タナカノゾミのポートフォリオサイト

blog

archive/uncategorized

11メートル

2025年11月16日 (日) 20:36

uncategorized

久しぶりに自分の家で週末を迎える気がする。いや「気がする」んじゃなくて、まじで4週間ぶり。起きて早々に洗濯。最近ほんとうにずっと天気が良い。
今日は病院に行く日だ。経過が良いので一気に薬がふたつ減った。うれしい。

早い時間だが昼ごはんを食べることにする。病院の日は点心を食べることが多い。月一回の通院のあとは「今月も一ヶ月よくがんばったな」という自画自賛の気持ちになり、ちょっと良いものを食べたい気持ちになる。「ちょっと良いもの」は人によって大きく異なる気がする。私の「ちょっと良いもの」は自分で作れないものや、作れるけど面倒なもの、が該当する感じ。そういえば2~3年前は洋食屋さんにハマってて、病院の帰りに洋食屋さんに行くのがお決まりだったな。

今日のは初めて行く店だったがイマイチだった。が、飲食店に関しては自分で行って自分で食べる以外に好みかどうかを知る術がないので仕方ないし、おいしい点心屋さんをたくさん知っているのにイマイチなところに来ているぞ、と思うとおもしろいので全然気にしない。人と一緒だと「イマイチな店をチョイスしてしまって申し訳ないな」と思わないでもないが、ひとりだとそれもない。私が私のチョイスでミスり、私のお金でお会計をしている。引きの画で見て笑える。
隣の個室では会社の何か集まりみたいなのでおじさんが大勢つどっており、隣の席では大声のおばさんが3人で久しぶりの再会を喜ぶ会みたいなのが行われていた。4人掛けのテーブル席であんなに大声である必要があるのだろうか。いや必要とかじゃなくて、ベースがあれなんだろうな。最近大声の人よく見かけるな。笑っちゃうからやめてほしい、あと会話がぜんぶ聞こえる、まじで全部。

このあとは美術館に行くが、天気も良いし自転車日和だ。駅前で自転車を借りて南下。かっこいいスポーティーな自転車に乗ったお兄さんがふたり、橋を渡ったあと海側にくだる道へ曲がった。ん?そこ降りられるの?と思い、引き返してついて行くと、海際に遊歩道が整備してあってびっくりした。ぜんぜん知らんかった。こんないい道があったの?広いし。信号もない。私は家から美術館まで何回も自転車で来ているのに、こんな道があることを知らなかったし、Googleマップだって教えてくれなかった。いや、Googleマップでこのへんの道調べたことないか。そうかも。次からここを使おう。気持ち良い道見つけてうれしい。

県立美術館で『リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s』を観る。7〜8年前くらいに似たような展示を東京で観た記憶がある。あれは「戦後、日本の住宅がどのような変遷を経て来たのか」みたいなのが主題だった。すごくおもしろかったのと、私は本当に家が好きだ、と思った。あらゆる建築物の中でも、住宅が、人が住む家が、一番おもしろい。
本展はその世界版というか、日本に限らず、1920年以降の住宅を紹介する、というもので、ル・コルビュジエ、アアルトとか、建築に明るくない私も知っている建築家が紹介されている。
全体を通して、鉄骨で家を建てられるようになったのはかなり大きな変化だったんだな、と実感した。ヨーロッパで見る煉瓦や石造りの家って「地震がこない国は良いっすね、どっしり300年とか保つしね、うらやましっすわ」ぐらいにしか思ってなかったのだけど、「壁面で構造を支えないといけないから壁を薄くできないし窓を増やせない、調光に難がある」という、けして小さくはない問題があったことを知った。要は窓を増やしたり、大きくすることで、家の強度が下がってしまう、という。聞けば当たり前のことだけど、全然思いつかなかった……通りに面していない建物だと、光を取り入れるのはさらに難しいだろう。日本の木造の家は柱で支えているから、普通に窓を作れるし、縁側があったり、明るい家が多いイメージがある。
鉄骨やガラスを工場で作れるようになると、壁面をガラスにしたり、大きな窓を作ったりできるようになり、本展で紹介されている住宅にも「ガラスの家」と名付けられているのがふたつ(別の国、別の設計者)あったりして興味深かった。素材の変化や進化によって作るものも変化・進化する、というのはどの業界にもあって、素敵なことだな、と思う。例えば質の良い絵の具をチューブに入れて持ち歩けるようになったあたりから、サイズの小さい風景画が増えた、みたいな話とか。

国によって違う気候や場所によって異なる地形とか、特性をきちんと理解して設計されているのもおもしろかった。地中から空気を取り込む仕組みになっている京都の家(聴竹居/藤井厚二)は「夏をいかに乗り切るか、少しでも涼しく暮らしたい」という意気込みを感じる。「夏を過ごすための家」と銘打たれたアアルトの家(ムーラッツァロの実験住宅)は「夏だけの家があるんどすか、夏だけの?そら結構なことですなぁ〜」とつい思ってしまうけれど、建てられた場所がフィンランドだと知ると話が変わってくる。フィンランドの短い夏を、唯一の過ごしやすい季節をどのように楽しむかは、人生をどう生きるかとほとんど同義だろう。アアルトはここでとんでもない数の煉瓦やタイルを試し、その積み方や使い方を模索したらしい。ちなみに展示されていたレンガとタイルはアアルト財団から貸してもらったもので、財団のスタッフが手荷物で日本へ運んできたのだそうだ。手荷物が一番安心して運べるもんね。こういう話を聞くために解説会に参加したので、聞けて嬉しい。

一番の収穫はミラー邸のテキスタイルなんかを手がけたアレクサンダー・ジラードを知ったことだと思う。むしろなぜ今まで私はジラードを知らずに生きてこられたのか疑問なくらい、初見で「めちゃくちゃ好きなやつやん」と思った。ポップでカラフルで、かわいくて、なおかつ家とのバランスも良い。ミラー邸はもうどう見ても「金持ちの家」というか、でっっっかいし、金かかってるのがありありと分かるけれど、ただ下品でなく、モダンで上質で、何より住みやすそうだな、という印象だった。オリジナルでこの家のためにこしらえたテキスタイルや家具など、インテリアによるものも大きいと感じた。親しみやすさを生んでるというか。ダン・カイリーによる造園も素晴らしく、建物をドンと作るだけで住宅が完成するわけではないことがよく分かる。ミラー邸は床面から1段下がったところにロの字型のソファスペースが設けられているのだけど、ここに置くたくさんのクッションに使われているテキスタイルや、ミラー家みんな(7人家族らしい)のイニシャルや趣味なんかをモチーフにしたカーペットなんかがあまりにもかわいくて、にっこにこになってしまった。良い仕事を見るとにっこにこになってしまう。

