだ。言われてみれば、確かに『もののけ姫』は怖いかもしれない。6歳と5歳の甥たちからすれば、タタリ神もシシ神もめちゃくちゃ怖いだろう。血もめっちゃ出るしな……音楽というか、音も怖い。結構終盤になるまで、心地いい和音が出てこない感じがある。甥1は特にビビりなので、コダマも怖いらしい。
「でも強い子と一緒に観たら大丈夫や」とも言っていた。「強い子」は私のことだ。かわいい表現だね。

「もののけって何なん、どういう意味?」と言われ、答えに困る。「物の怪のこと」と頭に思い浮かべるが、これでは全く説明になっていない。物の怪ってなんて説明すればええんや。霊的なものではあると思うが、幽霊とは別物だろう。幽霊は物の怪の類か?
子どもといると言葉の意味をたくさん聞かれるが、これにきちんと答えるのはかなり難しい。めちゃくちゃ適当に言葉を扱っている証拠だと感じて、申し訳ない気持ちになる。逆に言えばこれだけ適当に扱っていても、別に生活に支障はないし、おしゃべりは楽しいのだ。たぶん言葉そのものより、どんな場面でどんな相手にどんな表情でどんな言い方をするか、という補助的な要素がたくさんあるからだと思う。本当に言葉だけが機能する場って、実はそんなに多くない気がする。つまり、言葉だけたくさん知っていたって、自分の気持ちを伝えることはできない、ということだ。

甥1は「こういうときは辞書をひくように」と教わっているらしく、隣の部屋から紙の辞書を持ってきた。字が読めると辞書をひける、という当たり前のことに感動する。あなたこないだ生まれたのに、もう辞書が引けるんか。大きくなったね。

彼が使っている辞書は私の母が使い、そのあと姉が使った、とんでもなく古い国語辞典だ。小口に名前が書いてある。50年前ぐらいの発行じゃないのか、と思ったが「もののけ」は載っていた。甥1は「たたりのこと、って書いとうわ、たたりってなんやろ」と言っている。私は「ほな、たたりも辞書で調べたら」と答えたが、たたりの語釈には「わざわい」とあり、甥は笑っていた。「わざわいもわからんで!」とのこと。辞書の森から出られなくなっている。

夕飯の席で彼は彼の父親から「もののけの意味分かった?辞書に載ってた?」と言われていたが「分からんねん、だってわざわいが分からんから」と言っていた。もののけを知るにはたたりも、わざわいも知る必要がある。

が、これは大人になってもあることなのだ。語彙力は増やせるが、満ちたりはしない。大人だって辞書の森に迷い込み、出られなくなることはある。歳だけ勝手に取り、今も無知のままだ。私は甥に「大人もそうなる、気にせんでええで」と言いながら、私も気にせんと知らん言葉調べよ、と思った。
私がいま調べないといけない言葉は「環世界」だ。世界はいつも知らないことばかり。

ふつうのこども

2025年9月19日 (金) 21:14

uncategorized

数日前にTwitterによく流れてきてた「両親や祖父祖母は子らが何歳になっても“子”として見ている」系のツイートがすごい好きやったのに、もう終わったみたいで、全然流れてこんようになった。「お母さんが“最近物騒やねんから、イヤフォンしてぽてぽて歩いてたらあかんねんで”って言うてくる、私もう32歳やのに」ってやつ。ぽてぽて。特に好きやったのは「おばあちゃんと銭湯いったら私を子ども料金で入れようとしてきて、差額を払ったら番台さんが“こういう時は子どものふりしとったらええねん”て言われた」ってやつと、あと「お父さんに“お前昨日酔うて帰ってきて玄関にペちゃって落ちとったんやぞ”て言われた、親には俺が二頭身に見えてる」ってやつも好きやった。みんなかわいい。こういうのばっかり見たい。
私も両親に「かわいげがないのが悩み」という話をしたとき、ふたり揃って「ハテ……?」みたいな顔をされたことがある。重ねて私は「かわいげがないせいで困っていること」などを丁寧に解説したが、ふたりしてますます「???」となっていた。結局「そらあんたたちは…娘やから…娘がかわいいやろけど……」となってしまって、私が根負けする形になった。親に客観性など求めてはいけない。
とはいえ、私の自尊心がつま先から頭のてっぺんまでみちみちのたぷたぷであるのは、両親のおかげと思う。何歳になろうが、どんな見た目をして、どんな情けない人生を送り、自分を愛せず、鏡を見るのが苦痛でも、両親にとって私はただ“かわいい娘”であるのだ。自尊心は外側からも育てることが出来、なおかつ過不足ない自尊心さえあれば、人間はひとりで生きていける。

