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JULY 8, 1981
2025年4月21日 (月) 20:23
韓国旅行を思い出し、毎日「また行きたいなぁ」と思っている。楽しかった。今回はトイレを借りてミュージアムショップに寄っただけの国立中央博物館に、次回は必ず行きたい。日本語のガイドツアーもあるらしい。現代美術館には毎回行きたい。
でも私は、国立の民族博物館が寄付を募るような国に住んでいるのだ、と思うと、暗い気持ちになるな……日本でももうちょっと頻繁に美術館や博物館に行こうと思う。それぐらいしかできることがない。
寄付を募ることが悪いこととは全く思っていないけど、でも国立の博物館なのだから、つまり「国はあの民族博物館がやろうとする事業に金を出せない(出さない、のかもしれんが、どっちにしてもそんなに変わらん)」ということなんだと思うと、かなり危機感を感じる。文化を守る、文化的な国であってほしい。
美術館や博物館だけでなく、建築物がどんどん取り壊される現実に、どう立ち向かえば良いのだろうな、といつも思う。例えば天命反転住宅は修繕費用が払えなくてクラウドファンディングに頼ったし、山の上ホテルは再開も未定のまま老朽化を理由に閉業(明治大学が買ったみたいなので、どうにかしてくれると期待している、出来ればまた泊まれるようにしてほしい)、千里阪急ホテルは来年取り壊しが決まっている。どれも民間の建築物だから、国がどうにかすべきってことはないのかもしれないけど、歴史的にも価値があることは素人目にも分かるのに、誰にも守ってもらえないのは悲しい。神戸でもあちこちの洋館がボコボコ取り壊されている。「どう立ち向かえば」っつーか、全然どうにも出来ないし、私になんの権利もないのよな。だからただ悲しい気持ちで見ているだけで。悲しいね。
クラウドファンディングに頼ることが悪いとは思ってなくて、私も「取り壊しを決める前に募ってくれてよかった」と思って出せるだけのお金を払うけど、でもあくまで一時的な解決にしかならないというのが気にかかる。だってどんなに好きな建築物でも「維持費がかかるから毎月1万円お願いね」って言われたら厳しいもん、毎月かぁ~毎月は厳しいごめん、ってなるもん。
他の国はどうしてるんだろうな。たとえば韓国は、どうしてるんだろう。
隣の席で鯖の定食を食べるおじさんに聞きたかったが、ここまでの説明を韓国語で出来ない私は、ただ自分の分の鰆をもりもり食べるしかなかった。歯がゆい。歯がゆいが、鰆はうまい。
現代美術館では「会話」をテーマとしたワークショップメインの展示が行われていた。あんまりちゃんと理解できなかったけど、たぶん「美術作品に触れると、その作品の説明や感想、解釈なんかが言語化されるね!言語もめっちゃアートじゃない!?言語で何ができるか体験してみよう!」みたいな感じだった。良いテーマだなと思う。
ちょうどトークイベントが始まるところだったので参加したかったけど、どう考えても付いていける語学力がないので諦めた。悔しいが、こういうイベントに参加できるようになるほどの語学力はそう簡単には身に付かないだろう。ま、10年単位で考えれば、いつかできるようになるかもしれない。
何か私でも参加できるワークショップがないか見ていたら「本を読んで、ノートに文章を書き写しましょう、感想があれば付箋に書いてね、前の人が書き写した分の続きから始めてね」というものがあった。ほほーん、これなら出来そう。本を読んでも意味は分からないけど、書き写すぐらいなら私も出来る。
が、活字ならまだしも、人間が書いたハングルを読み慣れていない私は「前の人が書き写した分の続き」がどこなのかが分からない。人間が書いたハングルって、めちゃくちゃ読みにくいんやな。当たり前か。봄か봉か봅か、まじで分からない。文章が読めればもちろん区別できるねんよな。前後から推察できるから。言語って何割ぐらい予測で扱ってるんやろ。もしかして、6割ぐらいは予測じゃないのか。
数字やアルファベットを頼りにどうにか「前の人が書き写した分」がどこまでなのかを見つけ、「続き」を書き写した。人名と助詞くらいしか理解できないけど、正直私はハングルを書いているだけで楽しい。
感想を付箋に、か。なるほど。でも感想は書けない。何しろ何が書いてあるか分からないんだから。せめて何の本かは知りたい、と思い表紙をGoogle翻訳にかけたら『他人を聞く時間』というタイトルの本だった。おもしろそうな本ですね。私が書き写していた部分は元素の話をしていたらしい。文脈も分からない。
この展示に限らず、現代美術館は作品展示とその後のワークショップがワンセットになっていることが多いみたいだった。ワークショップといったって、紙と鉛筆がおいてあって「展示を見た感想を残していってね」ぐらいのもんで別に難しいことではないけど、老いも若きも結構みんな積極的に参加していて良いなと思う。好きな作品をリストアップしたり、作品を模写したり、誰と来たか書き残したり、詩みたいなものを書いたりして、置いていくみたいだ。素敵だな、と思うけど、韓国の人たちがそれを素敵な行為だと思っている様子はあまりなかった。それぐらい「なんてことはない」行為なんだろうか。だとしたら、もっと素敵だ。
感想を言ったり、どんな気持ちになったか話したりすることに、なんのハードルもない世の中であってほしい。日本は(私の主観的体感の域を出ないが)「感想の感想」を言ってるだけの人が多いと思う。たしかに作品をつくるより、「感想」を言うより、「感想の感想」を言っているだけのほうが、圧倒的に楽だし、頭も良さそうに見えるし、何より傷つかなくていいもんね。でもそれをやっている以上は外側で、外側にいる限り、そこはずっと外側だよ。
外側にいる人が強いのは、単に数が多いからってだけだと思うけど、この構造自体が、私はあんまり気に入らない。
fly day
2025年4月18日 (金) 20:38
「なんか、やることをいっこ、忘れてる感じがする、帰国したらやろうと思って、思ってたことは覚えてるけど、肝心のやることを思い出せん、なんやっけ」と思いながら歯を磨いていたら、完全に思い出した。固定資産税です。固定資産税払ってない。
もっとおもしろくて楽しいことを思い出したかったな。固定資産税かよ。はーーやだやだ。固定資産税かよ。
手しごと市で使う看板(といっても商品を置くテーブルにかける布)を作ったら、すごく「お店屋さんごっこ」感が出てきたので、愉快な気持ちになっている。
そういえば幼少期、3歳か4歳のころの私の「将来の夢」は「子ども服の服屋さん」だった。今となっては「自分も子どものくせになんで子ども服やねん」と思うけど、私はシルバニアファミリーとかリカちゃんとかでチマチマ遊ぶのが好きだったから、多分「小さくてかわいいものに囲まれていたい」という意味だったんだろうと思う。夢は概ね叶った、ということでいいでしょうか。え?ちがう?
タマキさんに作ってもらったロゴがあるおかげで、デザイン一式にまとまりが出るし、締まるし、本当にありがたいな。看板も、無地の布にバーンとロゴを刷っただけやのに、すごい見栄えする仕上がりになってうれしかった。「ロゴ作ってもらえますか」って言うまで数か月まごまごしたけど、本当に言ってよかった……(※5年前ぐらいのことを昨日のことのように話しています)
なぜ数か月まごまごしたかというと「自分で作れるでしょ」と言われたら返す言葉がないからです。自分で作れる、といえば作れるのよな。でも私はロゴつくるのが得意じゃないし、そんなに好きでもないし、あとは屋号を人につけてもらったり、ロゴを依頼したりすることへのあこがれがあったから。
あのロゴで、刺繍のタグも作りたいねんよな。巾着の脇んとこにタグ付いてるのとか、かわいいやん?あれいくらぐらいするんやろ。高いんやろな。
看板も、立て看板みたいなのを作ってもいいかも。蝶番でパタンと閉じられるやつ、作れるかな。でもその前にポップと値札が要るよな。ポップってどういうのが要るかな。「人気」とか「今月の新作」とかでいいんかな。
お店屋さんごっこ楽しい。時間ない。
坂道を上って家に帰るのに飽きてきたのだけど、ある程度歩く時間を確保したい気持ちがあり、最近は朝、坂道を下って会社に行くのを試している。歩く距離は変わらないし通る道だって同じようなものだけど、朝のほうが街全体が空いているし、ほどよく新鮮な気持ちになってうれしい。小学生がいっぱいいてびっくりする。小学校って何時に始まってたっけ。8時半とか?
