blog
聴こえてる、ふりをしただけ
2011年7月25日 (月) 00:37
という映画を見てきた。
ちょっといろいろ考える映画だったので、あの映画みたあと特有の、ぼーっとした頭で電車を待っている。
まだ公開中なので、これから見に行く人の検索にひっかかって、邪魔になるとわるいので、詳しいストーリーはやめとくけども、
さっちゃんとその友だちと、お父さんと、叔母さんの話で、
さっちゃんのお母さんが死んだところからはじまる話です。
最近人が死んだあとの話ばかり見ている。
意図的にではなくて偶然に。
今日見終わったアニメも、最近見てるドラマも、今日見てきた映画も、みんな誰かが死んだあとの話だ。
わたしもまた、誰かが死んだあとに生きていて、そのことに囚われたり、後悔したり、どっかで見てくれているんじゃないかと思ったり、思い出して泣いたり、そういうふうにしながら生きている。これからもずっとそうするんだろうし、そのあいだにもまた誰かが死ぬんだろうし、その誰かはわたしかもしれない。
誰かが死んだあと、生きていく誰かいて、それを見ている誰かがいて、またそのうち誰かが死んで、そのまわりで生きる誰かがいて、っていう繰り返しで、
まだそのことについて、死ぬことについて、言葉にすることはできてなくて、いつかできるようになるのか、まだそれもわからん。
言葉にするのか、絵にするのか、アニメなのか映画なのかドラマなのか、それもまだわからん。どれでもないかもしれん。どれにもせんと思う。そんな気がする。
ただ、いま思うのは、「いつか死ぬ」ということだけが、みんなに平等に与えられていることなんだということだ。
それがいつくるか、どうやって、とかはわからないにしても、そこだけがみんな平等で、平等に、なってんだなと、思う。
なんか母ちゃんが心配しそうなことを書いてしまったけど、「死ぬ」を考えることと、「死」について考えることは別のことで、「死」について考えることはわりとよくあります、というところです。
あかんかな。あかんくないやろ全然。
category
- 「でっかいの」完成までの道 (10)
- 15分で書くやつ (4)
- DIY (2)
- uncategorized (925)
- いま考えていること (10)
- お芝居のはなし (4)
- かばんのなかみ (6)
- きのうみた夢の話 (17)
- シルクスクリーン (2)
- フジロックフェスティバル (10)
- 宣伝 (4)
- 旅行 (10)
- 映画のはなし (40)
- 絵の展示 (5)
- 音楽のはなし (34)
archive
latest posts
- 2024/12/01 その漢字どっかで見たことある
- 2024/11/28 my cup of tea
- 2024/11/26 古早味(伝統的な味、懐かしい味)
- 2024/11/25 my sweet home
- 2024/11/20 光について
- 2024/11/18 작은 것보단 큰 걸 더 주는 일
- 2024/11/11 週末たち
- 2024/10/22 next city
コメントを残す