数日実家に帰ったら、たっぷりお野菜をわけてもらえた。うれしいが、ひとり暮らしで消費するにはかなりの量なので、せっせと下処理した。にんじんはラぺに、きのこ類はほぐして冷凍、ゴーヤは早速夕飯に食べ、オクラは加熱だけして冷凍しておく。これでよし、とひと息つくけど、いつも「これ形変えただけで別に量が減ったわけではないねんよな」と思う。お弁当も作って消費しよう。

ゴッチのブログを読んだ。文中にある2005年のナノムゲンフェスについて、私はリアルタイムで感じたことをブワッと思いだしたのだった。2005年は私はまだ高校生だったし神戸にいたので、参加してはなかったのだが、参加できないがゆえに、バンドと一緒に傷ついた部分もあったように思う。若かった。
私はゴッチが望む(?)ような「洋楽も邦楽も均等に楽しんでくれる」ロックキッズに育ったが、逆にアジカンから軸足が離れてしまって久しい。2010年ごろには「アジカンは好きだけど、アジカンのファンが嫌いだ」と思っていた。
はっきりとファンダムを軽蔑したのはデビュー10周年の『好きな曲ファン投票』みたいな企画で『ソラニン』が1位になっているのを見た時だと思う。『ソラニン』自体は好きだったし、CDのジャケもかわいいし、そもそも原作の漫画だって好きで、実写映画化に参加することだって嬉しかった、劇伴を担当したのは盟友・ストレイテナーのホリエアツシだったし。ただ『ソラニン』の歌詞は浅野いにおが書いたものだ。ファン投票で1位にするような曲じゃないと思った。私は後藤正文至上主義みたいなところがあり、アジカンとは後藤正文のことだ、と思っていた。ゴッチが書いた歌詞以外はアジカンではない、ぐらいに思っていた。今なら「ちょっと潔癖すぎちゃう?ファンをまるごと軽蔑するほどのこと?」とも思えるけど、でも納得いかなかった。いや、未だに納得はいってない。『ソラニン』は良い曲だ、でもファン投票で1位にするような曲じゃない。この感情について、まだ分解して考えられるほどの冷静さを持てないのも、我ながらやばいと思う。なにしろ10年以上前の話なので……私は象ぐらい記憶力がある。
今年は『NANO-MUGEN CIRCUIT 2025』としてツアーをやるらしい。“自分が子供の頃にはなかなか地方まで来てくれなかった本格的な海外のロックバンドと、地方まで一緒に出かけようという試み”だそうだ。ゴッチらしいね。

母が『徹子の部屋』に出演した藤井風さんについて興味を示しており、「あの子は何なん、どういう子なん」と言っていておもしろかった。母は自分から進んで音楽を聴かないが、車を運転しているときはラジオをかけているので、曲は知っているらしい。あの子は何なん、と言われても、私もよく知らないので「ふつうに天才なんじゃない?」と答えておいた。まぁ間違ってないと思う。ふつうに天才でしょ。
そういえばアルバムが出たんやっけ、と思い聴いてみたらすごく良いアルバムだった。『It Ain’t Over』って曲が好き、寝室っぽい。寝室っぽい音楽が好きやねん。あとなんかサックスが入ってて、これが結構変わった音で、良いなと思った。サックスって結構すぐ「あ、もうやりすぎ、ドヤりすぎ、もういいおなか一杯っす」ってなる楽器やと思うねんけど、だから入れるならだいぶ注意深くやってくれや、って思うねんけど、めちゃくちゃ良いところに良い音で良い具合にあるサックスで、良かったです。