今朝はゴミ収集車が左折するのを待っていたら助手席に乗っている人が「ありがとう」と言って会釈したのが見え、会釈し返したら、隣で同じように左折を待って会釈を返した人とも目が合い、自然に「おはようございます」と言い合ったのがよかった。こういうなんでもないことが、明日には忘れるようなことが、人に話すほどでもないことが、毎日起きてほしい。ゴミ収集車は燃えるゴミを集める日だから忙しいだろう。頑張ってください。
あとは吉野家で焼き鮭の朝定食を食べ、お会計をしてもらう段になり、支払い方法がたくさんあるので混乱し「あ、現金で、いやクレジッ、あっクイックペイも使えるんか」と挙動不審になっていたら、外国人の店員さんに「焦らないで」と言われて楽しかった。「大丈夫、待つ」とも言ってくれた。優しい。優しいし、日本語が本当に上手だ。
暑くなるまでは朝歩くようにしようかな。暑くなってきたら、帰りに歩いて帰宅即風呂!が良い。
혹시
2025年4月17日 (木) 19:38
はじめに
また韓国に行ってきました。7ヶ月ぶりのソウル、今回はひとり旅です。ひとりだと移動中とかに結構時間が空くので、その間に書いたものを置いておきます。時系列です。長いよ。
なんかもっと役に立つレポートみたいなのを書いたほうが良いんだろうな、とは思うけど、でも韓国のそういうのはnoteとかにたくさんあるもんね。Youtubeも。私はKIM MOMOKAさんのYoutubeが好き。
- 5泊6日のひとり旅
- 航空会社はJinAir(年1回のセール期間中に取ったので往復21,050円だった、安い)
- Airbnbで借りたアパートに宿泊(신촌/シンチョン・新村駅の近く、45,000円くらい)
- 韓国に行くのは3回目
読み返すとメシの話ばっかりしてるな!私はいつもメシの話ばかりしている、どこにいても。
13:45
夜に到着する便のせいか、「行く人」より「帰る人」が多いみたいだ。「寄る人」もいるだろうけど、多くはなさそう。
家族旅行の帰りらしきお父さんと幼女が「先生になんて言うの?お父さんと練習しよう、飛行機に、乗って、日本に、行って、来ました、言ってみて」と話していてかわいかった。私も心の中で「ピエンギル タゴ イルボヌロ カゴ ワッソヨ」と何回も繰り返した。
彼女はお父さんに「楽しかった?」と聞かれ、「楽しかった、スーパーが好き」と言っていた。お父さんは「スーパー?なんでよ、ちがうでしょ、USJでしょ?」と笑っていたが、彼女は「USJも良かったよ、でもスーパーが楽しかった」と答えていた。分かるよ、私も外国のスーパーがすごく好きだ。国内でも、よその土地のスーパーには必ず行きたい。買うものが何もなくてもスーパーに行きたい。「バターがすごく安い」とか「唐辛子の種類がこんなに多い」とか「こんな野菜見たことない、どうやって食べるんや」とか言いたい。
16:14
せっかく韓国に行くのだから한강(ハン・ガン)の作品を読もうと思って昨日『すべての、白いものたちの』を買い、ブックカバーをかけてきた。赤いブックカバーは友人の手刺繍で、ものすごーーーく気に入っている。
空港で読み始めた『すべての、白いものたちの』は短編集とも言えるし詩集とも言えるように思う。静謐で硬質で、詩的で、読んでるだけで涙が出てくる。なんてかっこいい文章なんだろう。リフレインが美しい。
原文でも読んでみたいな。あ、待てよ、今から韓国に行くんだった、本屋に行けばあるんじゃないのか。行ってみようかな。
18:25
着陸してから、ものの15分で電車に乗った。すんごい早いな。こんなに早いことある?入国審査もほとんど並ばなかったし、電子入国申告書にしたから機内でちまちま住所を書かなくてよくなった。出国前にtmoneyにチャージしておいたのも良かった。スムーズ。が、借りた家まではまだ1時間とすこしある。
夜に到着すると「どうせ今日は出かけられないし、近くのイーマートとオリヤンに行くくらいで、あとは寝るだけ」と思えて、結構良いものだな。
空港鉄道にゆられながらビルの隙間に見る夕日もきれい。
19:11
電車内で『すべての、白いものたちの』を既に読み終えてしまった。本はあと1冊あるけど、もう1冊持ってきておくべきだった……?ま、帰国するときに読む分があれば足りるか。
19:59
無事、借りた家に到着。「初めての一人暮らし」みたいなサイズ感の家。ちょうど良い家で嬉しい。ホストはいつも返信が早くて助かる。「きれいに使いますね」とメッセージを送ってチェックインは完了。
半地下の家なのでやや息苦しい気がしたが、6月に借りた7階の家も、9月に借りた2階の家も、ベランダやバルコニーがあるわけではなかったのでそんなに変わらない。気のせい。
6:24
部屋の上部にある小さい窓の外側から、日光を模しているらしきライトが付いている。決まった時間なのか、日の出の時間に合わせてあるのか、とにかく朝になるとぼんやり点灯するみたいだ。それだけでも「お、朝か」という気持ちになるから不思議。
9:38
こちらでも桜がきれいに咲いている。品種が違うのか、背が高い。道がわからないのに朝の空気が気持ちよくて元気に歩いていたらめちゃくちゃでかい大学に着いた。自信満々に逆方向に歩く悪癖がある。
9:49
背中にデカデカと大学名が入ったスタジャンを着ている子がすごく多い。着て通学してるってこと?大学名が入った服を???
