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my cup of tea
2024年11月28日 (木) 22:03
九份で工夫茶を飲んだ影響で、人生で二度目の「台湾茶器ほしい期」が訪れている。
工夫茶との出会いは2019年のことだ。上野のカヤバ珈琲でモーニングを食べようと友人と待ち合わせをしたら、残念ながら臨時休業だった。こんな早い時間に開いてるお店が他にあるかね……と近所を散策していたら、まだ開店前だったが工夫茶のお店を見つけた。そのときは工夫茶という言葉も知らなかったが、お店の雰囲気が良さそうだったので「開店まで待って、ここでお茶しようよ」ということになった。
工夫茶(くふうちゃ)というのは中国の伝統的なお茶の淹れ方のことで、まぁ日本でいえば茶道みたいな感じだと思う。茶道と同じように専門の道具や茶器を使い、決まった手順で淹れる。とはいえ別にそんな難しいもんではなく、要は道具をあたため、お湯を少し冷まして(台湾茶や中国茶は100℃だと高すぎる、80℃くらいまで冷まして淹れる)お茶の葉にお湯を入れ、あとは漉して飲む、というもの。途中香りをかいだり、余ったお湯を捨てるための器を用意したり、いろいろお作法はあるけど、別に無視しても大丈夫(なはず)。
台湾に行って素敵な茶器があったら買おう、と思っていたけど、これがなかなか難しかった。台湾でもこんなのでお茶を飲む人は少ないのかもしれない。紅茶が好きでもティーセットを一揃い買う人はそんなに多くないもんな。それと一緒かな。
飲むときに使う茶杯は雑貨屋さんでかわいいのがあったから買ったけど、淹れるほうの道具はなかなか。ものすごくお値段が高かったり、ちょっと装飾的すぎたり、難しかった。蓋椀ならたくさん見かけたしこれなら値段的にも買えるけど、そうなるともっとデザインを吟味したい。3泊4日の旅行中に、選んで買うところまでは結局行きつかなかった。
帰国後、九份のお茶屋さんで使った、片口に蓋が付いたようなのが欲しい、と思って探していたら、あれは「絞り出し」とか「宝瓶」という名前らしい。なんにでも名前がある。蓋椀と違って注ぎやすいように口が付いていて、指を添えるところに細工があり熱くないようになっている。急須や茶瓶と違うのは、内側を洗ったり、茶葉を捨てたりしやすい点だと思う。
ポットウォーマーと宝瓶があれば、かなり略式ではあるけどキッチンに何度も立たないで工夫茶っぽいものが楽しめるんじゃないか、というところまで思考がたどり着いている。でも茶托も欲しいし、あとお茶菓子を載せるあれもほしい、あのお皿に脚がついたみたいなやつ、あれの名前なに。
こうやって、また物が増える。
my sweet home
2024年11月25日 (月) 20:51
ひとり暮らしの家について、最近よく考える。家というものが好きすぎるのだ。私は自分の家も好きだし、そもそも「住居」に興味がある。家は生活であり、生活は人そのものだ。家について考えることは、人について考えることと同義だと思う。おもしろいに決まっている。
先日、友人の家に遊びに行った。2か月ほど前「ほとんど決めようと思っている家を見に行く」と連絡をもらい、内見に着いていった家だ。私の家好きは周知のことで、友人たちは物件の間取り図を送ってきて「どう思う?」と聞いてくれたりする。
彼女が「間取りと写真だけ見て、ほぼほぼ決めようと思ってる」と言ったそのマンションは比較的高層階の部屋で、駅が近いのに周辺環境のおかげで眺望もよく、私も申し分ない部屋だと思った。あと4~5畳くらい広ければ文句ないのに……と思ったが、そんな部屋がないことは知っている。ひとり暮らしの家といえば20平米前後、それ以上の広さになると無駄に部屋数が増えるのだ。
私は「いいと思う、ベランダも広いし収納も十分あるし、あとこういうキッチンは料理が捗るね」と答え、あとは賃貸契約の書類を一緒に確認した。
引っ越しが済んでひと月ほど経った彼女の家は、コンパクトで住みやすそうに見えた。広めのベッドを窓際に置き、気に入っていると言っていた白い丸テーブルを置いた部屋は、居心地が良かった。何より、家のサイズから生活がはみ出ていない、と感じる。彼女は「収納こんなに要らんねん、私ぜんぜん物なかったわ」と笑っていた。言葉通り、確かにクローゼットは半分以上空いている。ひとり暮らしをすると、自分の生活のサイズがよく分かるな、と思った。
先月泊めてもらった姉の家は、ベッドの上ですべての生活が完結するようなサイズ感だった。「狭い」と言ってしまえばそれまでだが、私は「いったい誰のために、何のために、家を広くしておく必要があるんだろう」と考える。姉の趣味は漫画を読んだり、ゲームをしたりすること、あとは友人と酒を飲むこと、それから体を動かすことなので、家でするのは前述の2つだけだ。ベッドの上で完結できる。友人と酒を飲むのは外でできる。ましてや彼女の家は赤羽なのだ。徒歩圏内に、行ききれないほどの飲み屋があるだろう、しかも安くてうまい店が。
姉は最近買ったというプロジェクターで壁一面にYouTubeの画面を映し、私の推しのMVを見せてくれた。「ゲームもこれでやんねん」とのこと。さぞかし楽しいだろう、良いな。
大きい家具を置くかもしれないから、人を呼ぶかもしれないから、誰か泊めるかもしれないから、など、ひとり暮らしにまつわる「かもしれない」は多い。どれも「ひとり」という身軽さから発生しているが、実はそのほとんどが「かもしれない」のまま、実際には起きないんだと思う。だから、ひとり暮らしをするときはなるべく「かもしれない」を除外して、自分の生活のサイズだけを見るべきなんじゃないか。もし頻繁に人を呼ぶようになったり、しょっちゅう誰かを泊めるようになったり、絶対に置きたい大型の家具を見つけたりした場合は、その時になってから家を変えるべきだと思う。
人の家を見ていると、自分の家についてもいろいろと改善点が見えてくるように思う。物が増え続けているので、年内にどうにかしたい。ギターアンプ捨てたいんですけど、誰か欲しい?
