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高層ビルを

2020年6月12日 (金) 22:53

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最寄りのTSUTAYAさんが閉店してしまった。結構ヘビーユーザーだったので困っている。実家の方のTSUTAYAはまだあるみたいなんですけど、品ぞろえが全然違うねんよな…

私はPrime videoを使っているし気が向いたらGoogle Playとかでレンタルもするし、映画館に行くし、好きな映画はブルーレイを買ったりするし、だからTSUTAYAに行かなくていいと言えばいいのだろうけど、というか友だちにも「TSUTAYAに行ってんのびっくりした、配信で観ないの?」と言われたわ、たぶんみんなもうTSUTAYAに行かないんだろうな…そういえば最近ラジオでも誰かがそんな話をしていた。

私はなぜわざわざTSUTAYAに行きたいのかを考えてみたので聞いてほしい。
いや、読んでほしい。

観る映画を選ぶのに、私は「偶然性」が要る。自分の好みの映画だけを観ると、目新しい俳優にも、気鋭の映画監督にも出会えない、日本語か英語かフランス語の映画しか観ず、アニメ作品はピクサーかディズニーかジブリしか観ない。私たぶん沖田修一とウェス・アンダーソンとグザヴィエ・ドランだけ観てたらもうそれでいいもん。まぁド極論ではあるけど…
「それでいい」という考え方もあると思うけど、私は単純にそれでは足りない。映画が好きだから、3人の監督作品だけを観て終えるには、人生はあまりにも長い。もっとたくさん映画を観たい。
いろんな気分になりたい、自分のなかに喜怒哀楽のどれでもない感情があることを自覚したい、観たことない画を観て、順路の分からない涙を流し、打ちのめされて動けなくなりたい。

もっとたくさん映画を観るには、自分の好みの映画だけ選んでいる場合ではない。知っている俳優がひとりも出ていない映画や、何語でしゃべっているのかわからない映画、タイトルデザインがダサい映画、自分が生まれるより前に公開された映画、などなどをざっくばらんに観る必要がある。

となると「偶然性」が要る。仕事終わりの金曜日、TSUTAYAさんに出かけて行って、”新作”と”準新作”の棚を確認し時間の経過を実感、”ミニシアター”と書かれたコーナーを物色、”私が選ぶ一本”みたいなキャンペーンをナナメ見、さらに”あ行”から並んでいる旧作の棚を流し見して面展されている映画や、背が焼けて読めなくなった映画、見知らぬおじさんが手に取ったのに借りずに戻した映画、などなどを手に取り、裏面を読み、ちいさい店内カゴに入れる。気付くと大体8枚~12枚になっているそれを5枚まで減らし(土日にまとめて観るので5枚ぐらいがちょうどいい、8枚は結構きつい、12枚はバカ)、残りを1枚ずつ棚に返していく。またね。
別の階へ移動し、今度は落語のCDを物色する、けどその辺は端折る。

AmazonもNetflixもすごく便利で助かる、あと賢すぎる、”これを観たあなたはこちらの作品もおすすめ!”とかスマートに言って、私に好かれようとしてくる。私は言ってないのに好きな俳優を察して、過去作を出してくる、「ファイトクラブ」を観た私に「メメント」を観せようとしてくる。文脈とか分からないくせに、と思うけど、でも勉強してるんでしょ、学んでいくんでしょ、すごいよなぁ。

でも私が欲しいのは「偶然性」なんだよ、もっと雑で良い、ただ大きい棚に、広い店内に、ズラッと並べて、「あぁ全部は観られないんだ、観られないまま死ぬんだ」と思わせてほしい。それは絶望ではないの、知ってるでしょう。その中から、どんなきっかけでも構わないから選ぶ、選んだやつを観たい。

よって、私はTSUTAYAさんが閉店してしまって困っている。とはいえ閉店せざるを得ないような状況だったことは私にも理解できるし、それはもう時代の流れとかってことでどうしようもないんだよな。グズグズ言わないでお礼を言おうね、お世話になりました。ありがとうございました。
でも困ってんだよな~ほかのレンタルビデオ屋でもいいねんけど、無いのよ、電車乗って行くようなもんじゃないし…と思って配送してくれる系のサイトを使ってみることにした。旧作は80円で借りられるのもあるみたい、よさそうよさそう。

ここまで書いて言うことじゃないけど「偶然性」ってワードあんましっくりこないね。あはは!

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