9:51
ステータスなのか、と急に思い至り、勘が悪いうえに理解度も低いことを恥じた。ごめん。
そうか、この大学に入学したことは、誇らしいことなんだな。そうかそうか。みんな大学に入るために、すごい勉強するっていうもんな。
私は「何に属しているかで自分を説明する人間」には魅力を感じないけれど、「何かに誇りを持っていて、それによって自分を律したり、どう在りたいか問うている人間」のことは好きだ。
12:55
リウム美術館に行ってきた。噂に違わず、素晴らしい美術館だった。
13:54
ハンナムってお金持ちのとこなんやな(雑な感想)。ベンツに次ぐベンツ。
迷子になりながらたどり着いたバスキンロビンスでちいちゃいアイスが10個載ったサンデーを食べる。果物とかヨーグルト系のさっぱりしたアイスと、バニラとかキャラメルとかのコッテリしたアイスが混ざってキモい感じにならないように、上手に積んであって感動した。すごいね。
10個も???と思ったけど、1個がスプーンひとくち分くらいなので、そんなに多いわけではなかった。いろんな味が試せてうれしいけど、どれがおいしいとかそんなに覚えていられない。どれもおいしいよ。
韓国のバスキンロビンスは日本のサーティワンとは品揃えやフレーバーは違うらしいのだが、よく考えたら私は日本でサーティワンにあまり行かないから、どこが違うとかまでは分からない。
15:09
推しの家の前を通りかかったので、心の中で一礼。
いつも、お世話に、なっております。
「推しの家」と言ったって立派なゲートと手前の棟が見えるぐらいで、全貌は全く分からない。分からなくて良い、安全な家で、安心して暮らしてほしい。
19:11
日が暮れ始めた。居心地が悪いぐらい若い子だらけの街で、今は持ち帰りのチキンを待っている。家に帰ったらチキンを食べてIGINを飲むぞ。楽しみ。
午後は自転車で丸1時間川沿いを走ったので、プールの後みたいに眠い。川沿いのサイクリングロードを走るのが夢だったので、叶ってうれしい。橋も2つ渡った。が、車輪がひとまわり小さい自転車を借りてしまったので、シャカシャカして大変だった。かっこいいロードバイクに乗っている人たちやタンデム自転車に乗っているカップルや親子連れなんかが追い抜かすときに「通りますよ~」と声をかけてくれてかわいい。そんなに広い道じゃないので、危なくないようにだと思う。自転車にはベルも付いているけど、確かに声をかけてくれるほうが良いなと思った。
そういえばさっき公園を歩いていたら女の子たちが桜の前で写真を撮るところを横切りそうになって慌てて避け、避けようにも道が狭すぎて避けられる場所がなく、ひとりでわたわたしていたら「オンニ〜ごめんなさい〜」とかわいく言われたの、ちょっと嬉しかったな。初オンニじゃないか。なんか嬉しい。初ヌナもお待ちしています。
12:09
少し遠出して、木蓮商店へ。ソウル市内ではあるけど、バスで40分ほど。一軒家まるごとの広いお店で、韓国の作家さんの器や、2階にはアンティークものも置いてある。店自体は住居だったところをリノベしたということで、木張りの天井が胸を押さえてうずくまるぐらいにかわいかった。小一時間吟味して皿を4つと古いスッカラ(スプーン)を買った。品ぞろえがとっても良くて、居るのが楽しい。母も好きだろうな、連れてきたいな。
소반(ソバン/小盤)も欲しい、でも私の家には似合わないと思う。でも、いつか家に合うソバンを見つけたい。ソバンは脚付のおぼんみたいなやつ。日本で言うお膳か。小さいのは약소반(ヤクソバン/薬小盤)と呼ぶんだそうだ。文字通り、お薬を飲むときに使ったらしい。
お店の方は日本語がとても堪能でいらっしゃって、私は「とても良いお店です、また来ます」とカタコトの日本語で言った。海外で日本語を話すと異常にカタコトになる現象、あれなに?相手の方のほうが遥かに流暢な発音で、私は言語を揃えてもらっている立場なのに母国語が下手になる。なにこれ。みんなもそう??
13:28
おなかがすいたので、スーパーの横にあるお店で쌀국수(サルグクス)を食べた。쌀(サル)はお米のこと、국수(グクス)は麺料理のこと。つまりサルグクスはお米で出来た麺料理のことである。フォーですね。
あっさり味のスープにパクチーが効いていておいしい。生の細いもやしがもりもり乗っているので食感も良い。お好みでソースを加えてね、と書いてあったので、途中で甘辛い醤油味のソースを追加して食べた。
「ホットソース」と書いてあるほうは小指の先くらいの量を試しに舐めてみたが、一瞬で汗びっしょりになるぐらい辛かった。こんな辛いものが「ホット」程度の辛さ認定なんだろうか。みんな辛いのが全然平気なんだな。私が子供だったら泣き出したぐらい辛いよ。「デスソース」とか「デビルソース」とかの表記にしておいてくれたら舐めなかった。韓国で暮らす辛いものが苦手な人は大変だな~
18:58
家の近くの雑貨屋さんに寄った帰り、雨が降って寒いのに生ものが食べたくなり、通りがかった店でユッケを食べた。海外で生ものを食べるのって、やや抵抗があったけど、そういえば日本にいても「今日生ものやめとこかな、なんか危なそう」と思う日はあるので、こちらの体調やテンションの問題かもしれないですね。ユッケはおいしかった。サーモンも食べたよ。
ユッケに添えてある大根だと思っていたものが梨だと気づいた時の味覚の感じ、ずっと覚えていたい。
7:38
雨が降ったせいで今日もすごく寒い。羽織れる服はいくつか持ってきたけど、体感温度マイナス2度はさすがに想定してなかった。旅先の天気予報を楽観視してはいけない、ということを学んだ。心のどこかで「私が旅行やねんから晴れる」と思っているのだ。図々しいぞ。
でも今日はそんなに外を歩かないから、大丈夫なはず。
14:24
美術館ハシゴの合間に、ナムジュンが行ってた호떡(ホットク)のお店へ。ホットクって食べたことない、そういえば。ホットクは小麦粉の生地に具を包んで揚げ焼きにしたおやつのこと。具はあんことか、はちみつとか甘い系と、プルコギとかチーズとかしょっぱい系もある。今日はお昼を食べ損ねているのでごはん代わりと思ってヤチェ(野菜)ホットクにした。春雨と玉ねぎ、ニラ、にんじんを炒めたの具がたっぷり入ってておいしい。これはあれや、野菜多めのチャプチェやな。具はそんなに甘くなくて、生地に合うようにあっさりした味付けにしてある。韓国の春雨は日本の緑豆春雨より太くてムチムチしていておいしい。たしか、さつまいもでんぷんで出来ている。生地はほんの少し甘い感じがする。あ、あれにちょっと似てる、ピロシキ。
が、ホットクを受け取った直後にバカ量の雨が降り出し、強風に煽られながら小走りで現代美術館まで逃げた。今日まじで天気なんやねん。もし韓国に住んでいたら、今日は家から一歩も出なかったと思う。そういう天気。
15:03
国立現代美術館で、ロン・ミュエク展だけがめちゃくちゃ混んでいる。ロン・ミュエクてこんな人気なの?韓国人に人気なの?それとも世界的に人気なの???ロン・ミュエク展って日本でやったことあるんかな。
キャプションでは材料が「いろいろ!」みたいな書き方になっていて、何もわからない。どうやって作ってるんや。質感はゴムってかシリコンぽいけど。何もわからないが、最後の展示室で制作中の映像をたっぷり観られておもしろかった。
ロン・ミュエクは思ったよりだいぶ狭いアトリエで、アシスタントさんたちとともに「どうやって作ってるっていうか、頑張って作ってる」としか言いようのない創作スタイルで、作品を作っていた。そらそうか、と思った。こんなの、頑張って作る以外に、方法はないよな。具体的には原型を粘土で作ってからパーツごとに型を取り、樹脂系の素材を流して固め、各パーツを接着して作っている、という感じ。サイズの割に重くなさそうに見えた。
이강소(イ・ガンソ/李康昭)展は会期がほとんど終わりのせいか空いていた。材料(粘土とか)を投げて作った作品が良かった。あと何回も出てくる鴨も良かった。モチーフを繰り返す創作が好きだ。