光について
2024年11月20日 (水) 20:45
生まれつき蛍光灯が嫌いだ。「生まれつき」なはずがない、と思うかもしれないけど、私は6歳の時点で父親に「新居の電気の色が気に入らん、もっと黄色い色の電気にしてほしい、家が白すぎる、そもそもこんなに明るい必要はない」という旨の主張をしているので、もう「生まれつき」でいいと思う。
30年後の現在、わが家に蛍光色の明かりは一つもない。風呂はかろうじて昼白色にした。風呂だけは裸眼で使う部屋なので、電球色だと危ないからだ。私はたまに自分でもびっくりするぐらい目が悪い。
イルミネーションも興味がない、と最近自覚した。人工的な光が全般的に嫌いなんだと思う。目が痛いし、シンプルに発色が好みじゃない。あまりきれいだと思えない。「イルミネーションを見に行く」のもまるで興味がない。ぜんぜん行きたくない。
友人にその話をしたら「じゃあ何の光ならきれいなの……星は……?星はきれい?」と、怪物に人間の情緒があるかどうかを確認するときみたいな質問をされた。星はきれいです。
ライブの演出としての光は、わりと受け入れられるようになってきた。アイドルというものを概念から理解し、楽しめるようになったことが理由として大きいと思う。
客席のペンライトをBluetoothで制御する演出は誰が始めたんかな。松本潤くんが「Coldplayのライブでやってたのを見て、自分たちのライブでもやれないか相談した」というようなことを言っていた記憶があるので、嵐よりColdplayが先、ということになる。
Coldplayのライブは昨年東京ドームで見たが、リストバンドの形をしたライトが入場時に配られた。私に見えている景色と同じように、反対側の席やアリーナ席にいる人たちもこの光が見えているのだ、私もその光のなかのひとつになっているんだ、と思うと嬉しかった。私も何かの役に立っているような気分になれたからだ。
札幌ドームで嵐を見たときは、母の友人にペンライトを借りて持って行った。私は3階席の上から5段目くらいの席で、初めて見た嵐は小指の先よりも小さかった。スピーカーも限界があり、反響と残響でもこもこした「隣の村の祭の音」を聞いているみたいだった。そんな状況でも、メンバーはみんな千切れるほどこちらに両腕を振って「見えてるよ」と言ってくれた。見えているのはペンライトだと思った。こんなに遠くても、そちら側が明るくてこちら側は暗くても、見えるのは光を持っているからだ。ここに光があり、それが動くのが見えるから、翔くんはここに人がいるとわかるのだ、と。
人工的であっても、意味のある光であれば好き、という感じかもしれない。
……てなるとイルミネーションを作っている人とかに会って話を聞けば「あの人が作った光だ」と思えるようになるので意味が生まれますね。好きになるかも。
イルミネーションを作っている人ってどこに行けば会えます?
작은 것보단 큰 걸 더 주는 일
2024年11月18日 (月) 20:06
ジンくんのソロアルバム『HAPPY』がリリースされた。ジンくんのことが人間として大好きなことは間違いないけど、音楽が好みかどうかは聴いてみないと分からないので私はかなり緊張していたが、長く聴いていけそうな楽曲ばかりでホッとしている。ジンくんが歌ってさえいればなんでも好き、というタイプのオタクだったら良かったのに、とは思う。自分でも自分が面倒(この件に限らず、私は本当に面倒な生き物)。
先行リリースされた『I’ll be there』は明るいサウンドのファンソングで、泣きながら笑っているみたいな曲だった。良い曲だと思う。「君(ファン)がいる限り、僕はここで歌うよ」という旨のファンソングは、手垢つきまくりのよくあるテーマだと思うけど、ジンくんがどういう人で、どういうマインドでアイドルをやっているかをよく知っているので、何回聞いても目がジワジワしてしまう。
入隊前の『The Astronaut』と聞き比べると、声質が変わっている。声質というか、歌声が力強く、逞しくなった。曲調の違いがあるので単純な比較にはならないけど、なんというか、ずっと歌声の根底にあった迷いや不安みたいなものが、なくなったように思う。18ヶ月間軍務に服していたのだから「歌唱力が上がった」とか「ボイトレを頑張った」みたいな話ではないだろう。だから、精神的な変化なんじゃないかと思う。
もしかしたら兵役を経たことで、業界以外の世界を知り、そこで得た人間関係や経験から、メンタルに作用する良い影響があったのかもしれない。勝手で、楽観的な憶測でしかないけど。
ジンくんは、いつどこに行っても誰からも愛される人だと思っているけど、それはジンくん自身がいつどんな経験をどこでしても、何かを得られる柔らかさを持っているからかもしれない。
何より、長い間「いつ行く、どうなる、免除される・されない」とジンくんの意思とまったく関係なく揺れ動いていた兵役が、どんな形であれ「ちゃんと終わった」ということで、得られた安心感があるだろう。これも想像でしかないけど、でももし私がジンくんだったら、お兄ちゃんも友達も、とうの昔に終えた兵役に、自分は自分の意思やタイミングで行けないこと、そもそも行くかどうかすら自分で決められないこと、それを決めるのは自分でも家族でもましてや会社でもなく国であること、などのストレスはとてつもなく大きいと思う。ジンくんは聞かれればいつでも「呼ばれればいつでも(兵役に)行きます、協議は会社に任せています」と答えていた。本当に言葉通りの意味だろうと思う。自分のことなのに、自分で決められる立場にない、という意味だ。これがストレスでないなら何だ。怖かっただろうな。