菊竹清訓のスカイハウスはスケッチがかなり初期段階から残されており、本人が思いついたのをメモしておく程度のものから、徐々に解像度を高めていく過程が順番に見られたのもおもしろかった。最初期のスケッチはレシートの裏に描かれており、胸がぎゅっとなる。レシートの、裏。なんだろうな、私はものを作る人が見せる生活の片鱗みたいなものがとても、愛おしいと感じる。

大満足で移動し、十三で友人とごはん。「今日あたしが払うから、全部!」とのことで、1軒目のホルモンから喜八洲のみたらしだんご、2軒目の居酒屋も全部おごってもらった。「誕生日やからな!これがプレゼントってことで!」と言われ、ありがとうごちそうさま、と言ったが、よく考えたら全然誕生日じゃない。私の誕生日はまだ1ヶ月以上も先である。が、友人は私に誕生日プレゼントを渡せないこと(何を渡せば喜ぶかわからないこと)が心苦しいという話をいつもしてくれるので、ありがとうごちそうさま、で合っているようにも思う。「何を渡せば喜ぶかわからない」というのはよく言われるし、慣れている。でもそれは私のせいだから、とも思う。誕生日を覚えてくれていることだって当たり前ではなく嬉しいし、本当に何も要らないのだけど、それが寂しいらしい。寂しく思うようなことは何もないのにね、でも友人を寂しくさせるのは全く本意ではなく、夕飯をご馳走してくれるのだって嬉しいのだから、これで良いのだと思う。友人は過去に見たことないぐらい盛大に酔っ払い、駅で別れるのは不安なほどだったので、家まで送って行った。最近のマンションてそんな鍵なの???などと言いながら「まだ飲みたい」「帰らんといて」「掃除して行って(???)」とぐずる友人をどうにかなだめ帰宅した。あんなに酔ってる人、久しぶりに見たな。おもしろかった。

ソウルコン知見リスト

2025年11月6日 (木) 21:55

uncategorized

はじめに
初めての本国コンに行ってきました。色々調べて、教えてもらって、どうにか無事に行って帰ってこられたので、記憶のあるうちに知見をまとめなければ、と思い記事にします。
特に近い会場や近い時期にコンサートがあったセブチのファン・カラットさんたちや、スキズのファン・ステイさんたちのレビューがかなり助けになったので……私の経験もいつかの誰かの役に立つといいな。
ま、私のブログはそんなSEO強くないけども……何か思い出したら都度追記します。

  • #RUN SEOKJIN EP.TOUR ENCORE の2日目に参加
  • 仁川文鶴競技場
  • F12エリアで見ました、座席図は下記のとおり

チケッティング

  • ごめんこれは何回もチケッティングに参加して成功してきてるツワモノたちのブログを見てください
  • 私は主にこちらのブログを熟読した、ありがとうございます
  • いっこだけ、今回「あれミスった」と思ってることがあるので書いておく
  • 事前にinterparkでファンクラブ認証をしておいてからチケッティング当日、て流れになるけど「ファンクラブ認証完了してますよ」の画面で待ってれば「チケット購入」ボタンが自動的に表れるので、それを押せばOK、つまり、ここで画面をリロードしなくて良いです
  • 私はリロードせなボタンがオンにならんと思い込んでて、ここで2秒半ぐらい無駄にした
  • 2秒半てwwwと思うかもしれんが、2秒半はでかいよ、50m走やと思ってほしい、50m走で2秒半も出遅れたら致命的やろ
  • 今回座席選択画面で403エラーが頻出しており、みんな大苦戦してたっぽいけど私は一回も出ず……なんのアドバイスもなくてすみません
  • 席を掴んでから支払いまでとにかくスピード勝負なので、クレジット番号・有効期限・CVC・電話番号(これは日本の携帯番号でいけた)をコピペできるようのメモを用意しました、これはやっといてよかった
  • LINE IDを入れたけど、これは任意項目だったようなので入れんでよかったみたい

会場:仁川文鶴競技場

  • 인천문학경기장(インチョンムナクキョンギジャン と読む)
  • 駅から結構歩く(10分ちょいぐらい)
  • グッズ売り場や本人確認ブースは競技場よりもさらに遠くて、坂の上でした
  • トイレは競技場前と横に仮設を入れてくれてたので、そんなに不自由しなかった
  • ただし終演後は仮設トイレは使えなくなってたので、競技場を出る前に行っといたほうが良さそう
  • 駅のトイレも列がすごいことなってた
  • 競技場はもっと途方もない大きさをイメージしてたけど、そうでもない、もちろん小さくはないけど、どちらかというとアットホームなサイズ感
  • スタンド席は結構狭くて階段の角度も急だったようなので、荷物は少な目が良いかも
  • フロア席は椅子の下と足元に荷物が置けるけど、スーツケースとかは小さくても無理やと思う(そもそも持ち込み禁止なんかな)
  • 競技場のまわりにコンビニとか売店があるので、もちろん並ぶけど、飲み物とかは困らなさそう
  • 開演前にラーメンとか食べてる人もいた、あったかいもの食べるのも良いね

航空券

  • チケッティングがどうなるか分からん段階でも先に航空券を押さえる、という考えの人もいると思うが、私はビビリなので出来なかった……
  • とはいえチケッティングがうまくいっても渡韓できんかったらどうもならんもんなぁ
  • キャンセル代が痛い金額でなければ、先に航空券を手配しても良いんかもしれんすね
  • 私はチケッティング成功後、その日のうちに航空券とホテルを予約しました
  • が、公演日が近づくにつれて「もし飛行機が遅延したらサウンドチェックに間に合わん」という恐怖で夜しか眠れなくなり、結局前日の夜に着くように便を取り直しました……
  • 元は11時55分仁川空港着の便でした(13時50分に入場開始・15時10分にサウチェ開始)
  • 私の計算によると「10~15分程度の遅延ならどうにかなるが、1時間レベルで遅延すると終わる」
  • 公演によっては開演時間になると本人確認を締め切ってしまうので、到着してても入場ができない、ということもある様子(想像しただけでつらい)
  • 空港からタクシーを飛ばせば挽回できるのでは、とも思ったけど、道路事情によってタクシー移動はリスクがあるし
  • イミグレだってどれぐらい混むか分からん、飛行機って時間読めんポイントが多すぎるね
  • 時間だけは金で買えないので、余裕を持って会場入りしよう