ピナ・バウシュのドキュメンタリーを上映していたので見たかったけど、これは別で予約が要るみたい。ちゃんと調べておけば良かったな。まぁ観てもドイツ語に韓国語字幕だっただろうから、何も理解できなかったかもしれないけど……でもせっかく来たし、観たかったな。次はちゃんと調べてから来よう。
15:50
アートソンジェセンターに移動して하종현(ハ・ジョンヒョン/河鍾賢)展を観た。1935年うまれだそうだ。戦後すぐは、どう考えても材料が豊富にあったとは言えないだろう。あるもので作るしかなかった、という厳しい現実が、逆説的に「物質そのものに向き合う創作」を作りだしているように感じる。
キャンバスに目の粗い麻を使い、裏側から絵具を押し出して描いたシリーズ作品が気に入った。
12:23
구이(グイ)というのは焼き物のことで、だから생선구이(センソングイ)というのは焼き魚のことだそうだ。韓国料理は調理方法と食材とがワンセットになった料理名になっていることが多いように思う。分かりやすくて好き。
鯖がおいしいらしいが、鰆があったので完全に鰆!!!と思って注文。鰆すごい好き、鯖もおいしいけどね。でも鰆があるなら鰆よ。
1匹丸ごとの超でかい鰆が登場して、怯えながら食べる。でかすぎる。お、おいしい。めっちゃジューシー……だいぶ高温で焼いてるな。厨房は汁物と炒め物をやってるから魚は外で焼いてるんやと思うけど、両面同時で焼くグリルがあるんやろうか。外側はカリカリで、中は水分が逃げずに、上手に焼けている。おいしい。でかい。ワサビを付けて食べている人もいて、真似して食べた。
中東系の観光客に人気らしく、次々に来店して、あるグループはそこでお誕生日のお祝いをしていた。焼き魚とイカ炒めだけのメニューがある食堂で祝うお誕生日、なんか良いね。かわいいな。
50分かけてようやく完食した。鰆1匹まるまる食べたの初めてやわ。日本で焼き魚定食を頼んで1匹まるまる出てくることなんて無いもんな。あ、秋刀魚は別です。
これを食べるために朝はヨーグルトだけにしたけど、それでもだいぶ苦戦した。胃袋、がんばれ。
15:56
今日は「お買い物競争」みたいな日で、楽しいというより、もちろん楽しくなくはないけど、なんか物欲の奴隷って感じ。物欲が服着て傘さして歩いてる。旅先で毎日これをやると、なんとなく精神的に参る。健全な物欲とか、健全な金遣い、みたいなのが自分の中にあって、それを超えるとしんどいんだと思う。それが具体的に何円なのかは自分でもよく分からない。そんなのが分かったら、もっと生きるのが楽だろうな。
こういう日は旅程の半分以下くらいにしておいたほうが、旅行全体が楽しく終えられるんじゃないかと思う。
16:20
駅の構内で甘くて香ばしいにおいがする。つられて歩いていくと、호두과자(ホドゥカジャ)売ってる!やったー!ホドゥカジャは胡桃の形の焼き菓子で、中にあんこが入っている。と、言いつつ私も食べるのは初めて。ちなみに호두(ホドゥ)が胡桃、과자(カジャ)が菓子の意。
あんことさつまいもとクリームチーズと、あとはちみつがあった。あんこ10個ください、と言ったらおばちゃんが「今あんこ8個しかないよ、他の味にする?」と言ってくれたので、2個はさつまいもにした。10個で6000ウォンらしい。現金で支払うの、めずらしいのでワタワタした。
駅から家までの7〜8分が待てなくて(だってあったかいねんもん)ひとつかじってみたら、あんこは意外にもこしあん(つぶあんのイメージやった、店によるんかな)、バターと胡桃が入っていて、すごくおいしい。フチのカリッとしたとこもおいしいな。胡桃は形だけで中には入ってないと思ってたけど、結構しっかり大きめのが入っている。おいしい。2個目に手を伸ばす前に家に着いたので牛乳をあたためてコーヒー牛乳と一緒に食べた。半分は明日の朝ごはんにしよう。これはブラックコーヒーにも合うね。
あったかい食べ物を買って紙袋をお腹に抱えて帰るの、あまりにも幸せで好き。
6:29
目が覚めたらジンくんの次のミニアルバムリリースが出ている。なんてこった。まぁ噂には聞いていたので驚きはしないけど、嬉しいものは嬉しい。ジンくんは前作の活動に際し「(ソロ曲の)曲数が少ないからツアーが出来ない」というようなことを言っていたので、あれを経て、もっと自分の曲が増えたらいいな、やってみたいことが出来たな、と思って、それが叶ったんだとしたら、すごく嬉しい。
24時にお知らせがいくつか出ていて、そのうちのひとつに「coexのどデカモニタに映像を流すよ!30分に1回流れるからね!6時に始まるよ〜!」というものがあった。6時て、朝の、6時か。もう始まっとるやん。coexはどこなん。……小1時間ぐらいで行けるんか。今日は帰る日やねんけど。でも昼頃空港に着けばいいから、間に合うな……幸い昨夜はパッキングを済ませてから寝ていて、あとはパジャマを畳んで入れて、今日はホドゥカジャをつまんでコーヒーを飲むぐらいしかやることがない。行くかcoex。お湯を沸かす時間とマグカップを洗う時間を短縮するため、コーヒーはパスした。ホドゥカジャは電子レンジでちょっとあっためてから食べた。
ゴミを捨て、タオルをまとめてチェックアウト。コンパクトで良い家だったな。ソウルは資源ごみ(ペットボトル、紙パック、缶、瓶、プラスチックなど)をぜんぶまとめて入れることになっていて、いつもちょっと不安になる。
9:05
ばっちり映像を観られた。ありがとうジンくん。今日も抜群にかわいい。幸福の形をしている。幸福が人間の形をしている。
この映像は30分に1回流れるらしい。まだ時間あるからあったかいコーヒーでも飲んで、9時半の回も観よう。写真も撮るぞ。
10:39
めちゃくちゃおなかすいた。ぜったいに탕수육(タンスユク)食べたい。タンスユクは日本で言うところの酢豚。が、酢豚はケチャップとお酢で甘酢を作るのに対して、タンスユクは醤油とお酢で作る。甘酢餡は「かける派」と「つける派」に分かれるらしい。私は「かける派」。お肉には結構ガチッと衣が付いているので、かけてもカリカリ感は楽しめるし、よく絡んだほうがおいしいと思う。
今書きながら気づいたけど탕(甘い)수(お酢の)육(肉)か、なるほどなるほど。
12:48
空港のフードコートで望み通りのタンスユクを食べた。めちゃくちゃでかいと思ったけどペロッと食べた。ここのはたぶんレモンが入っていて、とっても爽やか。そういえばジャジャン麺があるところにはタンスユクがあり、カルグクスがあるところにはマンドゥがある。つまり、なんかセットで食べることになっているんだと思う。こういう料理って他にあるんだろうか。知りたい。
おなかも膨れたし、暇なので、免税の申告をやってみたら7500ウォン返ってきた。こんなに返ってくるのか。知らんかった。地味に嬉しい。
7500ウォンて絶妙やな……申告し損ねても悲しみに暮れるような金額ではないけど、キオスクでピピピとやるだけでもらえるなら嬉しい、ぐらいの金額じゃない?もちろん買ったものの金額に比例しているのだから、申告し損ねて悲しみに暮れるような金額が返ってくる人もいるだろうけど。こんなに簡単なら、毎回やろうっと。
13:21
本屋さんの前を通りかかったら「HAN KANG」のポップに気づいた。『すべての、白いものたちの』が売ってたので買った。読めるかな。ま、読めなくても別に良いか。
ハン・ガンから始まってハン・ガンに戻ってきたみたいな旅行になったな。いいぞいいぞ。
17:15
搭乗が10分遅れ、離陸が30分遅れたけど、着陸は定刻から20分遅れくらいだった。帰国時の税関申告にもキオスクが導入されており、用意しておいたQRコードを読み込めば紙の提出もなく、超スムーズに終わった。パスポートを読み取るとまず「おかえりなさい」と表示されてかわいかった。ただいま。
入出国の手続きがすごく楽になったな……入国審査で怖い顔の審査官に「観光です」と答える準備をしていた15年前は嘘のよう。
