タナカノゾミのポートフォリオサイト

blog

日記(ひまわり、あじさい)

2022年6月22日 (水) 21:20

uncategorized

友人の配信を聞きながら、ベッドに寝転がって今年初めてのスイカバーを食べた。種を模したチョコレートは要らないが(食感的に邪魔じゃない?見た目はかわいいけど)、私はスイカバーが好きだ。皮を模した緑色の部分のアイスが特に好き。

弔いに正しい形など無く、それぞれが思う形の弔いをやるだけのことなんだな、と去年と同じことを思った。きっと何でもそうなんだろう、私にできることなんて、そう多くない。いつだって、選択と、弔いと、祝福くらいしかやることない。でもそれでいいんだろうな。少ないと嘆かなくていいんだ。

翌朝、私もお墓参りに行こうかな、と思ったが、先月行かせてもらったし、きっと今日はご家族やご友人がたくさん集まるのだろうし、その人たちのことを私は多分あまり知らないし、だから自分の存在がノイズになるようなことになったらそれは結構嫌だな、邪魔するようなことになったら嫌だな、と思ったのでやめにした。今日は映画館へ行くことにする。

元町映画館では「ひまわり」という、古いイタリア映画がかかっている。タイトルは知っていて、主演女優の名前も知っているが、観たことはない。昔、キムタクがドラマでこの映画のことを話すシーンがあって、それをなぜだかめちゃくちゃ覚えている。そういうのありませんか?なんか知らんけど超鮮明に記憶に残ってるシーン。

劇場内はほぼ満員だが、圧倒的におばあちゃんが多かった。50年以上前の映画やからかな……
以前ここに濱口竜介監督の「親密さ」を観に来たら、比較的高齢の男性が7〜8割を占めていて、それもおもしろかった。終映が23時すぎになる上映時間が4時間オーバーの作品だったことも関係するのだろうか。客層が如実に可視化されるとおもしろい。

上映ギリギリに席につき、折りたたみ傘を畳んでいたら、隣の席のおばあちゃんが「あら、雨降ってきちゃった?」と話しかけてくる。「はい、でもちょっとだけですよ、霧雨みたい感じ」と答えた。梅雨入りしてしまったので、いつでも折りたたみ傘を持ち歩くようにしているの、という話に「私もです、今は軽くて丈夫な折りたたみ傘がいっぱいありますもんね」と答えたあたりで、劇場が暗転した。

映画は夫が第二次世界大戦へ行き、その帰りを待つ妻の話だった。夫はシベリア侵攻で凍死しかけて記憶を失い、戦争が終わっても帰国しない。妻はロシアまで夫を探しに出かけるが、既に夫は現地で別の人と結婚、子どももいる。記憶を取り戻した夫はイタリアへ戻り「何もかも捨ててふたりで暮らそう」と言うが、そのころには妻も再婚していて子どももいて…みたいな。
劇場中のおばあちゃんたちが啜り泣いていて興味深かったが、私にはあまり刺さる脚本ではなかったし、ふたりの主人公には「しゃあないやん……」以外にかける言葉が浮かばなかった。悲しいし、めっちゃかわいそうやけど、でもしゃあないやん。悪いのは戦争だし、お互いや、お互いの家族の幸せを祈りながら、今後をやってくしか、もう無いやん。情緒もクソもない感想ですまない、でも私は悲恋映画を泣きながら観るような人間じゃないんだと思う。

私は年々「オッケー了解、んじゃどうする?」みたいな「やってく」力だけが強くなり、「かなしいね、つらいよね、分かるよ」と、ただ寄り添い癒すような能力が一向に身に付かない。その悲しさ・辛さを分かりたいと思うのに、分かるよと言ってあげたいのに、言った先から「お前にそんな経験いっこもないだろうが、分かるって具体的に何が?どのように分かるの?」と私の脳内人格が煽ってきてしんどいのだ。「まるで良い人みたいに振る舞ってるね!満足?良い人みたいに出来て満足??」とうるさい。なおかつ私は「悲しみはひとりでやるもの」だと思っているフシがある。悲しみは自分ひとりで、真正面から見て、両腕で抱える以外に、その大きさや形を捉えることは出来ないものだろうと、感覚的に思っているのだ。なぜそんなふうに思うのか、その理由はさっぱり分からないが。
一方の「んじゃどうする?」力があれば、時間をかけて話を聞くとか、聞いた話を整理するとか、物理的に何か手伝えることがあったり、わりといろんなことに対応できるんじゃないかと思う。アイデアもたくさん浮かぶし、何か行動したり変えていくために調べたり考えたりするのも好きだ。が、最低限相手側から「こうしたい」「最終的にはこうなりたい」などを発信してもらう必要があるので、それもどうなんだろうな……という気持ちがある。「こうしてほしい」と自力で分かるようになれる人は、そもそも私など必要としないからだ。うーーーーん。

映画の話からめっちゃ逸れた、戻す。

ソフィア・ローレンがただ家で泣き暮らして夫の帰りを待ってるんじゃなくて、役所へ出向いて調べたり、役人に堂々と抗議したり、義母を力強く励ましたり、ロシアへ行って自分で探したりしているのは良かった。こういう執念に身体が伴う感じ、すごく憧れがあります。

