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ウロボロス

2022年1月27日 (木) 21:24

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格言とか名言みたいなものに、いちいち「ッハァーうるせぇな!」と思ってしまう。若いからそうなんだ、若いからトガってしまうだけだ、などと思っていたが、もう若くない今でもまだ、日めくりカレンダーに書いてある「感謝するから 幸せになる」という格言に「ッカー!うるせぇうるせぇ!」と思っているから年齢は関係ないようだ。これはもう私の性格だ。根性がひねくれて拗れ、自分でも原型が分からない。おかしい。幼少期はドレス姿のプリンセスやトゥシューズのバレリーナ、セーラー服で戦う美少女たちが好きだったはずなのに、つまり、ごく真っ当に王道を歩いていたはずなのに、どこでどうなったらこうなるんだろう。自分のことなのにわからない。ドレス姿のプリンセスは「感謝するから 幸せになる」と声をかけられて「うるせ~!」とは言わないだろう。

試しに「感謝するから 幸せになる」と声をかけられて「そうですね、ほんとうにそのとおりです」と柔らかに微笑み、肯定の言葉を発する自分の姿を想像してみる。……胡散臭いな。思ってないことを口にするなよ。しかもうまく笑えずに顔が歪んでいそう。
でも何の疑いもなく「そうですね、ほんとうにそのとおりです」と言える人のほうが、素直で、かわいいよな。それはそうだよ、ほんとうにそう思います。

えーでもさぁーだってさぁー「感謝するから 幸せになる」、のか?マジ?だって逆もあるでしょう。「幸せだから 感謝できる」んじゃないか?これは“にわとりたまご案件”だ、たまごが先か・にわとりが先か、のアレじゃないですか。だから受け取る人によって、直面している場によって、いつでも簡単に前後が入れ替わるじゃないですか。だから「感謝するから!幸せになる!!!」つって大声で言い切ってドヤ顔されると「うるっせぇなタココラ」ってなっちゃうんだよ私は。言い切るなよお前は。筆文字でえらそうにすんな。

一方これが「私は感謝するから幸せになれたんだと思う」だった場合、私は全然「ハァ?」とも「うるせぇーーー」ともならない。不思議だ。
「私は感謝するから幸せになれたんだと思う」と言われたら、私は「そうかそうか、それはすてきだ、よかったね」と言える。顔を歪めたりせずに言える。言外にある「あくまで私見ですが」の部分によって、これは個の話だ、と感じることができるからだろうか?「じゃあ今は幸せなんだね、よかった、幸せでいてね」と言える。初対面の人にも言える。

結局、私は人数が多いほうに向けて言ってる言葉が嫌いなんだろう、と思い至る。個の話だけしてくれ、どうせ聞くのは私だから、私も個でしかないから、あなたも個なのだし、と思っている。
でもまぁ日めくりカレンダーに「私は感謝するから幸せになれたんだと思う」って書いても売れへんやろうな。誰?急に何の話?ってなるもんね。だからしょうがないよな。別に怒ってないよ。

こんなことに1,000字くらいかけて、読み返してみると、今度は自分にも「ハーうるせぇな!ごちゃごちゃ言いやがって!」と思う。ループして読む文章みたいだ。あ、ねぇあれ何て言いましたっけ、あの、蛇がさ、自分の尾を噛んで、輪っかになってるやつ、あれなんて名前でしたっけ。
ちなみに蛇はね、韓国語で「뱀(baem)」と言います。昨日習いました。

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