軍役の是非などの話ではなく、ジンくんが「このストレスから解放された」というただ一点のみにおいて言えば、行ってよかったんじゃないかと思う。だって「終わった」んだから。
ジンくんは、口では「僕はワールドワイドハンサムなので」とか「スーパースターです」とか言うわりに、いつもどこか不安げで、自信がなさそうで、遠慮がちなところがある。そういうところがいじらしく、健気でかわいいけれど、顔面以外への自己評価が低すぎるのだ。というか、顔面への評価を盾にして、それ以上踏み込めないようにしているところがある。謙虚と言うにはあまりにも行き過ぎている気がする。元来そういう控えめな性格でもあると思うし、自己表現の権化みたいなメンバーたちへの引け目もあるかもしれないし、明確な理由はわからないけど、ジンくんはいつも自分への評価が厳しいと、私は感じる。
他者からの評価にも一向に慣れる気配がなく、メンバーにまっすぐに褒められると、首まで真っ赤にして照れている。特に顔面以外を褒められているときのジンくんは、所在なさそうに恥ずかしがっていてとてもかわいい。たくさん努力してるんだから、何を褒められても「さも当然」みたいな顔してればいいのに、出来ないんだろうな。そういうところも好き。
前述の「かっこいい顔をみてください」みたいな発言も、いわゆる自己愛やうぬぼれ、自己陶酔の類から出ている言葉ではないのだと思う。
どの角度から見ても顔が美しいので事実を言っているだけ、という一面ももちろんあるけれど、自分自身を鼓舞したり、プロとして気持ちを安定させるための言葉だと思う。そうやってバランスをとる術をひとつずつ覚えていっているんだろうな。あんなふうに人生を切り売りする職業だと、線引きやバランスはかなり重要なんだろうと思う。
ジンくんは「もっとかっこいい人がたくさんいることは知っています、でも僕は自分の顔に満足しています」とも言っている。本質はこっちだと思う。
エンタメや音楽だけの話ではなく、どんな世界でも「もっとできるようになりたい、もっともっと」と上を目指す気持ちや力が大事なことはわかる。でも、それと同じくらい「自分にできること、持っているもの、今の自分そのもの」を愛し大切に思うことも、必要なんじゃないかと思う。それによって得られる安らぎや、あたたかさが、人には必要だと思う。ジンくんがグループに与えている安心感は、ここに由来するんじゃないか。
韓国で2日間開催されたショーケースは全く当選しなかったので家で見たけど、ファンに囲まれて幸せそうに歌うジンくんは夢みたいに美しかった。もう心細そうに、不安げに目を揺らしたりしていない。私が不安でこわくてさみしかったのと同じように、ジンくんも不安でこわくてさみしい18ヶ月間を過ごしたんだと、ようやく実感できたように思う。過去のことだったとしても「あのとき同じ気持ちだった」と教えてもらえることがとてもうれしい。
毎度のことながら、こんなに幸せにしてもらって返せるものが何もないの悔しいな。返せない分は私自身がもっと幸せに、豊かに生きられる力に変えたいと思う。具体的に何かは思いつかないんですけど、韓国語を頑張ります。
週末たち
2024年11月11日 (月) 22:04
友人の相談事を聞いていたら「自分の過去のことと、相手の過去のことと、自分のこれからのことと、相手のこれからのこととが全部ごっちゃになってる、まずは整理するところから手をつけな収まりつかんやん、このままほっといたら“価値観の違いで離散”って感じになるで」という内容だったので、率直にそう言ったら「どうすればいいの?紙に書いて整理しろってこと?箇条書きにするとか?」と言っていた。私は「そのほうが落ち着いて整理できるならそのほうがいいんちゃう」と答えた。
自分の考えや気持ちを整理するための手段として「書く」というのはあまり一般的ではないのだろうか。私はむしろそれ以外の方法を知らないような気もする。
友人は「もう考えるのしんどい、みんなもこんなに考えてないと思うで、私だけじゃなくて」と言っていたので「もっと考えろ、考えて苦しめ」と言っておいた。
「みんな」のことは知らないのでどうなろうと知ったこっちゃないが、私は彼女が幸せであってほしいし、幸せになるために何ができるかを考え、自分がどういう状態なら幸せだと思えるかを考えてほしい。考えて選択する以外にやることなど、人生にない。
家族とキャンプに行ってきた。子どものころはよく行ったけど、すごく久しぶりだ。そんなに遠くへ来ていないのに、星がきれいでびっくりした。オリオン座しか分からないのだけど、他に覚えやすいのがあったら知りたい。
甥1は「テントで寝るの初めてやから、めっちゃどきどきしたわ」と言っていてかわいかった。
少し会わない間にどんどん顔つきが変わるので、このままだとすぐに大きくなってしまう、と思って焦る。何を焦っているのかは分からないけど。いつまでも赤ちゃんみたいでいてほしいとは思っていないけど、でも幼児期は想像より遥かに短い。たまに会うだけで一緒に暮らしているわけじゃないから、余計にそう感じるのかな。
「だっこしよう、どうせあと3年くらい経ったらしてくれへんくなるやろ、今のうちにいっぱいしよ」と言ったら、甥1は「そうやな、俺もたぶんあと7年ぐらいやと思うで」と言っていた。思ったより長かった。
母のiPhoneが古いので、機種変更することにした。ついでに実家のネット環境と父のiPhoneも見直し、料金プランも整理、どうせだから私の料金プランまわりも見直しを、とやっていたら諸々のキャンペーンが重なって、合計10万超えの値引きが発生することになった。「諸々のキャンペーン」の詳細は書き出してもらったので、頭では理解できるものの、こんなに引いて大丈夫なの?という金額になっている。お店の人も事務処理がだいぶ複雑だったようで、やや困惑気味だった。