HAAP

2025年9月11日 (木) 20:13

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姉が岡山に転勤になった。東京で7~8年暮らしたと思うけど、急に岡山。ちなみに本社は大阪である。
大きい会社なので転勤があることは前提ではあるのかもしれないけど、それにしたって単身者を便利に異動させ過ぎる傾向がある。ような気がする。話を聞いている限りでは。引越し代も全額払うわけじゃないっぽいし……モンスターペアレントならぬモンスターシスターとして、会社に文句を言ってやりたくもなる。お前らは「つぎ岡山行って、よろしくね」で済むかしらんけどな、お姉ちゃんは友だちとも住み慣れた家とも愛着のある土地とも別れて、あげくまとまった休みも取れんのに600km先に家探して、仕事しながら引越しもせなあかんねんで。申し訳ないと思わへんのか。せめて引越しにかかる費用ぐらい全額負担したらどうやねん。まずは菓子折り持って詫び入れに行けや。いやでもお姉ちゃんは甘いのん要らんからな、羊羹とかあかんで、ぜったい食べへん。お姉ちゃんが食べるお菓子ってめっちゃ少ないねん、洋菓子なら食べるとかでもないねん。菓子折りはあかんわ。酒がええ思います。辛めの酒にしとき、酒が間違いないわ、一升瓶な。
とはいえ私は岡山が好きだし、東京よりずっと近いので、頻繁に遊びに行こうと思う。今月から行こうと思っていたトリエンナーレが始まるし。

キュレーションのことを知りたくて、なんかないかと探していたら、良さそうな寄附講座を見つけた。「寄附講座」というものがあることすら私は知らなかったのだけど、要は企業や個人・団体からの寄付金で大学とか研究機関がやる講座、というものらしい。つまり「うちがお金出すからこういう講座を設置してくれんか」と言うことが可能で、場合によっては一般参加もできるようだ。つまり私はお金も払っていないしその大学に通ってもいないうえにましてや卒業生でもないのに、公開されていれば講義やセミナーに参加して良い、ということらしい。す、すごくない?めっちゃありがたいねんけど。みんな知ってることなの?寄附講座という概念を?(概念?)
未知のことすぎてプレスリリースを少なくとも12回は読んだが、どう読んでも「私も行っていいやつ」としか読めなかったので、シンポジウムに申し込みをした。話されることを理解できるかどうかは分からない。どきどきする。が、どっちしても分かるかどうかは聞いてみるまで分からないのだから行くしかない。あと「分かる」のと「楽しい」のとは全然別のことだし……

11月に母とその友人と共に、また韓国に行く。ひとりで行く時みたいに美術館をはしごして3日過ごすわけにはいかないだろうけど、アテンド役だけに徹する気もないので、私も楽しめるようにプランを考える必要がある。
私もそうだけど、母はあまり観光地に興味がない。ランドマーク的なものに興味を持たないし、そもそもパッケージツアーを絶対に選ばない。「シニア世代 母親 韓国旅行」とかで検索すれば出てくる「景福宮に行ってチマチョゴリを着て写真を撮ってもらう→観光客に大人気のお店に並んでタッカンマリを食べる→日系ホテルに宿泊で安心」みたいなのに乗ってくれない。「市場とか行ってみたい」とは言うものの、観光客向けの市場には行きたがらない。
数年前にふたりで福山に行ったことがあった。泊まった宿のお兄さんに「夜ごはん探してて、どっか良いとこありますか?」と聞いたとき、お好み焼き屋さんを教えられて、なんともいえない妙な顔をしていたのを思い出す。母の言い分はこうだ、聞かなくても私には分かる。「広島来て晩にお好み焼き食べるわけないやろ」だ。母が聞きたい「夜ごはんに、どっか良いとこ」はそれじゃなくて、近くに住んでいるであろうこのお兄さんが、気に入っている店を聞きたいのだ。気の置けない友人とお酒を飲んだり、恋人と週末に行ったりするような店。ま、どう考えても質問の仕方が悪い。県外から広島に来たら、お好み焼きを食べたい人のほうが圧倒的に多いはずだ。お兄さんは絶対に何も悪くない。あと別に「食には興味がない人」っていう可能性だってあるし。
結局その日は私がGoogleマップで探したビストロに行った。人生でも指折りの「当たりの店」だったのでよく覚えている。パテドカンパーニュがおいしかったし、デザートに(たしかピスタチオの)ジェラートを頼んだらシェリー酒をかけて出せるけどどう?と聞いてくれて、絶品だった。
とはいえ私も同じようなものだ。私も観光スポットをスタンプラリー的に回って写真を撮る旅行には興味がないし、どんなにラクでもパッケージツアーは選ばない。あの母親に育てられたからなのか、別の理由なのかは分からない。別の理由な気がする。だって母と旅行に行けるようになったのは私が東京から戻ってきて、仕事と生活がすこし安定したここ5~6年のことだから。

