TANAKA NOZOMI

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行間案件

2021年1月7日 (木) 22:24

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すっかり年が明けましたね、おめでとうございます。仕事が始まってしまうともうお正月とかそういうホリデーな気分はあっという間にどこかへ消えてしまって、ただもう年度末へ向けて増える一方の仕事量だけが目に付く。キツい。
そういえば子どものころは「年が変わることの何がそんなにおめでたいのか」などと思っていたが、最近は「元気に新しい年を迎えられることのめでたさ、ありがたさ」がようやく分かるようになった。32歳になりました。

年末から実家(最近引っ越したので”実家”という感じでもないが、まぁ両親の家、という感じか)へ移動し、そのあとは実家の実家を行き来するなどし、その都度食事の準備をして食べ、食べ終わったら片付け、を繰り返した。我が家は杵と臼で餅つきをするような非常にトラディショナルな家族で、年末は大変に忙しい。まぁ私は甥っ子たちと遊んで食べて寝ているだけなので、忙しいのは母とか叔父とか叔母とかですけど。

甥1はついに私が「のんちゃん」という生き物であることを認識・記憶し、目を見て「のんちゃん」と呼んでくれるようになった。厳密に言うと”の”はほとんど発音できておらず「ぉんちゃん」、みたいな感じではあるが。甥は今年の春で3歳になる。めちゃくちゃかわいい。甥がこんなにかわいいものだと知らなかった。
実家で一緒にいるとき、父の本棚にある文庫本を取り出して、顔の前でパラパラする遊び(風が来るのがおもしろいっぽい)を延々やった。「回転木馬のデッド・ヒート」があったので、冒頭を読んで聞かせたら一瞬ポカンとし、そのあとめちゃくちゃ笑っていた。あはは、春樹おもしろいねぇ。

1日の夜、そろそろお開きにしましょうかね、という段になると甥は私の前に来て、一生懸命なにごとかを伝えようと言葉にならない「宇宙語」みたいなやつを発し、身振り手振りを加えて「のんちゃん、のんちゃん」と何度も呼ぶので、背中をさすって「わかったよ、また遊ぼうね」と答えた。一緒に遊んだの、楽しかったんだな、わかったよ、また遊べるからね。

何が見え、何が聞こえているのか、どう感じているかを、彼はまだ上手く伝えられないし、私は全部を汲み取ってあげられなくて、でもそこをつなぐために「言葉」がある。彼はどんどんそれを習得していっているし、もちろん周囲もそれを望んでいる。いつか、そう遠くない日に、あの「宇宙語」みたいなのは完全に消えてしまって、お互いをつなぐ(と錯覚できる)「言葉」だけを、彼も話すようになるのだろう。楽しみだな、待ってるよ、と思う反面、さびしくもある。毎日「言葉」にまみれて、32年生きてもままならず、結構まじめに取り組んでるつもりなのに何なの、と思う、こっち側へ、彼もいつか来るのだろう。一緒にがんばろうね、と思う反面、君はまだそこにいてよ、あっちとこっちの間くらいのところに立って、楽しそうにしててよ、とも思ってしまう。
せめて彼が生きていく世界は、あたたかくうつくしい「言葉」だけで構成されていてくれよ、と思うけど、でもその願いはたぶん、叶わない。

甥2の声はまだ像を結ばず、ただ「音」として存在する。のに、気持ちがちゃんと乗っているのが不思議だ。赤ちゃんはシンガーなのかもしれん。リズムとメロディーがあれば気持ちは伝わる、ということを、もうすぐ1歳になる彼が教えてくれている。来年はもう少しコミュニケーションが取れるようになるだろう、楽しみだな。

2日の午後に帰宅し、ポストに届いていた年賀状をニコニコして眺め、ストーブをつけてドラマ「カルテット」を見返していたら、家森さんが「言葉と気持ちは違うの!」と言っていて感動した、ほんとにそうなんですよ家森さん。好きな人が家にいて、たこ焼きを買って帰ることができる家森さんがうらやましいが、自分を好いてはくれない人が家にいるのがどれほどの孤独かを知っているので、簡単にうらやましいとも言えない。ふはは。

義妹が「デススト進んでる?」と聞くので、家にゲーム機があったことを思い出した。そういえば大きいイカを倒したところから全然やってない。寒くて家から出られないうちに進めようかな…

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