宿泊

  • agodaで探して富平(プピョン/부평)駅に宿泊
  • ホテルはSTAY IN HOTEL https://naver.me/FW681Bo0
  • ホテルというよりはモーテル、建物の外観というか駐車場の雰囲気とかがややラブホ寄り
  • 受付の方が日本語出来る方だったので超助かった
  • 飛行機を前日の便にして1泊増えたせいで一旦チェックアウトしたけど、コンサートに行ってる間も荷物はフロントで預かってくださったので、特に不自由なかった
  • 部屋は十分な広さ、パソコンとでかい壁掛けテレビがあった
  • 1泊目は部屋がタバコくさすぎて鼻がどうかしたんかと思うほどやったけど、2泊目は一切なかった ※いったんチェックアウトはしたけど全く同じ部屋やのに……何があったんや
  • 電気毛布が入れてあってめちゃくちゃあったかかった、いや暑くて目が覚めた
  • 延長コードのスイッチを入れて寝たんやけど(iPhoneの充電器を使うから)電気毛布もこれで付いたっぽい、消し方結局分からずにプラグ抜いてまた寝た
  • 寒がりの人も安心のぬくぬく電気毛布やと思う、電圧が高いせいか?(???)
  • 一方、友人の部屋は電気毛布もなく、エアコンも付かず、シャワーもお湯がほぼ出なかったらしい、隣の部屋やのに……代わってあげたかった(私は結構暑がり)
  • 正直この価格帯のホテルはギャンブルと思う(2日で約14000円……)
  • ホテルはいっぱいレビューを読んで決めてください
  • 写真は大概実情よりも良い感じに撮ってあるから参考程度で良いと思う、チェックすべきはレビュー
  • 私は韓国でソウル以外に行ったことがないので、富平は結構「地方都市」っぽさというか、ちょっと緊張感があった
  • 言葉を選ばずに言うと「治安悪い」感じ
  • 道がゴミだらけやし、金曜の夜の雰囲気とかも結構怖かった、車の中から声かけられた(聞き取れず)とき怖すぎてオリーブヤングに駆け込んだ
  • オリーブヤングは街中にいっぱいあって23時までやっててありがたいね……
  • ひとり行動が多くなりそうな人は絶対にホテル代をケチらず、大通りのホテルを取ってください
  • 飲食店とか、お店の人たちは親切で感じが良いし、昼間は人も多くなくて良かった
  • 競技場までは前後の徒歩も含めると40分くらい、電車乗ってる時間は15分ほど

天候

  • 冬の韓国が初めてでビビりたおし、服装には迷いましたが、今年の3月に同じ会場で公演したセブチのファン・カラットさんと、先月10月に同じく仁川にあるアジアード競技場で公演したスキズのファン・ステイさんのレビューを参考にさせてもらいました
  • わざわざ「ジンさんのアンコンに行かれる方へ」とツイートしてくれている方もいて、感動した……優しい、圧倒的優しさ……
  • 結局当日の気温は最高気温が16℃、最低気温が10℃、と予想よりは高かった
  • 日が出ている間は寒くなく、むしろ歩いてるとちょっと暑いね、ぐらい
  • 私の服装はインナーにヒートテック・カシミヤセーター(やや薄手)・ユニクロのパフテックコンパクトジャケット・コート(日本では真冬にはあんま着ない、ぐらいの薄さ)・ジーパン・分厚い靴下・スニーカー・バラクラバ
  • ぶ厚いダウンを1枚着る、というよりは細かく脱ぎ着できるほうが良さそうというレビューを読んで、薄めのコート+パフテックジャケットにしたけど、かなり良かった
  • バラクラバは首と耳の寒さ対策を同時にできると思って……これもかなり良かった、帽子とマフラーをひとつで済ませられるの便利、かわいいし(無印のやつ買った)
  • カイロはコートのポケットに左右いっこずつ入れて、腰にもひとつ貼りました、私はこれで十分あったかかった、手が冷えやすい人は手袋あったほうが良いと思う
  • カイロも暑ければ剥がせばいいので、温度調節しやすくていいね
  • 靴は言わずもがな、歩きやすい靴
  • 海が近いせいか、地面から冷えてる感じ(床冷え)があるので足元は温かくした方がいい
  • 寒がりの人は靴の中に仕込むカイロもあると良さそう

持ちもの

  • 日本国内のコンサートと基本変わらんと思うけど一応記録するか
  • 雨が降ったせいで地面が濡れてて、友だちがビニール袋をくれたので荷物を置けたのが助かった
  • そんなかさばるようなもんでもないし、自分の鞄が入るサイズのビニール袋は持って行ったほうが良い
  • ボンタンアメは信頼できる
  • 入場後は制限されてんのかと思うほどLTE回線が遅くてなかなか繋がらず……5Gは使えへんesimやったので、ちょっとだけ不便でした
  • 配信とかできんように制限されてんのかもしれんな……LINEとかは少し待てば送受信できるけど、写真とか送ろうとするとタイムアウトする感じ
  • 本人確認のブースとか、競技場の外では普通に使えたし、遅いと感じることもなかったです
  • 今回はサウンドチェック後の一時退場がOKなこともあって、そんなに長時間競技場内におらんかってんけど、そうでなければ結構不便かもしれん
  • 5Gが使えるesimもあると思うので、選べるならそっちにしたほうが良さそう

one more bag

2025年10月22日 (水) 21:45

uncategorized

ジンくんのアンコン(アンコールコンサート、の略だと思う、多分)のチケッティングに成功した。つまり、無事にチケットを買うことが出来た。今年は4月にも公演初日を目当てにチケッティングに参加したが、あのときは惨敗だった。あれと同じことをもう一度やるのか、と思うと胃が痛いが、やるしかない。今回は前回に比べると席数が多い会場だったせいか、ちゃんと空席を見つけて、買うことが出来た。手は震えたが、手順は覚えていたので、前回のがほどよく予習になったのかもしれない。

友人たちがよかったね、楽しんでおいでね、あったかくするんだよ、と口々に言ってくれるおかげで、ジワジワと実感がわいてきて毎日嬉しい。ほんとに取れてるのか、ほんとに買えたのか、と何回も「予約完了」の文字を確認しに行ってしまうし、モバイルチケットを表示してしまう。大丈夫、ほんとに取れてる。アンコンに行ける。う、うれしい……もう一回見たいと思ってたの。ありがとうジンくん。

現地で乾杯しようね、と言ってくれた友人が4階席しか取れなかったとすこし残念そうなのが唯一つらい。自分のチケットを自分で取るしかない仕組みなので私にできることが無いのは分かっているけど……一般発売が始まっているのでより良い席を求めて取り直すことはできるけど、そうすると今買えているチケットを一旦キャンセルする必要があり、かなり厳しい。もう一回買える確証はないのに「まず買えたチケットをキャンセルする」って、こんな大博打がうてる人っておるんかな。私なら無理、そんな勇気ない。
こんなふうに座席数に限りがあって行きたい人が全員行けるわけじゃない場って、いつもどこか切ないな……と思う一方、山のように出ている転売チケットを見て苦い気持ちになる。転売は本当に卑劣な行為です。

