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2024年12月10日 (火) 20:01

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「人」を好きになることがほとんどない。私が好きになるのは「創作物」である場合が多い。絵でも音楽でも小説でも映画でも、ほとんどそうだと思う。それを創作した「人」が存在していることは当然わかっているし、その人への敬意なんかは感じるけど、「創作物」への好意を上回ることがほとんどない気がする。
あまり意識したことがなかった。何が原因なんだろう。そもそも人間が別に好きじゃないからか……?と思ったけど、「人間」みたいな多種多様な生き物を好きかどうかなんて、自分でもよくわからない。あと自分も人間やし……
好きな人間もいるし、嫌いな人間もいる、ぐらいしか言えることがない。みんなそうだろう。

私は長年、好きな画家としてマティスを挙げてきたが、マティス本人についてはほとんど何の知識もなく、好きかどうかの判断もつかない。私が「マティスが好きです」と言っているとき、私の頭に浮かんでいるのは、彼の顔でも、生前のエピソードでも、経歴でも名言でもなく、「赤のアトリエ」や「ダンス」や「花と果実」でしかない。
ちなみに私がマティスについて知っていることは下記のとおり。アメトーーク!で「マティス大好き芸人」が企画されても出演できないぐらいの知識量。

・わりと遅くに絵を描きだした人であること(何歳から、とかは知らん)
・フォーヴィスムの画家
・フランス人
・南仏で亡くなった(どこで、とかまでは知らん)
・晩年は病気もして絵を描く体力がなくなったが、切り絵をやってた

先日「マティスやピカソ、ダリが好きだった食べ物やよく食べていたお菓子なんかについて話します」というお題目の講演会があったので参加してきた。そこで聞いた話によると、マティスは法律家になるための勉強をしており、一度就職したらしい。法律事務所で働き、裁判官になるための試験も受け、しかも合格している。しかし盲腸になって入院し、その療養中に絵を描きだしたらしいのだ。暇つぶしで描き始めた絵画にのめり込み、二十歳を過ぎてから画家に転向したという。フランスのだいぶ北の方の出身だそうで、結構裕福な商家の生まれらしい。真面目な堅い仕事に就いてほしかっただろうに、ご両親はさぞかしショックだったろうな。
50歳くらいでニースに引っ越した。ここでアトリエを構えたマティスは、壺やらラグやら鳥かごやら、とにかく絵のモチーフになるものをたくさん集めて、アトリエを飾っていたらしい。植物を育てたり、鳥を飼ったりして、アトリエはとてもにぎやかだったよう。好きなものを集めて自分のスペースを飾るのが好きな感じ、めちゃくちゃわかる、私もそうやねんマティス。
マティスはアトリエにモデルを呼んで絵を描くことが多かったので、休憩中に食べてもらうために「フリュイコンフィ」をよく買っていたらしい。フリュイコンフィというのは果物を砂糖漬けにした南仏のお菓子で、マティスが通ってたお店は今もまだあるそうだ。
モデルさんにおやつを用意する感じ、なんかわかる。「ギャラはもちろん支払うしお昼休憩は取ってもらうとして、でも結構長丁場になるしな~」みたいな時に、おやつ用意する気持ち、わかるわ。

マティスが好きなのはその絵の色彩や、オブジェクトのセンスの良さ、伸びやかさ、おおらかさ、そもそもの手癖、みたいなものであって、マティスがどんな人かは別に関係ない、と思っていたけど、たぶん関係なくないんだよな、と思った。たぶん、関係なくないよ。
まぁ一方で、マティスが幼少期から絵しか興味のないボンクラ系息子で、モデルさんになんの気遣いもない横柄な画家だったとしても、別に今さら作品を嫌いになったりはせんけど、とも思う。

とはいえ共通点が多いというか、似た感覚を私も持ってるよな~だから好きになったんかもしれんね、とWikipediaを眺めていたら、マティスと私は誕生日が同じ日だった。
さすがにこれは、もっと早い段階で気づかんか……?

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