TANAKA NOZOMI

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I owe it all to my mother

2021年6月10日 (木) 21:14

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作家、画家、などの日記や手紙が本人の死後、時を経て発見され、記念館や博物館、美術館に展示される、ということはよくあることのようだが、少なくとも本人は生前公開していなかったのだから、どんな内容で、新発見・新事実があったとしても、公開しない方が良いのでは、と思ってしまう。
田辺聖子さんの17歳当時の日記が自宅から見つかった、という新聞記事を読み、何とも言えない気持ちになった。私はそれを読みたくない、と言えば嘘になるが、もし私が田辺聖子だったとして、17歳当時の日記が死後に公開されたらと考えるといたたまれない。私は死後発見されるかもしれない日記を今のところ所有していないし、そもそも死後発見された日記が公開されるような立場ではない、本当によかった。
田辺聖子がこのことをどう思うかは知る由もないが、私だけでなく誰しもが知る由もないのに、その日記を開いていいのだろうか。それとも、90歳を越えるまで生きると17歳当時の日記なんかどうでもよくなるものなのだろうか。

私は中学2年のころ、母に「何か書いたら?詩とか」と言われ、それから文章を書くようになった。母がどういう意図でそんなことを言ったのかは分からないが、詩は思ったより難しくぜんぜん書けなかったので早々に諦め、私は日記を書くことにした。日記というよりは、日々思うこと、答えのないこと、整理のつかないこと、納得のいかないこと、などを延々書きなぐったもので、20歳を過ぎて、ノートが7~8冊になるまで書き続けた。

中学時代、授業中はずっとノートに何か書いて過ごした。いま何を思うか、どう感じたか、自分の感情がどのような変遷をたどったか、というようなことをただひたすら書いた。いつまでも、どれだけでも書いていられた。作文はもともと好きだったが、人に読まれて勝手に評価されるところがイマイチだな、と思っていて、だから誰にも読ませず、自分も別に読み返さない文章を書くことが単純に楽しかった。

三者面談の日、担任の先生が「熱心に授業のノートを取っていると思っていたら全然関係ないものを書いていた、没収して読んでみたら人間関係のことなどが書いてあって心配だ」と言い出したときはびっくりした。確かに授業を聞かずに関係ないことをしていたのは悪いことだと思ったが、人の書いたごく個人的なものを許可もなく勝手に読むなよ、という気持ちが勝った。
隣に座っていた母は「この子は書くことで自分の気持ちや感情を整理しているようなところがある、ご心配はありがたいし授業中に書くのはだめだと本人も分かっていると思う、ただノートは返してやってほしい」というようなことを言い、あとは何も言わなかった。
今となっては先生のしたことがそこまで悪いとも思わないし、教育する立場の人なので仕方ないと思うが、当時は自分が人間扱いされていないような気持ちになり、つらかった。あの場では何も言えなかったが、母はそんな私を庇ってくれたのだと思う。母には今も感謝している。

あと、私はノートに何か書いていないときは制服の袖からイヤフォンを出し、頬杖をつくふりをしてスピッツのアルバムを聞いているか、暗記したスピッツの曲の歌詞をA6サイズのミニノートに写経しているか、もしくは寝ているかのいずれかしかしていなかったので、こんな奴にまで授業を受けさせよう、勉強をさせようとしなければならない教職員の方々には同情する。放っとけばいいのに。
先生、そいつは先生の授業だけじゃなくて美術とか音楽とかの手を動かす授業以外のときはずっとそうしてるし、この先大学にも行かないし、常に「早く仕事してひとりで暮らしたい、学校とかもうウンザリ」としか思ってないよ。ヤンキーになったりするタイプでもないから、放っといて大丈夫だよ。

学生時代が終わると、ノートに何か書くことは減ってきた。単純に書く時間が減ったことは要因のひとつとしてあるが、「書かなくても大丈夫になった」というほうが近いかもしれない。書こうと思えばまだ引き続きいくらでも書けた、でももう「書かなくても大丈夫」になったのだ。

ある日、これまでに書いたノートを全部、まとめて捨てた。ネガティブな感情は一切なく、ただ捨てた。「もうなくても良い」と思ったのだと記憶している。実際書くことは減っていたし、読み返すこともほとんどなかった、なくても良いものだ。なくても良い、ということはつまり「あっても良い」ので、長いこと置いておいたのだけど…
捨てるときはあっという間だった。横置きした3段ボックスの1枠が空いた以外、物理的な変化はなかったし、精神的にも変化はなかった。

最近は誰にも見せない文章を書くことはほとんどない。ここに置いているものは基本的には誰も読んでいないと思って書いているけど、それでも「いつか誰かが何かの拍子に読むかもしれない、ここに置いている以上可能性はゼロではない」ということを頭の片隅に貼り付けている。あの頃ノートに書いていたようなことは時々Evernoteに書くけど、量・回数はだいぶ減った。手帳も買わなくなったし、そういえばスケッチブックも持ち歩かなくなったなぁ。
「書くことで自分の気持ちや感情を整理しているようなところがある」あの子は、どこへ行ったんだろう、元気にしていますか。どうか元気で、あまり自分に無いものばかりを数えないように、君は自分で思っているより何もできないが、早くなりたいと言っていた大人は思ったよりずっと楽しいよ、どうか元気で、ゆっくりおいで。

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