私はルンバさんを買うことにした。欲しかったのか、と言われるとそうでもないが、自分で一銭も払わずにもらえる状況なら欲しい。
一番安いモデルだけど、家にいない間に掃除機をかけてくれるだけで十分な気がする。私は細部の掃除を集中的にやるのは結構好きだけど、全体的に床を掃除する、みたいな広範囲の掃除が結構苦手……ルンバさんは黙々と床を掃除するのが得意なかたなので、相性が良さそう。
ただし、お店のかたいわく「カメラが付いていないモデルなので、床材に関係なく掃き掃除と水拭きをします、畳でもかまわず水拭きするんです、部屋の区別もつかないので、段差がなければ全部の部屋を掃除します」とのこと。「全部の部屋の掃除はむしろ助かるけど、無垢床なので水拭きは困ります」と言ったら「じゃあルンバに水を入れなければ大丈夫です、ただ拭き掃除を止めることはできないので、乾拭きはします」だそうです。どうしても拭き掃除したいルンバさん、かわいい。
甥たちがだんだん長編映画を観られるようになってきたというので『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』をおすすめした。甥2は映画を見終わったあとすぐに描いたという絵を両手で差し出し「のんちゃんのおうちに飾って」と言ってきてかわいかった。叔母の贔屓目があることを前提として書いてはおくが、甥2の絵はなかなか良い。
next city
2024年10月22日 (火) 20:56
久しぶりに吉野家へ行った。牛丼て自分で作らないけど、たまに食べるとおいしい。めちゃくちゃしょっぱいけど。紅生姜も合う。豚汁にれんこんが入っていておいしい。いつも入ってるの?秋やから?豚汁もしょっぱいな。
吉野家は注文がタブレット形式になっていて、後方の席のおじさんがキレている。注文方法が分からないらしいのだ。
おじさんは「牛丼!はよせえよ!聞こえてるやろ!」と怒鳴り、店員さんもキレ気味で「タブレットでお願いします!サイズを選べば注文できますから!」と応戦している。背後なので私は状況が分からないが、店員さんはほかの席を片付けていて手が離せないのに、おじさんがそれを待てないらしい。おじさんはなおも「並盛に決まっとるやろうが!」と叫んでいる。別に決まってはないと思う。
結局、片付けが済んだ店員さんがおじさんの注文を代わりに済ませたようだった。おじさんはお礼も言わず「分かるかこんなもん、ナメやがって」とタブレットに向かって悪態をついている。別にナメてはいない。
先週、モスバーガーでほとんど同じ光景を見たことを思い出す。
モスバーガーも最近は無人レジが設置されている。使い方は別にどの店も変わらない。食べたいものを選んで、ポイントカードがあったら通して、お金を払う。モスバーガーは番号札のバーコードを読ませる必要があるので、それだけちょっと難しいかもしれないけど、画面には番号札のイラストが出て、番号札のどこにバーコードがついていて、バーコードリーダーがどれかも、一見して分かるようになっている。ボタンも全部デカい。
この日キレていたのは、おばさんだった。私の母親と同い年くらいか、もう少し上くらいに見える。おばさんは注文までは進めたけれど、dポイントカードをどこに通せばいいのかが分からないようだった。
おばさんは「もう、わからないんですけど!何これ、もうキャンセルしていいですか、わからないんで!」と店員さんに向かって怒鳴っている。店員さんは「有人レジもございますので、こちらでお伺いします」と言ったけど、おばさんは「また注文するってこと!?またメニューを言うの!?あなたに!!?……ったくもう、馬鹿にして……!」とキレている。そっかそんなに大量に注文したのか……じゃあもっかい注文するのめんどくさいね……と思っていたら、結局おばさんが頼んだのは「テリヤキバーガーのセット・お持ち帰り」だけだった。なんやそれ。あと、誰もおばさんを馬鹿になどしていない。
吉野家も、モスバーガーも、どちらの店員さんも、別にお客さんをナメたり、馬鹿にしたりはしていない。ただ会社が導入したシステムのせいで、別に悪いことしてないのに、理不尽に怒鳴られているのだ。不憫だな。
一方、お客さんであるおじさんも、あのおばさんも、何かすごい悪いことをしたか、というと、そういうわけでもない。ただ液晶画面に向かって自分の食べたいものを選び決済する、というところまで、操作が出来なかっただけのことだ。
ふたりとも「すみません、これどうやって注文したらいいですか?わからないので、手伝ってもらえますか?」と言えば、別に店員さんじゃなくたって、となりの人とか近くの人が、手伝ってくれるだろう。私だって困っていそうなら「代わりにやりましょうか?」と声をかけると思う、初っ端からキレてさえいなければ。初っ端からキレている人に声などかけられない。怖いもん。
なにか「分からないもの」に対峙しているときの、だんだん情けなくなってくるような気持ちは、私も分かる。だんだん「こんなのも分からないの?みんなは分かってるよ、出来てないのはあなただけ」と言われているような気分になり、悲しさを通り越し、イライラする気持ちだって理解できる。
でも、そもそも「すみません」と謝るようなことだろうか。「こんな複雑でもない操作システムの使い方も分からないんだから、しおらしく声をかけて謝罪して手伝ってもらいなさいよ、教えてもらうんだからそれなりの態度を取りなさいよ」と言えるか?そんな大層な話だろうか。