私も市場に行ってえごま油を買ったり味噌を買ったりしたい。あとキムチの保存容器買いたいねん、ステンレスでパッキンがついてるやつ。あとあれ、干し柿でくるみ巻いてあるやつ、あれ名前なんやっけ。(おそらく)蒸してあるとうもろこしも食べてみたい。韓国のとうもろこしは冷凍保存してあるから年中食べられて、なんかモチモチした食感なのだそうだ。おいしそう。韓国ではまだ芳山市場しか行ったことがないから楽しみ。地図を見ていて気が付いたけど、芳山市場の帰りに通った布問屋がいっぱいあるところが広蔵市場だったのだ。てことは、朝早ければそんなに混まないのかもしれん。

国内・国外問わず市場があれば行きたい、というのは母と私に限った話ではなく、うちの家族共通かもしれない。弟も「ええ魚ないか見てくる」と言って年末に車で出かけていき、鯛を買ってきたりしているし……
去年母と行った台北では、借りた家の裏に規模も雰囲気もちょうど良い市場があって楽しかった。観光地化されておらず、近所のおばちゃんたちがカートを引いて買い物にくるような市場で、小さい店がぎゅうぎゅうに並んでいた。母が韓国で行きたいと言っている市場はああいうものだと私も分かっているけど、調べようがないのがおもしろい。あの市場がちょうど良かったのはたまたまだ。事前に調べたわけでも、初めて行く国で土地勘があるはずもなく、ただ行った場所に「私たち的に良い市場」があっただけの、ラッキー市場。
リヨンではポールボキューズ市場に行ったが、あそこは観光客向けだとかローカル感だとか、そういうのを全部ブン投げる勢いで「ただ美味いものが買える場所」として存在していて、あれも良かった。

rainy days

2025年9月9日 (火) 20:05

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9月になったって涼しくならないことはもちろん知っているけど、なんとなく気分が違う。「くがつ」という言葉の響きも関係している気がする。「くがつ」ってすごい秋っぽくない?……
毎日の涼しいポイントを目ざとく数えながら生きている。日曜の夜、アボカドのパスタを作ろうと思ったら生ハムがないのでスーパーに買いに行ったら、行き帰りの道がずっと涼しかった。特に山側から吹く風が涼しい。今、山ん中に入ったら涼しいだろうと思った。入らないけど。
帰りに月がものすごいデカく、明るく、近いことに気づいて(しかも濃い)写真を撮った。「なんか“前夜”みたいな月」と思ったが、皆既月食前夜だったようだ。見たかったな、と思ったら結構遅い時間だったみたい。

もやしのひげを取るようになった。先日実家で料理をしているとき母に頼まれて取ったのだが、母が「一回取ったらもう、気になってもうて」と言っていた。そのときは「ふーん」としか思わなかったのに、私も気になるようになってしまい、以来ずっと取っている。めんどくさい。めんどくさいが、気になってもうて、取るしかない。なんだこれは。呪いか。

『ふつうの子ども』という映画を観た。おもしろかった。終盤に少しだけ出番がある瀧内公美さんが絶妙に怖い。怖いけどこういう人おる。この匙加減の巧さよ。瀧内公美さんは良い役どころであらゆる作品に出ずっぱりの役者さんだが、職人気質な感じでかっこいい。番宣でバラエティーに出てる印象はないし、普段どういう人なんだろう。インスタとかやってんのかな、と思って調べたらアカウントを発見したが、基本的には出演作のお知らせをしてるだけで自撮りをアップするでもプライベートを覗かせるでもない、潔い感じだった。普段どういう人なんだろう。気になる。

案件のスケジュール管理をする業務が軽視されていると思う。返事が遅い人と仕事をしていると「今“この人を急かす”という“仕事”が発生している、お金を払ってください」と思う。この人にいつ連絡したか記憶しておいて、いつまでに返事がない場合もう一度連絡、それでも返事がない場合は電話して……と考えているとき「こんなこと自分でやれや」と思ってイライラする。すぐに返事が出来ないなら「こういう事情ですぐに返事ができない、遅くとも〇〇日までには返す」としてほしい。「〇〇日」は自分で考えて提示し、自分で守ってほしい。自分で出来ないならお金を払ってください。
返事が遅い人のほとんど全員が「見るだけの人」であって「作る人」でないのもムカつく。私が一生「作る人」だからかもしれないが、だから贔屓目があるのかもしれないけど、まじで「見るだけの人」たち、時間使いすぎじゃない?見るだけでしょ?見るだけの仕事にどんだけ時間かかるの?(バチギレ)

