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お母さん、僕はこんなにおおきくなりました。

2014年8月3日 (日) 23:49

お芝居のはなし

森ノ宮ピロティ―ホールにて、『母に欲す』を観た。三浦大輔。

新大阪でセブンイレブンを探す、というサブミッション(チケットを引き換える必要があった)をうまくこなせず危うく遅刻しそうになったので、森ノ宮駅から走るというレアな日でもありました。
映画なら予告篇があるので、万が一遅刻してもまぁいいか、と思えるけど
舞台はそうはいかん。絶対に遅れてはならん。冒頭5分欠けるだけでも嫌。

三浦大輔に関しては、ほんとに最近『恋の渦』観たあたりから興味をもって
『愛の渦』もすごい面白かったので、そのあとの『母に欲す』だったのですが
あんな「正攻法」で来られると思ってなくて動揺してしまった。
ただ『恋の渦』も『愛の渦』も場所の設定が自分にとって「未知」で「変化球」だっただけで、
内容とか大筋はどちらも同じように「正攻法」だったのではないか、と思ってまた動揺した。

母も休みだったので、急遽一緒に行ったけど、
母はどんな感想をもったのでしょう。聞かなかったですけど。

男の子のお母さんに対する気持ちって、女には全然わからないんじゃないかと思った。
女の子のお母さんに対する気持ちとは違うと感じたし、
かといってお父さんに対する気持ちと似ているかというと、それも全然違ったし、
てことはもう、全然わからないんじゃなかろうか。
私だってお母さんはだいすきですし、結構なかよしの親子だと思うし、
食べ物の趣味に関してはほぼ一致するし、お互い休みの日は出かけたりもするし、
お母さんが死んだら(そういうことを考えるのもゾッとするけど)きっとたくさんたくさん泣くでしょう。
でもあんな風に、彼女(彼氏)に向かって『俺(私)お母さん死んでんだよ!?』って言って泣きわめくだろうか。うーーーん。

きっとそこはわからないように出来ているのだろう。
ということにして、そっとしておきたい。
なにか神聖なものとして、そこを美化しておきたい。

ほんとは男だろうが女だろうがそんなこと全く関係なくて人それぞれ固有のもので、
『母に欲す』の中で観たものは一例であることもわかっている。それでもなお、の意。

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