だってこれがタブレット端末を使った料理の注文じゃなくて、車いすに乗った人だったり、白杖を持つ人だったりのサポートだとした場合、「あなたが出来ないことを手伝ってもらうんだから謝罪して、しおらしくお願いしなさいよ」とは言わないだろう。何が違うんだろう。
困ってるときはあからさまに「私いま困ってます顔」をして「助けてくださーい」「ありがとうございまーす」「すっごく助かりました~」とやっておいたほうが、コトがスムーズに進むし、相手も自分も嫌な気持ちにならず、無駄な時間も少ないし、結果的に得だと思うから私はそうしているけど、それが出来ない人・やりたくない人がいるのも分かる。あと人生って別に損得じゃないし……
注文をシステム化するのは会社の方針だろうし、現場の負担を軽減するためだろうとは思うけど、負担……軽減されてる?のか?合ってるのかこれで。
モヤモヤするなぁ、と思いながら牛丼並盛・ごはん少なめ・半熟たまごのせを食べた。からあげもあるのね吉野家。
エタック島
2024年10月21日 (月) 20:16
土曜、朝起きて新幹線に乗る。新神戸駅までは20分くらい。東京に行くときはだいたい飛行機に乗ってしまうので、新幹線は久しぶりです。思ったよりかなり混んでいて座れず。とりあえず新大阪まで行って、ホームで始発を待つか~と思っていたけど、新大阪で結構降りたので助かった。隣の席の女性がだいぶアクロバティックな寝相で(椅子で寝るのにあんなにアクロバティックな寝相、あり得るんやな)むしろ気をつかわなくて済んだ気がする。私もサンドイッチを食べたり、本を読んだり、少し寝たり、自由に過ごした。新横浜で降りる。おしりいたい。
電車を乗り換えて、大和駅へ。毎月駅前で開催されているという、古民具骨董市に行った。私は全般的に古いものが好きなので、骨董市や蚤の市がかなり好きだ。最近はアンティークやヴィンテージのお店を集めて公園で開催するおしゃれな蚤の市もあって、あれも楽しいが、こういう「別におしゃれとかじゃない蚤の市で、何か良いものがないか熱心に探す」みたいなのも楽しい。パリでクリニャンクールに行ったときも楽しかったな。灰皿とか、古い切手とか、カーテンタッセルとかを買った。
蚤の市では、何に使うか分からないもの(電車のロックをするやつ、牛乳瓶の箱、金物の板を曲げるための機械、とか)の話をお店の人に聞けるのも良い。骨董屋のおじさんてみんな話が上手でおもしろいのに、こっちから話しかけるまでは別にほっといてくれる人が多いように思う。性別や年齢に関係なく、聞いてもないのに知識をひけらかしてくる人って、それがどんなにおもしろい話であっても、あんまり好感を持てないよな。き、気をつけよっと…………
彫り模様がかわいいグレーの平皿(たぶん美濃焼)と、喫茶店に置いてあるみたいなデザインのテーブルフォークを買った。
おなかが空きすぎて、近くにあったコメダ珈琲に入る。「このあと横浜に移動して何か食べたいし、軽めにしよ」と思い、きしめんを頼んだら1.8人前みたいな量のどんぶり鉢が来て笑った。そっか、コメダ珈琲てこういう量の店やったよね、忘れてた、ごめんごめん。コーヒーだけとかにすればよかった。
満腹で横浜へ移動。母と私の好物であるラムボールを買いに、喜久家さんへ。喫茶室でサバランを食べようと思ったのに、喫茶室は閉業中らしい。悲しい。なんで。サバランは今買っても今日は移動が多くてケーキの箱を持ち歩くには大荷物だし、食べる場所もないので断念。泣きながらラムボールとクッキーも購入。クッキーもおいしいんですよ。ちなみに喜久家さんは「サバリン」と表記なさっている様子。
喜久家さん、クッキーのパッケージとかやらせてくれんかな……そういう需要はないのかしら。いや、あるはず。方針が分からないけど、でもこんなにおいしくて歴史あるものを、もったいなくないか。余計なお世話かな。ホームページもやらせてほしいな、だめかな。
もうちょっとおなかが空いていれば、ホテルニューグランドでプリンアラモードでも食べたかったけど、ぜんぜん空いていない。なんでコメダ珈琲に入ったんや。やめとけばよかった。コメダ珈琲は神戸にもあるのに。おなかぺっこぺこのままホテルニューグランドに行けばよかった。深く反省。
近沢レースにも行った。ハンカチを買おうかな、と思ったけどなんとなくエレガントすぎるか?と思って、結局やめにした。レースものってかわいいけど、あまりにもキャラに合ってないような気がする。私みたいなもんが、あのような繊細で女性らしいハンカチを持っていいのか……???母にお土産で買ってもよかったか。
イニシャルのレースチャームがあったので、これを3つ買った。アルファベットごとにデザインが違っててかわいい。ひとつはお姉ちゃんにあげる。
仲町台に移動して、ハヤシ監督と合流。ハヤシさんは私を見つけるなりめちゃくちゃ高速で頷いていたのでおもしろかった。「俺場所わかんないよ」と言うので「私わかるから大丈夫、地図描いたから」と言うと「地図描いただけでわかるものなの?初めて来たのに?そういうもん?」と訝しい顔をしていた。地図を描くときってGoogleマップをベースに敷いて、ストリートビューで一旦歩いてみるから道はもちろんのこと、結構周辺のお店とか覚えると思うけど、私だけなんだろうか。地図をどうやって描くかという話、そういえば人としたことないな。教わってもないし。グラフィックデザイナー諸君、どうですか。
松島直子さんの個展を見にEuphonicaさんへ。会場の写真はたくさん見たけど、やっぱり手で描いたものを生で見るのは全然違う。体験としても違うし、もちろん情報量も違う。来てよかったな…………マツコさんがすみずみまで一生懸命準備したことが伝わってくるし、それを体感したい人が足を運んでくれたんだろうと思うと、目がジワジワした。最近ますます涙腺がゆるまってて、すぐ泣く。私たちは全員インターネットで知り合ったし、今更インターネットが繋いでくれる人間関係を軽視する気持ちなど一切ないのだけど、これを「オンライン展示」とか言ってウェブサイトを作ることと、同じには出来ないよな、と思った。