航空券がバカみたいに高かったけど、気にしないことにした。気にしたって値段が下がるわけじゃないしな!!!「この金額なら2往復できるやん」とか言ってもどうにもならない。帰りの航空券は比較的安く買えたし、ホテルも申し分ない立地に許容範囲の値段で取れたし、上出来だと思おう。こういうことが起きても良いように貯金をしているのだし、私の貯金なのだから必要に応じて使って良いに決まっているし、そのために日々一生懸命働いている。……と、誰に対してなのか分からない言い訳を並べ立てているのは、もともと決めていた韓国旅行が、このアンコンの翌週だからです。つまり2週続けて韓国へ行きます。わはは。なにしろ急に決まったアンコンだったので……弊推しはその知名度やファンダムのデカさに反して「思いつき」や「勢い」で行動する(できる)タイプの人なので、「やっぱアンコンやりたい、会場押さえられたからやるわ、来月よろしくね!」みたいなことを言う。
事業とかなんでもそうだけど規模がデカくなるとあんまりノリとか勢いとかで何かを決定できなくなっていく。巻き込む人の人数が増えるからだ。本人は指先をツンと動かした程度の認識でも、実際にはビルを一棟破壊している、みたいな、巨大ロボットの操縦めいた感覚がある。が、ジンくんはそれができる。ジンくんのそういう精神的身軽さが好きだし、計算や打算のない性格がかっこいいなと思う。意識的にやっているのかどうかは分からないけど……よく「僕は何も考えていません」と言うので、ほんとうに何も考えていない可能性もあるな。なおかつお姫様みたいなところもあるので「僕もう一回コンサートやりたいな、なんとかできない?お願いね」みたいな感じで、周りの大人たちを走り回らせている可能性もある。ま、客としてはジンくんに振り回される生活は本望なので、現状維持でお願いしたいです。

というわけでアンコンに行ってきます。めちゃくちゃ寒いみたいなのでバラクラバを買います。

蕃紅花色のドア

2025年10月22日 (水) 20:49

uncategorized

最近、自分の原画が結構良いものに見えてきて、ファイリングしておくことにした。シルクスクリーン作品をつくるとき、私は絵を描くところから始める。まずA4のコピー用紙にシャーペンで下描きをして、それを0.3mmのコピックライナーでなぞり、シャーペン跡を消しゴムで消してからスキャンする。スキャン後はPhotoshopで二階調化、オブジェクトの配置や隙間なんかの調整をする。あとはIllustratorに移してパスデータにし、レイアウトやサイズなんかをさらに調整してから版下にしている。ので、手で描いた原画がある。iPadとかペンタブレットなんかを使えば、いきなりパスデータを描けるはずだけど、なんか気が進まない&環境を整えるのが面倒で……制作頻度からしても、ソフトやハードを買い揃えたりするほどではない。つまり、よほどのことがない限り制作手順はこのままだと思う。

原画は特に「これは原画である!」という意識がないので大切なものとは思えず、とりあえずクリアファイルに挟んで置いてはおく(再スキャンが必要になる可能性はあるので捨てはしない)、ぐらいの扱いだったが、最近はなんかこれらが「良いもの」に見えてきた。理由は単純で、数が溜まってきたせいだと思う。数が溜まってくると良いものに見える、というのは何かの法則性があるような気がする。オタク気質のせいかもしれないけど……
余っているA4ポケットファイルに描いた日付順に入れてみると、もっと良いもの感が増してうれしい。捨てずにとっておいてよかったと思う。

私が自分で描いたものにさほど価値を感じないのは「(自分で描いたものなら)もう一度描ける」という視点があるからだと思う。私は何度でもこれを描ける、なぜなら私が描いたから、なんなら次はもっと上手く描ける、という気持ちになってしまい、あまり「良いもの」として扱うことが出来ない。
が、最近は急に「何度でもこれを描ける」は嘘だな、という実感がフツフツと湧いてきている。確かに似たようなもの、同じ雰囲気のものなら描けるけど、それは全然別物だ。あと自分の望む方向かどうかは別として、上手くなっていく。こなれていくというか、続けていくと上手くなっていく。上手くなっていってしまう。これからもずっと似たようなものを描いていくのならなおさら、今描いたものは二度と描けないことを、自分で認めないといけないんじゃないのか、と最近は思っている。

壁面着陸

2025年10月21日 (火) 20:35

uncategorized

姉の会社が主催している、運動会に行ってきた。
私は運動会に良い記憶などない。運動会どころか、運動にまつわること、体を動かすことが楽しかった記憶が、ほとんどひとつもない。登山とスキーは好きだけど、だいぶ長いことやってないので、もうできないかもしれない。
体を動かすことの中で唯一積極的にやりたいと思えるほど好きなことは自転車に乗ることだけど、かろうじて乗れるようになっているのは幼馴染のおかげだ。スポーツができるようになりたくて、努力した経験も私にはない。
球技も全般的に苦手だし走るのも嫌いだし、ダンスなんてもってのほか、スケボーも怖くて乗ったことがない。大人になった今も、運動な……したほうが良いよな~……と思いつつ、やりたいと思えるスポーツはひとつもなく、会社から家までを歩くぐらいで精一杯だ。それも「歩きたい」というよりは「バスにのると通勤時間があまりにも短いのでラジオを聞く時間がない(歩けばラジオを聞く時間が確保できる)」というほうが近い。

小学生のころなんかは、例えば授業でやるバレーボールのチーム分けに「運動神経の良い子たち」がリーダーとして名乗り出て、自分のチームに入れたい子の名前を挙げていく、みたいな方法がよく採られていた。私の名前が呼ばれるのはいつでもほとんど最後のほうで、それも戦力になるとかならないとかの域を出た「〇〇ちゃんよりはのんちゃんのほうが仲良いから、まぁ2択ならのんちゃん」みたいな理由だった。あれを待つ時間のみじめさったらなかった。運動神経がよくないこと、戦力になれないことなんて自分でじゅうぶんわかっているのに、その上まだこんな気持ちにさせられる。子どもながら「ようこんなむごいことできるよなぁ」と思っていた。

甥っ子たちはそれぞれリレーに参加していた。ふたりとも結構速くて笑った。日頃から「俺結構足速いねんで」とふたりとも言っていたけど、あまり信じていなかったので……「ほんまに結構速いやん」と思った。失礼しました。
私が大人になったせいなのか、自分が走らなくて良いという気楽さによるものなのかは分からないけど、素人のリレーはおもしろかった。正直、世界陸上より、素人のママさんリレーだの、小学生リレーだの、4~5歳児リレーだののほうが遥かにおもしろい。「速さ」というのは相対的なものだからかな、と思った。速さは相対値だ。パパさんリレーでぶっちぎりに速くても、ノア・ライルズよりは遅い。ノア・ライルズだって、いつかのどこかの会場では誰かより遅く、いつでも同じ条件で走ったり他者と同時に比べ続けることはできないのだから、ノア・ライルズの速さだって絶対値ではないのだ。絶対的でないものに一生懸命取り組むのって、おもしろいことなんだな、と思った。子どものころには分からなかった。
遅かろうが速かろうが、何歳だろうが、人が一生懸命走っているのは見ていて気持ちの良いものだった。話し方や歌声や色の塗り方や葱の切り方や書く文字に「その人らしさ」が出るように、走り方にだって「その人らしさ」が出るのだな、という当たり前のことを知らなかった。「その人らしさ」は絶対値であり、緑組の12番より遅いとか、黄組の8番より速いとか、そういうものに左右されない「良さ」がある。
4~5歳児リレーは普通に周回遅れみたいなことが発生するし、大人のリレーは順調に勝ってたのにコーナーで転んだりバトンパスが上手くできなかったりして瞬く間に最下位まで転落したり、みんな一生懸命やっているからこそのどんでん返しが多くて、それも良かった。

