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2022年11月16日 (水) 20:34

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来年、祖父の10回忌だ。法事の日付が決まったので「空けといてな」と父が言った。
もう10年になるのか。あれからもう10年も。義妹や甥たちは祖父に会ったことがないということも、なんだか不思議な感じする。

祖父が死んだ日のことは覚えているが、記憶は断片的だ。6年住んだ東京を離れ、神戸の実家に戻った年だった。私は市内の会社で働きはじめ、両親と、同じく実家に戻ってきていた弟と暮らしていた。姉は入れ違いで一人暮らしを始めた頃だった。
夜、病院からの電話に出たのは弟だった。私はベッドにいたがまだ起きていたし、この時間に鳴る固定電話が「良い知らせ」を持ってこないことも知っていた。弟の受け答えの様子だけで、誰から、何の連絡かも分かった。
病院に文字通り“駆け付けた”私たちを“待ってくれていた”かのように、祖父は亡くなった。誰かの何かを追体験しているようで、違和感があった。現実に起きていることなのか?とも思った。だって最後に会った日、祖父は歩けたし、話せたし、笑っていたし、家で一緒にお寿司を食べたのだ。

祖母があんなに泣くのを、あの日初めて見たと思う。待合室の床に座り込んだ私のお腹のあたりにしがみつくようにして、祖母は泣いた。私は祖母のあたたかい背中をさすりながら「私の体温が高いの、おばあちゃん譲りなんかも」と、場違いなことを考えていた。

お通夜や葬儀はやることがたくさんあって忙しいものなんだな、と思った。「悲しい」が腹落ちするまではまだ時間が必要だと思うのに、誰も、何も待ってくれない。私は孫だから、何をやるというわけではなかったし、祖母や両親や叔母のほうが慌ただしくしていたが、それでも「こんなに決めること多いんやな」という感じがした。ゆっくり悲しむ暇はなかった。……「ゆっくり悲しむ」ってのもなんか変な言葉やけど…
葬儀場の横の控室でようやく家族だけになったとき、祖父の棺の前で弟がわんわん泣いた。「ずっと泣きたかったのに」と言った。
葬儀には私の知らない人たちがたくさん来てくれた。祖父は友人の多い人だったのだ、知らなかった。祖父の死自体は悲しいが、私の知らない祖父の顔を知っている人たちに会えたことは嬉しかった。カラオケ教室で一緒だというおばあちゃんたちが「お孫さんがいるって聞いてたから、会えてうれしいわ」「泣かないで、気を落とさないでね」と言ってくれた。

もう10年になるのか。あれからもう10年も。
父が「10回忌が済んだら次は20回忌やからな、覚えといてよ。まぁ20年なら父さんもまだおると思うけど……分からんからな、こればっかりは」と言うので、私は「そらそうやな」と言いながらGoogleカレンダーを開き、2033年にリマインダーを埋めた。2033年、私は45歳だ。うーん、あんまり変わってなさそう、と私が言ったら「体力は落ちる」とのこと。なるほど、それはそうでしょうね。……散歩だけではあかんやろなぁ。なんかスポーツ……やったほうが良いけどね。好きじゃなくて。ははは。

同時に、両親と過ごせるのだって、もうあと何十年も残ってはいないのだな、と思う。今はふたりとも大きな病気もせず元気でいてくれているけど、一緒にごはんを食べてお酒を飲んだり、旅行にいったり出来る時間は、もうそんなに多く残されてはいないだろう。私がひとつ年を取るのと全く同じ分だけ、父も母も年を取るのだ。
こんなこと言うてても仕方ないけどね。でも嫌やな。はーーー嫌。来年家族全員でキャンプ行きたいな、お姉ちゃんと計画しよう。

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