とはいえ私も仕事はオンラインで完結していくものが多く、今回も仲町台まで来なければデータのやり取りとLINEで全部終わったんだよ。不思議ですね。でも行けるところには自分の足で出向いて、会える人には会えるときに会わないとな、と思いました。
固定ちゃんも合流して、みんなでごはんを食べた。久しぶりに会えてすごくうれしい。私は固定のことを勝手に妹みたいに思っていて、怖がられても不思議じゃないくらいの「庇護欲全開モード」で接してしまう。なんかかわいくて、部活の後輩みたいなんだよな~
おいしいものをおなかいっぱい食べ(鰆おいしかった、デザートまでたっぷり食べた)、名残り惜しいけど帰ることにした。みんなが駅のホームまで送ってくれて、うれしいしありがたいけど恥ずかしい。
駅前で飲んでいるという姉に連絡すると「え、まだ全然飲んでる」というので、先に家に上がっていることにした。初めて行く姉の家に、ひとりで地図を見ながら歩いていくの、ちょっとおもしろい。
姉はたいへん物持ちが良く、私みたいに家に置くものへのこだわりが強くないので、家の中にあるものは姉の前の家や、前の前の家や、前の前の前の家で見たものばかりだ。場所と箱だけ変わり、姉とその持ち物が移動している。引っ越しってまさにこういうことだよな、と思いながら、勝手に風呂へ。家主が不在の状態で勝手に引き出しを開けてバスタオルを探し、先に風呂に入るって、実家や姉の家以外だと考えられないよな~ウケる。ボトルが無地で不透明なのでシャンプーがどれか分からず、少量だけを出し、においをかいだり泡立てたりして探った。何の時間や。
すっかり寝支度を終え、お布団に横になったころに姉が帰宅。帰宅早々「お風呂入ったん?バスタオルどうした?」とのこと。「見つけた」と答えた。
最近買ったというプロジェクターで壁にYoutubeを映してもらい、推しを堪能して就寝。いいないいな、私もプロジェクターほしいな。でも壁がないの。家が窓だらけなの。
日曜、ふたりで六本木へ。姉には事前に「さくらももこ展か、ルイーズ・ブルジョワ展に行きたい」と伝えてあったが、姉はそもそも美術展に行く趣味がない。姉にとってもせっかくの休日なのだし、無理に誘うのも気が引ける。姉が行かないなら私がひとりで行ってもいい、と思っていたが、予想に反して「ルイーズ・ブルジョワさん知らんけど、調べてみたらおもしろそうやわ、さくらももこ展でも良いね、当日決めよう」との返信。私の姉は、ルイーズ・ブルジョワを「おもしろそう」と思う人だったのか。知らんかった。でもなんか、超良いな。お姉ちゃん最高。
六本木ヒルズに着くと、噂どおり「さくらももこ展」はかなり混雑している感じだったので、「ルイーズ・ブルジョワ展」にした。私も姉と同じくルイーズ・ブルジョワさんのことは詳しく知らなかったが、とても興味深い人物であり、とても興味深い作品群だった。人間性がそのまま作品に出ている。いや、そうでない作品など、この世にひとつもないのかも。
「この世に生まれることは、母の胎内から追い出されることだ」というような言葉を読み、自分には無い感覚に触れることの幸福で満たされる。私はこんなふうに「私が考えていることや私が知っていること、私が感じられることが、この世のすべてでは全然ない」ということを、思い知らされるのが好きだ。私の考えだと、母の胎内を出なければ、母に会うことは出来なかったので、「この世に生まれることは、母に出会うことだ」が近い。生まれてきてよかった、とはまだ言い切れないが(人生はまだ長いようなので)、でも母に会えてよかった。
姉は予想に反して、キャプションをひとつひとつきちんと読み、音声ガイドを聞きながら細部を見て、とても熱心に鑑賞する人だった。私の記憶する限り、姉とふたりで展覧会に来たことなど一度もない。しかも、今回の展示は彫刻や立体の作品が多く、(私も知らなかったけど)ルイーズ・ブルジョワはフェミニズムのアーティストでもあるし、抽象的な作品や、性的なモチーフもたくさんあるのだ。初手で嫌悪感を抱く人だって多そうだと思う。
さらに、個人的な意見だけど、絵画に比べると彫刻や立体作品は鑑賞が難しいように思う。単純に見るポイントが増えるし、見ようと思って前向きに、能動的に見なければ、良さを享受できないような気がする。
自分が誘ったくせに、姉が全然楽しめないんじゃないか、と思って不安だったのだけど、要らぬ心配だったな。お姉ちゃん最高。
午後は新大久保に行って、サムギョプサルを食べ、ワッペンワークをやって買い物をし、夕方に別れた。楽しかったな。
帰りも新幹線は混んでいる。いつのまにかNetflixに「ハートストッパー」のシーズン3が来ているのでありがたく視聴。
崎陽軒のシウマイ弁当を買ってきたので、家に着いてから食べた。崎陽軒のシウマイ弁当はとても上手なバランスのお弁当で、いつも感動する。栄養バランスとかじゃないよ、味付けのバランスな。お弁当って基本的には出来立てを食べるものじゃないし、味って温度が下がるとボケるし、かといってそのことに気を取られすぎると単調なおかずラインナップになるし、結構難しいよな。お肉料理って特に「冷めてもおいしい」が難しい料理だと思う。
崎陽軒はシウマイももちろんおいしいが、シウマイ弁当で最もうまくできているのはごはんな気がする。あれなんであんなもっちり仕上がるの?もしかして炊いてないんじゃないの?蒸してる?