運動コートの周りにはなぜかお絵描きコーナーが設けられており、競技に参加しない時間帯に参加することが出来るので、私は甥たちと3人で壁画に挑戦した。でかい絵を描く機会というのはそうそうあるもんではないので、誰よりも私がいちばん大喜びし、自由すぎる場にやや困惑する甥たちをよそにめちゃくちゃ楽しんだ。画材を用意したり、後片付けをする必要もなく、ゴミの心配もせずに描きっぱなしでOKだなんて、こんなうれしい機会は無い。普通に天国かと思った。こういう場があれば金払って通いたいぐらいやねんけど、ないんかな……っつーか卓球バーとかダーツバーとかボウリング場とかビリヤード場とか、お金払って素人がゆるくスポーツを出来る場はたくさんあるのにさ、なんで壁画バーはないの?音楽だってカラオケがあるし、生バンドの演奏で歌えるカラオケだってあるやん。なぜ大人が無責任にのびのびと絵を描く場がないの。ジーマだのスミノフだのを片手にでかい絵を描かせてくれよ。え、普通に流行りそうじゃないですか?
ちなみに子どもとでかい絵を描くのはこれで2回目なのだけど、なんとなくコツをつかんだので(私が)、次はもっとうまくやれると思う。

こうないえんいたい

2025年10月17日 (金) 21:20

uncategorized

なんかを調べていてたどり着くブログの、記事を読み終えたあとに、そのブログの最新の記事を読むのが好きだ。2006年に書かれた記事を読み、ほーんと思い、ふいに最新記事を見ると2011年だったりしてグッとくる。こちらは今、2025年です。「去年はあまりブログを書かなくてすみません。今年は継続したいです」などと書いてあるとさらにグッとくる。この人は少なくともこの日、この記事を投稿したときには「継続したい」と思っていたのに、そのあとひとつも書かなかったのか。何か理由があるのかな。でも多分ないよな。ただなんとなく書かなくなって、別にブログ自体を消したりもしなくて、多分、ただそれだけのことだ。ブログサービスを管理している会社がゴソッと消したりしない限り、こういうブログは後世に残っていくのだろうと思うと、インターネットってこういうかわいさがあって好きな、と思う。
1979年生まれ、と律儀にプロフィールを公開しているこの人は、今を生きていたら46歳だ。元気にしてるといいな。

私の住む街では、コンビニで働いている人たちのほとんどが外国人だ。もともと外国人の多い街だし、観光客というよりは住んでいる人が多い気がする。コンビニは商品数が多いし、チケット発券だの公共料金の支払いだの、揚げ物を作るとか、やることが多すぎるし、複雑だと思う。コンビニで働くの、大変だろうな。私なんか、コンビニで切手や収入印紙が買えることにも、未だにびっくりしてしまう。
スピッツのファンクラブ年会費を払いに行ったらベトナム人と思しき男性の店員さんが、ハガキの宛名面をピリリと切り離して私に差し出し、「まずこれを返す、個人情報です、気を付けて」と言った。確かにめちゃくちゃ個人情報だし、ハガキ自体にもその部分は自分で切り離せ、というようなことが書いてある。私が……横着なばっかりに……
そう教わってるんだとしても、こんな端的に、確実な案内が出来るものだろうか。「まず返す」「個人情報だから」「気を付けて」と段階を経て?それも母国語ではない言葉で?私がベトナムに行っても絶対にコンビニでは働けないだろうと思う。なんの仕事なら出来るか、想像もつかない。何の仕事にも就けないんじゃなかろうか。「ありがとうございます、すごいね、すごいです」と小声で言ったら、店員さんは「???」みたいな顔をしていた。そっか、そうやんな、でもすごいよ。

予告なく友人から手紙が来ていて嬉しかった。人にもらって嬉しいもの、それは直筆のお手紙です。人が書いた文字を見ること自体、機会が減っていると思う。人が書いた文字って良いよ、あんなにかわいらしいものはないよ。

カセットテープで『ハチミツ』を聞こうとしたら、ヘッドホンがいつのまにか壊れていて聞けなかった。断線してるっぽい。ヘッドホンを買いなおすか、と思うけど、そんなに使わないしなぁ。しかも有線のヘッドホン、そんなに使うタイミングないよ。これって線だけ買ってスピーカーにつなげば聞ける???
私はITっぽいことを生業にしているせいで大いに誤解されやすいのだが、めちゃくちゃハードウェア系に弱い。「線」とか言うてる時点で伝わってると思うけども。言うまでもないけどソフトウェアも全然弱い。なんにも分からない。

所信

2025年10月14日 (火) 21:26

uncategorized

万博に行ったとき、コモンズ館でパレスチナにはヘブロン陶器というのがあることを知った。模様や色づかいがトルコの陶器と似ているな、と思ったが、元を辿ればどちらもオスマン帝国の領土だったから、ということみたいだ。きっと生活に根差したものだから、国が終わって、別の国になっても、ずっと続いてきた民芸品なんだろう。私は陶器とか磁器とか刺繍とか織物とか、そういう民芸が好きだ。生活が好きだからだ。寝起きして、食事をして、働いて、趣味の時間を過ごしたり、おしゃべりしたり、甘いもの食べたり、着た服を洗って干してたたんで、そういう日々の、ささやかに繰り返すものが好きだ。でも、パレスチナの、ガザの人たちに、果たしてそんな穏やかな日々があるのか。ささやかに繰り返す時間が、あるのかよ。

寄付は何度かしているが、毎回「これは私の平穏な暮らしのための寄付ではないか」と苦しかった。自分の不甲斐なさや、意気地のなさに「でも寄付金を送った」と蓋をしているだけだ。「少なくとも、しないよりは良いはず」と。
他にできることはないか、まだやっていないことはないのか、とヘブロン陶器の模様を描きながら考えた。「表明」じゃないか、と思う。表明ってつまり、私は暴力や虐殺や争いをやめてほしい、差別や分断のない平和な世界を望んでいる、そのために自分ができることをしたい、ということを、言葉にすることだ。一度もしていないんじゃないか、と思い至った。
なぜ「一度もしていないのか」を考えると、答えは簡単だった、当たり前のことだと思っていたのだ。「みんなそう思ってるでしょ」と。誰も戦争なんかしたくないし、誰にもしてほしくないし、家族や友人と同じように、どの国の人も死んでほしくなんかないし、どんな争いもすぐにやめるべきだと、みんなもそう思ってるはずだ、こんなのは言うまでもないことだ、と思っていた。
でも、現実はどうだろう。こんなことに気が付きたくはなかったけど、戦争をしたほうが嬉しい人がいるんだな、と思った。いや、本当は気が付いていたのに、認めたくなかっただけかも……情けない話だけど……でも戦争がずっと起きていたほうが儲かる人や、人が死ぬのを、民間人が、子どもたちが殺されるのを、喜ぶ人がいる。しかも少なくない数の人が。だから「私はちがいます」と表明しないと、そっち側にカウントされちゃう、と思った。反対してないってことは、止めに入らないってことは、その暴力に賛成して、認めているのとまったく同じことだ。……いや、知ってはいたけど、なんかもっと、お腹の底にずっしりと分かったのだと思う。

