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さびがどこだかわからないうた

2014年2月4日 (火) 22:03

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わたしこないだ、お寿司を食べた帰り道、チエさん(母)に
「今が人生で一番たのしいわ」みたいなことをぽろっと言って、
ああそうかい、そうだったのかい、というような、
つまり「自分がそんなふうに思ってたなんて気付かんかったな」ということを思ったのだった。

14歳のときも17歳のときも、その時々で自分なりにいっしょうけんめいにやっていたし
そのころ出会った人たちの中に、いまも一緒にいて、これからも一緒にいたい人たちがおるし、
いまやってる仕事をやろうと決めた日もその数年の中にあるし、
その時々でちゃんと、一番たのしかったと思うけどさ、でもさ、
自意識とか閉塞感とか、10代特有のあの(今思えばクソみたいな)空気に包まれていて
そのくせ分かりやすい「絶望」には恵まれず(ありがたいことに)、もちろん戦争だって起きないし、
どこにも行けず、何者にもなれず、ぼんやりとして、手ごたえがなく、それを誰かのせいにもできず、
そういう10代でしたわたしの10代は。

それに10代のころは「きらいなもの(というか自分が勝手に決めたきらいであるべきもの)」によって
自分を形作っていたように思う。
例えば「わたしはロックがすきだ、大切だ」と証明するために、
「J-POP」や「アイドル」や「クラブミュージック」は「きらいなもの」としてカテゴライズしなければならず、
そうすることでしか自分のすきなものを大切にはできなかったのだ。そういう方法しか知らなかった。
大体「カテゴライズしなければならず」ってなんやろう、バカみたいよね。

いまもまぁ自意識はビンビンで、なんの根拠もない役立たずの自信しか持ち合わせてないし、
そういう自分を痛々しく思うことや、みっともなくてやりきれないような日もあるけれど、
でもあの(今思えばクソみたいな)空気の中にいたころに比べたら、
今はなんて、なんて人生が楽しく、すがすがしいことだろうか。

「J-POP」も「アイドル」も「クラブミュージック」も、
別にきらいでも、わざわざきらいだと言わずして生きられるようになったし、
それをすきだという人のこととは全く別物として捉えることができるようになったし、
何なら「アイドル」のいいところもわかるようになったし、嵐のアルバムを買って聞いたりできるようになったよ。

いろいろ大変でも、すきなことを仕事にして、
心身共に健康で、家族もみんな仲良く暮らせて、気の合う友達もいてくれるし、
ライブやフェスに行って映画を見てCDや本やレコードを買って、母にケーキを買ってあげられるお金があるし、
そのお金を自分で働いて稼ぐことが出来るし、
人に迷惑や心配をかけなければ、あとはなんだって自分で選んで決めていいのだ。
楽しいに決まってる。

ああ、こういうときに「両親に感謝」みたいな歌を書くのかね、ミュージシャンは。
知らんけど。

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