どんなに今をときめく新作弁当が登場しても、シウマイ弁当の良さは消えないと思う。名品だよ………(まぐろの焼いたのを食べながら、塩味が染みわたる表情、ここでごはんをひとくち)
みんなが「あれは要らん」と言う杏も、私は好きです。
be there
2024年10月17日 (木) 20:47
ジンくんの初のソロアルバムが11月15日に発売されることになった。アルバムタイトルは『HAPPY』、ど真ん中どストレート剛速球のタイトルすぎて震えている。
私は自分のソロアルバムに『HAPPY』とは絶対に名付けられないタイプの人間なので、ジンくんのこういう衒いのなさや、実直さに触れるたび、どこまでも澄んだきれいな水のなかに頭の先までどぶんと浸かったような気持ちになる。ひねくれ生まれ拗れ育ちの私に、ジンくんはいつもまぶしい。良いなぁ、ジンくんは、きれいだな。
ジンくんは自分の身体のサイズと、心のサイズが、ぴったり同じになっている人だよな、とも思う。シンプルで、クリーンで、ミニマルなデザインだな、と思う。あ、顔面はめっちゃゴージャスなんですけどね。
私は心や思考のサイズが身体の中にまったく収まっておらず、いつも溢れてこぼれてはみ出ているように感じる。はみ出したそれを要らないものだと捨て置くことも出来ず、でもうまく内側に収めるのも難しく、結局ズルズル引きずって生きている。これが私だ、ずっとこうやって生きてきた、とも思うし、どうにか身体性を取り戻すために足掻いたりもしている。ま、めっちゃ感覚的な話ですけど。
タイトル発表時に公開されたビジュアルには「YOU ARE LOVED」と書かれている。やめてよ、そんなん言うな、泣いちゃうから。「YOU ARE LOVED」はこっちのセリフやわ。YOUはジンくんやで。
しかし、除隊してからまだ半年も経っていないのに、もうアルバムが出るのか。6曲入りとはいえ、トラックリストを見ると全部未発表の曲だし、いつレコーディングしたんだろう。めちゃくちゃ忙しくしてるのは分かってたつもりだったけど。
6曲中4曲に「Jin」のクレジットがあるから、歌詞を書いたりしたのかもしれない。ジンくんはより良いものを作るためにいつも能動的で、丁寧に仕事をする人なので、そういうところも好き。
除隊後のソロ活動があまりに活発で、うれしいけど不安にもなる。そんなに仕事しなくていいのに、だってこの18ヶ月はお休みじゃないもん、兵役ってお休みじゃないのに。ゆっくりしたらいいのに。
一方で、グループでひとり、入隊時期を選べなかったジンくんがどんな思いで18ヶ月を過ごしたかを想うと、こんなふうに何かを取り返すような勢いで活動するのも無理はないよな、と思う。ジンくんは言わないけど、どんなに不安で、心細かったか。どんな気持ちで弟たちのソロ活動を見ていたか。忘れられるんじゃないかって恐怖や、焦りもあるだろうな。今はみんなの不在を埋めなきゃ、自分が頑張らなきゃ、とも思っているだろう。ジンくんは頑張りやさんやから……胸が痛い。
が、知りえないジンくんの胸の内を勝手に想像して胸を痛めたって何にもならない。ジンくんもそんなことまったく望んでいない。私がすべきことはジンくんが用意してくれた活動をただ楽しんで、それがどんなに私の生活を豊かにしてくれているかを実感することだ。
今日はホビの除隊日だった。先陣切ってソロワークを始めたホビは、ひとりロラパルーザのステージに立ち、釜山コンではその活動の数々が自信や経験値に繋がっている様をありありと見せてくれた。いつだって自分自身に軸を置いて、一本気だったJ-HOPEさん、かっこよかったよなぁ……元気に帰ってきてくれて本当にうれしい。うれしいし、心強いな。ホビっておるだけで心強いよね。均整がとれるというかね。
ドでかい花束もってGUCCIのセットアップでホビをお迎えに来たジンくんも見られてうれしいです。
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2024年10月16日 (水) 21:55
久しぶりに家にいる週末だ。家事が滞っている。枕カバーが汚いと思いながら、既に2週間くらい経っている。やっと洗える。替えの枕カバーを買うべきだとは思います。洗濯は好き寄りの家事ではあるけれど、天気に左右される面が大きいので難しい。
先週買ってきた本をゆっくり読みたいが、シルクスクリーンの工房を予約した日が迫っているので、何か描かなくてはいけない。刷るもののストックを持つべきだとは思います。このように、「どうすべきかを認識すること」と「それが可能かどうか」は、いつも一致しないように思う。
かっこいいやつを描きたい、という気持ちが高まっている。理由は分からない。カミングスーン。
秋らしい気候になってきて、本当にうれしい。
稲刈りが済んでいるので籾摺りへ。米の収穫に詳しくない人は「籾摺り」が読めないだろうし、そもそも「籾」が何か分からず、見たこともないだろうな、といつも思う。でもそこに優劣はないのにな、とも思う。こういう「育ってきた環境が違う」というだけの、当たり前で、ごくシンプルなものごとに無理やり名前をつけて、分断を煽るようなこと、たくさん起きてない?あれ気持ち悪いし嫌いやねんよな。知らないなら聞けばいいし、聞かれたら教えればいいでしょう。何と何を分けて、何の溝を深めようとしているんだ。そんなことして、なんの意味が??