『落下の王国』の4Kリマスター版が11月に上映されるらしい。うれしい。
去年とか今年に4Kリマスター版が出る映画、多くないですか?なんかそういう年なの?私が好きな映画を再上映していく年?(どういう年?)いや、好きな映画がリマスターされるくらいの年数を私が経ている、という感じなのかも。どっちにしてもありがてぇ。絶対観に行きます。ポスターもめちゃくちゃかっこいい。

喫茶店に行くとショーケースにモンブランが並んでいる。ほら秋やん。本を読もうと思って行ったのに、向かいの席で保険の契約、横の席ではZOOM会議が行われており、あまり進まなかった。ZOOM会議はどうもインフルエンサーを目指す人たちの意見交換会みたいな感じで、気になって本どころではなかった。熱心にメモを取りながら会議に参加している横の席の女性は両親ぐらいの年齢に見える。会議全体の音声はほとんど聞き取れなかったけど、女性は「こんな人がバズれるなら、私もかなり良いセンいくと思うんですよね、大した内容の投稿じゃないじゃないですか」と息巻いていた。

かばんのなかみ 2025

2025年8月28日 (木) 17:56

かばんのなかみ

年に一度更新することになっているかばんのなかみです。
前回の記事はこちら

1 折りたたみ日傘
日傘はモンベル。私はモンベルをこよなく愛しているので何かっつーとすぐモンベルで買う。ポーチとか。日傘は最近骨部分が一本折れてしまったので、涼しくなったら修理に出す予定。
去年収納袋をなくしてしまい、地味に不便なのでAfternoon Teaで購入。これは内側がタオルみたいになっているので、濡れた傘を入れるときに便利っぽいです。めちゃくちゃ元気なオレンジのを買ってしまった。

2 鍵
推しが作った酒、ことIGINのグッズキーホルダーを付けている。IGINはデザインまわりのセンスがとても良く、全グッズがかわいい。これは梨泰院のポップアップで買ったやつ。

3 エコバッグ
なんばグランド花月で買ったミルクボーイのグッズ。だいぶくたびれてきたので買い替えたいが、とうに完売している。
ミルクボーイのグッズが少なすぎるのはどういう理由なんですか。ほぼ無いやん(怒)。

4 iPhone
iPhone15を使っている。ケースはSHEINで買った好きな文字をプリントできるやつ。推しのソロ曲の曲名を入れたら文字数がちょうど良かったのでプリントしました。結構クオリティ高くて気に入っています。SHEINて文字入れできるiPhoneケース結構多いことに気づいて楽しい。

5 ポーチ
Aeiouというブランドのもの。春にソウルで買いました。やや縦長の正方形で、マチがしっかりあるので結構入る。お店では色別に並べてあるねんけど、布の種類が多くてめっちゃ悩みました。
インスタ貼っとこ。ハプチョンにお店がある。 https://www.instagram.com/aeiou_official/

6 ウェットティッシュ
マツキヨの。友人が持ってて、小さくてかわいいので真似しました。小さい鞄を持つ日が増えたので、助かっています。こんなに小さいのに10枚入り!旅行にも絶対持って行ってる。

7 お財布
小さい鞄を持つことが増えたので、もっと小さい財布……もっと小さい財布はないか……と探して、Kabanerというところで最近購入。最近みどりとかが好き、と思ってこの色にしたけど、かわいい。なんか「もう大人やからシックな色にしたい、落ち着いた色味でやっていく」と「くすみカラーとか飽きた、そもそも俺は原色が好きやん」とを一生行き来してる。多分いま後者なだけ。一生行き来する。

8 イヤフォン
JBLの。私は有線イヤフォン派なのでAppleの純正を使い続けてきたけど、iPhone15にしてからプラグ問題が発生し、複数回の断線を経て、いよいよ断念。イヤフォンも断線するし、変換プラグが断線する。
これはだいぶ前に買ってて音は気に入ったけど耳に合ってないのかすーぐ抜けるので、あんまり使ってなかった。左右を逆にすれば抜けんということに気づいたので、最近はこれを使っています。私の耳の形がおかしいのか、付け方がおかしいのかは謎。付け方がおかしい気もします。

9 パスケース
新大久保でお姉ちゃんとワッペンワークに行ったときに作ったやつ。ワッペンワークって体験と消費がバランスよく満たされるのがかなり良い。上手にできなくて悲しい、とかも発生せんから誰でも誘いやすいし、その場ですぐ完成して持って帰れるのも良い。時間もそんなにかからんし。ワッペンワーク最高。

