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過ぎ去った過去
2021年6月7日 (月) 20:04
家の近くに温泉がある。「交互浴」が気持ちいいということを覚えてから、お風呂がもっと好きになったので、休みの日のやや遅い時間にそこへ行き、お湯と水風呂とを行ったり来たりして1~2時間過ごす。
私は目が悪いので、眼鏡を外すとほとんどなにも見えない。湯気でモワモワした浴場ではなおのこと、なにも見えない。その、ほぼなにも見えない状態でも、同じ形をした人間がひとりも居ない、ということだけは分かる。皮膚の色、腕の形、膝の角度、足の指の長さ、ひとつとして同じものはない。同じものがない、ということは、比較が出来ない、ということなのではないだろうか、とふと思い至る。
湯に浸かっているのは気持ちいいが暇である。暇と退屈は似ているが別のものだ。暇だと歌をうたいたくなるのは私だけでしょうか。口の中でもごもご「君は天然色」を歌っていたらカラオケに行きたくなった。
つーか若い人たちは「天然色」の意味が分からないのではないか、と思ったけど、分からなくてもこの曲の良ささえ分かれば別にそれでいいか。
あ、「夜明けまで長電話して 受話器持つ手がしびれたね」とかも意味分からんのでは…今でも長通話はするけどあれは電話ではないし、そもそも受話器持たないじゃないか。
作詞は松本隆、亡くなった妹のことを書いた歌詞だそうだ。別れた恋人の歌だと思っていた。世の音楽のすべてはラブソングだな。
私は主語を端折ることが本当に多く、意図的に端折ってるのかそうでないのかすら判断がつかなくなってきたので、ここでは主語をなるべく端折らずに書いてみよう、と思ったのだが、ここでの主語はほとんど「I」で、さらにTwitterでの主語もほとんど「I」だった。私は、私が、私の、私を、とうるさい、私は私がうるさくてたまらない、自我に両足を取られて動けない。もしかしたら主語を書かないことでそのうるささを軽減しようとしているんじゃないか、という仮説を立てた。検証してみたいが、検証の方法が分からない。
6月なので田植えの時期だ。母の実家は農業を営んでいる。米にまつわる行事は土入れ・種まき・田植え・稲刈り・籾摺り、があり、半年がかりの仕事になるため、親族一同、各自行けるときは参加する。私は体力も筋力もまるで無いので農作業では全く戦力にならないが、参加すれば何かしらすることがある。叔父や叔母のiPhoneやiPadの困り事を聞くとか、お昼ごはんやお茶の用意を手伝うとか。
今年は炭をおこしてみんなでお昼に食べるお魚の干物を焼き、午後は苗が入っていた容器を洗い、ブラックベリーを収穫するなどして過ごした。炭に火をつけたことなど一度もないぞ、と始めてから気づき、焼き肉屋さんのYouTubeを見て学んだ。18時ごろ、全部の作業が終わった。雨が降らなくてよかった。
ブラックベリーは煮てジャムかシロップにしようと思い、グラニュー糖をかけて置いておいたが、煮る元気が無くて寝てしまった。シロップにしてジュースで飲むのがおいしそうだな。牛乳で割るとか。
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