表明だ、表明するぞ、と思い、私が自分の言葉を出せる身近な場は、もう15年近くTwitterなので、文章を考えて投稿した。なぜか変な汗をかいた。そうか、何かを表明するのって、緊張するんだったな。
何人かの友人たちが「いいね」をしてくれて、ほんの少しほっとした。少なくともこの人たちは、同じ気持ちのはずだ。いや、100%まるっきり同じなんてことはないにしても、でも「賛同するよ」という意味のはずだ。
別にこれで何かが変わったりはしない、そんなことはもう知ってるし、そんなことに絶望できるほど若くもないのだ。私は絶望を何かのクリエイティブに昇華させるタイプでもないし……大事なのは何かが変わったりはしなくても、何かを変えようとはすることだと思う。何かが変わるには結構時間がかかる。インスタントに結果を求めず、出来ることが「小さい」とか「少ない」とか言ってめそめそしてないで、いつでもそのときできることを、続けてやるしかない。

ヘブロン陶器の模様はパレスチナ国旗の配色にして、シルクスクリーンでハンカチを作った。かわいいのが出来た。3色刷りは、というか多色刷りは色数が増えれば増えるほどミスする確率が上がるので難しいのだけど、なかなか上手く刷れたと思う。
売上の30%は日本国際ボランティアセンター(JVC)を通じて、パレスチナ・ガザの支援に寄付する。

オンラインショップで購入できますので良かったら。でも買ってほしいというよりは、もしこれを読んだら、あなたはあなたの考えていることを表明して、自分にできることをしてくれたら、と思う。
https://tanakanozomi.stores.jp/items/68ec67b8ea3b83416e24cf7d

https://minne.com/items/44089103
※minneでも買えるんですが販売手数料が全然違うので、この商品に限らず販売価格を100円高く設定しています。すみません。

date

2025年10月7日 (火) 21:03

uncategorized

万博に行ったら「いつか行ってみたい国」が自分にたくさんあることに気が付き、「いつか」と言ったって時間はそんなにないのだよな、という気持ちになっている。国内は移動にそんなに時間がかからないから、高齢になってからでも良いと思っていたけど、海外だって年に何回も行けるわけじゃないし、さくさく決めて、さくさく行かないと「いつか」なんて来ない。まじで4~5カ国くらい絞り込んで、15年計画ぐらいのものを打ち立ててもいいのかも。とはいえ、私は自分の潮目みたいなタイミングだったり突発性みたいなものだって大事にしてやりたいので、あまり計画を立てすぎるのもイマイチ気が進まん。あまり追い立てずにのびのびやらせておけば、勝手に人生を楽しむのが私だと思うし……
来年RMさんがサンフランシスコ近代美術館でキュレーション展をやるというので、これを機としてロスに行くのも良いかもしれない。RMさんはいつかこういう展示をやるだろうと思っていたけど(たくさんお声がかかっているだろうし)、それにしてもいきなりアメリカで。しかもこんなに早く。うーん、すごいし、うらやましいし、良かったね、と思うし、見に行きたい。こんなのは望んで実現できるようなものではなく、前例だってないだろうし、でもすごくうれしいだろうな。楽しいだろうし。ナムジュンが楽しいだろうと思うと、私もうれしいよ。
私が現代美術にタッチしたきっかけはいくつかあるけど、それにしたってナムジュンの影響が超でかいので、ある種の原点回帰みたいに、見ておいたほうがいいのでは、と思ったりもする。が、こんな物価高で円安のタイミング、かつ政治的にもあまり(いやかなり)気持ちの良い時期ではないタイミングでアメリカに行きたいかと言われると、正直決断できない。ま、決断せんでええのだけど今べつに。

先日、美術館に行ったら映像作品の多い展覧会だったのだけど、スピーカーから音を出すタイプの展示作品と、ワイヤレスヘッドホンを貸すタイプの展示作品が混在していておもしろかった。ヘッドホンが置いてあってコードがびよーんてなってて、2人ぐらいが使えるようになってる展示ならたまに見かけるけど、ワイヤレスヘッドホンは初めて。壁に8個くらいかけてあって、使ったら戻す、みたいな感じだった。
映像作品の展示って観るのに時間がかかるから椅子を置いてくれてたりすることはよくあるのだけど、音は結構「どうにもならないです」みたいになってることが多かった。つまり、他の作品の音と混ざっちゃったり、あまりクリアに聞こえないけど「でもまぁこれ以上音量を上げると他の作品を静かに観てる人の邪魔になるもんね、仕方ないね」みたいになっていることが多い。ほとんどの場合で、作者の意図した音量なのかどうかが分からないし……まぁ「参考程度に音声もどうぞ、あとは字幕読んで、どうせ聞いてもドイツ語ですし」みたいな感じというか。
ワイヤレスヘッドホンにしてあることで、他の作品の音をある程度(完全にではないが)遮断できて、今見ている作品の音だけを聞くことが出来るのはかなり良い体験だった。コードがないから席を移動したり、立ち上がったりしても良いし。
シアターみたいなのがある美術館だと映像作品をまとめてそこで上映する形になってることもある。あれは落ち着いて見られるけど、途中で席を立ったり、途中から入ったりするのにハードルが生まれてしまってデメリットもある。

この日はコレクション展も観られて楽しかった。私は元永定正さんがとても好きらしい。「どうやって描いた?あ、流したのか?どっちから、あ、こっちから流してるんか、いや違うか」と思うような絵があり、つい長居してしまった。見飽きないのだ。とにかくでかいのも良い。作品サイズって、なんで大きいとうれしいんだろうな。なんか理由なく「大きい」ということそれ自体をありがたく感じてしまうのだけど、もしかしたら「大きい作品を作るのは技法にかかわらず大変だ」という実感があるからかもしれない。シルクスクリーンも、大きいのを刷ろうと思うと大変なんです、シンプルに身体が大変。