指名手配のモンタージュ

2025年8月25日 (月) 20:17

uncategorized

仕事が忙しい。作業量も多いが、案件数が多いのが疲れる原因だと思う。案件数が少なくて作業量が多いのは、私はあんまりつらくない。集中できるので……
週末は思いっきりのんびりした。そういえば夜の雷すごかったね、ティンパニーみたいな音してた。こわかったよ。

『塊魂』の新作が出るっぽい。専門学校に行ってたころ、友だちが教えてくれて、その子の家のプレステでやって、自分でPSPを買ったときにも『塊魂』をやってた。ゲームをほとんどやらないまま大人になったので(私はゲームボーイど真ん中世代なのにポケモンすらやっていない)「こんなかわいくてデザインの良いゲームがあるんや、音楽も良い」と驚いた。ゲームが好きな人は周りに普通にいたし、実家にもゲーム機はたくさんあったのに「私には関係のないもの」と思っていたのだ。
が、新作の『塊魂』はプレステ5でしかできないらしい。私の家にあるプレステが何か知らないが、絶対に5ではない。形が違うもの。
買い替えればいいのか?と思い、試しにプレステ5の値段を見てみたら7万円もする。これは『塊魂』をやりたいだけの人が払うような値段じゃないと思う。新作でなくても別に良いので、私のプレステで出来る『塊魂』を探したほうが良さそう。となるとまずは私のプレステが何かを調べる必要がある。起動すれば分かる。……と思う。4ちゃうんか。たぶん4やで。

日曜は『リンダリンダリンダ』を観に行った。6時半に目が覚め、映画館のスケジュールを見ていたら8時半の上映回が目に留まり、さっさとチケットを買って布団を出た。
『リンダリンダリンダ』を初めて観たのは高校生の時だったと思う。映画館で観た記憶はないから、多分家で、DVDで観たはずだ。家族で共用のiMacを部屋に持ち込めば、一人で映画を観られることに気が付いて、当時は自分の部屋でたくさん映画を観た。今となっては全然共感できないけど、当時の私には「邦画は家で見るもの」という概念があった。『リンダリンダリンダ』はそのうちのひとつだ。2005年劇場公開らしい。20年前だ。
20年て、すごく長い時間のことだと思っていた気がする。10年とか、20年とかって、もっともっと長いと思っていた。あと「なんで“すべてのクズどものために”歌うの?」と思っていた。わはは。私も高校生だった。今なら意味が分かるし、私も“すべてのクズども”のひとりであると知っている。『終わらない歌』はマーシーの曲だったんだな。
そういえば高校生のときに行ったフェスで『チェインギャング』を聞いて(DJブースでかかっていた)、ずっと忘れられずにいたことを覚えている。「これブルーハーツの人の声やな」ぐらいしか分からず、もちろん曲名も分からなかったのだけど、一度聞いただけで歌えるメロディーと歌詞の一部を握りしめて帰った。『チェインギャング』もマーシーの曲だ。
私がハングルが読めるようになっていることと、韓国語が少し分かるようになっていることで、ペドゥナと松山ケンイチのシーンなんかがよりおもしろく感じた。韓国語は発音が難しい。「ソン」と苗字を呼び捨てにしていることの違和感も、当時は感じなかったし、ソンちゃんが勝手に決めたバンド名は、今なら意味が分かる。

帰りにビゴに寄ったら、夕方には売り切れているサンドイッチがあって、いちじくのパンに生ハムとチーズが挟んであるやつを買って帰った。めちゃくちゃおいしかった。甘味と酸味、塩味のバランスがすごく良い。いちじくは干したのをカットして生地に混ぜ込んである。大きく切ってあるので食感もおいしい。毎日食べたい。

夏がはやく終わってほしすぎて、秋のことばかり考えている。私は寒いほうが脳がシャキッとするし、Tシャツよりニットが好きだし、もこっとした靴下を履きたいし、ストーブが好きだし、圧倒的に冬のほうが好き。早く寒くなってほしい。
でもジンくんは寒いのが苦手なので、気温としてはあんまり厳しい寒さにはならないでほしい、程々で。勝手を言ってすみません。

