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にちゃにちゃ

2023年1月7日 (土) 13:49

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大バタバタの年末年始が終わった。無事に年が明けました。ようこそ2023年。

年末、立川談春の「芝浜」を聴きに行った。「談春、芝浜を変えます」と大きめのお題目に呼ばれて出かけていったら、本当にめちゃくちゃ変えていておもしろかった。これは賛否両論あるだろうなぁと思うが、私の感想としては賛寄りの賛。古典落語が好きなので噺を変えることに抵抗がないことはないが、でも談春がこれまでどんなふうに芝浜を演じてきて、どんな経緯で芝浜を変えるぞ、という思いに至ったかは分かるような気がしたし、その末にあの話が出来たんだとしたら、それに否とか言えないよ。
やや説明過多な感じが気にはなったけど、まだ2回しかやってないっぽいのでそのせいだと思う。というか、談春さんはわりと説明が多いタイプというか、客がぽかんとしている・あまり分かってないな、と感じると本筋からあまり逸れない形で説明をしてくれる人なのだ。あれ、やり方が下手だったりすると一気に冷めるし、やり過ぎたりすると客側は馬鹿だと思われてる感じがしてきて居心地が悪いし、すごく緻密な技だと思う。舞台上で学ぶしかなさそうだし、天性の勘かも。なぜあんなことをするのかは聞いていないので分からないが「ぜったい誰も置いてけぼりにしない」という意志があるのか、もしくは「伝わるはずのことが伝わらないのが嫌い」なのかもしれない。
この日は「芝浜」のほかに「除夜の雪」と「かぜうどん」を聴いたのでうどんが食べたくなり、肉うどんを食べて帰った。

実家に帰り、さらに母方の実家とを行き来する。毎年のことだが、年末年始は延々食事の用意をしてそれを片付けていたら終わっていく。半端じゃない人数の食事を用意し、給食センターみたいなサイズの鍋を洗うので、肩こりがひどい。肩だけでは終わらず、二の腕の前あたりや胸まで筋肉痛になり「なんかもう身体がおしまいの感じするねんけど……年越せんのかこれ……?いや腰が終わってないだけまだマシか……」などと思っていたが、従兄弟の奥さんが買ってきてくれたピップエレキバンと移動中に爆音で聞いたSTANで超回復した。いつどこで誰に助けてもらうかなんて、自分でも分からないよなぁ。
疲労困憊すぎて、こんなん休みって言えんわ、もはや仕事してるほうが遥かにラクや、給料も貰えるし、と毎年思うが、祖母も母もずっとこうやって年末年始を過ごしてきたのだと思うと、私だけ知らん顔をしているわけにはいかないとも思う。こんなの大したことじゃない、ただ私がそういう家に生まれただけのことだ、誰かが喜んでいるならそれでいい、と思うことにしている。この程度のことにこまごま反発していたら自分がしんどいだけだ。

大晦日は母が作ってくれたたくさんの副菜(母は副菜の鬼)と姉が買ってきてくれた蒲鉾(蒲鉾は値段の差が味に直結している)を前菜に食べ、姉が焼いただし巻きたまごを食べ、父が揚げた天ぷらを食べ、叔父が打った蕎麦を食べ、私が山形県から取り寄せた鴨を食べた。なんぼほど食うねん。お風呂に入っているうちに年が明けており、その後は義妹が買ってきてくれたケーキを食べた。ケーキにはロウソクを付けてくれたので、せっかくだから火をともし、おねがいごとをした。脳内で「ジンくんが無事に帰ってきますように」と願った。うーん、ちょっとジンくんが好きすぎるな……あとどんなに願っても今年はまだ帰ってこないし。

甥スカイウォーカーたちは相変わらずご機嫌にたのしく過ごしていて癒しだった。しかも、去年のお正月は誰か大人が一人は付いて見ていないといけなかったのに、今年は甥たち二人だけで遊べるようになっていて、大人はみんな席について、お雑煮とおせちを食べることができた。えらいな。すごいね。来年のお正月はきっと、甥1が今よりもっと上手にお箸を使えるようになって、一緒にお雑煮を食べられるようになるんだろう。うれしいし、楽しみだし、でもすこし寂しい。甥1はもう私に上着のチャックを閉めて、と頼んでくれなくなったし、膝にのせて靴下を履かせなくなっても良くなった。彼が自分で出来るからだ。自分で出来ることは自分でやったほうが良いし、それが増えることは幸せなことだと知っているからすごくうれしいのに、でもやっぱり少し寂しい。
あっという間に字が読めるようになるだろう。そうしたら、重たい図鑑を抱えてやってきて、私に「読んで」とは言ってくれなくなるだろう。字が読めるようになることは素晴らしいことなのに、そんな日が来るのは寂しい。この時間を忘れないでいたい、と思いながら、一緒に布団に寝転がって恐竜図鑑を読んだ。このまえ会った時も同じ図鑑を同じように読んだけど、初めてみたいに読んだ。
甥2は「えーーーちょっといやなきもちになってきたけど」と言うことで自分の不快な感情を事前に回避する術を身につけていて感動した。これによって甥1との小競り合いや両親からの怒られ(怒られ)を避けているようなのだ。自分の気持ちをちゃんと理解して、それを口に出せるなんてえらいぞ。

年明けは30年近く前に住んでいた団地の幼馴染たちに会って、一緒にごはんを食べた。私がみんなに会うのは20年ぐらいぶりなんじゃないだろうか。3~4年前くらいだったら、私は呼ばれても行かなかったかもしれない。ものごとにはすべてタイミングがあるのだと思う。
毎日一緒にいたときは私も含めてみんな小学生だったので、さすがに変わっているだろうと思ったのに、全員何も変わっていなくて笑った。ありちゃんは昔からずっとこんなふうにおしゃべりで、我が道を行く人だし、りょうちゃんは子どものころからこうやって私とゆりなを実の妹を見るような目で見て、にこにこしていたし、たけが妙に冷静なツッコミを入れる感じとか、ちょっと上を向いて笑う癖とか、本当に誰も何も変わっていない。けいくんは相変わらず面食いで、調子がよくて明るくて、ゆりなはまるで、ランドセルを背負って通学路を歩くみたいに私の手を握るのだ。「のんちゃん」と呼ぶ声も記憶のままだ。そんな訳ないもう30年近く経つんだから、と思うのに、でも本当に変わらなくて笑ってしまった。
みんな身体的に成長したことと、社会的立場が変化したこと以外は何も変わらなかった。私はみんなに会っていない期間が長いから、間が抜けている分、よけいに面影が追えるのかもしれない。
私は深夜2時ごろには酔いが全く進まなくなり、このままいるとただ眠くなりそうだったので先に帰った。生田新道に出るとわりとタクシーが停まってたけど、あんまり寒くないしダラダラ歩いて家についた。終電とか始発とか気にしなくて良いのって、最高。

1週間も休んだ気が全くしないが、これも毎年のことなので気にしない。喉も痛くなってないし、元気です。また1年、よろしくお願いします。

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