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ベイビーアイラブユーだぜ

2019年7月17日 (水) 21:53

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どうか自然体で、みんなのんびりとやってくれよ~、という気持ちもあるにはあるんだけど、もっとギラギラしてこいや!ヌルいんだよ!どいつもこいつも!みたいな気持ちも同じくらいあって、私は私のスタンスがようわからん。穏やかに、安定した暮らしを、と願うその一方で、全部ひっくり返ってしまえばいいのに、という捨て鉢な気持ちも同じような熱量で存在する。相反するそれを内臓の隙間に隠して、普通の人間みたいな顔をし、地下鉄に乗っている。私は私がようわからん。
具体的に何に対して、という部分が抜け落ちているので、この話はこれ以上進められない。すみません。でも具体的な話ではなくて、これは抽象的な話なんです。

なかひろがくれたメールを読みながら、創作における「呪い」について考える。
穂村弘のエッセイの中に「死に触れられる芸術家」という表現があり、「その人たちだけがこの世に持って帰れる何かがある」という話なんだけど、なかひろが言うところの「呪い」はこれに似た話ではないかと思う。それで言うと私は「死に触れられない」方の人間だ。私は作品にかける「呪い」みたいなもの、全然ないんだよな。
だからあなたは今日から絵を描いてはいけません、ということになっても多分生きていけるし(えーなんでよ、つまらん、ぐらいのことは思うだろうけど)何かを削るように創作をしたことがない。いつ何を作っていても気楽にやっているし、上手いとかヘタとかっていう土俵からは逃げ続けているし、産みの苦しみみたいなものが全然ない、「オリジナリティとは」と自分に問うようこともしない(できない)、そもそも溢れるように零れるように何か描く、ということがない。「絵で食う」みたいなことを考えたこともないし、それに向けた努力や苦労についても身に覚えがない。赤と青の絵が欲しいな、棚の上に飾りたい、ちょうど良いの無いな~自分で描くか!みたいなのしかないの、私は。人によっては「お前みたいなもんの創作(のようなもの)と並列で語るな」と感じるかもしれないけど、私としては「うるせぇ、私の勝手にさせろ」しか言いようがない。
でも「呪い」チームに対するあこがれはずっとあって(創作ってそうあるべき、みたいな気持ちがあるよ、なんでだろうね)、何より描く方じゃなくて観る方の私からすると、そっちのチームの人も好きなんだよなぁ。画家で言うと、ゴッホとかモディリアーニとかは呪いチームだし、でもマティスとかクレーとかは呪い無いでしょ、私どっちも好き、えーこういうのって研究してる人おるのかな。

そういえば昨日やっとバンプオブチキンの新しいアルバムを聴いた。
数年前だったら私はこのアルバムを否定的に感じたかもしれないけど、こんなにもまっすぐ「こっちを見ている」音楽を、どうやってディスればいいの、私には無理、と思った。完敗。バンプがこっちを見ている、と感じたの、本当に久しぶりのことだ。いや、今まで一度も無かったかも。さほど熱心にシングルを追っていないし、インタビューなんかも読んでないので、バンドが今どういう雰囲気なのか、どういうモードなのかは知らんのだけど、でもアルバムから感じたことが全て、で良いと思う。感覚的な感想でアレですけど、まぁすごく良かったね、ということです。
「話がしたいよ」があまりに良い曲で、湿度の高い夕方の景色と相まって胸がぎゅっとなった。どこがどう、というのではなくずっと泣きそうだった。今「会いたい」と思ったのは誰のことなんだろう。
私はここ最近、かなりセンシティブな生き物になっている、という自覚がある。めんどくさいね。

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