渦中

2025年8月15日 (金) 20:52

uncategorized

「得意なこと」と「好きなこと」は別だな、とつくづく思う。年々、人にものを教える仕事が増えてきた。好き嫌いで言えば「絶対に好きではないが、大声で嫌いと叫ぶほどでもない」ような仕事だ。なんとなく「役割」として預けられているもの、というような感じがして、私の好き嫌いで選べるようなものではない、みたいな感じすらする。私が「個」として選択できるような物事と、そうではない物事があるな、と思うのだ。不思議だが。
得手不得手で言えば「おそらく得意なんだろうな」と思う。たくさん褒めてもらえるからだ。褒められたり、感謝されたりすると、もちろんうれしい。「分かりやすかった」などと言われると、めちゃくちゃにこにこしてしまう。
友人にこの話をしたら「なるほどな~」みたいな反応で、特に実感を伴って共感している感じではなかった。彼は「得意なこと」と「好きなこと」が一致している人なのかもしれない。もちろんそういう人もいるだろうと思うけど、それってすごくラッキーなんじゃないかと思う。そっちが多数派なのかな。調べようがないけど。

従妹が結婚した。結婚式はしないらしいので、親族でお祝いの場を持つことになった。ご祝儀をつつむべきか、と思ったが、結局お花を買うに留めた。
自分が結婚していないせいなのか、身近な友人がほとんど結婚していないせいなのか、いずれも関係ないのかは分からないけど、ご祝儀という文化(習慣?)にずっと納得がいっていない。従妹の結婚を祝う気持ちはあるし、お祝いの気持ちを形にしたいとも思う。が、それがお金なのか……?なんでお金???14歳の子の進学なら「おめでとう、お小遣いにしな」と言ってお金を渡そうと思えるけど、それは相手が稼ぎのない子どもだからであって、従妹は違う、と感じる。結婚式をやるなら式自体に金がかかるので、それをきちんとまかなえるぐらいの金額を、とは思うけど……
そもそもご祝儀がお金になったのって、そんなに大昔ではないんじゃないのか。餅とか酒とかだった時代ない?ご祝儀っていつお金になったの?
逆の立場だったとして、私は親戚からお金をもらいたくない。祖父母世代・叔父叔母世代ぐらいまでなら年齢差があるから、むやみに断るのは失礼かと思うけど、従兄弟からお金をもらうという概念がないし、奇妙すぎる。なぜお金を?
ゴタゴタ言ってないで慣習に倣えばええんやないすか、それが慣習てもんなんとちゃいまっか、とは思う。なにがこんな引っかかるんだろうな。自分でも分からない。

ジンくんのソロツアーがついに終わってしまった。最終日のアムステルダム公演は配信もライブビューイングもなかったので、実感もあまりない。配信ぐらいやってくれたらいいのに、韓国国内での公演じゃないから難しいんだろうか……通信環境とか……?とにかく無事に終わったようなので良かった、と思うことにする。終わったら韓国に戻らずにソングキャンプに合流する予定だと言っていたから、ジンくんはもうアメリカに着いていると思う。
ほんとに楽しくて、ジンくんだけを見ていられる贅沢なツアーだったから、本音を言えば永遠に終わってほしくないけれど「みんなが”いつ来るの?早く来て”って何回も聞くんだよ、良い部屋を空けておいてくれててね」と嬉しそうに話すジンくんを見ていると「さすがにもうそろそろお返ししないとな……」という気持ちにもなる。なんか、月にかぐや姫を返すおじいさんの気持ちが近い。でもツアーが始まって終わるまではたった1ヶ月半のことだったのに、もう半年ぐらいジンくんを独占してるみたいな気がする。濃い時間やったからか。
「テヒョンがべったりくっついてきて、離れなかったんだよ」と話しているときのジンくん、かわいい顔してたな……私はジンくんのあの照れくさそうな顔に弱い。
っつーかジンくんて必要とされるの好きなんやと思うけど、テヒョンはいつでもド真ん中ド直球で「あなたが必要です」を差し出すからすごいなと思う。10数年一緒に活動してまだそれをそんなに剛速球で差し出せるの?テレもせずに?かっこいい……いや現場を見てないので「テヒョンがべったりくっついてきて」がどのような状態かは想像でしかないのだけど、たぶんまじで文字通り「べったりくっついて」たんやと思う、物理的に。強い。
最終日1日前の公演はライブビューイングがあったので、映画館で見てきたけど、私はこういう時の座席運が終わっているので、なかなかに厳しい時間だった。楽しい気持ちを害したくはないから何も言わないけど、こうやって「私が我慢すれば済む」をやり続けるのも大人としてどうなんだろうな。ま、今後もこうやって生きていくと思うけど。意気地なしなので……ちゃんと物申せる人もおるのにな、その場でちゃんと物申せる人ってかっこいいよな。来世はそうなりたい。今世はあきらめました!!!

