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with the lights out

2019年11月28日 (木) 22:10

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昔好きだった人のにおいがして、あぁこれ油絵のにおいだったんだよ、そっか、と思った。声はもうあんまり覚えていなくて、でもたまにつけてた香水のにおいと、吸ってた煙草のにおいはまだ覚えている。何にもつけてなくても子どもみたいなにおいのする人だった。そのことを自分で分かっていて「俺いいにおいするでしょ?よく言われるんだよね」と言っていたし、私は”誰に”よく言われるんだよ、と思ってイライラしていた。そういえば顔ももうあんまり覚えていない。

”におい”って結構長く覚えてるもんなんかな、こんなこともう一切思い出さなくていいので、先週観た映画の監督の名前を忘れないことや、半年前に読んだ本のタイトルを忘れてまた買ってしまったりしないことの方に重点を置いて脳を使ってほしい。脳はぜんぜん思い通りになりませんね。私の脳なのによ。自我と脳は別のものみたいに感じる、でも自我は脳の中にあるんでしょ?なにこれ。

母が3ヶ月ぶりに帰宅し(※病院でも監獄でもないのだけど、ごはんがあまり自由にならない場所に行っていた)、ずっとごはんの話をしていて笑った。「パンが食べたい、朝はやっぱりパンがいい」「あ、餃子、餃子食べたい」「あああパスタ!パスタ食べたい」とか言っていて、あげくの果てには自分で帰りに買ってきたパンのにおいをずっとかいでいて、おもしろかった。そうそう、パンはいいにおい。

来月出るすごい楽しみなCDアルバムの特典(カバーのCD-R)が店ごとに違う、というので困った。選べない。仕方ないのでもう選ぶのを諦めて、3つとも全部予約しておいた、これで全部聴ける。よし。何が「よし」か。乱暴な選択をしたな…、と思うけど選べないので仕方ない。選べないときは選ばない、という選択肢もある。ないときもありますけど…

大人になると自分の権限でお金を使うことができて、そのお金自体を自分で稼ぐことができるの、最高っすね、と思うけど、これは大人とか別に関係なくて、単に私が独身で子どももいないから、っていう、扶養する対象がいないからってだけのことよな。すみませんでした。あ、何に対しての「すみません」かは不明、なんかたまに「ひとりで気楽にやってることに対する罪悪感」みたいなの湧いてくるけどこれ何?何かに使うやつ?要らん?捨てていいのかな。

同じCDアルバムが3枚手に入ることについてはのちのち考えよう、どうしようか、でも人にあげたいな、気に入ってくれる人にあげたい。だいたい今どきサブスクで聴けないようにしてるの、なんか意図があってのことでしょう、どんな意図かは知らんけど。でも乗っかっていくぜ!めちゃくちゃ期待してるぞ!

先日書いたブログが我ながら怖くてずっとそわそわしている。見聞きしたものに感想を言いたいという気持ち、その気持ち・感覚を出来る限り文章にして残しておきたい、自分で読めば”あの感じ”を思い出せるように、時間が経って鮮明には思い出せなくなっても”あの感じ”の手触りを、手がかりを残しておきたい、と思って書いているのに、批評みたいになっていってしまうんじゃないかと思って怖い。批評なんて全然やりたくないしそもそもできない、分析もしたくないしできない、私はそういうんじゃない。
でも、なんか書けば書くほど、触れば触るほど、”あの感じ”から離れていってしまう。本質を置き去りにして、距離ができてしまう。どうすればいいんだ。もう書かない、が正解なのかもしれないけど、今のところそれはやりたくないな。

うえはる先生が「触り過ぎちゃだめ、沼だよ」と言っていたの、こんなとこにも繋がってくるなぁ、すごいね。(油絵具は全然乾かないので、塗った後に消したり重ねたり削ったりできてしまう、これがおもしろくて延々触ってしまうしキリがない)
でもそれで言うと私ずっと沼にいるやん、沼暮らしやん。ははは。

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