荷物の受け取りを待っていたら、検疫犬のビーグルがキリッとした顔で仕事をしていてかわいかった。
20:08
家に帰ってきてからキャリーを開けるのは億劫ではあるけど、時間が経てば経つほど面倒になるので、帰宅即やったほうがいいと思う。お土産を開封したり、友達にあげる分を選んだりするのは楽しいけど、そういう楽しいのはいったん後回しにして、すぐに洗濯機をまわす。洗濯機に突っ込んでしまえばあとは干すしかないし、干して乾いたら畳むしかないので、ある意味全自動でコトが進む。
前に買ってきたのとは違うマッコリを買ってきたので、実家に持って帰ってサムギョプサルをやるつもり。
leisurely
2025年4月1日 (火) 20:46
なんやかんやでガチャガチャやってたら2025年度を迎えましたね。「年度」って別に関係ない人からしたら本当に関係ないものなんだろうな。って超当たり前のことを言ってしまった。
私は「年末」よりも「年度末」のほうがさらにバタつくので、「年明け」より「年度はじめ」のほうが「あけましておめでとうございます」感があります。
エイプリルフールってもうどこに需要があるのか分からないぐらいのものだと思うけど、まだやってるな。「嘘をついて良い日」ってなんなんだろう。だってそもそも「ついて良い嘘」などなくない……?いや、こんなん真面目に言うことでもないよな。でもなんか、毎年モヤッとはする。私だけか。
企業のSNSアカウントとかでやってる嘘の商品情報を流すやつとか、あれは、おもしろいのか。あの、こういうのを大真面目に「あれ何がおもしろいんですか?」と言ってるのもつまらないよな。かといってあれを真正面から「おもしろいね」って言ってる人もつまらないし、本当に全方位つまらなくないか。それにさ、まじでその商品が販売されると思って「ルン♪」としたり、あと、アーティストとかがほんとに活動を終了してしまうんだと思って「シュン……」としたりする人の気持ちを、「エイプリルフールでした~!」で済ませて良いと思ってるってことでしょう。「エイプリルフールです」って言いさえすれば。それで「え、信じたんですか、エイプリルフールですよ、分かるでしょ」って言って良いと思ってるってことでしょう。
やだな。正誤の話ではなくて、単純に嫌いだわ。気色悪い。私、エイプリルフール嫌いです。
どっちにしてももう灯油がないのでストーブをしまおうと思うのだが、ここ3日くらいすごく寒い。寒くたって灯油がないからストーブを出していても意味がないって頭では分かっているのに「だってまだこんなに寒いのに」と思ってしまう。でももう灯油がないんだってば。桜も咲いたのに、今年は結構ダラダラ寒いね。
韓国旅行がわりと目前で、慌てて予定を立てている。今回は5泊なので、中4日分ある(うれしい)。あまり細かく予定を立てる気はないけれど、美術館はだいたいどこも月曜が休みだし、平日しか開いていない飲食店もあるし、把握しといたほうが楽しいだろう。今回は郊外にある陶磁器のセレクトショップに行くことと、自転車に乗って漢江を渡ることを目標としている。お天気が良いといいんですけど。そんなことより山火事は大丈夫だろうか。規模がすごく大きいみたいで心配している。鎮圧して終わりってわけにいかないだろうし……
韓国から帰ってきたら手しごと市の出展があるので、準備を……と思うけど、こういうのって具体的に何を準備すればいいんだっけな。デカめの布が要る(テーブルにかける)ことはデザフェスの経験から知っているので、母にミシンをお願いした。こういうタイプのイベント出展は10年近くぶりと思う。
こんなに長期的かつ計画的に在庫を増やしたことがないので、すごく楽しみではある。自分が買う側だと「これも良いし、あっちもかわいい、どれにしようかな、あっ色違いもあるのか」みたいな感じになってると楽しい。つまり「選ぶ」のが楽しい。結果として買わなくても「買うならどれかな」って考えるの、楽しいでしょ。
丸1年分かかってコツコツ作り溜めたので、選んでもらえるだけの物量になってると思う。うまく見せられると良いんですが。頑張ります。
10年前とかってあんまりコツコツ作り溜められなかったな。あれどういう理由やったんやろ。ガッと作ってガッと売る、みたいなのを繰り返してたし、気が短かったな、と思う。……年齢か。年齢かも。今度はもう少し気長にやりたい。
テアトルパピヨン
2025年3月21日 (金) 20:00
自宅の見学会が行われることになった。リノベーションをやってくれた会社から連絡があり、「何度か相談会に来てくれた人たちを対象に、田中さん家の見学会をしたいんですけどどうですか」みたいな話だった。私が家を買ってから6年が経つ。もうそんなになるか。早かったな。
家は今もすごく気に入っているし、打ち合わせは毎回楽しかったし良い思い出ばかりなので、事例として参考にしてもらえるならぜひぜひ、と思う。
が、家は竣工当時に比べたら物が増えているし、隅々まで掃除が行き届いているとは言い難い。慌てて掃除を始めたら「服こんな要る?」モードが発動してしまい、あっという間にゴミ袋2つが完成した。窓も気になって拭き掃除をしたけど、腕がバッキバキ。窓の多い家よ。
物は買うより捨てるほうが遥かに面倒だということを肝に銘じて生活しようと思う。分かってるけど忘れるねんよな~思い入れとか愛着とかって、物そのものとは別なのに、どうしてもいっしょくたになってしまうね……かといって、生活に要るものだけが必要最低限ある家なんてまっぴらごめんだ。そんなのはミニマリストにやらせておけば良い。私は愛着と執着で巣みたいになっているのに一見片付いている、みたいな家をやります。年に一回使うかどうか、みたいな皿だって捨てないし、花がいけられていない花瓶だって捨てない。
お弁当を持っていくようになった、という話をすると「えらい」「すごい」とたくさん言ってもらえる。会社の周りにある飲食店に行き尽くして、心底飽きたから、という消極的理由だし、ジップロックコンテナに適当なスープか炒め物を入れているだけなのだけど、どうも「自炊しているのがえらい」という価値観があるのだと思う。一方で、毎日3食家族全員分の飯を煮炊きしている母が「えらい」「すごい」と褒められているのを、実家で暮らした18年間で一度も見ていないんじゃないかと思う。なんだこの不均衡は。私は自分の飯を自分で作っているだけだが、母は人の飯も、自分は食べない人の分の弁当まで作っていたのに。しかも無償で。
ちなみに私の今日のお弁当は温泉卵(炊飯器でまとめて作った)、納豆(パックのまま)、かつおぶし(小分け袋のまま)、冷凍ごはん、インスタントのお味噌汁(わかめが少ないので足す)である。これでも「えらい」し「すごい」のだとしたら、母が作ってくれていたお弁当は紫綬褒章ぐらいもらってないとおかしい。
先日、友人とクッキーを買いに出かけた。「今って詩がなさすぎる、日本って全然詩がないよ」という話が友人に通じて、すごく嬉しかった。こういう感覚的な、しかも肌感覚的な話をするのは結構怖いことだ。大抵の場合、そもそもの話自体が通じないし、通じたとしてもこんな話に出口はない。私も別に解決策なんかを求めているわけじゃないし、なんというか、種しかない話だからだ。肌感覚の域を出ない話なので、「例えばどういうこと?」とか聞かれても困る。話しておいて何か聞かれたら困るなんて、無茶苦茶だと自分でも思う。でもそういう話ってあるでしょう。
友人はこの種でしかない話を理解し、かつ同意して、「でも元々は詩があったはずやんな、だって和歌の国やのに」と言ってくれた。うれしい。
日本にはいま詩がない。そのせいでひもじく、貧しく、奥深さがないんじゃないかと思う。なんでも二項対立の構造にして、ぜんぜん詩的じゃない。韻も踏めないし、波が生まれないから、リズムとかメロディーとかグルーヴが生まれない。詩がない。詩を取り戻すにはどうすればいいんだろうな。
THE ORIGIN OF LOVE
2025年3月10日 (月) 19:43