せっかくHAT神戸まで行ったので県立美術館に寄ることにした。藤田嗣治と国吉康雄の展覧会をやっている。交流が深い画家同士だったのかな、と思ったら別にそこまでではなかった。1回会っただけ、ぐらい。が、同じ時代を生き、祖国とは別の場所で画業を続けた歳も近いふたりの画家を対比させる、というキュレーションはおもしろかった。画家の死後は本人の意向や意思など知りようがないし、本人たちが口を出せないのだから慎重であるべきとは思うけど、事実と解釈をきちんと分けた上でやるなら、こういう展覧会も良いのでは、と思った。
藤田嗣治が戦争画を描いていた、というのを私は知らなかったので、結構ショッキングだった。藤田嗣治と言えば「乳白色の裸婦画」を描いた売れっ子、のイメージしかない。無知なのですぐショックを受ける。勉強する。
戦争画、というと、私は最初に『ゲルニカ』を思い浮かべる。戦争がいかに悲惨なものかを伝えるもの、つまり、反戦をイメージする。が、藤田嗣治が描いた戦争画は逆だ。従軍画家として戦争記録画を描いた。うーーーん、と思うし、なんで???とは思うけど、安直に非難はできない。
国家から発注を受けて描いたという藤田嗣治の戦争画は2点展示されていて、いずれも大作だった。国や軍から、対価だけでなく、きっと画材を提供されただろう。この大きいキャンバスと、それを埋められる程の絵具を。戦時中、画材を手に入れることがどんなに難しかったかは、調べなくても分かる。
それに、「記録しなきゃ」と思ったのかもしれない。何か対価を得ることだけが目的だったんじゃなくて、ジャーナリズム精神というか、そういう気持ちがあったのかもしれない。
戦後、藤田嗣治はかなり非難されたようだ。分からなくもない。でも、どんな環境にあって、どんな境遇にあっても、手を止めないことがどれだけ大事か分かる。創作なんか、やめるほうが簡単だし、やめる理由なら常に何百個もある。いつだって続ける理由のほうが少ない。
一方、「じゃあ仕方ないね、時代が悪いね」とは思えないし、言いたくはない。せめて私は何があったのか知りたいし、自分はどうするか考えたい。
とはいえ、展示されていた藤田の戦争画は2点とも茶褐色で陰鬱だった。この2点に限って言えば、戦争を美化した作品とは思えなかった。

コレクション展が無料開放日だったので、そちらもありがたく鑑賞した。ここ数年で私は現代美術がぐんぐん好きになっているので、めちゃくちゃ楽しかった。もしかしたら「何の絵か分からない絵」を見る視力みたいなものが育ってきているのかもしれない。正直もう私は「(モチーフとして)何を描いたか」にはほとんど興味がなく、どうやって描いたか、何を思って描いたか、を読むのに興味がある。読めることはほとんどないけど……
木のテーブルの一部に水が張ってある作品があり、聞きたいことがたくさんあったのだけど、こういうのって監視員さんに質問をしても良いのだろうか。監視員さんは学芸員さんとちがうから、あかんよな、と思って何も聞かなかったけど。解説会があるようなので、リトライするかな。
作者が今も生きている、という点も現代美術の好きなところだ。これを作った人も私と同じような生活をしているはずだ、と思えるからだ。これを作った人はコンビニでカップヌードルを買ったことがあり、今年の夏も暑さに辟易とし、先月は選挙に行って、YouTubeを見られる人だ、と思うと、目の前にその作品があることが、ものすごい奇跡みたいに感じる。
……奇跡度(奇跡度?)で言えば戦火を免れて大切に保管され引き継がれ、海を渡って今ここに展示されている!というほうが奇跡度高めなはずなのにな。なんでだろう。

合間にちょこちょこ出社しなければならないせいで、あまりお盆休みという感じがしない。特にやりたいこともないし、街が混んでいるので出かけるのも億劫で、掃除ばかりしている。神戸は休みの日に混むタイプの街だ。みんな楽しい思い出を作って帰ってほしいし、気に入ったら移住してきてほしい。残念ながら子育てにはあまり向いた街とは思えないが、大人が住むには気楽で良い街です。
換気扇の掃除をほったらかしにしていたので、ピカピカにした。風呂とトイレの換気扇も掃除すべきと思う。ベランダも……でもベランダは見て見ぬふりをするつもり。暑いから……
フジロックの靴を洗ったら新品みたいにきれいになってうれしい。紐も変えた。週末は引き続き掃除をして、あとはケーキでも焼くつもりです。

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