TANAKA NOZOMI

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日記(パン)

2022年1月14日 (金) 21:03

uncategorized

今年いちばん高い食事をし、おいしかったね、と言い合いながら友人を駅まで送り、ご機嫌で帰り道を歩きながら気づく。パンがない。明日の朝、食べるパンがない。
私は朝はパン、いや、できれば昼も夜もパンが食べたい。パンが好きだからだ。
通りがかったセブンイレブンで、適当なパンを買おうとするも、食べたいパンは無い。間に合わせでとりあえず食パンを買うべきか悩むが、明日は祝日だ。家にパンがないなら、パンを食べに行けば良いじゃない。よしそうしよう。

翌朝、起きたら8時半だった。早起きとは言い難いが、休日にしては悪くない。天気もいい。昨日に引き続き、洗濯もしよう。寝ているうちに届いていたiPhoneの通知を確認し、それに返信したり、推し(ジンくん)の写真を眺めて幸せな気持ちに浸っていたりしていると、いつの間にか二度寝してしまっていた。次に目が覚めたら11時半だ。二度寝が長い。
布団から出て洗濯機を回す。身支度を済ませつつ、パンがないことを思い出す。おなかすいた。行ってみたかった近所のスコーン屋がいいかな、あそこ祝日は閉まってたかな、サントスでホットケーキ食べてもいい、いやでも、パンが食べたい、バターが染みたトーストがいい。よっしゃにしむら珈琲やな、にしむら珈琲一択。

洗濯物を干したり、掃除機をかけたりしていたらもう13時前になってしまった。おなかすいた。にしむら珈琲はまぁまぁ混んでいる。読んでいた文庫本を置いて、山型食パンが3等分されたトーストを食べる。カラシのきいたドレッシングがかかったサラダを食べる。お皿には目玉焼きが2つ、黄身をくずしてパンにつけながら食べる。そういえば私は、ハムエッグばかり選ぶので、ここではベーコンエッグを食べたことがない。次回はベーコンエッグにしよう、と思いつつ、でもたぶん次回は忘れている。

にしむら珈琲を出たら、明日食べるパンを買うためにイスズベーカリーへ行く。パンを食べるために出かけ、パンを買って帰るのだ。パンに支配された休日だ。カスクートとミートパイとチーズフランス、それからいつもの食パン、食パンは最近4枚切りを買っている。

ポイントカードが満杯になった(つぎ300円値引きしてもらえる)のでご機嫌で歩いていると生田神社を通りがかる。今年まだ初詣いってないねんよな、と中を覗き込むと、わりと空いている。あら、空いてんのかい、ほなちょっとご挨拶していこ。
そういえば生田神社は散歩がてらたまに来ることはあるけど、初詣は初めてなんじゃないかと思う。お賽銭を投げて手を合わせ「あけましておめでとうございます、タナカノゾミと申します、お世話になっております、元気です」と心の中で挨拶をする。手を合わせて何を思えばいいのか、年々分からない。突然「元気です」と言われても、困るだろうな。ごめんね。あとパン買ったついでに来てごめんね。細かいこと気にしないタイプの神様だと良いんだけど。

せっかく初詣に来たし、おみくじを引くぞ、と思ったらQRコードを読み込んで、ランダムに出る数字を見せる、という仕様になっていて笑った。非接触、という観点なのか、それとももっと前からこのシステムなんだろうか。だとしたらどういう理由なんだろう。

おみくじは大吉だった。私は23歳になるまで大吉しか引いたことがなかったので、初詣のおみくじは大吉が半数以上で、他のは申し訳程度にしか入っていないものなんだと思っていた。だから23歳の元旦、まだ日も登らない浅草寺で凶を引いたときびっくりした。凶って実在するの。字面がこわいし、響きもこわい、「きょう」ってこわい。私はその日、世の中にほんとうに「凶」と書いてあるおみくじがあること、年越しの瞬間にどこに誰といても別にこれといった感慨はないこと、このあと私たちはそれぞれの家に帰るけど、家にはおせちもお雑煮もないこと、そのすべてにびっくりした。以来、年末年始は毎年同じように実家に帰り、親戚一同でごはんを食べ、餅つきをし、叔父が打ってくれる蕎麦を食べ、家族と年を越すことにしている。惰性でもある、あるが、同じことを同じようにすることは、ほんとうは難しいことなのだと今はわかる。「当たり前のことは奇跡」とかって話じゃないよ、私がそんなJ-POPみたいなこと今さら言うわけないでしょう。いや、今もうそんなこと言うJ-POPは無いのか?

おみくじは大吉だったのでいいことしか書かれていない。たくさんの椿が咲くように良い1年になるぞ、朗らかに過ごせ、と書いてある。なるほど。ただし椿を維持する努力を惜しまず、種をまくことを心掛けよ、とも書いてある。ほほう。なぜニシーの年賀状と同じようなことを言うんだ。おみくじに占いの要素とか全然ないと思うんですけど…不思議だな。友だちなの?

