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2022年5月2日 (月) 20:00

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デザインの初校を出すときは、わずかに緊張する。緊張、といっても、指先が冷たくなったり、耳の後ろがぞわぞわしたり、胃がキリキリと痛んだり、足の感覚がなくなったり、息がしづらくなったりするほどのものではなくて、もう少し軽度な、うーん、表現が難しい。親指を内側にして拳をぎゅっと握ったり、まぶたをぎゅっと閉じたりする程度の緊張。……ぎゅっとしてばっかだな。

なぜ「わずかに緊張する」のかというと「これを気に入ってくれたらうれしい」と、思っているからだ。つまり「好かれたい」と思っていて、だから緊張する。少なくとも初校の段階では、私自身が好きだと思うものを作っていて、だから「あなたも好きだといいな」と思っている。だからそれを「どうですか?」と相手に見せるとき、わずかに緊張する。
とはいえ「いや、ぜんぜん好きじゃないです」と言われたとしても、傷ついたりはしない。「あ、そう?気が合わないね」ぐらいのことで、そのあとはどんなに「それはナイわ」と思う意見が返ってきたとしても「そうか、そういうのが好みなのか、なるほどね」と対応する。同意できなくても、いちいち言ったりしない。一般的なルールからあまりにも外れていたり、ユーザーにとって誤解を生みそうな場合やそれでお客様が不利益を被りそうな場合はもちろん指摘するけど「ダサいと思います」みたいなことは言わない。仕事だからだ。

同業の友人が「自分がデザインしたものを否定されたとき、自分自身が否定されたような気持ちになって傷ついてしまう人には、この仕事は向かないね」というようなことを言っていたのを思い出す。確かに、そういう人はキツいだろうな。
私も「すいませーん今日会長に見せたんですけど、気に入らんって言うてましてね、やりなおしてもらえますか?はい全部、全部です、全部やりなおし、お願いします」みたいなことを言われた日は「こんなん何等かのハラスメントに該当するはず、もう弁護士としか話したくない弁護士を通してください」と思いもするし、素人に「デザインの勉強?とかってしてるんですよね?www」と電話口で言われた日は「殺すぞ」以外のワードが浮かばず、口ごもったりしたこともあった。が、自分自身を否定された・拒絶された、とまでは感じていない。
私が作ったものを、お客様が気にいらなかろうが、ド素人の馬鹿に理解できなかろうが、それが私そのものを、人格を否定する言葉だとは思わない。あくまでデザインはデザインだし、私は私だ、一部でもなければ分身でもない。

そもそもデザインは、誰でも出来る。特殊能力ではない。老若男女問わず、誰でもデザインは出来る。そういうところが好きになって、今もずっと好きだ。私はその、誰でも出来ることを仕事にしようと選んだだけのことで、誰でも出来ることなので差別化しないと金にならないから、人よりちょっとは上手に出来るように、勉強したり工夫したりしているだけのことだ。
つーか世の仕事は誰でも出来ることがほとんどだし、だからこそ苦労が分かり合えたり、少しの差を「すごいね、私にはできない」と思えたり、キツすぎたら代わってあげたりできるんじゃないのか。

そういえば私は、自分がデザインしたものを否定されたときよりも、全OKで何もかもがトントン進んでいくときのほうがよほど怖い。「どうですか?」の初校に対して「すごく気に入りました」と返事が届き「ありがとうございます、じゃあこれで進めますね」と返すまでは良いが、そのあとずっと「良いですね」「気に入っています」「とっても良いです」みたいなのが続くと、だんだん怖くなってくる。

恐怖の理由はふたつあり、ひとつは「このあと理事長だの会長だの取締役会だのが急に登場し、全部をひっくり返して台無しにするのではないか?」という経験に基づく恐怖、もうひとつは「私なんかが作ったものをこんなに気に入ってもらえるはずがない、絶対にどこかひとつぐらいは好きじゃないところがあるはずなのに、なぜ言ってくれないのか?」という私の自信のなさや捻くれた性格から来る恐怖である。ふたつの恐怖は案件が終わるまでうっすらと続く。前者は探りを入れる術があるが、後者はやや対処が難しい、根本的に相手ではなく私の問題だからだ。

今進めている案件は「全OKで何もかもがトントン進んでいく」ほうの案件で、私は怯えながら仕事をしている。杞憂に終わりますように。

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