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ネガの街は続く

2020年4月2日 (木) 21:33

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なんでもない顔をして普通の生活をするぞ、と思っているのにこれがなかなか難しい。「何それ、志村の追悼番組ちゃうんか、俺の好きな志村死んだん?」というミルクボーイのブラックなネタでへらへら笑っていたの、ほんの半月くらい前のことだったんだよ。まじで、全然笑えないやつになってしまった。
普通の生活って何だったっけな。普通ってのは普通のときにはその普通さには気づけなくて、普通そのものは常に変化し続けているのに、あまり急激な変化ではないために気づけなくて、あぁ本当に、気づけないことばっかりなんだよな、と思う。
疲れるね。もう疲れてると認めてしまおう、普通に元気、とか言ってるのやめた、私は疲れてる。

家で聞くラジオや、全然時事ネタではないメッセージのやり取りや、友だちが放送するインスタライブや、深夜にやっていたらしい弾き語りのアーカイブや、義妹がアップしてくれる甥たちの写真や、そういうもので継ぎ接ぎにした膜を、かぶって暮らしている感じがする。薄皮一枚でまもられた生活。ねぇ頼むから、もう誰も死なないでくれ。

最近はわけわからん立地にあるお惣菜屋さんに通っている。おじいちゃんがひとりでやってて、まじでわけわからん立地。あれ何なん、昔は周りにもっとあったんかな。そうかも。あのね、ピーマンの肉詰めがおいしいんだよ。
こないだ行ったらなかなかの大量注文を受けている最中だったようで、おじいちゃんはせっせと牛肉や玉ねぎに串をうち、次々に衣をつけて揚げ、作り置きしてないんだな、ということがここで分かるでしょう、いいよね、まぁとにかく超いそがしそうで、いつもは「ソースかけるか?持ってきたろ、ちょっと待ちや」とか言うてくれるのに、この日はまったく相手にしてくんなかった。おもしろかった。人間、という感じがして良かった。無理なときは無理しない、というスタンスを学びました、とか言うこともできるけど、そんなことどうでもいいね、教訓とか得ない。教訓も得ないしオチも求めない。ただ生活を、私はただ生活をやりたい。

Jaws was never my scene

2020年3月26日 (木) 22:51

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最近自転車に乗るのにハマっている。神戸には(中心地だけですけど)「コベリン」という微妙な名前の、でも赤色でちょっとかわいい、なのに広告枠が阪神タイガースで埋まってて微妙な、いわゆるコミュニティサイクルがあるの。ポートがいくつかあるので、返すときもポートへ、最初の60分は100円、というなかなか素敵な乗り物です。
寄り道をしたり、意味もなく遠回りをしたりして帰るのはなかなかよいもので、これが100円で乗れるなんて、自分で自転車買うより良い気がする。自転車で60分走るってなかなかないっしょ、私の体力に限った話で言えば、結構走ったな~と思っても35分とかぐらいよ。しかもコベリンは電動アシスト付き自転車。

電動アシストってめちゃ便利やけど、あれ自分の自転車となるともちろん自分で充電をせんならんし、タイヤの空気が抜けてないかとか、サドルがパクられてないかとか、雨ざらしでサビサビになってないかとか、ちゃんとメンテナンスしたらなあかんけど、コミュニティサイクルなので、おっちゃん(運営会社のスタッフさん)がこまめに点検してくれて、充電を満タンにしてくれて、まぁ便利!

デメリット?としては、そもそも街自体が自転車を走ることを想定したつくりになってないやん、というところか。ま、神戸に限った話ではないのでしょう。あれ、車道を走るのが正しいねんよな?と思うけど、全然走れそうにない、車の?横を?こっわ。路駐してる横はどうすんねん。
でも歩道もそんなに広いとこ少ないし、人が歩いてる横を走るのも車の横とおんなじぐらいこわい。
でもちょっと調べたら整備計画があるっぽいね、そうでしたか、失礼しました。リヨンみたいにしてくれ、頼む。

観光で神戸に来る人も自転車おすすめよ~と思うけど、見ず知らずの街を自転車で観光するのハードル高いんかな。目的地があったりする場合は特に…?わからん。

とはいえ会社近くのおしゃれ自転車屋さんの前を通ると、車輪が大きくて、ミントグリーンやらベージュやらのかわいい自転車が並んでいてぐぬぬ…となるね!いやいや、そない乗らんやろ、見るな見るな値段を。

君の生きてることに興味があるの

2020年3月18日 (水) 19:10

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スピッツのプレイリスト作ってよ、交換しよう、と言われたので作ってるけどこれがめっちゃ楽しい。曲順を決め切れず、延々やってしまう。楽しい。「春に聴くスピッツ」をテーマに選曲しています。

音楽はひとりで聴くものだ、共有なんかしなくていいししたくもない、ひとりでいい、ひとりがいい、と基本的には思っていて、今もわりとそう思ってるけど、以前に比べると度合いとしては下がってきている。というかそんなに振り切らないでも、息ができるようになった。
「私さいきんこれ聴いてる」とか「今これ聴きながらごはん作ってる」とか「この曲のこの部分が好き」とかを、言いたい。言いたい日が多い。変化の経緯は全くの謎です。加齢によるひねくれの減少、かつ自意識の低下である、という説が有力。

音楽に限った話じゃなくて、「もう二度と会わない」とか言いがちだったんだよ、「一生行かない」とかさ、「全部嫌い」とか、ま、今もその傾向があるにはある(というかそこまで思ってなくても言ってしまう)が、マシにはなってきたっぽい、気がする。やったー!

前に「私以外の全人類が宇多田ヒカルを聴いてるっぽい、私宇多田ヒカル通ってない、みんなの好きな曲教えてよ」ってTwitterで言ったら、友だちが何人かリプライくれて、あれもすごいうれしかった。みんな「この曲が好き」とは「思い入れがあって」とか言って教えてくれるんだよ、すごくない?私からするとこれはまぶしいこと。

プレイリストの良さも、ようやく分かってきたところだ。アルバムは絶対にアルバムの曲順通りに聴く、シャッフルすら嫌、曲間も変えないでくれ、と思っていたけど(今もわりとそう思ってるけど)、最近は人のプレイリストを聞いて、あ、この曲順は新鮮だな、とか、アルバムとは違う文脈で聴いてる、とか思うのが楽しい。別の街で暮らす、本名さえ知らない人のプレイリストを再生しながらお味噌汁をあたためる夜を好ましく思う。私が聴いている「音楽」は「音楽」の「すべて」ではないこと、私の感じ取れる、気付けるやさしさもさみしさも、まったく「すべて」とは程遠いこと、虹は雨の対価ではないこと、そう、虹は雨の対価ではないこと!を思い知らせてくれる。私はそれを思い知りたくて、音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たりしているんだと思う。

人類がさほどアナログフィッシュを聴いていない、試しに聴いてみることすらしていない、という事実に長年ブチギレ続けているのですが、ブチギレてないでせっせとプレゼンしよ、という気になってきたので追々アナログフィッシュのプレイリストを作ります。
テーマは「私が作ったことにしたい下岡晃の10曲」と「そんな風に歌えたらなぁと思う佐々木健太郎の10曲」にする。出来たら言うから、ぜひ聴いてね。

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