神社を出たあとは、お気に入りのポッドキャスト「OVER THE SUN」を聴きながら、歩いて帰る。牛乳とチーズが切れているのを思い出し、スーパーに寄る。スーパーでは、ペットボトルの商品棚の前で少し困ったような顔をする男の子が、意を決したように変な色のファンタを手に取ったのがかわいかった。何味のファンタなんだろう。変な色。それおいしいの?
最近ファンタとかコーラとか、変な色の炭酸飲料を飲んでる人を見ると、反射的にかわいいな、と思ってしまう。テヒョンの影響かもしれない。

家に着くほんのちょっと前にポッドキャストが終わったので、手癖みたいにアナログフィッシュの「Yakisoba」をかける。なんにもいいことない、なんにもいいことなかった、いい日だった、と下岡晃が歌う。あぁ今日のことだ、と思いながら玄関の鍵を開ける。BTSのグリーティングカード、うちにはまだ届かないな。

のめわせ

2022年1月7日 (金) 21:37

uncategorized

友人のお誕生日祝いに何かおいしいものを食べようよと言ったら、気軽なフレンチがいいな、ということになった。ちょうど正月で実家にいたので「気軽なフレンチの店、どっかええとこ知らん?」と家族に聞いたところ、弟は「いや知らんわ、俺人生で“気軽なフレンチ”言うたことないわ」と言った。なんて非ロマンチックな弟なん…クリスマスのデートとかで行けや…と思ったけど、まぁ弟はそういうタイプじゃないか…というか世にロマンチックな男は私が思うより少ないんだと思う。弟に限った話ではない気がする。

「気軽なフレンチ」の「気軽な」について、定義は友人とすり合わせしていないので分からないが、たぶん金額的なことと、アラカルトのメニューがあること、それから店の雰囲気、を指すと思う。結果として選んだ店の金額はまぁまぁのものになったし、コースしかなかった。店の雰囲気はまだ行ってないので分からないが、写真で見る限りはわりと気軽そうに見える。少なくともドレスコードはないようだ。

予約のために電話すると、受付してくれた男性は物腰が柔らかく、フレンドリーだが踏み込みすぎない話し方をした。始めに名前を聞くのもスマートだなと思った。真似しようと思う。

お金は最初から私が全額払うつもりでいたので別に問題ないし、おいしいものや、それを作る人の技術や、気持ちよく過ごす時間に対してお金を使うのが好きだから全然構わないけど、人によっては引く値段かもしれない。私もまぁまぁ高ぇな~とは思っているがギリ引いてはいない。期待はしているが、正直レストランの類は実際に自分で行ってみないと分からないので、今のところなんとも言えん。
が、友人は引くかもしれない、というか逆に気を使うんじゃないかという気がする。そうなってくると私も気を使うし、自分が気を使ったことに対して私が気を使うことで友人はまたさらに気を使いそうだ。まずい。負の気づかいループに入ってしまう。ハッピーな未来が見えない。伝票を見せないようにしなければならない。

お金のことは価値観としか言いようがないのだな、と年々強く思う。例えば私は、10年前と比べると「特に目的はないけど一応しておくタイプの貯金」が出来るようになった。金銭的余裕の有無によるところもまぁあるけど、そもそも私は「理由もないのに貯金なんかしてどうするねん」と思っているのだ。今も基本的にはそう思っている。
が、歳を取るにつれて、良いことでも悪いことでも、単にお金があれば解決・回避できること、というのは一定数存在する、ということが分かるようになった。この先何があるかわからないけど、わからないから一応貯金するのだ。何もなきゃないで、それでいいし。
でも同じだけ、お金があったって何も解決できない、というシーンも間違いなく存在する。何億積んだって時間は買えないし、2分で売り切れたパジャマを翌日メルカリで見つけても、買う気にはならない。お金だけが問題じゃないんだな、というシーンは存在する。
つまりお金は多ければ多いほどそれで良い、全解決する、というものではないし、額面はどうあれ「どのように扱うか」ということのほうが本質なんじゃないだろうか。何にお金を払い、そのお金がどこからどのような形で私のところへ来たのかを自覚し、払ったお金がどこの誰に渡り、その先でどう使われるのかを見ている、見た上で稼いだり使ったり貯めたり増やしたりする、というのが大事なんじゃないかと思う。まぁ、今のところはそう思うだけで、また変わってくるだろうな。価値観て思ったほど固まってないものなんだな、というのもここ10年ぐらいで気づいたことのひとつだと思う。価値観なんてグニャグニャでグラグラ。

今確実だと思っていることのひとつは、例えば「ジャズをかけると生活のすべてが超イイカンジになる」というものだが、これもいつかグラグラと崩れるんだろうか。あぁ今日も、何にも確証がない。

GOOD DAY PAJAMA

2022年1月5日 (水) 23:02

uncategorized

2021年の抱負は「シュークリームを焼く」だったので、去年はトータルで4回?あれ5回かもしれんが、とにかく何回かシュークリームを焼いて食べた。少ない気もするが、3か月に1回はシュークリームを焼いているのだ。十分多い(自分に甘い)。
これまでに作ったお菓子の中では確かに群を抜いて難しかったが、回を重ねるごとに上達していると感じた。何事も慣れと、勘が大事だな、と思う。