来週シルクスクリーンの作業場に行くので、版下を作った。自分でも不思議だけど、まだ作りたいのがあってびっくりする。ネタ切れみたいな状態になるかな、と思っていたのだ。全然ならない。
「また同じようなのを描いてるな」とは思うけど、これについては意図的に気にしないことに決めた。自分が同じようなのを描くことに飽きててつまんないなら問題だけど、そうではないのだから、気にしたってどうにもならない。気にしたってどうにもならないことを気にしている時間があるなら手を動かすべきだと思う。手を動かす以外に、ものを作る方法はない。
ベーグルを焼いてみた。思わず「こんだけ?」と声に出してしまうほど材料が少なかった。油も使わない。うっすら味付けした強力粉をお湯で練ったのを焼いただけの食べ物……なにこれ。焼く前に茹でる、という工程もある。なにそれ。ケトリング、というらしいのだが、ベーグル独特のむぎゅっとした食感を作るために重要らしい。生地を茹でる、という工程がある小麦粉料理はめずらしいと思う。うどんとかすいとんとかは小麦粉を茹でるけど、あれは加熱の工程やから全然違うもんな。焼く前に茹でるってなんやねん。不思議。
お菓子と違って手でこねる工程があるのも楽しい。ベーグルは生地がかたいのでこねにくいけど、やりがいがある。徐々につるんとしてくるのもかわいいし。
成形がむずかしくてあまりうまくできなかったけど、最初から成形がうまくいくことなんてないから気にしない。シュークリームだって最初は成形が難しかったもん。
味はとってもおいしかった。250gの強力粉で4個出来た。焼きたてもおいしいけど、せいろで蒸してあっためたのがすごくおいしい。クリームチーズとはちみつを挟んで食べた。
今週はフォカッチャを焼いてみた。ベーグルよりもっと簡単。夜、生地をつくっておいて冷蔵庫で発酵させ、朝起きたら焼く、という感じ。ほとんどこねなくて、ゴムベラでぺたぺたやるだけ。あんまりおもしろくはない。レシピでは「なんでも好きな具をのせたらいいよ」みたいな感じだったので、去年のフジロックのときに新潟で買ってきた温泉水の塩とローズマリーをのせて焼いた。フォカッチャってローズマリーが植えてあるイメージある。
おいしくできたけど、お皿に入れて焼いたせいで底面がめっちゃくっついた。オリーブオイルを塗っておいたけど、あかんかったみたい。次はクッキングペーパーを敷いてみようと思う。
ベーグルにしてもフォカッチャにしても、もっと美味い粉を使う必要があるな、という感じがヒシヒシした。お菓子は「バターと砂糖とたまご入っとんねんから美味いに決まっとるやろうが」という大前提があるのに対して、パンは「小麦粉と水しか入ってないのにどうしろと?」みたいな感じがある。美味くなる要素が少ない。もっと美味い粉を使う必要がある。
映画館で『ウィキッド』を観た。素晴らしかった。拍手したかったけど、恥ずかしくて……観るまで知らなかったけど、続編があるみたいだ。オープニングで「Part 1」と出てたよ。2まであるってことでいいんだろうか。
私は劇団四季のウィキッドを観たことがあるので、話の筋とか曲は知っているけど、それでも楽しめたし、とっても満足した。アリアナ・グランデもさることながら、シンシア・エリヴォの歌声が素晴らしかった。声だけで泣いちゃう。ミシェル・ヨーもぴったりで、良かったね。
一番泣いたのは、パーティーに来たエルファバがひとりで踊り出すシーン。意地悪な視線に晒されながら音楽もなく踊るエルファバに、グリンダが理解や共感を示して一緒に踊り、寄り添うシーンなのだけど、ちょっと乱暴に見えるぐらい「理屈なし」のシーンで、それがとても良かった。私は無自覚に「理解や共感には理屈が必要」だと思っていたんだなと気づいた。それこそ理屈なく、「そういうものだ」と思っていた。でも違った。違うと気づいた。エルファバはなぜ踊るか説明しないし、グリンダは踊る彼女から何をくみ取り何を理解したのか説明しない、すごく良いシーンだった。誰も何も説明しないのに、ふたりは友だちになるのだ。理屈も理由もなく、人は人を理解できるんだなと思うと、それってすごい希望じゃないですか。こういう希望って、映画にこそ与えられたいと思ってしまう。
あえて理屈っぽい解釈をするとすれば、グリンダが周囲から日々浴びている「好意」と、エルファバが周囲から日々浴びている「嫌悪」とは、「記号的である」という点で本質的には全く同じものであり、同じものを大衆から向けられている人間の気持ちを、グリンダが分からないはずない、というシーンだったと思う。「嫌悪」を浴びてもはや踊るしかないエルファバを見て「あの人は他人からどう思われてるか気にならないんだな」と言えるフィエロに対して心から「違う、分かってない」と返せる人は、あの場ではグリンダただひとりだけだった。
あと、私は「生まれながらにして精神的に強い人なんかおらん」と思っているので、そういう意味でもあのシーンは嬉しかったな。自分が抱きしめられたような気持ちだった。
観たい映画が立て続けに公開されるので、毎週映画館にいる。よく行く映画館が改装中なんだけど、全然好みじゃない建材で表面だけキレイにされていて悲しい。映画館の内装なんか、と思う人もいるだろうけど、私は毎週行く場所に全然素敵じゃない塩ビシートが貼られているの、普通にしんどいよ。
浴びるほど金を稼いだら映画館をやりたい。ロビーはクラシックなホテルみたいにカーペット貼りにする。濃紺か深いグリーンも良いし、思い切って赤にするのもいいな。でも壁にも色を使いたいからな、どうしようかな、ちょっと考えさせてください。艶のある木製のチケットカウンターにして、窓口の数だけペンダントライトをつける。映画館オリジナルのグッズも作りたいし、売店でポップコーンとホットドッグと、あとおにぎりも売るぞ。おにぎりのほうが腹持ちがよくない?餅系のフードも売りたい。ロビーはチケットカウンターのところ以外はもっと暗くて良いと思う。手元にパンフレットを読める程度の明かりがあれば、あとはもっと暗いほうが落ち着くし、天井も低めにしたいな。
わぁ映画館めちゃくちゃやりたいな。でも初期費用というより維持費用がすごいかかるだろうな……あと興行の仕組みが全く分かってないわ。映画館てどうやったら作れるんやろ。調べてみます。
不味不味
2025年3月8日 (土) 16:53
タイプロを、全部見終えた。最終審査まで残った俳優部のおふたりが、良くも悪くもケア要員的な立ち位置になってしまうことが気にかかっていたが(まぁ年齢的にも経験値的にも仕方ないのだろうけど)そういう部分も含めてきちんと評価されたうえでメンバー入りになったのが、なんか良いなと思った。こういうの、なんか「すごく感謝しています」みたいなことで済まされがちじゃないですか?言ってること分かる?なんかさ、能力だけ借りて、借りるだけ借りて、「本当にありがとう!!!とっても助かりました!!!」みたいなので終わりにされること、結構あるでしょう。あれムカつくねんよな。人の努力の賜物をラッキーオプション扱いしてタダ乗りすんなよ、と思ってしまう。正しく対価を払え、払えないなら使うな。
オタクは変化を嫌う生き物なので、既存ファンのみなさまのお気持ちを思うと苦しさもある。だって例えばバンタンから2人抜けてさ、メンバー追加オーディションやるわ~ってなったらさ、それだけでもう既につらいもん。名前変えて5人増やして、でも既存曲もやりますって、だいぶつらいよ。もちろん受け入れられなくて降りたファンも少なくないだろう。それでも自分なりに落としどころを見つけて、これからも応援しようと思ってくれるファンの人たちに、支えられる部分は今後も大きいだろうな。胸が苦しいよ。
それにしても、オタクの変化の嫌いっぷりったら尋常じゃないよな。私だって正直に言えばバンタンは宿舎でいつまでも7人一緒に暮らしてほしいし、グクは永遠に赤ちゃんでいてほしいし、食後のラーメンを8人前茹でて7人でガツガツ食べていてほしいもん。相変わらずだな~とか言ってニコニコ安心していたい。でもそうはいかない。そうはいかないからこそ、美しいと思う。永遠ではないものを、まるで永遠みたいだと感じるから、美しいんだと思う。「最近胃もたれしてラーメンとか食えない」って笑うバンタンを見るためにも、長生きしたいな。
