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my sweet home
2024年11月25日 (月) 20:51
ひとり暮らしの家について、最近よく考える。家というものが好きすぎるのだ。私は自分の家も好きだし、そもそも「住居」に興味がある。家は生活であり、生活は人そのものだ。家について考えることは、人について考えることと同義だと思う。おもしろいに決まっている。
先日、友人の家に遊びに行った。2か月ほど前「ほとんど決めようと思っている家を見に行く」と連絡をもらい、内見に着いていった家だ。私の家好きは周知のことで、友人たちは物件の間取り図を送ってきて「どう思う?」と聞いてくれたりする。
彼女が「間取りと写真だけ見て、ほぼほぼ決めようと思ってる」と言ったそのマンションは比較的高層階の部屋で、駅が近いのに周辺環境のおかげで眺望もよく、私も申し分ない部屋だと思った。あと4~5畳くらい広ければ文句ないのに……と思ったが、そんな部屋がないことは知っている。ひとり暮らしの家といえば20平米前後、それ以上の広さになると無駄に部屋数が増えるのだ。
私は「いいと思う、ベランダも広いし収納も十分あるし、あとこういうキッチンは料理が捗るね」と答え、あとは賃貸契約の書類を一緒に確認した。
引っ越しが済んでひと月ほど経った彼女の家は、コンパクトで住みやすそうに見えた。広めのベッドを窓際に置き、気に入っていると言っていた白い丸テーブルを置いた部屋は、居心地が良かった。何より、家のサイズから生活がはみ出ていない、と感じる。彼女は「収納こんなに要らんねん、私ぜんぜん物なかったわ」と笑っていた。言葉通り、確かにクローゼットは半分以上空いている。ひとり暮らしをすると、自分の生活のサイズがよく分かるな、と思った。
先月泊めてもらった姉の家は、ベッドの上ですべての生活が完結するようなサイズ感だった。「狭い」と言ってしまえばそれまでだが、私は「いったい誰のために、何のために、家を広くしておく必要があるんだろう」と考える。姉の趣味は漫画を読んだり、ゲームをしたりすること、あとは友人と酒を飲むこと、それから体を動かすことなので、家でするのは前述の2つだけだ。ベッドの上で完結できる。友人と酒を飲むのは外でできる。ましてや彼女の家は赤羽なのだ。徒歩圏内に、行ききれないほどの飲み屋があるだろう、しかも安くてうまい店が。
姉は最近買ったというプロジェクターで壁一面にYouTubeの画面を映し、私の推しのMVを見せてくれた。「ゲームもこれでやんねん」とのこと。さぞかし楽しいだろう、良いな。
大きい家具を置くかもしれないから、人を呼ぶかもしれないから、誰か泊めるかもしれないから、など、ひとり暮らしにまつわる「かもしれない」は多い。どれも「ひとり」という身軽さから発生しているが、実はそのほとんどが「かもしれない」のまま、実際には起きないんだと思う。だから、ひとり暮らしをするときはなるべく「かもしれない」を除外して、自分の生活のサイズだけを見るべきなんじゃないか。もし頻繁に人を呼ぶようになったり、しょっちゅう誰かを泊めるようになったり、絶対に置きたい大型の家具を見つけたりした場合は、その時になってから家を変えるべきだと思う。
人の家を見ていると、自分の家についてもいろいろと改善点が見えてくるように思う。物が増え続けているので、年内にどうにかしたい。ギターアンプ捨てたいんですけど、誰か欲しい?
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