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odette

2023年10月24日 (火) 20:55

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スワンボートに乗った。白鳥の形をしていて、水場に浮かべられており、足で漕いで操作するアレだ。友人が「乗ろうか」と言ってくれたので……

私はスワンボートには乗らないタイプの人間だと思う。非アクティブでインドアだし、そもそも意識的に人に会おうとしなければずーーーっとひとりで休みを過ごしてしまう。どこにでもひとりで出かけ、ひとりで過ごすことばかりに興味がいき、ひとりでの過ごし方ばかりバリエーションが増える。朝8時までに起きて家事を済ませ、11時には喫茶店へ行ってパンとたまご料理を食べながら読書、ラジオを聴きながら散歩して、午後は映画館へ、市場に寄ってから家に帰る、というのが理想の休日だし、月に3~4日は理想通りに過ごしている。
公園へ行き、水場を散歩するところまではひとりでもやるけど、スワンボートは絶対に乗らない。「乗る」という選択肢すら持っていないのだ。

が、経験上こういうのは「よし乗ろう」と言っておいた方が良い。「いやぁ、私は別に、いいわ」とかなんとかモゴモゴ言って生きるのは20代のうちにやったし、そういう生き方にはもう飽きた。なんでも機会があればやっておけばいいと思う。「興味ない」とか「何の意味が」とかゴチャゴチャ言ってる人生は終わったのだ。だいたい、興味の有無など問われることなくいつのまにか人生は始まっており、さして意味のないものごとに翻弄されながら人生は終わるのだから。スワンボートくらいで大げさだが。

スワンボートは20分で1500円だった。池の中を自由に動いて、20分を過ぎる前に桟橋に戻って来いよ、というルールらしい。
スワンボートは乗り口が狭い。そもそも子ども用なんじゃないのか。あと、乗りこむとき結構揺れて、怖い。
「はい、いってらっしゃい!」とかなんとか言われて漕ぎ出す。ペダルとハンドルが付いていて、自転車に似てはいるものの、なんとも漕ぎ応えがない。漕いだぶんだけ進んでいる、という実感がないのだ。シャカシャカする。ハンドルも、回した分だけ進んでいる、という実感が全然ない。ハムスターがくるくるやっているアレを思い出す。
どうにかこうにか進めるようになっても、もちろん池の中から出ることはないので、海や川に比べて池は虚しい感じがする。ボートに乗って漕ぎ出しても目的地はない。なんか虚しい。

残り5分になったころ、私たちは桟橋に戻るべく進路を定めたが、風向きや他のボートの水流に押し流されて、漕いでも漕いでも帰りつけず大変だった。結構あっさり流される乗り物なのだ。知らなかった。藻に突っ込んだまま前にも後ろにも進めなくなったときは普通に絶望した。漕いでも動かないし、漕がないとどんどん流される。

どうにか桟橋に帰り着き、スワンボートから降りたものの、まっすぐ立ったり普通に歩いたりできないぐらいの疲労度で、足がフラフラの私たちはベンチに座り込んで大笑いした。疲れたし、汗かいたし、足も痛い。

そして私たちは「カップルはスワンボートに乗ると破局する」という都市伝説を心底理解した。なるほどこれは、共同作業なのだ。ふたりとも一生懸命漕ぎ、ブイや他のボートに当たらないよう前後左右の確認を手分けして行い、時間配分を考え、疲れても漕ぎ、飽きても漕いで、その過程と時間をふたりで共有する乗り物なのだ。もし自分がひとりで漕ぎ、時間がないと焦り、隣に座る恋人がなんの協力もしてくれなかったとしたら、そりゃ別れるよ。いやこの1件だけで別れはしないかもしれないけど、でもいろんなシーンでスワンボートが頭をよぎるようになってしまい、多分その末に別れる。「ぜんぜん協力してくれんかった」「私ばっかり必死に漕いで馬鹿みたいやった」「ひとりで不安やった」などのネガティブな感情がフラッシュバックし、さらに「この人は根本的に私と協力したり、共有したり、支え合ったりすることを、大事に思ってくれてないんや」という結論に達すると思う。十分別れを切り出す理由になり得る。

ともあれ「また機会があったら乗りたいです」とも思わないし、「もう二度と乗りたくないです」とも思わないのが、スワンボートの良さなのかもしれない。もしまた機会があったら乗ってもいいし、もう二度と乗らずに一生を終えても、別になんの感慨もない。
ただコツは掴んだので、次はもっとうまく出来ると思います。

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