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降り注げかわいげ

2021年9月8日 (水) 21:42

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ARMY(BTSファンの呼称)のLINEグループに入れてもらっている。私以外は全員リアルの友だちで、私だけが年下、なおかつ私が一番下、ということもあり、最初は不慣れゆえの戸惑いがあったものの、徐々に「ま、いっか!」という(雑な)気持ちが上回り、毎日わいわい楽しくやっている。
私は高校の同級生のLINEグループも、部活同期のLINEグループも「なんか知らんけどクソめんどくさそう」という理由で参加を拒否しており、使っているのは叔父が主催(?)する親戚一同のLINEグループぐらいのもんである。いや待て、親戚一同のLINEグループは何をやり取りすんねん、と思うでしょうけど、今年の稲刈りは〇月〇日の予定です、とかそういうのです、そういうのを叔父が書いてくれます。

LINEグループとはいえ、用途はほぼTwitterみたいなもんなので、少人数のタイムライン、という感じ。返信しなければならない、という概念自体がないし、毎日ただただ楽しい。日々みんなが見た映像コンテンツや読んだニュース、新しいコンテンツ情報、推したちの写真と動画、それらの感想・好きポイント・推しポイントなどが大量にシェアされているが、全員がオルペン(※メンバー全員のファンであること)なので、平和しか訪れない。毎日話が尽きない。

推したちのパフォーマンス、音楽、生きざま、性格、努力、変遷、歴史、関係性、友情、世界的な活躍とそのポジション、各ジャンルへの影響力、そして影響範囲、ビジネス面での成功、さらには着ているもの(衣装、私服)・食べているもの・読んでいる本・聞いている音楽・見た映画・プレイしているゲーム・答えたインタビュー、に至るまで360度全方位に惜しみなく語るポイントや切り口があり、なおかつそれらが複雑に交錯し、蓄積によって層になっているため、話が尽きない。いや、尽きる気配すらない。忙しい。
過去に発表されたものだけでも追いつかないぐらいの量があり、それらを受け止めている間にも本人たちによるSNS投稿やセルカ、リアルタイムの配信が予告なく投下されていく。忙しい。
観るものが多すぎて、言うことが多すぎる。気を抜くと「好き、かわいい、かっこいい」しか言うことができなくなるが、その人生を懸けて人生まるごとを捧げるようにして見せてくれている推したちを思うと、ぜったいに消費とかしたくない、ちゃんと受け止め、理解し、すべてを糧としたい、出来るならば私だって何かに還元したい、社会生活に身を置く以上は、良いバイブスを還したい、と思う。
ここまでくると推したちの顔が良いことをすっかり忘れている瞬間があり、むしろ新鮮な驚きを得られる。突然「え、顔がめちゃくちゃかっこいいな…?いや知ってたけど、忘れてたな、いやよく忘れられたな…」となる午前2時。寝ろ、夜は寝てください。

話は変わって、私は自分が一番年下、という状況に不慣れであると思う。姉と弟がいる中間子であるし、件の親戚一同をずらりと年齢順に並べたとしてもちょうど真ん中ぐらいの年齢である。さらに3歳ぐらいからずっと「意味もなくエラそう」で「生意気」だし(よく指摘されるので自覚はしているが、原因が分からないので改善できない、体型とかのせいもあると思う、あと表情が硬いせいもあるはず、いろいろな要因がある)、そのせいであまり年上にかわいがられない。かわいげがない。かわいげがないので当然かわいがられないし、かわいがられないので「どうせかわいがられないから」と性格がヒネていき、ますますかわいげがなくなっていく。悪循環。負のかわいげループ。地獄。
そもそも私は全人類について「年上やからなんやっちゅーねん、たまたま先にうまれただけやろ」と思っているし、もっと言うと「上司とか先生とか言われても知らん、私は選んでへんし」などと思っている。かろうじて口には出していないが、確実に思っている。年齢や肩書はあくまで事実としてただ存在し、単にそれだけでは人を敬えない。敬意を払いたい、とは思ってるけど、それは年上だからでも先生だからでも上司だからでもなく、単に他者だからだ。他者には常に敬意を払いたいが、年上であること、目上であることとは関連しない。
だけど、みんなもきっと本音はそうなんだろうな、なのに、私みたいに思ったことをそのまま顔とか声色とかに出さずに、やっていけるんだろう、すごいよ、みんなはほんとうにすごいね。私はいつまで経ってもぜんぜんだめだ。

「かわいげ」については、努力によって得られるなら得ていきたい、と思い、長年よく考えているトピックの一つではあるが、「かわいげ」を構成する重要な要素として「無邪気」であることが挙げられると思う。しかし「無邪気」は少なからず「無意識」と紐づいているのだから、「無邪気」は「意識」した時点で得られないのではないか。
つまり「かわいげがあったらなぁ~かわいげを得ていきたいなぁ~」などとアホヅラで言っている時点で私はバチバチに「かわいげ」を「意識」してしまっており、その様は全く「無邪気」ではないではないか。この道はもう戻れない。戻れたとしても、そこにもう「かわいげ」はない。何を言っているか分かりますか。

さて、一番年下でかわいげがある奴、と言えばBTSの黄金マンネ(※末っ子、の意)ことジョングクさんであるが、彼は「黄金」の異名に違わず歌もダンスも抜群に上手いし、かつ絵も描けて、運動も、料理もできる、できないことなんかいっこもない、末っ子ながらメンバーにも頼りにされ、それに応えて余りあるほどのポテンシャルがあり、あげくびっくりするほど顔が良い。まじパーフェクトヒューマン。
にもかかわらず、いつも飾らないクシャクシャの顔で大口を開けて無邪気に笑い、いつでもどこでも良い声で歌い、ためらいなく踊り、眠い目をこすりながらもファンのリクエストに応えて歌い、自分の誕生日にファンを想う歌を作り、ひとりでいても無機物に話しかけ、8億の年収があるらしいのにカップラーメンを「あぁおいしい、ほんとにおいしい」ともりもり食べ、クイズに正解しては喜びのまま走り回り、メンバーが食べているのを見て「ねぇ、なんのクッキーなの?」と赤ちゃんのような顔で尋ねている。かわいげしかない。いいなぁ、ぐぅちゃんは、かわいげの塊で、いいなぁ、かわいげがあるから、みんなにかわいがられてて、ぐぅちゃんはいいなぁ。

このかわいげから何かを学び、私もかわいげを得ていきたい、とは思いつつ、「学び、得ていきたい」と抜かしている時点で、私は「たぶんかわいげって学んで得ていくやつじゃないな、素質っつーか、いつのまにか持ってるやつやな」と気づいている。気づいてはいるが、それでも、ジョングクから学び、得ていきたい。よし来い、かわいげ。

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