日本中がお米がないと騒いだ年だったけど、我が家は別の理由でお米がない年だった。食べてしまったのだ。一族に子どもが増え、それぞれがみんな食べ盛りなこともあって、2024年に収穫したお米を食べ尽くしてしまったのだった。こんなことは私の知る限り初めて(たぶん母や伯父たちが知る限りでも初めて)。
夏ごろ母に「これでお米最後やから、あとはスーパーで買うなり、なんとかし」と言われ、えぇ~困ったなぁ~と思っていたのだけど、結局私はお米を買うことなく秋になった。今週中には稲刈りをして、週末には籾摺りをするので、もう新米が食べられる。国のお米事情がどうなるかは、全国の米農家さんたちの収穫具合によるのだろうか。

コロナで臥せっている間に夏が終わったような感じがする。半袖はもう仕舞うかな。来月韓国に行くので、コートを倉庫から出しておくべきか悩む。コートが要るほどではないかもしれないけど、日本よりは寒い気がする。冬の韓国は未経験なので楽しみ。ま、冬ってほど冬でもないか。

先月、友人と火鍋を食べながら「次期総理はどうなるだろう」という話をしていた。私たちの意見としては「女性が総理大臣になることは大歓迎だが、それでも高市は絶対に違う」で一致しており、私は「進次郎はそもそも政治家よりもっと向いた仕事があるように思う」とも言った。なんというか、あの「お金持ちの家で何不自由なく育った人特有の健やかさ」みたいなものって、望んで手に入るようなものではないと思うからだ。そういうの、活かせる場がもっとあると思うけどな。……具体的にどこかは思いつかないので言えませんが。
その数日後、石破総理が国連でした演説の全文が公開されているのを読んだけど、なんというか、ごく真っ当で、良かった。差別や排外主義や虐殺にNOを言い、国連の在り方を問う、ごく真っ当な演説だった。アジアの国々の寛容に、きちんと感謝を述べたのも良かった。最近は自分自身がやったことだけに向き合えば良いのは子どもだけで、大人はそれじゃだめなんだなと、よく思う。生まれていない頃のことなので私は知りませんなどと、口が裂けても言えないし、謝罪し続けないといけないし、二度と起こらないように、どうすれば良いのか考えないといけないし、何が起こったのかをきちんと認識するために勉強をしないといけない。そうだ、「平和と安全は決して所与のものではない」からだ。
一方で「真っ当であること」を「良かった」と喜ぶような世界がまずおかしいけどな、とも思う。でもなんか、あまりにも真っ当なことを言う政治家が少ないので……残念ながら高市総理のことを私は「真っ当なことを言う政治家」だとは思えないので、とても暗い気持ちになる。先行き不安です。

5days

2025年10月5日 (日) 20:27

uncategorized

コロナになった。おそらくは万博でもらってきたのだろうと思う。油断した。たしかに人はめちゃくちゃ多かったけど、でもほとんど外にいたのにな、電車とか別の場所で感染したのかも。ま、調べようがないのでどうでもいいけど。一緒に行った友人がかかっていないのは本当に良かった。不幸中の幸いとはこのことだ。

もともとあまり体調が良くなかったのに、調子に乗って遊んだのが良くなかった。おまけに気が立ってよく眠れず、気温の変化もあったし、体調を崩しそうだなとは思っていた。喉が少し痛いくらいだったうちはまだリカバリできると思っていて、熱もなかった。実際うがい薬と龍角散で喉の痛みはだいぶやわらいでいた。他に症状もない。風邪の引き始め、と判断して、かなり早めに横になった。夜中に寝苦しくて目が覚め、熱をはかると39度で、さすがにこれはコロナかインフルエンザだと思った。ただの風邪で39度も出ない。

家から歩いていけるところに発熱外来がある内科を見つけ、朝一で行く。他の患者さんとは接触しない動線になっていて良かった。看護師さんも慣れているようでテキパキしている。ものの15分で診察まで完了。コロナは陽性、インフルエンザは陰性、とのこと。薬をもらって家に帰るまで30分。
この時点では喉もあまり痛くないし、熱があるからしんどいけどそんなにキツくもないな、ぐらいの感じ。軽症なのかな、と思い、油断していた。
ここから丸2日くらいは本当に熱も下がらないし、咳も止まらないしで、まじで地獄だった。人生観が変わるぐらいしんどかったし、ひどかった。咳のしすぎでほとんど寝られない。関節痛もあってどんな体勢でもつらいし、扁桃腺あたりも腫れている。座っているとほんの少し咳がおさまる。

どうにもならない案件がいくつかあり、汗をダラダラかいて、震えながら仕事もした。朦朧としていたので、出来はかなり悪いはずだ。出社したら方々への謝罪から始めることになる。キツい。仕方ないけど。家で出来る仕事でよかった、いや、家で出来ない仕事だったら、やらなくて済んだのか……良し悪しっすな~~~

コロナにかかりたくない理由の一番は嗅覚と味覚を失う、と聞いていたからだったけど、発症して3日目、本当に嗅覚がなくなった。もっと前になかったのかもしれないけど、気づかなかった。それどころじゃなかったし……
え、嗅覚ない?とゾッとした。シャワーを浴びているのに、ボディーソープのにおいが全くしないのだ。あれ?と思い、洗顔用スクラブのジャーの蓋をあけて鼻をつっこんだが、これも全く、なんのにおいもしない。鼻が詰まっているから、とかいうレベルじゃない、本当になんのにおいもしない。
シャワーを終えたあとは冷蔵庫を開け、醤油やらキムチやら味噌やら、嗅げるものを全部試したが、どれも全滅。酢も、コーヒーも、シナモンパウダーも。こわかった。鼻がきかないなんて、生まれてはじめてだ。

鼻がきかないと、いいにおいのハンドソープを使うのをためらう。「もったいない」と思ってしまうのだ。このハンドソープは桃のジュワっとしたにおいがする。結構高いけど、でも毎日使うものやし、と思って買ったやつ。毎日使うものはほんのり気分が良くなったり、うれしくなるものを使いたい。
私は食器用洗剤で手を洗いながら「いやいや、鼻がきかんぐらいのことで自分を大事にできなくなってるぞ」と思った。せめて手はボディーソープで洗おう。

不思議なことに、味覚は無くならなかった。嗅覚がないせいで味覚も鈍くはなっているが、無くなってはいない。グループLINEで「コロナになっちゃった!超キツい!」と泣き言を言っていたら、友人が「スープストックトーキョーの詰め合わせ送った!土曜に届くから!」とスープの詰め合わせを送ってくれて嬉しかった。「何か欲しいものない?」と聞かれても、こんなのは思いつかない。ドンピシャで今欲しいものがこれだった、すごい、と思いながら、さっそく鯛出汁のスープを食べた。電子レンジであっためて食べられるのも嬉しいし、めちゃくちゃおいしい。

なんとなく「私はかからない」と思っていたのかもしれないな、とぼんやりする。早く嗅覚が戻って欲しいな。
ほんとうにきつかったので、もうだれもかからないでほしい。会社の人たちも感染していないようで本当によかった。
まじでもうだれもかからないでほしい。