映画館で『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を観た。ボブ・ディランの伝記映画。私ボブ・ディランてほとんどまったく通ってないけど、通るべき道だったのを通り過ぎちゃってるんじゃないか、という気持ちになった。ジャズもそうだったけど、フォークも「どこから入ればいいかわからない」感じがあって、通り過ぎて生きてきたと思う。あと途中で出てきたエレキで弾き語りする人、めっちゃ前野健太やん?と思ったけど、たぶん普通に逆やねんよな。前野健太があの人の先におるねん、あの人名前なんやっけ。映画館だと一時停止してメモが取れないのがつらい。
「どこから入ればいいかわからない」ものは大体「そもそも入口らしき入口がない」のだと思う。でもこういうのは経験上知ってる、こういうのはな、どこから入っても大丈夫なやつ。
ボブ・ディランに限らず、なんか「良い人であってほしい」みたいなのを背負わされる人は大変だな、と思った。良い人で、お行儀がよくて、ウィットに富んでて、キレ者で、あふれんばかりに才能があり、でも腰は低く、穏やかな性格で、みたいな、人前に立つ職業の人全員にそういうのが求められてるなぁと思うけど、もしかしたら別に最近そうなったってわけでもないのかしら。どう思われてるか、が具体的に表面化されて、双方が閲覧しやすくなったってだけで、もしかしたら1950年代からずっと変わってないのかも。困ったね。
でも本当にそんな無味無臭の品行方正な人だったら、音楽なんかやらずに生きて死ねると思うけどな。音楽とか、詩とか、物語が要る人が、そんな大した人間であるはずがないと思う。みんなの期待に応えられるような人だったら、何を望まれてるかきちんと理解できて、その通りに生きられるような人だったら、物語なんか必要なかった。私もそうだよボブ・ディラン。一緒くたにしてごめん。
映画館のサブスクがあったら入りたい。大赤字だろうから、実現しないと思う。いくらぐらいだったら入るか考えたけど、年額5万だったら余裕で入る。7万でも入るな。10万だと悩む。
でも映画館がサブスクだったら、1回観た映画をもう1回観るハードルがかなり下がるだろうな。あまり間を空けずに2~3回観たい映画ってあるよね。
夜、頼まれごとに取り掛かる。楽しいことを頼んでもらえてうれしい。私はアーティストではなくデザイナーなので、求められることに応えることが仕事と言える。それが出来ているかどうかは判断が難しいが、まぁ15年食えているということは「まずまずの出来」ぐらいの評価は得られているんだろうと思う。そう思いたい。
傍に立つ
2025年2月26日 (水) 20:50
遅ればせながら、timeleszのオーディション番組、通称タイプロを見ている。
そのうち見よう、完結したら見よう、と思っていたが、どうやらすでに完結し、新メンバーを加えての活動が始まっているようだったので、追っかけで見始めた。思ったよりボリューミーで、18エピソードある。5次審査まで見たのであと少しです。あと2エピソードかな。ここまで来たらネタバレ踏みたくないけど、Twitter見ないしテレビもつけないので、全然余裕な気がする。
私はtimeleszについてそこまで詳しくはないものの、既存メンバーの顔と名前は一致している。デビュー時に「とんでもねぇグループ名やな」と思ったぐらいで、ただし嵐との関係性もあるグループだったので、目にする機会は多かったように思う。メンバーの活動休止や脱退のニュースも知っていて「たくましい子たちなんだな、頼もしいな」と思っていた。
人間が人間同士でやることに「絶対」や「永遠」は無いと知っているので、グループで活動することの大変さや難しさはよくわかる。グループに残る人たちが、続けていくということを選択して、続けていくためにも新しいメンバーを迎えたい、仲間探しをしたい、というのがプロジェクトの発端らしい。どうすれば続けていくことができるか、どんな方法があるか、たくさん考えたんだろうな。こういうのって、去る人より残る人の方がダメージが大きいように思う。去る人が楽だって言いたいわけではないけど、でも辞めるより、続けることの方がストレスがかかるんじゃないか。えらいな、自分の人生を、自分でちゃんと考えてて、えらいな。当たり前にできることじゃないと思う。
タイプロを見ていると候補生うんぬん以前に、既存メンバーがみんな、それぞれに自分たちの仕事に愛とプライドを持っていて素晴らしいなと思う。自分たちがやってきたことや積み重ねてきた経験に愛着があり、プライドがあることが、ちゃんと伝わってくる。これって、ファンの人にとってもうれしいことだろうな。自分が愛したグループが、メンバー自身にもちゃんと愛されているって、うれしいもんね。きっとファンからの反発は大きかっただろうし、離れていくファンだって少なくはなかったかもしれないけど、でもこんなふうに実直で、誠実な姿を見ていたら、応援したいと思う人がたくさん増えるだろう。こうやって映像に残っていることで、一度離れた人たちにも、いつか伝わるかもしれないと思う。そうだといいな。
事務所の先輩たちへのリスペクトが常にあることも素晴らしかった。いろいろあったし、まだ渦中なので肯定も否定もできない事務所ではあるけど、でも所属する人たちがこれまでにやってきたことや積み重ねてきた経験が揺らぐものではないよな。既存メンバーが先輩たちに抱くリスペクトだって、変わるものではないのだと思う。自分が憧れた先輩たちが拓いた道を自分たちも歩いているし、そのことを候補生にも同じように理解して、尊重してほしい、それが出来る人に仲間になってほしいと思う気持ち、すごくよく分かる。
4次審査から参加した俳優部の人たちも良かった。
正直「え、そんなシード権みたいなんアリ?そもそも聞いてないけど…そんなん最初に言うとかなあかんのちゃうん…」と思ってなんかちょっとヒヤッとしたけど、彼らの実力を見るともう何も言えない。歌もダンスも群を抜いているし、何より立ち振る舞い・所作がまったく違う。人に見られ慣れているし、何をどうすればどう見えるかみたいなところに自覚的だなと感じる。まじで素人と全然違う。
私がまだ見ていない2エピソードでどう展開するのかは分からんし楽しみだけど、他の候補生にかなり刺激的な影響を与えていると思う。私は寺西拓人さんを応援しています。
あとは菊池風磨さんを見ていると、刻み込まれたDNAのように櫻井翔イズムを感じて、めちゃくちゃグッときてしまう。話し方、立ち姿、語彙から所作に至るまで、ぜんぶに翔くんを感じる。もはや見える。スタンドみたいな。
私が菊池風磨さんご自身より翔くんのことを知っているからそう感じるだけなのかもしれんけど…でもふたりはすごい仲良かったよな、たしか。大学も一緒やった気がする。もともと似てるとこがあるんか、と思わなくもないけど、でもそんなレベルかな……似た要素がある、程度のことならあんなにイズムを感じないような気もします。
あと2エピソードなのだから、普通に全部見終わってから書けばよかったな。ふはは。
futura
2025年2月25日 (火) 19:57
甥1が「あのな、こないだバックトゥザフーチャー観たで、めっちゃおもろかった」と言っていた。私は「フューチャーな、フュ」と訂正しつつも、同じ映画をみて同じように「めっちゃおもろかった」と言い合えることがうれしいと思った。私も甥1と同じ5歳か6歳のときにバックトゥザフューチャーを観たし、同じように「めっちゃおもろい」と思ったのだ。記憶もある。
