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はやく終わんないかな
2013年8月23日 (金) 07:16
先日iPad miniを購入した話をしましたかね。
してないか。いや別にしてなくてもいんですけど。
ちょうど1カ月前に、買いました。
平日の夜、ミュンヘンのからあげをデレデレもぐもぐしているときに
もりしが「買おうかな~って、さっき電気屋見てきた」と言うので、
「ほぇ~今いくらくらい?6万とか?」とミュンヘンのからあげを貪りながら聞いてみると、
「ううん、ぜんぜん、3万ちょっと」とミュンヘンのからあげを貪りながら言われ、
そ、そんな安いのかよ……まじかよ………ドイツめ………となり、
電気屋でさわってみるとminiは軽いし片手で楽に持てる……
これはいいぞ、となり、数日後あっさり購入に至りました。
まぁデザイン案とか絵とかを見せたりするときに、
iPhoneだと小さいし、かといってMac book proを持ち出すのは億劫で、
でもiPadはでかくねーかい、と思っていたし、
あとそろそろ電子書籍、と思っていたし、
今Huluが見られるのだけど(父のおかげで)、
椅子に座ってパソコンで見るのが面倒で、くそー、と思っていたし、
ちょうどよかったの。
そいでね、昨日ね、はじめて文庫本を、
PDFのフリーペーパーみたいなやつじゃなくて、縦書きの文庫本を、
買ってみたよ。
仕事の帰り、23時すぎ、JRのwifiで、改札を通り過ぎながら、地下鉄に乗る前に。
うわぁーと思った。はえぇーと思った。やっぱ思うよ。
だってもう23時になると本屋開いてないのよ、今わたしが住んでる街は。
21時とかで、もう大きいちゃんとした、ほしい本が置いてあるような本屋は閉まってしまう。
わたし大体朝は8時前には電車に乗って会社行って、帰りは21時か22時になるから、
そうするともう平日は本を買えないのだ。
そんな生活をものともしない電子書籍!電子書籍様!フゥー!
ただなんというか、やっぱり1冊の重みは軽減されているような気はするね。
でもどうせこんなん今だけの「気のせい」やねん。「不慣れ」なだけやねん。
アナログがあたたかく、愛するに相応しいもので、
デジタルはつめたく無機質で、消費されて当然のもの、みたいな考えはもう、
完全に「気のせい」ですよばかやろう。
2010年に、まつきあゆむがそう教えてくれたではないか。
(教わってない人ははやくまつきあゆむにメールを)
あとフォントを変えられるのはいいねぇ。
これ洋書読むときかなりいいんちゃうかな。洋書読むかな。読まんな。
文字サイズも変えられるし。あと背景の色も。
まぁこれはリーダーを何使うかで違うのか。
左側から、とぅるりん、とページングするのもいい。気持ち良い。
まぁこれはAppleのタッチパネルが優れてるだけか。
それから「本を買った」というのは変わらないのに、
部屋の、本を収納する場所の心配がないのも大変好ましいね。
できれば四方を本に囲まれた20坪くらいの部屋で、
脚立がついてるようなでっかい本棚を手に入れて、
一生かかっても読み切れない!感涙!とかやりたいけど
そんなわけないし。
7冊漫画買っても物理的に重くないのもいいね。
いい、いい。
それからね、本を買う時に、作者とタイトル以外に
少なくとも表紙のデザインと紙の質感くらいは、
無意識に選ぶ要素に含まれてたんやなぁって気づいた。
電子書籍ってデザイン性とかあんまない、あんまっていうか全然ない。
「新潮文庫が個人的にちょっと読みにくい」、みたいなのが関係なくなる。
表のデザインもほとんど見ない、アイコンみたいに小さく載ってるやつを、
わざわざ拡大せんし、拡大する前にサンプルを落として読む。
これってデザイナーからしたら死刑宣告みたいなことで、勘弁してよと思うけど、
読者からしたら全然OKで、むしろ内容だけを欲して買う、
つまり一切の付加価値が削がれて、作者の脳内から出てきた文字列のみを欲して買うわけで、
ってことは作者はそっちのほうが嬉しいんじゃないの。知らんけど。
(いま「知らんけど」ってつけた瞬間に一気に自分のこと嫌いになった)
(でもデザイナー目線と読者目線はわかるけど作者目線はわからんごめん)
もちろん難点もあって、
今ちょっと懸念なのは、これ人に貸したりあげたりできないね、っていうのと
今どの辺を読んでるのか、ってのがわからん。
ページ数とか「この章はあと5ページです」とか、一応表示されてるけど。
もっと感覚的に、左手にのってる紙の厚みとか重みとかで、
本の距離を認識してたことに気づきました。本の……距離………?いやいい。
ただひとつ言えるのは、
「これ読んで気に入ったら、結局本屋に行って買うわな」ってことですよ。
結局な!結局そうなんだよ!またそれかよ!
iTunesで買ったアルバムを持っていたくてCDで買い、さらにLPを見つけて嬉々として買う、とまったくおんなじだ。
「読み方」のバリエーションが増えただけで、わたしはどうせ、
「物」として手にとれるものを身の回りに積み上げて、それを盾のように、塀のようにして、
いろんなこわいものを見ないようにするような「読み方」や「聞き方」を、今後もずっと続けるんだと思う。
それが何より安心で、心地よく、尊い生き方だと、思ってきたもの。精神的ニートですよ。
でももういい加減、いい加減になぁーと、思ってはいます。
それではみなさんよい夏を。
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