落下

2025年10月4日 (土) 14:26

uncategorized

ウェス・アンダーソンの新作を観て以降、配色のアイデアが止まらない。メモしておけば良いだろうと思うけど、配色をメモするなんて……とも思う。……何を言っているんだ。メモせえよ。何が嫌やねん。

万博に行ってきた。初日は夜券で夕方からだったものの、丸3日、大いに楽しんだ。私は「絶対に行きたいパビリオン」もなければ、「絶対に行きたくないパビリオン」もなく、万博に行く奴の中で最もモチベーションが低い人間なのではないかと思ったけど、熱心にリサーチしてくれていた友人のおかげで楽しめたんだと思う。混雑を避けるための工夫とかアイデアが、動線や設計など随所に見られたのもおもしろかった。ただジッと立って待つより、足踏みレベルでも少し身体を動かしたほうが、精神的に楽だということも覚えた。2日目はとにかく人が多く、パビリオンは並ぶのすらお断りされているような状態だったのだけど、スタンプはパビリオンに入らなくても押せるとか、ショップは入っても良いとか、レストランは入れないけどメニューは見ても良いとか、まぁまぁやることを見つけられておもしろかった。
それから、人間ってめちゃくちゃベタな生き物だなぁと思った。誰かが走り出すとつられて走ったり、あたたかい食べ物を食べるとホッとしたり、疲れて体力が無くなってくると性格が悪くなり、暑いだけで思考が鈍り、小さいことに引っかかって、(毎日あると聞いているのに)花火の音にびっくりし、光って動くものがあるとつい見てしまう。ベタ過ぎる。もちろん私もベタだ、例外なく全員が。「ベタなことしたくない」もベタやし……もちろん愚かだな、単純だな、と思う反面、人間は愛らしい生き物だな、とも思う。人間個々については何も言えないが(個体差がありすぎるので手に負えんし)、人間そのものは極めて阿呆で、愛らしいと思う。
一方、パビリオンをいろいろ観ていると国内旅行で地方都市に行ったときの感じと、すこし近いものを感じ取るときもあって、これが世界規模で起こっているのか、と思いもした。地方都市では、駅前に商業施設があり、ユニクロと無印があり、みたいなことが多い。別に仙台に行かなくたって利久があって牛タンを食べられるし、北海道に行かなくたって輸送がハイクオリティだからウニもイクラも蟹も食べられる。方言はいずれ絶えるだろう、そう遠くないうちに。平均化している、という意味では良いことなのかもしれないけど、コピペで増やした街ばかりになっているんじゃないかと思うと寂しく、虚しい。それでもみんな駅前にユニクロがあったら便利だし、SNSでバズってたコンビニスイーツが売ってたら嬉しくて買っちゃうし、それ自体が悪いことだなんて思わない。流行りのラブブが欲しいよな、分かるよ。
これを世界規模にして、県や市じゃなくて国に分けても、もしかしたらほとんど同じことが起こっているんじゃないか。いや、起こそうとしてるのか?それが世界平和ってことなのかな……違うと思うけど、感覚的なことなので言語化が難しい。
私が島国で生まれ育っていることも、価値観に大きく影響しているんじゃないかと思う。でも生まれる国なんて選べないし、みんなも選べないしなぁ。

イタリアパビリオンに並んでいる間読んでいた本には「人間は“何も知らない”ということを知った時点から、科学を発展させてきた、今知っていることもすべては暫定であり、いつでも覆る可能性がある」というようなことが書かれていた。私は今も暫定の上を生きており、ある日バツンと切り落とすように死ぬんだろうか、と思った。

翌日は市立博物館で開催されている大ゴッホ展に行った。大盛況だった。親子連れや夫婦も多く、三世代と思しき家族連れも多かった。「ちょっと涼しくなったし、美術館でも行ってみようかね」という人が多いんだろうか。良いことだと思った。私は混んでいる美術館は心底嫌いだし、認証ショット的に写真を撮影することも本当に嫌いだけど、美術館や博物館や工芸館が閉館の危機にさらされるのはもっと嫌だ。お金がすべてを解決するわけではないけど、お金でしか解決できないことは確実にあるので、引き続き大勢の人がフィンセント・ファン・ゴッホの絵を観に行ってほしい。どの立場で言うとんねん、とは思う。
本展では作品の間に挟む形で手紙の抜粋が展示されていたのもよかった。ファン・ゴッホが弟の支援を受けて画業を続けたことは有名な話なのでもちろん知っていたけど、弟宛の手紙は600通くらい現存するらしい。さすがに書きすぎちゃうんか、と思うけど、それ以上に兄ちゃんから送られてきた600通の手紙を保管しておく弟がすごい。さすがに置いときすぎちゃうんか。捨てろよ、とまでは思わないが、600通の手紙を保管しておくには、なんというか、じゅうぶんに熱意が要るだろうと思う。600通「書く」よりむしろ「保管する」ほうに熱意を感じる。書いたほうは送ってしまえばお終いだし、その紙の束を見ることもなければ、自分で読み返すこともないけれど、受け取ったほうはその物量や滝のような感情を背負う羽目になる。手紙ってかなり一方的な行為だと思う。
兄への愛だった、と美しく捉えても良いけど、どちらかというと弟はかなり几帳面な性格だったんじゃないか、と思った。記録魔だったとか。ちなみに兄もかなり几帳面な性格だと思う。几帳面な人が描く絵だな、と思う。
静物画の間に挟まって掲示されていた「モデルを雇う金がないので仕方なく花の絵を描いている、これでも色彩の勉強にはなるから頑張る、でも本当は人物画だけを描きたいのに」みたいな手紙を読んで、私はちょっと笑ってしまった。これはシンプルに愚痴やん。あと金銭的なサポートをしてくれている弟にそんなん言うなよ。笑 
この手紙を受け取った弟は、いくらかお金を送ったんだろうか。これでモデルを雇ってね、少なくてごめん、と。もしくは「こちらも生活が厳しい、まとまった金が入るまでは静物画を描いて凌いでほしい、パリでは風景画が流行っている、風景画ならモデル代がかからないし、売れるかもしれない」とかなんとか書いて返事を出したのかも。
ファン・ゴッホ以外の作品もたくさん展示されていたのだけど、カミーユ・ピサロの絵を見て「なんちゅーあったかい色彩や、気の良さそうな人やな、虹を描く奴は大抵ええ奴よな~」と思っていたらキャプションに「ピサロは温厚な性格で、めっちゃ人望があったんやで」みたいなことが書いてあって感心した。こんなにも絵に性質が出るものだろうか。いや、温厚さが絵に出るほどに温厚な人だったんだろうな。クセ者だらけの画壇で慕われたんじゃないかと思うとかわいい。ドガとか、ゴーギャンとか、めんどくさそうやもんな、酒癖も悪そう(知らんけど)。

archive

latest posts