甥1には「バックトゥザフューチャーめっちゃおもろいよな、あれよりおもろい映画ないで、あれが世界でいっちゃんおもろい映画」と言っておいた。両親は「そんなことないやろ」と言って笑っていたが、私は大真面目だ。あれよりおもろい映画があったら教えてほしい。無いと思う。あれより好きな映画、感動した映画、グッと来た映画、心に残っている映画、思い出深い映画、などは挙げられるかもしれないが。
バックトゥザフューチャーほどドキドキわくわくして、キャラクターが魅力的で、ストーリーがおもしろくて、何回観ても楽しめて、絵面も素晴らしい映画、まじで他になんかある?あったら知りたい、教えてほしい。
長編映画を観られるようになってきた(おそらく区切りながらではあるけど)甥たちは、ディズニー、ピクサーまわりの映画を繰り返し観ているようだ。実写の洋画を観たのはバックトゥザフューチャーが初めてなんじゃないだろうか。次に観てほしい映画を考えるとワクワクする。が、あんまり口出ししたくない気持ちもある。エゴが過ぎると思う。
そうなると、意図せず映画と出会う機会のひとつである金曜ロードショーはありがたいものだなと思う。今はサブスクで山のように映画が見られるけど、アルゴリズムに左右されずに映画と出会うことも同じくらい大事だと思う。
4月にまた韓国に行くことにした。3月は毎年しんどい仕事が多いので「これが終わったら旅行」と思えるように、4月にした。ちょうどジンエアのセール期間だったので、いつもの半額以下くらいの航空券が買えた。ラッキー。夕方の便になっちゃったからちょっともったいないけど、まぁ良しとしよう。そのぶん高い宿にしよっかな!と思ったけど、2万くらい上げても、そこまで大きな差にはならないのでスルーした。去年泊まったエリアとは違うところにしたので楽しみ。毎回違うところを拠点にしたら楽しいだろうな。美術館にたくさん行こうと思います。
nothing is real
2025年2月12日 (水) 20:59
飛び地的な祝日を有意義に過ごせると得をした気持ちになる。寒波でやばいので家にいようと思っていたけど、目覚ましもかけていないのに7時半に目が覚めた。こういうとき「年取ったなぁ~」と思う。夜ふかしもできないし、10時間睡眠とかもできなくなった。生活がどんどん朝型になる。朝5時に散歩する爺さんの気持ち、めっちゃ分かる。多分私もそうなる。
布団の中で映画館のスケジュールを確認し、今日は「リアルペイン」を観に行くことにした。
昨日届いたSTAND OILのかばんを持って出かける。STAND OILはずっとかわいいと思っていた韓国のブランドだ。9月に渡韓したときお店の前までは行ったけど、結構並んでたから入るのを諦めたのだった。また行けばいいや、と思っていたけど、先週うっかりネットで買ってしまった。悩んだけどBUTTER BAGっていう、四角いのにした。黒か茶色が使いやすいかな~と思ったけど、BUTTERなので黄色にした。ほんとにバターみたいな、こっくりした黄色。かわいいかわいい。
「リアルペイン」はとんでもなく好みの映画だった。ジェシー・アイゼンバーグが脚本を書き、監督し、出演している。前作が好みだったので、たぶんこれも好きだろうな~と思って観たけど、予想を大きく越えてよかった。
派手か地味かで言えば、圧倒的に地味な作品ではある。ジェシー・アイゼンバーグがどういう人なのか詳しく知らないけど、過去の出演作を見るに、派手な映画は撮らないタイプじゃないかと思う。前作も地味ではあった。ただ、本当に思慮深い人なんじゃないかと思ったりもする。
ストーリーの大筋は「従兄弟とふたりで祖母の故郷であるポーランドを旅行し、史跡をめぐるツアーに参加する」というもの。大事件は何も起きないのに、私は笑ったり泣いたり忙しかった。
祖母がどうにか生き延びたその先に自分たちがいること、従兄弟が自殺しようとしたこと。ガス室で殺されたユダヤ人、睡眠薬で死のうとした従兄弟。強制収容所を訪れること、そこへ行く道中で一等車に乗ること。みたいな、相反すること、あらゆる矛盾についての映画だったと思う。愛することと憎むことは残念ながら表裏ではないし、同じ強度で共存する。でもそのことを認めると整合性が取れなくなるあの感じ、いや、整合性など元から取れていないことに気づいてしまうあの感じが、映像になってそこに置いてあった。
なんにでも説明がついたり、オチがついたりすると思っていられた頃はよかったな。そんな頃なかったか。
シーンが空港で始まって、空港で終わるのも良かった。繰り返すものが好きなので……あと私は空港も好きだ。人が通り過ぎるところが好きだし、音がもこもこするのも好き。
こういう映画、宣伝が難しいだろうな。「リアルペイン~心の旅~」と副題が付いてるけど、これは余計だと思う。ごめん。でも「リアルペイン」と言われて「わぁおもしろそうな映画!絶対観に行きたい!」とはならないだろう。かといってこういう、観ればタイトルの意味が理解できる系の映画に邦題を付けるのは難問中の難問でそれこそ野暮だし、せめて副題でも付けようか……と思う気持ちもよく分かる。
「この旅の先に、僕らは未来を見つける」というキャッチコピーも苦しい。この映画のエンディングで「未来を見つけ」てたとは思えないし、そもそも「未来」て「見つける」ようなもんか?生きていれば良くも悪くも勝手に来るのが「未来」であって、作中でデヴィッドとベンジーが苦しいのは「未来を見つけ」られないからではなくて、どうにもならないものを抱えて生きているからじゃないのか。とはいえ何かキャッチコピーを付けてこの映画を説明しようと試みる気持ちは理解できるし、私が他に良いのを提案できる気もしないが……
ものを作るのって大変だけど、それを宣伝したり、紹介したりするのだって同じくらい大変よな。
映画のあとはユザワヤへ。春に手しごと市に出ることにしたので、ブースに使う布を買いに行く。事前に要る布のサイズを計算していなかったので、結局買わずに退散。お店はのすみっこで電卓をたたき「7m要るな……?」と考えていたけど、家に帰って落ち着いて計算したら4m50cmで十分足りる。アホの計算。
帰りに元町の好きな韓国料理屋で、お惣菜を買って帰った。いつもキンパを買うけど、今日はいろんなお惣菜がちょこちょこセットになっているのと、チャプチェにした。どれもおいしい。このお店がずっとここにあってほしい。
夜、友人が送ってくれた苺が届いた。今年の年賀状に「苺を作り始めた、良いのができてるからよかったら送るよ」と書いてくれていたのだ。すごくうれしかった。ただの社交辞令だと思えばそうかもしれないと思ったけど、でもこういう優しさとか、ほっといたら絶えるような交流とかを、ちゃんと握りしめて生きたい。ま、そんな大げさな話じゃないけども。ただの食いしん坊です。私は今年最初に刷った苺のハンカチを添えて「苺うれしい、大好物!待ってるね」と手紙を返した。
私はその友人が送ってくれる年賀状が毎年すごく好きだ。絵も字もかわいいし、絶対に私には作れないものが詰まっている。私が練習したり、真似したりしても、永遠に手に入れられないものだけで出来ているのだ。いいな、こんなのが描けて、いいな。
届いた苺は、白い緩衝材の上にきれいに並べられ、つやつやと光っている。こんなにたくさん!!?と焦るぐらいの量だったけど、このために空けておいたみたいに冷蔵庫の野菜室はすっからかんだった。
さっそく食べてみると、すごくおいしい。甘いけどすっきりしている。さっぱりした甘さ。大きめの口で食べても3口分はあるぐらい一粒が大きい。あの子こんなん作れるんや、すごい、これって作れるもんなんや……と、しばしボーっとした。食べものって、おいしいときすごいボーっとなる。しかも、こういう何の調理も加工もしていない、素材そのままのおいしいものってすごみがある。神々しいな……と思いながら、キッチンで立ったまま3個も食べた。食べ過ぎ。
お礼に何を送ろうかな、私も何かおいしいもの送りたい。何かリクエストがあるか聞いたら「姪っ子たちが喜ぶものがいい」とのこと。かわいい。
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