というか、私の悪いところはいっつもこうやって、ひとりでやって、ひとりで食べて、ひとりで「上達している」などとのたまい、自己完結していくところだ。基本的にひとりでいるのは好きだが、どちらかというとひとりが楽なので、楽なほうへ流れているだけのような気もする。仕事でも自分で案件をコントロールし、納品までパッケージできる方が楽だ。

近年はそのことがどうも気にかかり、特に仕事の面ではチームの舵取りをもう少しいい感じにできるんじゃないか、と思ったりもしている。具体的には「もういい、私がやる」と言わないようにしている。もしくは「ありがとう、あとはこっちで引き取るから別の案件を進めてもらってもいいかな」と言うようにしている。
あとは、脈絡がなくても気にしないで「あのときのあれはすごい助かったわ、ありがとうね」と言うなどしている。人を褒めたり、感謝するときに文脈など気にしていてはいけない、と思うようになった。
私生活の面では、仕事ほどの定型はないので難しいが、まぁどこかしらで応用がきいてくるはずだと信じている。

抱負「シュークリームを焼く」には、もうひとつ、精神的な意味もあった。昨年1月に書いた記事を引用するとこんな感じ。

頑張ったのに簡単にはできなくて、失敗作をもしゃもしゃ食べながら、何でだめだったのか、次はどうするか、どうすれば上手くなるか、いっぱい考えて、それでもまだ挑戦したいと思えるのがいいな、そういう過程を楽しめるようにしたい、今年はそういう1年にしよう。

これについては、そもそも2021年はあまり“失敗”がなかったような気がする。いや、失敗はある、ないわけがない、もちろんある、あるはずだが、大半が「どこがどうダメで出来なかったのか」を自分で分かっているので、失敗カウントしていない、んだと思う。さらに、あとの半分くらいは記憶から消し去っていると思う。日常の小失敗は多すぎて記憶していられないんだろうな。中失敗、大失敗には図らずも挽回のチャンスが与えられ、結果として失敗かどうかはうやむやになっている、という感じがする。なんだ?幸運だな?幸運だ。私は幸運です。
とはいえ挑戦がなかったか、というとそんなことはないように思う。「そういえばこれ生まれて初めてやります緊張します」ということが仕事でも私生活でもいくつかあったし、まぁいずれもすべて大成功です!とは言い難いにしても、なんとかなったりならなかったりし、おさまるべきところへおさまった。いや、何を言っているんだ。当たり前の事しか言ってないな。まぁつまり、次は「もっとうまくできると思います」というところにおさめられました、ということです。

とにかく、総括すると、2021年はとてもいい年だったな、ということになる。シュークリームが自分で焼けるようになって、それがまぁ合格点を出せる程度にはおいしくて、穴を掘って入りたいほどの大きな失敗はなく、自分は幸運だと思えるなんて、いい年以外のなにものでもないだろう。いやぁ~めでたしめでたし。
何より私の2021年にはBTSがいて、ARMYの友だちがいて、だからずっと楽しかった。先月ニシーさんに会ったとき「最近どう?」と聞かれ「良いです、元気です」と答えたら「そりゃ元気だよな~だってBTSがいるもんね!」と大真顔で言われて、あれよかったな、アイドルとは何かを端的に表していると思う。

さて、2022年は今のところ「惑う」や「見切りのよさを得る」という抱負があるが、いずれも具体性に欠けるせいで、私は一体何をすればいいのか、正直自分でも分からない。こういう抱負は掲げないほうが良いと思う。結局なにも出来ないし、出来たかどうかの判断も出来ない。「惑う」は特に、全く言語化できない、惑うってなんだよ、何をするつもりだ。つーか「惑う」って意気込んでやることなの?結果として「惑う」んじゃなくて?でも惑いたいなぁ~と思っちゃったんだもん。
つーか「惑う」と「見切りのよさ」はしっかりと矛盾していませんか。いやぁでも「見切りの良さを得る」は「得る」の部分が重要だ。得たい、そして適宜アイテムとして利用したい、の意。

とは言えニシーさんの占い年賀状によると、2022年は「のんびりする」と「種をまく」がキーになるようだ。ニシーさんが何を言おうと、それが当たろうと外れようと、私の気が向かないならこういうのは全無視すればいいだろうと思っているけど、どちらも「オッケーなるほど楽しそうありがとう」と思ったので全実施することにした。
具体的には「自宅の本を整理する」と「積み立てNISAを始める」にする。どちらも「種をまく」要素があると思うしピッタリですね。
「のんびりする」は得意なので心配していない。とは言え去年は少し予定を詰めすぎたな。というか、ホドホドにしてあったのに予定外のものがボコボコ来て結果的にギチギチした感じ。まぁ結果としてどれも楽しかったんだから良いだろうけど、でも「のんびりする」にギチギチは禁物な気がする。強い気持ちでホドホドにするぞ。

さ、行くぞ2022年。

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