というわけで、私は聞かれてないのに勝手に教えるけど「籾摺り(もみすり)」は収穫した籾から籾殻を取り除いて玄米にする作業のことを言います。籾は稲にくっついているつぶつぶのことです。籾殻が付いているままの状態ではまだ「米」とは呼ばないようです。
精米したての新米を3合だけ持って友人の家へ。友人の娘が「私が工作などの作業をするためのスペースがほしい、この段ボールで作ってくれ」と言うので作成。友人の息子は「既存の段ボールハウスに窓を付ける」と言うので応援。「手伝う?」と聞いたら「いや、今のところ良いや」とのこと。なんか仲間っぽくて良い感じ。
私も工作が好きな子どもだったが、7歳くらいまでは字もかなり汚かったし、ハサミがまともに使えなかった。当時は全容をはっきりとは理解できていなかったが、おそらく「不器用すぎる」という理由で母が先生に呼ばれ、面談みたいなものを受けた。私は「何が悪いのかはハッキリと分からないが、たぶん私の何かが悪いせいで、お母さんまで先生に怒られている」と感じた。泣きはしなかったが、あのときの漠然とした不安は今も覚えている。「みんなが普通にできることが、私にはできない」というあの感覚。今もある。母は「お習字に通うのはどう?」とだけ言い、私は近所のお習字教室に通うことになった。字が読める程度にはキレイになり、ハサミでまっすぐ切れるようになったあとの「指先と脳の接続が上手くいった」みたいな感覚も、よく覚えている。「こう書きたい」「この形に切りたい」「ここで折りたい」などの指令が、自分の手で出力できるようになった、というあの感覚。
いっしょに夕飯を食べて別れ、帰り道を20分くらい歩いた。電車に乗ると、内藤哲也のタイトルマッチが今日だということを思い出し、新日本プロレスの動画配信サービスを契約。再生してみると、まさにちょうど、内藤選手の煽りVTRが流れているところだった。
プロレスは動画配信サービスだと解説がついていて、すごく分かりやすい。今まで現場にしか行ってなかったから、知らんかったな……そうか、放送やと解説がつくんや。今決まった技の名前、選手の特性、過去の戦歴、状況の説明などを聞くことができる。
ザックセイバーさんも、内藤哲也選手も、それぞれの試合を先月神戸で見たばかりなので、なんとなく2人の得意な技やプレースタイルが分かるので、おもしろい。こうやってどんどんおもしろくなっていくんや。なるほど。うれしい。
内藤選手がいつもやる「寝そべってテレビを見る日曜のお父さん」みたいなポーズを取った瞬間、ザックセイバーさんがその上げた腕をすごいスピードで取りに来て、んぎゃ!!!となった。「そ、それは内藤選手がいつもやるお決まりポーズやねんから、やらせてあげてや……」と思う反面、ザックセイバーさんはマジのマジでこのタイトルを取りに来ている強い気持ちもあのシーンから伝わってきて、すごくよかった。そうよな、勝ちたいねんもんな、なりふり構ってられへんよな。
最寄の駅に着いたあたりでいよいよ試合はクライマックス!という様相になってきたので、帰れなくなってしまい、駅前の植え込みに腰かけ、結局最後まで見てしまった。
プロレスは敗者に寄り添ったりしない。勝っても負けてもストーリーは続いていくし、そういうところが人生に似ている。内藤選手、どうすんのかな。次、どうすんのかな。良い試合だったのでザックセイバーさんが勝ったことが嬉しいし、内藤選手が負けて悲しいよ。良い試合ってたぶんこういうやつのことを言うと思う。
家に着いたので第一試合から順に見ていたら、棚橋弘至選手が「2026年で区切りをつける」というようなことを言っていた。引退、ってことなんだろうか。「こないだ初めて会ったばかりなのに……」と思ったけど、棚橋選手はデビュー25周年だそうだ。長い。「初めて会ったばかり」なのは私だけだ。でも、さみしいな。勝手にさみしいわ。かわいい人なんだよ、棚橋選手。
Paul Krause
2024年10月5日 (土) 19:23
バリウム検査を初めてやった。健康診断で、たぶん年齢によって決まっている項目なんだと思う。
噂に違わずバリウムは不味かった。「バリウムを美味しくすることは可能だが、美味しくしてしまうと胃が食べ物だと判断し、せっせと消化してしまう、つまり活発に動いてしまうので、それだと検査できない」と聞いたことがある。「おやおや!おいしいのが来たぞ!わぁーい活動しまーーーす!」ってなってる胃、かわいい。
まずはなんかしゅわしゅわする粉を飲む。私が、たぶんかなり不安そうな顔をしていたせいで、看護師さんが語尾にぜんぶ「大丈夫です」を付けて話す。「あまり口の中で溶かさずに、サッと飲み込んでください、大丈夫です」、「これがバリウムです、持ってください、大丈夫です」、「台の上に乗ってください、大丈夫です」みたいな感じ。
毎年いっているところは健康診断だけをやる施設(病院ではない)なので、バリウム検査に限らず先生も看護師さんも、みんなベルトコンベアの上を転がすように対応する。私にとっては年に一度の健康診断だが、みなさんにとっては1日数百人の中の1人なのだ。私はこういう状況が、結構好きだ。楽だな、と思う。何にでも感情的になったり、情緒的になったりしているとしんどい。
バリウム検査を考えた人は酔っていたんじゃないかと思うくらい、珍妙な検査だった。こんな訳のわからないものを飲んで、下剤で無理やり出すって、どうかしている。こんなんシラフのときに思いつける?酔ってたか、二日酔いか、もしくはヤケクソだと思う。
バリウムは造影剤らしい。なるほど、造影剤ね。どおりで粘度が要るわけだ。これが流れたり、留まったりする特性を活かして撮影をしている。なので乗っている台自体が傾き、倒れ、動く。私もじっとしていればいいということはなく「そのまま一回転してまたうつぶせに」、「おしりを少し上げて」、「もう少し下げて」、「はい息をとめて」などとヤイヤイ言われる。チンタラやっているとバリウムが流れて行ってしまうからだと思うけど、先生はものすごくテキパキ指示し、発音も発声も良い。早口なのに聞き取りやすく、噛みもしない。これ、下手な人めっちゃいそう。先生が医者になるために努力してきたであろうことと、バリウム検査を上手に出来ることとは、まったく比例していないだろう。そう思うと検査中に笑いそうになり、懸命に堪えた。先生は自分がバリウム検査が得意だってことに、何歳ぐらいのときに気づいたんだろう。先輩に褒められたりしたのかな。「お前、声が通るから検査向いてるぞ」とか言われたんかな。あ、医師じゃなくてレントゲン技師なのかな。レントゲン技師ってお医者とは違うのよね?
昔バイト先の女の子で、確か放射線技師を目指して学校に通っている子がいたよな、と思い出す。すごく穏やかで、人当たりの良い人で、好きだった。声がめちゃくちゃ小さくて、呼びかけられているのに気づけないことが多かった。「のんちゃん」と呼ばれると「ごめん、何回呼んだ?ごめんね」と応えていた記憶がある。彼女はふふふと笑うだけで、何回呼んだかは別に言わなかった。
放射線技師になれたかな。元気にしてるといい。
「おつかれさまでした。そこでうがいをして。下剤を渡しますから説明を聞いて帰ってください」と言いに出てきてくれた先生は、白髪まじりでがっしりした体型の男性だった。50代後半くらいに見える。お医者じゃなければ声優か、実況アナウンサーとかも向いていそうですよ、と思いながら私はお礼を言った。
バリウムは唇にくっついてぱきぱきに固まっている。珍妙な検査だったな。
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