私は両隣りの席のすすり泣くおばあちゃんたちを連れてにしむら珈琲へ行き、なぜ泣いたのか、どのようなシーンで感情移入したのか、など、感想を聞く会を開催したかったが、ご時世的にも誉められないだろうし、大人しく帰ることにする。
ただ、戦争のシーンは本当にすごかった。戦後生まれの私は戦争のシーンなど絶対に撮れないだろう、なんの実感もなく、死を自分のものとして扱ったこともないのだから、と思った。想像力や取材でまかなえることももちろんあると思うが、戦争だけは別だ、という感じがする。分かったような顔すんなよ、と自分に思うが、そんなこと分からないまま死ぬのが、戦争を経験した人たちの願いなんじゃないか、とも思う。これも想像でしかないけど。

雨が上がっていたので、自転車で帰宅。帰り道に花屋さんで買ったあじさいがめちゃくちゃ立派で、色もかわいい。250円で5本は、もう実質タダじゃないですか?

夜は友人から電話。のっけから「大丈夫なん?活動休止なんやろ?活動休止ではないん?今どういう状況?大丈夫?」と言われて笑った。活動休止、のウェブニュースの見出しとリーダーが泣いているブツ切りの映像だけを見た人がどう感じるのか、ということについて知る。私は大丈夫だし、活動休止はしない、と順序だてて説明した。
聡明で、勤勉で、それゆえに優しいキム・ナムジュンに「正直になりたいという勇気は、やはりいつも不必要な誤解や憤りを招くような気がします」などと言わせたことが、ずっと頭から離れなくて悲しい。ぜったいにそんなことはない、と言い続けたいし、そのことをどうにかして証明したい。方法がまじで思い付かないが。友人とは2時間ほど近況を話して就寝。

寝る前から、うっすら体調が悪い。金曜に勢いでスクワットをしてから引き続き筋肉痛があるけど、なんか胃の調子も悪い。全身が怠い。なんだ、梅雨入りしたからかな、まぁ私はめちゃくちゃ湿度に弱いし、他に思い当たることが何も無いが…なんか変なもん食べた?……と思ったけど、生理だ。生理でした。全くもう……はー。
つーかスクワットは思いつきでやるんじゃなくて、定期的に一定量をやったほうが良いと、何回身をもって学べば気が済むんだ。いい加減にしなさい。

翌日、今日はゆっくりしよう、家事もしたいし。雨は降らないようなので洗濯し、掃除機をかけ、コートをサマリーポケットに送り、去年全く着なかった2着は処分することに決める。でもチェックのコートだけ2着になってしまうなぁ……今年の冬には無地のコートを1着買い足そうね。なんかクラシカルなやつがいいな。
友人に送るものがあるので、まとめて集荷に来てもらう。めちゃくちゃ助かる……宅配業者さんたち、いつも本当にありがとうございます。

いつも買う食パンが無かったので、仕方なく買った別の銘柄のパンが固い。おいしくないことはないけど、これじゃない。うーん、いつもの食パンが無いときは、他においしいパンはたくさんあるのだし、無理に食パンを買わないほうがいいな。これを教訓として生きます(大げさ)。

午後は歯のお医者へ行く。3か月に1回の定期健診で、歯は何事もなかった。歯医者さんがくれる歯ブラシが好きだな〜と思ったので、待合室でamazonにないか調べ、その場で30本入りを購入した。意外と安い。

帰ってきてから作ってあった魯肉飯を温めて食べた。魯肉飯のあのお肉の部分だけの名前ってないんかな。なんかあるやろ。「牛皿」のことを「牛丼」って呼んでいるような違和感がある。
魯肉飯はいつもバーミキュラのレシピを使っているけど、正直ちょっと油分を減らした方がおいしいと思うし、もう少しつゆだく感がほしい。自分で考えるしかないのだろうな。まぁそのうちやろう。

母に押し麦をもらっていたのを思い出し、麦ごはんを炊いてみた。麦ごはんておいしいよね、とろろごはん食べたいな、今度山芋を買ってこよう。
魯肉飯にいつものせる高菜漬けが家にないので、刻んだねぎキムチをのせて食べた。すごいおいしいけど、これはいったい何料理なんや。魯肉飯は台湾料理だが、ねぎキムチをのせると急に韓国料理っぽくなる。BTSを好きになるまで、私は韓国料理にはあまり興味がなかったし(基本的に辛いものがあまり好きじゃないから)、キムチは白菜ときゅうりと大根しか知らなかったけど、キムチはねぎもニラも大葉もあるのだ。ねぎキムチで作る豚キムチは、白菜よりもっとおいしい。

夜は先週本屋さんで買ってきたtofubeatsさんのエッセイを読んだ。日記のような、忘備録のようなものを書籍化した本らしいが、人柄が伝わってくる文章でグッときてしまう。人が書くもの、描くものはどうやったって人柄が出るのだな、と思う。しかし、すごいバランス感覚の良い人だな。理屈を突き詰めるところと、感性に任せるところのバランスがとても良い気がする。一見相反するような性質が、一個の身体に収まっている。ような気がする。知らんけど。

お腹も痛いので早めに寝た。生理ほど解約したいサブスクはこの世に無いと思う。
生活はつづく。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

archive

latest posts